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二 「バッドエンドしかない」という悪役令嬢とやらの領地で暮らすことになったのだが、聞いて欲しい

二の2

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「それと、エインの部屋なのですけれど……」
「タウンハウスと同じでいいぞ。侍従用の部屋で。ただし、勝手に魔法であれこれ拡張や細工はさせてもらうが」
「本当にそれでよろしいのですか? お父さまとお母さまに話をすれば、客間を使わせてもらえますのよ?」
「表向きには侍従ってことにした方が色々都合がいいこともある。そんなことを気にするくらいならこの話、初めから受けていない」
 お金もらえるしな。侍従という建前がなくなったらお給料もらえなくなるだろ、それは困る。金なし魔王なので。拗ねてないぞ。金もないけど。僕はこれ以上シリアナ嬢の指が僕の可憐な尻の穴に侵入するのを防ぐため、括約筋を最大限に活躍させた。指をへし折るつもりで。だがなんだこの指は! これが貴族令嬢の指か。オリハルコン製か! がんばれ僕の括約筋。大活躍だ括約筋。
「言っただろう。僕は過酷な環境で暮らしていた。だから僕にとってここは、とてつもなく暮らしやすい夢の国なのさ」
「……陛下には、感謝してもしきれませんわ」
 初めて会った翌日、魔王城から外の様子を見たシリアナ嬢の憂いを含んだ横顔を思い出す。魔界はとてもじゃないが、人間が歩き回れる環境ではない。あの日と同じに憂いを帯びた瞳を伏せ、シリアナ嬢は噛み締めるようにぽつりと零しながら僕の尻の割れ目をこじ開けた。ぐふんっ。何とか変な声を上げるのを堪えた僕はえらい。魔王泣かない。だって男の子だもん。
「気にするな」
 僕の童貞を奪うとか恐ろしいことを言わなければそれでいい。むしろそのためだけにここに来たんだお礼に抱いてくれとか言わないでくれれば全然いい。あと今すぐに僕の尻の割れ目から指を退けてくれればなおいい。弟の前で君という令嬢は一体何をしてくれているのか。
 あの激重鞄を置いて戻って来たらしいボールギャグがこちらへ向かって来るのが見えた。早くないか? なぁ、この城、魔王城より遥かに立派だし大きいしどう考えても中も広いぞ? 令嬢の部屋だから警備的に一番奥に近い部屋なんじゃないのか。なぁおい。そして僕の括約筋の限界が近づいている。これは僕の魔王としての尊厳との戦いだ。負けるわけにはいかない。
「ボール、エインを自室へ案内して頂戴。荷解きが終わったら、わたくしの部屋へ連れて来てくださいな。ではエイン、お願いね」
「はい、シリアナ様。さ、エロシリダ様。ボールめとエインはここで一旦、失礼させていただきます」
「エイン、またね!」
「はい。のちほど」
 シリアナ嬢と並んで小さな手を振る天使を見送る。いいなぁ癒しだ。それから僕の可憐な尻の穴に平和が訪れたことに心底ほっとする。シリアナ嬢は未練がましい視線を僕の臀部に送っていたが君、後で説教だからな覚えてろ。
 ボールギャグに案内されて侍従用の部屋に入る。備え付けの簡素なベッドと小さな机。最低限の造りだが、文句はない。どれだけ荘厳な城に住まおうと、陽の光がない魔界に比べればここは快適だ。
「制服はこちらに」
「ありがとうございます。のちほど途中で見かけた侍従の詰所に寄れはいいでしょうか」
「はい。お嬢さまのお部屋へ後程案内致します」
「あ、あと」
「はい?」
「僕に敬語は止めてください。一応、ここではただの侍従なので」
 ボールギャグはハウス・スチュワードだ。屋敷の管理全般を任された、使用人の中で一番地位が高い人間である。おそらく領地の管理を任された家令も別に居るのだろう。そんな人間が敬語を使う従者など居てはならない。
「かしこまりました」
 ほらぁ、敬語じゃん。それだと誰もが察してしまう。僕がただの侍従ではないこと。それじゃ困るんだよなぁ。色々やりにくい。口調が中々直せない僕も悪いんだけど。オシリスキナ家の家令は聡すぎて困る。
「シリアナ嬢も承知の上ですから、他の侍従と同じ扱いでお願いします。別に後から不敬だなんて言いませんから」
「分かりました」
 うん。まぁ幾分マシになったかな。エロアナル令息同様、僕を身分を隠したどこかの国の王族だとでも思っているんだろう。まぁ、この家の人たちは僕が魔王だと言ってもさして驚かない気がする。部屋に諸々小細工をして、ボールギャグが置いて行ったお仕着せを手に取る。普通、侍従の服と言えば黒だろうにシリアナ嬢の趣味なのかシャンパンゴールドのディナージャケットに空色のカマーバンドと同色のボウタイが添えられている。これはマズいんじゃないか。完全に「シリアナ嬢」専用と周囲に知らせるためなんだろう。色々と誤解されるぞ。こんなの。
 シリアナ嬢の部屋に着いてから僕の衣装と貴族令嬢にあるまじき手癖について少し説教したが、全く耳に入らぬ様子で胸の前で両手を握り締め目を瞑っている。
「ふおおおお! 美麗スチル! 神様アホな名付けと引き換えに陛下をこの世に生み出してくださいましてありがとうございますありがとうございます、あとはこの美貌の尊さを網膜に焼きつけるだけでは足りませんので何某かの写真っぽい魔法が開発されますようにそれらしい魔法がある日突然わたくしにひらめきますように」
「いつもより長めに鳴いたな。とにかく、こんなの君の男妾かと勘違いされるだろ。婚約者の居るご令嬢としてはよろしくないぞ」
 シリアナ嬢は反省するどころか、くすくすと笑う。
「エイン、どんなに気を配ったとしてもあなたの身分は隠せませんわ。所作が優美すぎますもの。だから他国の高位貴族を故あってわたくしの傍に置いているのだと思わせておいた方が良いのですわ」
 だって僕は生まれてこの方ずうっと魔王だったんだぞ? この世で最も高貴な魔王だぞ? 滲み出る高貴さを隠すことなど不可能だろう、そうだろう? 褒めたって童貞は捧げないんだからねッ!
 一つ咳払いして話題を変える。断じて赤くなってなどいない。
「……まぁいい。それで、いつ父上と母上に話すつもりだ?」
「そうですわね……。昼食後、巡回を兼ねてお父さまとお母さまが森に行かれる時にご一緒しましょう。夕食後、お父さまの執務室で話しますわ」
「分かった。僕も付いて行けばいいのか?」
「ええ。お願いしますわ」
 シリアナ嬢は優美な仕草でお茶を飲んでいる。部屋を見渡したが、ソファ以外の椅子がこの部屋には存在しない。涎を垂らしながら僕を見た、闇の精霊王から目を逸らす。
「ぬふぅ……んっ」
 満足気に吐息を漏らした闇の精霊王など、僕は見ていない。見ていないったら。
 シリアナ嬢を背中に乗せ、四つん這いになりぷるぷる震えながら嬉しそうにしている闇の精霊、あれ何でしたっけね。あれが精霊王? 嘘言っちゃいけませんよ。やめてください。あんな変態、知り合いじゃありません。
 もう嫌だトア、僕は気が狂いそうだ人間界怖い。公爵令嬢怖い。
 昼食後、早速馬を準備しシリアナ嬢を迎えに行く。付いて来いと言われたのだから当然だが、馬に乗って後から付いて行く僕を見て、シリアナ嬢はまたくすくすと笑う。
「何だ?」
「いいえ。自分の姿を他人の視点で見ることはできませんもの。エインはとても、ただの従者には見えませんのよ」
「それじゃ困るだろ、今後」
 全く。年寄りをからかって何が楽しいんだか。近頃のご令嬢は何を考えているのか分からん。
「さすがですね。馬の質がいい。手入れも行き届いている。騎士からもここが国防の要であるという自負と緊張感が伝わって来る」
 というか、馬も大変筋肉質だ。何だろう、僕この領地にすごく筋肉による筋肉のための筋肉の圧迫感を覚える。
 ぼそりと呟くと、シリネーゼ公爵夫人が唇を不敵に吊り上げる。
「わたくしは聡い子は好きだよ。なるほど、シリアナが気に入るわけだ」
「シリネーゼ、君が誰かを褒めるのも珍しいな。しかしパパは悔しいので君のことは認めない。認めないんだからねっ!」
「お父さまとお母さまに付いて来られるというだけで、エインの乗馬の腕前が分かりますわね。わたくしは最近になってようやくお二人に付いて来られるようになったのですよ」
 筋肉で全てを解決しそうなこの一族に褒められるのは何だか複雑な気分だ。しかしこの人たちまるで花でも摘むみたいにひょいひょい熊を矢で射る。何この人たち怖い。矢って熊の頭を貫通するのが普通だっけ。そして城郭から離れただけでこんなにゴロゴロ熊が出て来るの怖い。そんな森の付近にある街道を普通に領民が行き来してるのも怖い。何もかもが怖い。なんなのこの領地。大丈夫なのこの領地。
「済まないな、小さな獣は粉々になって食べるどころではなくなってしまうので、どうしても大物狙いになってしまうんだ」
「本当はこの森の奥にある洞窟がダンジョンだったのですが、お母さまが殲滅してしまいましたの」
 あああ、突然住人が泣きながら避難して来たオシリスキナ領のダンジョンってここだったのかああああ! 何てことするんだよ! 善良なスライムとゴブリンに謝れ! 自治会長のオークなんか家が全壊したんだぞ! 保障した魔界の懐すっからかんだよ! 慰謝料請求するぞ!
「本来、そのダンジョンは当家の子供たちが狩りに慣れるための練習場だったのだがな」
「五才になるとダンジョンに練習に行くのが、代々オシリスキナ家のしきたりですのよ」
 ダンジョンを練習場にするな! この脳筋一家め! そして代々練習場にして来たダンジョンを気まぐれで更地にすんな! 血なまぐさい! 血なまぐさいよこの一家。
「倒した獲物は後で回収させなくてはね、シリネーゼ」
「そうだな、アナルジダ。愛しいあなた」
 ソウダネ。いくら脳天に一撃で即死とは言え、あんなに巨大な熊をゴロゴロ放っておくわけにもいかないもんね。
「シリネーゼ」
「アナルジダ」
 娘の前で以下略。ほんともうやだこの夫婦。まぁ夫婦仲が良いのはいいことだ。
 しばらく走ると、アナルジダとシリネーゼは小高い丘の上で馬の手綱を引いた。
「ごらんなさいな、エイン。ここからドエロミナ城が一望できますのよ」
 ドエロミナ城を中心に、広い平野へ放射状に街並みが広がっている。最外殻は六芒星を描くように堀が巡らされていて、農地で働く領民の姿が見えた。
「ああ……見事な城塞都市ですね……。だが灌漑設備が十分ではないのか……治水事業がどうなっているか確認したい所だな……せっかくの肥沃な土地だ、有効活用しないと」
「ははは、後で君にランド・スチュワードのビットギャグを紹介しよう。きっと話が合う」
「ビットギャグはボールギャグの兄で、領地に関わる仕事を総括している家令ですわ。レタレル男爵家には代々家令を任せておりますの」
 なるほど、昔からの家臣ということか。シリアナ嬢の説明に頷く僕を、熊が見ている。いや、もじゃもじゃでどこに目があるか分からないけど多分、見ている。
「そういえば、汚水工事は君の発案だったね。エイン。ドエロミナ城は古いから雨が降ると臭気が籠って酷い臭いだったんだが、君の考えた汚水処理工事を行ってから城の中が清潔で助かっている」
 上に立つ者の鷹揚さを滲ませ、シリネーゼが表情を緩ませる。これは「下の者を褒める」顔だ。生まれついての貴族、という雰囲気が漂っている。
「……ひょっとして、アナルジダ様は入り婿ですか」
「そうだよ? それが何か? 文句でもある?」
 熊が頬を膨らませた。多分。髭なのか毛皮なのか分からないもじゃもじゃだからどこが頬なのかは想像だが。
「いいえ。シリネーゼ公爵夫人がオシリスキナ家のお血筋なのですね」
「良く分かったな。わたくしの祖母が何代か前に公爵へ嫁いだ王妹の血筋でね。一応第六位だかなんだか、王位継承権もあるのだ。だがわたくしには兄弟が居なくてわたくしが公爵家を継いだ。公爵家を継いだ後に、わたくしがこのアナルジダに惚れてしまってね。口説き倒して婿にしたのだよ」
 振る舞いからかなりの女傑であると推察できる。おそらく騎士としても一流なのだろう。
「夫人がお望みになるのですから、アナルジダ様は武人として誉れ高いお方なのでしょう。エロアナル様とシリアナ様の聡明さは夫人から。お強さは閣下から受け継がれたのですね」
「いや? 今はもじゃもじゃだが、顔に惚れてしまってね」
「顔に」
「ああ、顔に」
 熊だが? 口から転がり出そうになるのをぐっと堪えて目を閉じる。もう一度目を開いて凝視してもやはり熊だ。
「顔ならやはりエインが一番なのですわこの顔面はもはや至宝ですわオシリスキナ家総力を挙げて保護しなくてはいけませんのよ」
「あっはっは、しかしわたくしのアナルジダも君には劣るな! さすが我が娘、わたくしの愛しいアナルジダよりも顔のいい男を連れて来るとは。だがわたくしには君が一番愛しいよ、アナルジダ」
「シリネーゼ……」
 もじゃもじゃだが何となく分かる。乙女のように頬を赤らめている。どこが目か鼻か口かも分からないもじゃもじゃだが。
 なるほど~、こうやって口説かれたんだへぇ~。他人の親の馴れ初めなど一切興味ないな!
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