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二 「バッドエンドしかない」という悪役令嬢とやらの領地で暮らすことになったのだが、聞いて欲しい

二の8

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「そもそも、世界とは残酷で不平等にできているのですわ。前世はここより遥かに人権に配慮された世界でしたけれども、それでも全てに於いて平等というわけではありませんでしたもの」
 君はそんな世界で幸せだったのか。尋ねようとしてやめた。
「魔界に来るか? 五年ほどあれば他人は君のことを忘れるだろうし、君の家族ならラストダンジョンも散歩程度に踏破しそうだから尋ねて来られるだろう。五年の間に君の憂いは全て解決するかもしれない」
 全部放り投げて。君だけが何もかも背負う必要はないんだ。
 魔界が生き物が住むに適さない場所だと、僕も彼女も十分承知だ。けれど僕は、他にかけるべき言葉が見つからない。
「どうしようもなくなった時は、お願いするかもしれません」
 シリアナ嬢が作った笑みは失敗して苦笑いになった。
 不安なのだろう。この先、悪いことが待ち受けていると知っていたとしても。知っているからこそ。シリアナ嬢自身が本当は誰よりも一番、やがて来る未来に怯えているに違いない。
 身を起こしてシリアナ嬢の頭を撫でる。シリアナ嬢が遠慮がちに僕の肩へ額を押しつけた。それだけで小さく形のいい頭蓋が、どれだけ脆いか容易に想像できてしまう。
「乗りかかった船だからな。助けるよ。この僕が君を」
「ええ、陛下」
 ほんとうにお優しいのですもの。だからわたくしのような小娘にいいようにされてしまうのですわ。
 小さく呟き、シリアナ嬢はほんの少し笑った。まだ幼さの残る、清らかな笑みだ。こんな子供をどうこうしようなんて思い浮かぶ奴がおかしいんだぞ、シリアナ嬢よ。君はまだ大人に保護されるべき、子供なのだから。
「君が言うか。僕が紳士であることに、君は感謝するべきだぞ」
 ほんとだぞシリアナ嬢。大体君、童貞魔王を脅すとか普通の令嬢がすることじゃないんだぞシリアナ嬢。僕が良識ある魔王であったことは君にとっても僥倖だったんだぞシリアナ嬢よ。
「何とも甘酸っぱい雰囲気じゃの」
「そこでぶちゅーっと行っとかないから童貞なんじゃ、魔王よ」
「……」
 視線で精霊を殺せるならば、今の僕の視線は光と闇の精霊王を殺していただろう。だがこのド変態精霊どもに関わるのが嫌だ。すごく嫌だ。そういえばこの変態精霊どもについて何か忘れている気がする。何だったっけ。あ。そうそう。
「……シリアナ嬢」
「どうなさいまして?」
「シリアナ嬢、以前『げぇむ』とやらのタイトルを言っていたが、そこに精霊がどうとか付いていなかったか」
「ついておりました。『恋と魔法と精霊の約束』、通称『こいまほ』ですわ」
「このろくでもない精霊どもと、一体何の約束を誰がするんだ?」
 ろくでもない約束に違いない。シリアナ嬢が顔を上げる。変な鳴き声上げたり人が名乗った後に下品な言葉を口走ったりしなければちょっとキツめの顔の作りだが、普通のかわいいご令嬢だというのに。
「もっと……もっと罵って……! ハァハァ……!」
 闇の精霊王がにじり寄って来たが無視した。シリアナ嬢も闇の精霊王を完全に無視をして答える。
「ゲーム上では、ヒロインが光の精霊と契約した時にこの世界を守るという約束をするのですわ。二周目の陛下攻略へのフラグでもありますの」
「んほおおおおガチ無視んぎぼぢいぃぃぃ」
「それで? どうなんだド変態その一」
「うむ。我が一番なのだな? よかろう」
「我は二番手でもいい。踏んでもらえればそれでいい。できれば『このブタ野郎』と罵ってくれればなおいい」
 消して。消去して。このド変態闇の精霊王を僕の記憶から。気を取り直して光の精霊王へ問いかける。
「気が狂いそうだから迅速に質問にだけ答えろこのド変態その一」
 もう二度と光の精霊王だなどと呼んでやるものか。闇の精霊王に至っては闇というと魔王みたいなイメージだからマジ存在を抹殺してやる。同類だと思われたくない。僕は至って普通の性癖しか持ち合わせていない、ただの清らかな股間の童貞だ。
「我がまだ言ってもないことにどうだと言われてもなぁ。ただ、最近あやつが不安定でな。ものすごく不本意だが、あやつと我は連動しておるからな。それと関係しておるかも知れん」
「……あいつが安定してた時なんか、一瞬だってなかっただろ」
「身内の言葉は重みが違うのぉ」
 ――兄さま。兄さま。
 ――エイン兄さま。
 いつも後ろを付いて回っていた、幼い弟。光と物質を司る弟と離れたのはもう遠い昔のこと。
「黙れ光の」
 うっかり真名を呼びかけて飲み込む。僕のような神ならば別だが、精霊にとって真名を人間に教えることは命を預けるに等しい。拳を握り締め、光の精霊王から目を逸らす。
「名前がないと不便ですわね。これから光の精霊王はイチ、闇の精霊王はニイと呼びましょう」
 シリアナ嬢がさりげなく話題を変えた。聡い子だ。「あやつ」について、聞きたいだろうに聞いて来ない。いや。あるいは「げぇむ」とやらの「しなりお」で知っているのかもしれない。話題に出した当の光の精霊王も、しばらくカーペットの柄を睨みつけていた。深刻な雰囲気のこの状況で、フランベルジュから上半身だけにゅっと飛び出した姿がとてもシュールである。
「イチ、ニイ。わたくしが不在の折には陛下の言うことを聞かないとお仕置きですのよ」
「我! お仕置き! だいすきぃぃぃぃぃぃ!」
 いやもうほんと、変態が許容範囲を越えていて限界です。魔界に帰りたい。
「ニイ、貴様はシリアナ嬢とどんな約束をした?」
「日常的に罵って踏んで、それ以外の時は椅子として扱ってくれと懇願した」
「……聞きたくなかった」
「その代わり、ニイは何があってもどんなことでもわたくしへ協力すると約束したのですわ」
 それでいいのか闇の精霊王。額を押さえる。頭が痛い。
「戦闘の時もできるだけ椅子としてこき使ってもらえると気持ちイイ! オットマンチェアとして使ってもらえるとなおイイ!」
 ダメだこいつ、早くなんとかしないと。踏まれたいという気持ちしか全面的に伝わって来ない。
「ですので、これからも度々イチとニイを連れてダンジョンで軽く運動を続けますわね。陛下は気にせずお仕事なさってくださいませ」
 ダンジョンで軽く運動すな。ジョギング感覚かよ迷惑です。そもそもダンジョンは軽く汗を流す場所ではありません。人差し指と親指で鼻筋を摘むように目頭を揉むが、目眩が収まらない。元凶が目の前だからだねっ!
「ダンジョンに放置プレエエエエエイ!」
「ニイ」
「なんじゃ?」
「あなたは家具なのですから、勝手に喋ってはいけないのではなくて?」
「ひゃいんっ!」
 嬉しそうだな。喜んで床に四つん這いになった闇の精霊王から目を逸らす。光の精霊王は宿った剣をカタカタ言わせながら興奮気味に叫んだ。
「我も! 我も殴り飛ばしてくださぁぁぁい!」
 もうやだほんと、気が狂いそう。この中でしれっとしているシリアナ嬢の精神構造を疑う。
「おいド変態。貴様はシリアナ嬢とどんな約束をしたんだ?」
 何か嫌な予感はするけど一応確認のため聞いてみる。予想通りの答えが返って来た。
「ご令嬢のどんな指示にも従うので、定期的に殴ってくれと」
「なので剣に宿ってもらいましたの。剣で戦うと自動的に獲物を剣で殴る形になって、剣に宿ったイチも一緒に殴ることになるかと思って」
 なぁ、何でそんなに思考が物騒なのこの令嬢。普通、歴戦の傭兵でもフランベルジュで「殴る」なんて表現しないよ? フランベルジュってレイピアと同じで「突く」ための剣だよね。そんなもんで殴るってどうなのシリアナ嬢。振り子打法なのシリアナ嬢。僕の夜のバットは不発ですよシリアナ嬢。マジほんと、あのほんと、脳みそまで筋肉が蔓延はびこっている。
「……考えたくはないのだが、精霊王が全員このようなド変態ばかりというわけではなかろうな?」
「……嫌なことを言わないでくださいまし、陛下」
 え? なにそのまともな反応。ちょっと面食らってソファに座り込む。話しづらいのか、シリアナ嬢がソファの横に移動して来た。そして視線を送ることもせず腰を落とす。転んでしまうと心配で手を伸ばすと、すかさず闇の精霊王が四つん這いで高速移動して来て、シリアナ嬢の下に収まった。
 ヤダこれ怖い。ナニコレ怖いしかない。絵面も怖いけどシリアナ嬢の移動先に自動で移動してくるの怖い。まずカサカサした動きが気持ち悪いし、シリアナ嬢も慣れた感じなの怖い超怖い。怖いので闇の精霊王を僕の網膜と記憶から消去すると心に決めた。しばらく考えてふと気づく。
「……ちょっと待ってくれ。ということは、だ。僕に純潔を捧げるより、このド変態のうちのどちらかに強要して純潔を捧げるという選択肢もあったのではないか?」
 精霊は皆、一様に美形だ。例えド変態であっても、イチもニイも人間の美的基準から言えば最高の美形である。ド変態だが。
「陛下」
 何? 何だよ? シリアナ嬢がいつになく真剣な表情で僕の両手を掴んだ。ロープでぐるぐる巻きにされたことを思い出して膝が笑うどころか大爆笑と言えるほど震える。僕の繊細かつ未だエンジョイすることを知らない清らかなジョイスティックと可憐な袋がきゅっと縮んだのが分かった。繊細な童貞をむやみやたらと怯えさせるのはやめていただきたい。
「わたくしにも、選ぶ権利がございますのよ?」
 四つん這いの背にシリアナ嬢を乗せて至福の笑みを浮かべるニイと、イチが宿ったカタカタ震えるフランベルジュを目路に入れる。究極の二択。僕ならそんな選択をする前にこのド変態どもを葬る。
 そうだね。一応、シリアナ嬢も人の子だったんだね。オリハルコン製の精神だと思ってたごめん。
「……うん。すまん」
「ご理解いただけて何よりですの」
 しかしその論法で行くと、接点のない僕をシリアナ嬢がわざわざ選んだ意味とは。つまり、その、出会う前から僕が好きだったからとかそういうことになっちゃうんじゃないだろうか選ばれたのは某緑茶ではなく魔王でしたとかそういうことになっちゃうんじゃないだろうか繊細な童貞は騙されやすいしすぐ好きになっちゃうから勘違いしちゃうようなことはできるだけ避けてもらえないだろうか! 繊細な童貞は! 超絶チョロいんだぞ!
「僕だって、選択肢に入れちゃダメなんだからな!」
「わたくし心底、陛下を選んで良かったと思っておりますわ」
「そんなこと言っても僕の初めてを捧げたりはしないからね!」
「ちっ」
「ご令嬢が舌打ちしない!」
「ぎゃんお怒りになられてもご尊顔がイイ! なのですわ」
 悪化してないかシリアナ嬢。しかしこの状況で精神が崩壊しない生き物っているんだろうか。妙な悲鳴を上げる公爵令嬢、恍惚の表情を浮かべるド変態精霊王ども。僕は無理だ。気が狂いそう。
「今のところ、他の攻略対象やひろいんが精霊と厄介な約束を交わしていなければいいが」
「イチはここに居るわけですから、ヒロインとイチが契約することも約束することも叶いませんものね……」
「まぁでも、普通は精霊王と契約ができる人間など居ないからな」
 つまり光と闇の精霊王と、魔王である僕が味方に付いているシリアナ嬢が他の精霊使いに負けるわけもなく。
「まぁ、王太子二人とアホ殿下の護衛騎士と淫行教師にはすでに使い魔を監視につけているけど、それぞれの性格を知るために一度ある程度の会話をしてみたいところだな……。何か呼びつける口実があればいいんだが。なんだっけ。護衛騎士の名前」
「ヒュース・トンベン子爵ですわ。これはなかなか難易度が高いのですわよ。余程の腐った掛け算上級者でなければ、彼の名前が下ネタだとは気づきませんわ」
「……その、高難易度下ネタ騎士はアホ殿下が行くところには必ず付いて来るのか?」
「学園にも護衛として付いて来る設定ですのよ」
 首都のタウンハウスになら簡単な口実で呼び寄せることもできただろうが、さすがにドエロミナまで呼びつけるには余程の理由が必要になるだろう。
「一ヵ月後にはお兄さまも領地へお戻りになられると思いますの」
「……え。戻って来るの? 学園は?」
「先生に掛け合って了承を得たので、飛び級卒業するらしいですわ……」
 え、怖っ。寸でのところで口にするのを堪えた。エロアナル令息のシリアナ嬢への愛が深すぎて怖い。それに一ヵ月後って、もう今日明日中にはタウンハウスを出る勢いじゃないか。あの令息なら、マジ今頃はもう首都を離れているだろう。
「フィストファック商会で言ってたの、本気で実行しちゃったの?」
「してしまったのでございますわ」
「とりあえず、エロアナル令息がドエロミナへ帰って来るなら六人中二人はひろいんと出会うことはなくなったわけだ。もうアナルディル神官は首都に居ないわけだし」
「そうですわね」
「できれば淫行教師るーとへ導きたいわけだから、残りの三人をひろいんと出会わせないか破局へ導けばいいのだろう? ならばお互いに惚れさせなければいいのだ」
「そんなに簡単に行くでしょうか」
 シリアナ嬢が小首を傾げて頬へ手を当てる。そんな仕草は年相応の少女に見える。
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