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第一章【少年よ冒険者になれ】

51・差し歯の強化

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 事前に決めていた休暇が終わりを告げた。筋肉痛を発症しているテレスを女子たちは不思議がったが、言うまでもなくトレーニングの結果であった。あれから二人は走り込みや短距離ダッシュ、筋肉トレーニングなど、部活にでも入ったような運動量をこなした。因みに、筋肉痛は魔法で簡単に治るのだが、筋肉量を上げたいときは完全回復はしないほうがいいとされている。自然な流れでの筋肉の修復のほうが、効果が出やすいのだ。ちなみに、ボードも筋肉痛になったが、たらふく食べてぐっすり眠ったことで完全回復していた。
 正直、簡単な筋肉トレーニングで強くなれれば世話ないのだが、基礎体力を上げること自体はもちろん大事である。
 休み明けといっても、まだ街を出る予定はない。この日はリプリィの差し歯の完成予定日だ。全員でレンダの研究所に向かうことにした。アリスはまだレンダやイヴァンとの面識がないので、顔合わせ的な意味合いもある。テレスとしては、カエルの翼はアリスに使ってもらう予定なので、彼女の速さを見せておきたいという狙いもあった。
 学術学校に到着し、受付でレンダに取り次いでもらう。レンダから話がいっていたようで、そこはすんなり了承された。だが、レンダの元へと続く廊下で、意外な人物たちに出会ってしまった。

「あれ、師匠! それに、ボードの兄貴!」

 まさかのネイサンとレオである。テレスとボードは動揺を隠せず、二人してこの世の終わりのような表情になる。

「ど、どうして二人がここに?」
「いや~、イヴァンにこれまでの謝罪をもう一度させてもらったんだ。前に謝ったときは、ほら、心がこもってなかったから。な」
「ああ。ネイサンから言い出すとは思わなかったけどな」
「あ、ひで!」

 あの一件以来、二人はテレスとボードのことを慕っているが、敬語を使うのはテレスに拒否された。歳も近いのだから、敬語で話されるのはむず痒い上、周囲からも変な目で見られる可能性があるからだ。

「そ、そうか。それはなによりだね、ボード」
「う、うん。そうだね、テレス」

 よそよそしい態度をまったく隠せていない二人だが、このパーティの女子二人筋金入りのなため、特に気にとめなかった。

「そちらは師匠のパーティメンバー?」
「うん。アリスとリプリィだよ」
「よろしく」
「よろしくお願いします」

 ネイサンとレオも名乗り、しばし談笑する。途中ネイサンが「師匠もすみにおけないなぁ」などと調子に乗ったが、満更でもないので特に突っ込みは入れなかった。

「そういえば師匠、怪我は治った? 結構酷かっ」
「あー! 大丈夫。ちょっと擦りむいたようなもんだし、な、ボード!」
「そ、そうだね、すぐ治っちゃったもんね!」
「いや、擦りむくっていうか、ブルク」
「おーっと! 約束の時間に遅れそうだ! じゃあ、また今度!」

 隠している情報がアリス達にだだ漏れになりそうなので、無理やり切り上げる。後に回復してもらったとはいえ、ブルクハルトに丸焼けにされたなどとアリスが聞こうものなら、殴り込みにでもいきかねない。まあ、殴ったり斬りかかったところでダメージはないのだが、印象が悪すぎる。いくらこちらがカゼキリやフェリックスとの繋がりがあっても、今後の活動が制限され兼ねないのだ。だが、こういった大人の事情抜きにしても、テレスとボードは自分たちの腕でこの件の筋を通したいのだ。すなわち、いつかブルクハルトに実力を認めさせたい。そう考えているのだ。

「あれが迷子になってた人たちか~。で、怪我ってなに?」

 天然のアリスでも、さすがに聞き逃さなかったらしい。興味津々な目でテレスを見つめるが、ちゃんと説明をするまで引き下がらないという圧力を感じる。

「あ、ああ。洞窟の中が暗くて狭くてね。敵の数も多かったから、少しその、擦りむいただけなんだよ」
「へぇ……。じゃあ昨日宿が焦げ臭かったのも、そういった理由があったんだね」

 アリスが天然というのは撤回しなければならない。テレスに関することであれば、まるで母親のように勘が鋭いのだ。笑顔のままであるが、その顔には「詳しい説明をしろ」と書いてあるのがテレスにはわかった。とはいえ、事実をそのまま伝えるわけにはいかないので、高鳴る鼓動を沈めてから説明を始める。

「ああ。相手は狼型の魔物が数匹。強さは大したことはなかったのだけれど、夜目よめが効くようで、洞窟での戦いは不利だったんだ。だから相手が嫌がる炎の魔法を多用している間に、こっちも一部火をくらっちゃったんだ。あいつら、パニックになって暴れたから。な、ボード」
「そ、そうだね。体は守れても、衣服が焦げちゃうのは仕方がなかったね、あれは」

 テレスは我ながら上手く説明できたと感じた。これなら実際あったことであるし、あり得ることでもある。

「そっか。確かに暗いところでの戦闘は危険かもね」

 どうやらアリスは納得したようで、テレスも安堵する。少し罪悪感はあるが、この件だけは公にはできない。

「じゃあ、私が光の魔法で照らすのはどうでしょう?」
「うーん、魔力の扱いが上手くなればありかもね。今のままだと目をつぶされちゃいそうだから、しばらくは僕がやることになるかな」

 テレスは心の中で「リプリィ、ナイス」と賛辞を贈った。上手く話題をすり替えることに成功したのだ。

「ええ、酷いです!」

 リプリィは涙目になるが、アリスとボードも心の中でテレスに賛同した。

「リプリィ、そのために今日ここに来たんだよ。さあ、差し歯を変えに行こう!」
「あ、あんまり差し歯って言わないでください~」

 人が少なく静かな学術学校において賑やかな一行は、談笑を続けながらレンダの元へと向かった。

「おお! 待ってたよ、テレス君!」

 主の帰宅を喜ぶ犬のようにレンダが飛んでくる。部屋の奥では荷物の整理を手伝っているイヴァンの姿があったので、テレスとボードは軽く手を振り、彼もそれに笑顔で返す。

「レンダ先生、今日はよろしくお願いします」
「せ、先生……」

 恍惚こうこつの表情を浮かべるレンダに「いや、まだ慣れてなかんったんかい」と心の中で突っ込んだ。トレーニングの合間をぬって、テレスはレンダの元を二回ほど訪ねていたのだが、どうにもこれだけは慣れないようである。仕方がないので、テレスの中でレンダは天才だけど可哀そうな人、として片づけることにした。

「ダメレン! 意識保って!」

 すっかりレンダの世話役に落ち着いたイヴァンは、レンダの研究をよく手伝っているらしい。レンダの研究が高度であることが理由だが、テレスたちへ少しでも恩を返したいという気持ちも強いようだ。

「で、君がアリスさん?」
「ええ、そうよ。アリス・ペインよ。よろしく」
「あの翼は、彼女用なんだよね、テレス君」
「はい。彼女の速さなら面白いことができると思いまして」
「なるほど。ちょっと失礼」
「ひゃっ!」

 レンダはアリスの体中の筋肉を確かめるようにさする。

「な、なになになに?」
「うん。これはすごいね。常に身体強化の魔法、それもそうとう高度なものと同等な魔力を感じるよ」
「レンダ先生、触っただけでわかるんですか?」
「うん。テレス君のようにオーラで見えるわけじゃないけど、感じることはできるんだ」

 休み中に訪ねた際に、テレスは自分の力についても説明していた。それが今後の研究に役立つ可能性がある上、なんとなくこのレンダや鍛冶屋のトーニャとは長い付き合いになりそうだと考えたからだ。これは感覚的なもので、ざっくり言えば勘だ。だが、テレスの中の何かが彼女たちを信じろとささやいているのだ。

「ダメレン、今日は差し歯の話で来てもらったんでしょ」
「ああ、そうだったね、イヴァン。ありがとう」

 相変わらず空気を読めるイヴァンである。レンダは興味が沸くと一つのことに集中してしまうタイプらしい。イヴァンのようなある種の人物がそばにいると、よきところで止めてくれるので助かるだろう。
 それからレンダは、作業用の机から箱を取り出し、持ってきた。

「ちゃんと計算したからぴったり合うと思うのだけど、これが新しい差し歯よ」

 箱を開けると、白く輝く犬歯が二つそこにあった。

「すごい、こんな小さな差し歯に沢山の魔法が施されている」
「テレス、そういうのもわかるんだ。へぇ、差し歯に魔法がかかってるなんて、なんだか不思議ね」

 テレスの感想を聞いて、アリスも差し歯をまじまじと見つめる。

「この差し歯はもともと鬼の魔力制御を担っていた。わたしはそれを人間でも効果があるように、いくつかの魔法を練りこんだってわけ」

 まるで学校の授業中のように、一同は深く頷く。

「新しい差し歯だと堅い食べ物でもかみ切りやすくなるのかなぁ」
「いや、この差し歯は魔力の制御用だから、今の差し歯と攻撃力自体は同じだと思うよ」
「差し歯が強化されてもリプリィがかみつく攻撃はしないと思うけど。後衛だし」
「あの! みなさん!」

 差し歯に興味津々の一同を、リプリィが止める。

「あんまり、差し歯、差し歯っていわないでくだしゃい……」

 涙目になっているリプリィ。女の子にとって、かなり恥ずかしい話題だったのだろう。一同は深く反省することになった。

 その後、レンダの魔法でリプリィの口周りの痛覚を遮断し、抜歯を開始した。ちなみに、男子たちは気をきかせて外で待つことになったが、アリスはリプリィの希望でそばで手を握る任務を与えられた。レンダは器用に抜歯を済ませ、慎重に新しい歯を装着させる。この辺りは魔法の器用さが際立っていた。食事や発声の邪魔にならないよう、細かい調整が彼女には可能だった。通常、抜歯などの処置が行われるとしばらく患部が痛むものだが、回復魔法で簡単に治せるのはありがたい。手術が済むと、リプリィはすぐにいつも通りの状態に復帰できた。

「どう? 違和感はある?」
「いえ、全くないです。凄い……」
「え、そうかな? うへへへへ」

 基本的にレンダは照れるとおかしくなるらしい。だが、その気味の悪い笑い方も気にならないほど、腕は確かであった。

「ほんと、かなりの腕ね。テレスとはまた違った器用さなのかしら」
「彼は魔力の操作や読み取りが得意だね。わたしは付与とか合成のほうがメインになるかな」
「そっか。いや、尊敬するわ。しかも眼鏡とかかけて、すごいお姉さんっぽい」
「そうですね~。レンダお姉ちゃんって感じですぅ」
「お、お姉ちゃん……ぐはっ!!」

 口からよくわからない液体をふきながら、レンダがご褒美ダメージを受ける。先生以外にもお姉ちゃんもかなりツボなようだ。アリスたちに悪気はないのだが、彼女の精神が持つのか怪しくなってきた。

「レンダお姉ちゃん、大丈夫!?」

 アリスとリプリィが心配して駆け寄るが、レンダはにやけながら何か泡のようなものをふいている。騒ぎを聞きつけて、外で待っていたテレスたちが研究室に駆け込む。

「どうしたの!? 何か問題が起きた?」

 テレスはリプリィの魔力の暴走を危惧していたが、目に飛び込んできたのは笑顔でキラキラと泡を吹くレンダの姿であった。

「テレスさん、レンダお姉さまが!!」
「死なないで! レンダお姉ちゃん!」
「レンダ先生! 一体どうしたんですか!?」

 アリスたちがレンダを呼ぶたびに、レンダのダメージが蓄積していくシステムになっているらしい。呼ばれるたびに、体を大きくくねらせながら口から泡をふいている。
 場が落ち着くまでに長い時間がかかったのは言うまでもない。

「ごほん。まあ、成果は上々だと思うよ。かなり強い魔力が流れても、ちゃんと制御できるようになっているからね」

 気絶から回復したレンダが、研究者らしく説明をする。まだ顔に赤みがあるが、頭はしっかり回っているようだ。テレスもリプリィを透原鏡で見てみたが、事実、角から発生している強い魔力の多くが、牙から流れる魔力によって秩序を保っているようだ。

「うん、これで背後からとんでもない魔法が飛んでくる危険性はなくなったわけね」
「アリスさん、酷いです」
「いやいや、よりすごい戦力になったってことよ」

 そう、アリスの言う通り、これで攻撃魔法の制御ができればパーティとしての戦力は一気に増大することになる。だが、それは短い時間に限られるだろう。リプリィは北の騎士団から借りているだけで、期間限定の仲間なのだ。アリスとボードは忘れているが、テレスはそのことをしっかり覚えていた。そのため、少し心中は複雑だが、彼らの目的は消滅病の根絶にあるのだ。その大きな一歩になっているのは間違いないだろう。

「じゃあ、早速冒険に出よう」

 皆がテレスの声に反応する。彼が何をしたいのか、皆わかっているのだ。

「実戦にて、差し歯の実験だ!」
「おー!!」

 ボードとアリスは右手を突き上げるが、リプリィは困った顔をしている。

「だから、差し歯って言わないでください~!」
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