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第二章

作戦開始の夜

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 翌晩、上空に浮かぶおぼろ月は厚い雲に覆われ、ぼんやりとした薄明かりがゆっくりと頭上を流れる雲を染める、そんな時間。

 地上では仕事帰りの酔っぱらいや、どこかの豪邸で夜通し開かれるパーティーの喧騒が風に流れて聞こえてくる。

 そんな上層地区を中心として取り囲むように、ひと気もまばらな郊外に四カ所。地下へとおりる階段が設置されている。

 上層地区とほぼ同じ広域を要す、スタローン王国名物のひとつ巨大地下街へと続く道だ。

 地上ではその四カ所の出入り口を警備隊が完全に封鎖し、厳重に出入りを禁じていた。

 北東、地下街入り口を固める警備隊の中を深々とフードをかぶりローブに身を包んだアレクが姿を現したことにマーリナスは気がつくと、そばに歩み寄った。

「大丈夫か」

「はい。気持ちの準備はできています」

「いいか。決して無理はするな。拘束される際に手荒なことをされるかもしれないが、その後は抵抗せずに黙っていうことを聞いていればいい。いいな?」

「はい。わかっています」

 アレクはこくりとうなずく。

 確かにバロンを捕まえたい気持ちはあるが与えられた猶予は二日しかない。それにマーリナスとも無理はしないと約束した。まずはモーリッシュ確保に全力を尽くすことが大事だ。ベローズ王国警備隊もそのために協力してくれるのだから。

 不安げに眉を寄せてアレクを見つめるマーリナスの背後から足音が近づいてくる。その音に気づいたアレクはハッとしてフードを目元深くまで引っ張ると、あごを引いて顔を覆い隠した。

「マーリナス殿。そちらがこのたび、勇敢にもおとり役を買ってでてくれた少年ですかな」

「ギル殿……そうです。わけあって顔はお見せできませんが、この少年が今回協力してくれるアレクです。アレク、こちらはベローズ王国警備隊長ギル・シチュアート。我々と共にモーリッシュ確保に尽力を尽くしてくれる方だ」

 アレクは言葉を発せず、ぺこりと頭を下げた。それを見たギルは小さく肩をすくめてみせる。

「そうですか。せっかくですから勇敢な少年の顔を拝んでみたかったのですが……色々事情もあるでしょうからな。ではアレク、握手ではどうだ」

 バレリアの呪いにかかった者の瞳は特徴的な紫色に変化する。

 バレリアの呪いは過去の遺物だが、少しでも魔術に造詣ぞうけいのあるものならばそのもっともたる特徴を持つアレクの瞳を見れば、すぐに気がつくはずだ。

 特にベローズ王国警備隊は他に類を見ない精鋭ばかりで、その知識も並外れている。

 アレクがバレリアの呪いにかかっていると知れてしまえば、危険因子としてすぐにでもベローズ王国に連行されるだろう。

 ギルが差しのばした手は肉厚で大きくがっしりとして、力強さを感じるものだった。きっとこの手で幾度となく剣を握り戦ってきたのだろう。そんなギルの生き様がみてとれる。

 アレクはフードの下で緊張に顔をこわばらせて小さくのどを鳴らし、手を差しのばした。

 そのローブの下から伸ばされたすらりとした腕を見て、ギルは目を見張る。なぜならそれは、家をなくして放浪する子供の手ではなかったからだ。

 ギルは仕事柄、様々な人間をみる。このスタローン王国の地下街はまた別格だが、それでも身寄りのない子供たちは飽きるほどみてきた。

 だからわかる。

 これは「放浪者の手ではない」と。

 汚れも傷もなく、皮膚は白く滑らかで美しい。アレクは地下街でモーリッシュに囚われたと聞かされていたが、思わずその情報を疑ってしまいそうになる。

 驚きに目を見張りながら差し伸ばされた手を握り返せば、手のひらに感じるその手はすべすべとしてやわらかく、少し力を入れてしまえば砕けてしまいそうだった。

「健闘を祈る」

「ありがとうございます。あなたにユースティの御加護がありますように」

 そう言ってアレクは握った手を離し、階段へと歩みを進めていった。小さな背中を追いかけたマーリナスの姿をギルは茫然としながら見送る。

「……ユースティの加護、だと?」

「隊長。追跡の魔法はかけなくてもよろしいのですか」

 横から現れた警備兵が階段へと姿を消す二人に視線を流しながらそう耳打ちすると、ギルはハッと我に返り警備兵に鋭い眼光を向けた。

「追跡の魔法をかけろ。あのケルトとかいう者はどうした。あの者に任せる予定だったろう」

「それが、少し前から見当たらないのです。ですが追跡の魔法を使えるものは他にもいますので、ケルトにこだわらなくてもよろしいのでは」

「自分から名乗り出ておいて無責任な。そのような者はベローズ王国警備隊にはいらん。まったく国王様は何を考えてこのようなことを命じられたのか……」

 帰ったら国王に直訴する必要があるなと、ケルトへの不満を積もらせつつギルはうなり声をあげたが、頭はアレクのことでいっぱいだった。

「ユースティ」とはベローズ王国の正義と制裁を司る神として祀られるものであり、警備隊は出国する際には必ず「ユースティの加護を!」と声を高らかに互いの健闘を称え合う。

 だがそのようなことを地下街に住んでいた孤児が知っているとは到底、思えない。

「きみはいったい何者だ」

 その小さな呟きは誰の耳にも届かなかったが、幸か不幸かたった一度の握手でアレクはギルの関心をひいてしまったのである。
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