84 / 146
第三章
不意打ち
しおりを挟む
先に異変に気がついたのは物陰に隠れ店の様子を窺っていたニック。次いでアレクの順だった。
酒場の入り口に立つ男が新たに入店しようとした客を手を振って追い払ったのだ。ロナルドたちが入店してから何人か店に入っていったが、それは初めてのことだった。ニックは目を細める。
(なにかあったのか?)
そう思うも、ここからでは中の様子までわからない。
ニックは物陰から立ち上がると通りに姿を現した。それをみて後を追いかけようとしたアレクを手を掲げて制止する。
行き交うひとの波に紛れて通りを歩めば、周辺に建ち並ぶ酒場のところかしこから喧騒が洩れて聞こえてくる。
店に近づくと入り口に立つ男が殺気立ったように通行人に鋭い眼光を走らせていた。目が合った瞬間に殴りかかってきそうな険悪である。フードを目深にかぶってうつむき、ゆっくりと男の前を通り過ぎる。
そのときだ。
ガシャンッ!!
ひときわ大きな物音がニックの耳を突く。ビクッと肩を揺らし思わず足を止めた。耳を澄まし、溢れる喧騒の中から集中して酒場の音を聞き分ける。
「くそが!」「この野郎!」何かが割れる音。ぶつかる音。ガシャンガシャンと大きな物音がひっきりなしに聞こえる中でそんな罵声が飛び交い、そして――
「副隊長っ!!」
そんな悲鳴が信じられないほど明瞭にニックの耳に飛び込んだ。
足を止めたニックの背後から不審な目つきを向けて男が歩み寄り肩に手を伸ばしたのと、首元にかけた警笛をニックがつかみ取る。それは同時のことだった。
ピィ――ッ!
地下街の静寂を甲高い警笛が切り裂いた。
それを合図に周辺に潜んでいた隊員たちが一斉に飛び出す。
「中だ!!」
目をひんむいて飛びかかってきた男と絡まり合いながらニックは叫ぶ。
殴り合いを始めたふたりには見向きもせず体当たりをしてドアを突き破り、雪崩のごとく店内へ流れ込んだ隊員たちは即座に現状を把握すると、現場を制圧すべく手近のならず者たちに殴りかかった。
たいして広くもない店内で、すし詰め状態の正義と悪が激突する。突如として地下街に姿を現した警備隊にひとびとは目を丸くし、何事かと店先で歩みを止めた。
その様子を一足先に裏口から抜け出していたゲイリーは、口元を歪め物影からみつめる。
店内で暴動を起こさせたのは周囲に潜んでいる警備隊をおびき出すためだっ
た。これで周囲はがら空き。自由に逃げられる。
まさかホーキンスが口を割るとは思わなかったが、警備隊が来たことからみて間違いないだろう。あいつは口を割ったのだ。
「ホーキンスめ」
まあいい、取引は今夜だ。ぎりぎりだったが、なんとかなりそうだ。赤い片瞳をすっと細め、ゲイリーは闇の中へ溶け込むように姿を消した。
ニックの悲鳴にも聞こえた警笛は地下街に響き渡った。大通りでは蟻の子を散らすように闇商人たちが逃走を始めている。場は一瞬で騒然とし、アレクは顔を青ざめてその場に立ち尽くし、為す術もなくその様子をただ眺めていた。
ロナルドになにかあったのだ。それだけは確実にわかる。様子をみに行ったニックが警備隊を呼び集めなければならないほどの緊急事態が発生した。
なにがあったのだろう。ロナルドは無事なの?
ひんやりとした心臓が呼吸すら止めてしまいそうなほど痛い。
アレクの足は無意識のうちに、ふらふらと通りに向かう。逃げ惑うひとたちでごった返す大通りでは、店の様子は遮られて見ることができない。そんな中、背後から地を蹴って近づいてくる足音にアレクは気がつかなかった。
どんっ!
「あっ!」
突然背後から衝突を食らい、アレクの体は大きく前によろめいた。力なく歩んでいた足は地を離れ、からだがふわりとした感覚を覚える。ロナルドのことであたまがいっぱいだったアレクには、一瞬なにが起きたのかわからなかった。
「おっと!」
焦りを含んだ誰かの声が、かすかに届く。
衝突の反動で遊ぶように浮いてしまった腕をつかみ取る手。同時に腰が力強く引き寄せられる。目の前に迫った光景がぐるんと反転する。すべてがほんの一瞬の出来事で、気づいたときには目の前に赤い片瞳があった。
「悪い。大丈夫か」
「え……」
少し驚いた表情を浮かべ、自分を見下ろす切れ目の紅い片眸は目と鼻の先にあり、ルージュのような赤い髪と薄い唇が近くの松明に揺れて妖艶に光り輝いている。
綺麗な顔立ちのひとだけど声がほんの少し男性より。それがなければ女性だと勘違いしたかもしれない。
驚きと困惑の中で一瞬魅入ってしまったアレクはハッと我に返る。
いったい何がどうなってしまったの。いつの間にか自分の体は仰向けに横たわり、綺麗な男のひとに抱きかかえられている。左目を縦に裂いた大きな傷が痛々しい。だけどやっぱり綺麗なひとだ。
場違いにもそんなことを思い、茫然と男の顔をみつめるアレクのフードがするりと落ちた。
さらりとこぼれ落ちた白金髪と自身を見上げる紫色の双眸。
男は軽く目を見張った後アレクの顔をまじまじとみつめ、おもむろに頬に指を滑らせた。そして唐突に顔を近づけ――
アレクの唇を塞ぎこんだ。
(ん!?)
あたまが真っ白になり、目はこぼれそうなほど大きく開いた。それは客観的にみればほんの一瞬のできごとだった。しかしアレクからしてみれば違う。驚きのあまり体が硬直してしまい、時が止まる。
男は石のように固まったアレクから唇を離すと、味わい惜しむように舌先で唇を舐めとり実に艶めかしい声色でささやいた。
「おまえ、綺麗な顔してるな。俺の女になるか?」
酒場の入り口に立つ男が新たに入店しようとした客を手を振って追い払ったのだ。ロナルドたちが入店してから何人か店に入っていったが、それは初めてのことだった。ニックは目を細める。
(なにかあったのか?)
そう思うも、ここからでは中の様子までわからない。
ニックは物陰から立ち上がると通りに姿を現した。それをみて後を追いかけようとしたアレクを手を掲げて制止する。
行き交うひとの波に紛れて通りを歩めば、周辺に建ち並ぶ酒場のところかしこから喧騒が洩れて聞こえてくる。
店に近づくと入り口に立つ男が殺気立ったように通行人に鋭い眼光を走らせていた。目が合った瞬間に殴りかかってきそうな険悪である。フードを目深にかぶってうつむき、ゆっくりと男の前を通り過ぎる。
そのときだ。
ガシャンッ!!
ひときわ大きな物音がニックの耳を突く。ビクッと肩を揺らし思わず足を止めた。耳を澄まし、溢れる喧騒の中から集中して酒場の音を聞き分ける。
「くそが!」「この野郎!」何かが割れる音。ぶつかる音。ガシャンガシャンと大きな物音がひっきりなしに聞こえる中でそんな罵声が飛び交い、そして――
「副隊長っ!!」
そんな悲鳴が信じられないほど明瞭にニックの耳に飛び込んだ。
足を止めたニックの背後から不審な目つきを向けて男が歩み寄り肩に手を伸ばしたのと、首元にかけた警笛をニックがつかみ取る。それは同時のことだった。
ピィ――ッ!
地下街の静寂を甲高い警笛が切り裂いた。
それを合図に周辺に潜んでいた隊員たちが一斉に飛び出す。
「中だ!!」
目をひんむいて飛びかかってきた男と絡まり合いながらニックは叫ぶ。
殴り合いを始めたふたりには見向きもせず体当たりをしてドアを突き破り、雪崩のごとく店内へ流れ込んだ隊員たちは即座に現状を把握すると、現場を制圧すべく手近のならず者たちに殴りかかった。
たいして広くもない店内で、すし詰め状態の正義と悪が激突する。突如として地下街に姿を現した警備隊にひとびとは目を丸くし、何事かと店先で歩みを止めた。
その様子を一足先に裏口から抜け出していたゲイリーは、口元を歪め物影からみつめる。
店内で暴動を起こさせたのは周囲に潜んでいる警備隊をおびき出すためだっ
た。これで周囲はがら空き。自由に逃げられる。
まさかホーキンスが口を割るとは思わなかったが、警備隊が来たことからみて間違いないだろう。あいつは口を割ったのだ。
「ホーキンスめ」
まあいい、取引は今夜だ。ぎりぎりだったが、なんとかなりそうだ。赤い片瞳をすっと細め、ゲイリーは闇の中へ溶け込むように姿を消した。
ニックの悲鳴にも聞こえた警笛は地下街に響き渡った。大通りでは蟻の子を散らすように闇商人たちが逃走を始めている。場は一瞬で騒然とし、アレクは顔を青ざめてその場に立ち尽くし、為す術もなくその様子をただ眺めていた。
ロナルドになにかあったのだ。それだけは確実にわかる。様子をみに行ったニックが警備隊を呼び集めなければならないほどの緊急事態が発生した。
なにがあったのだろう。ロナルドは無事なの?
ひんやりとした心臓が呼吸すら止めてしまいそうなほど痛い。
アレクの足は無意識のうちに、ふらふらと通りに向かう。逃げ惑うひとたちでごった返す大通りでは、店の様子は遮られて見ることができない。そんな中、背後から地を蹴って近づいてくる足音にアレクは気がつかなかった。
どんっ!
「あっ!」
突然背後から衝突を食らい、アレクの体は大きく前によろめいた。力なく歩んでいた足は地を離れ、からだがふわりとした感覚を覚える。ロナルドのことであたまがいっぱいだったアレクには、一瞬なにが起きたのかわからなかった。
「おっと!」
焦りを含んだ誰かの声が、かすかに届く。
衝突の反動で遊ぶように浮いてしまった腕をつかみ取る手。同時に腰が力強く引き寄せられる。目の前に迫った光景がぐるんと反転する。すべてがほんの一瞬の出来事で、気づいたときには目の前に赤い片瞳があった。
「悪い。大丈夫か」
「え……」
少し驚いた表情を浮かべ、自分を見下ろす切れ目の紅い片眸は目と鼻の先にあり、ルージュのような赤い髪と薄い唇が近くの松明に揺れて妖艶に光り輝いている。
綺麗な顔立ちのひとだけど声がほんの少し男性より。それがなければ女性だと勘違いしたかもしれない。
驚きと困惑の中で一瞬魅入ってしまったアレクはハッと我に返る。
いったい何がどうなってしまったの。いつの間にか自分の体は仰向けに横たわり、綺麗な男のひとに抱きかかえられている。左目を縦に裂いた大きな傷が痛々しい。だけどやっぱり綺麗なひとだ。
場違いにもそんなことを思い、茫然と男の顔をみつめるアレクのフードがするりと落ちた。
さらりとこぼれ落ちた白金髪と自身を見上げる紫色の双眸。
男は軽く目を見張った後アレクの顔をまじまじとみつめ、おもむろに頬に指を滑らせた。そして唐突に顔を近づけ――
アレクの唇を塞ぎこんだ。
(ん!?)
あたまが真っ白になり、目はこぼれそうなほど大きく開いた。それは客観的にみればほんの一瞬のできごとだった。しかしアレクからしてみれば違う。驚きのあまり体が硬直してしまい、時が止まる。
男は石のように固まったアレクから唇を離すと、味わい惜しむように舌先で唇を舐めとり実に艶めかしい声色でささやいた。
「おまえ、綺麗な顔してるな。俺の女になるか?」
1
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
できるかぎり毎日? お話の予告と皆の裏話? のあがるインスタとYouTube
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~
蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。
転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。
戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。
マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。
皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた!
しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった!
ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。
皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。
冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる
尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる
🌟2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟
ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。
――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。
お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。
目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。
ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。
執着攻め×不憫受け
美形公爵×病弱王子
不憫展開からの溺愛ハピエン物語。
◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。
四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。
なお、※表示のある回はR18描写を含みます。
🌟第10回BL小説大賞にて奨励賞を頂戴しました。応援ありがとうございました。
🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。
前世が教師だった少年は辺境で愛される
結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。
ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。
雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる