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第五章
もがれた片翼
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一方ではロナルドの予想どおり、マーリナスが時間を引き延ばしていた。
不自然にならない程度に歩幅を緩め、ひとつふたつ遠回りをする。
ロナルドのことだ。無事にあれを手に入れることさえできたら、その足でアレクの元へ行き、国外へ逃がしてくれるに違いない。
絶対的な信頼をもって安堵が心を満たしたが、マーリナスの濃紺色の瞳は悲しさを乗せて歩みゆく通路に落とされた。
その瞬間に立ち会えないのは悲しいが、いま優先すべきはアレクの身の安全である。そんな我が儘を言っている場合ではないと、己を叱咤する。
その隣では総督が、周囲に目を配っていた。それは興味本位で向ける眼差しとは違い、まるで何かを探しているような。
「そうだ。騎士団長から報告があったのだが……ニックといったか。彼がオクルールの館にあった荷馬車から、通行許可書を取ってきたそうだな。見つけたのはアレクという少年だとか」
散歩がてらに会話するノリで、総督が切り出した。表情こそ動かさなかったが、マーリナスの眉が小さく跳ねる。
報告書にはアレクの名を伏せておいたのだが、ニックの口から明かされてしまったのでは誤魔化しがきかない。
「……そのようです」
仕方がないので、苦々しく同意した。
しかし。騎士団は動かなかったのに、なぜ総督がそれを知っているのだ。騎士団長であるドルシェ・アモンドが必要なしと判断すれば、わざわざ総督に報告する義務もない。
アレクが偽物と判断したからには、ニックが届けたものは正しく偽の通行証のはず。
それを騎士団長が握り潰したのか?
いや、違う。
総督に報告を上げたのは騎士団長だ。
つまりーー
騎士団は来なかったのではなく、来れなかった。
そのことに気がついたマーリナスは、小さく喉を鳴らした。
「彼の功績がなければ、きみたち第一警備隊は突入に踏み出せなかっただろう。ぜひ、わたしからも誉めてやりたいのだがね。彼はいまどこにいるのかね」
「彼は正式な隊員ではありませんので。わたしも復職しましたし、すでに任を解いてあります」
「……そうか。それなら仕方がないな」
残念そうな口ぶりだが、顔は飄々として、むしろ楽しんでいるように見えた。
総督の口からアレクの名が出たことに動揺するマーリナスは、嫌な予感が的中したことを悟る。
総督が直々に足を運んだ理由はアレクだ。
恐らく、騎士団長はニックの持ち寄った通行証を総督に確認してもらい、そこで指示を受けた。国章の差異など一介の警備隊にわかるはずがない。それも他国のものとなれば余計に。
正確に見極めたアレクに興味を惹かれたのか、それとも他に気になる理由でもできたか。
どちらにせよ、総督がアレクに目をつけたのは間違いない。
だからこそ来訪の事前通達はなされず、動きを悟らせないようにニックを足止めした。そう考えればニックの消息も辻褄が合う。
「ニックは」
無事なのですか。
そう尋ねたかったが、ギリギリ飲み込んで「いま、どこに?」と尋ねた。
総督は薄い笑いを唇に浮かべる。瞳こそ穏やかだったが、その顔には含みがあるよな気がしてならなかった。
「元気にしているよ。どうも、団長と意気投合したらしい」
「団長と?」
そこでマーリナスはハッとする。そういえば、騎士団長はどこにいる。中庭に姿は見えなかった。総督は腹心である団長を置いてきたのか?
まさか……
「ああ、ほら。来たようだ」
薄い笑いが不気味さを帯びて、勝ち誇る。
向かい側で、漆黒のマントがばさりと靡いた。
膝丈ほどまであるそれは、歩みを進めるたびに大きく広がり、夜の大海原を思わせた。
厳しい顔立ちをよりいっそう際立たせる浅黒い肌と、艶を消した重厚感のある甲冑。豪華な鞘に収められた長剣を携えて、悠々とこちらへ歩いてくるその姿。
その後ろにはニックと数名の騎士の姿があり、蔓で拘束されたロナルドがいた。
騎士団長は総督の眼前にて敬礼すると、低い声で告げた。
「任務妨害を行ったため、ロナルド副隊長を拘束いたしました」
「うむ……して、例のものは」
「ニックが無事、確保しております。万が一にと控えておりましたが、わたしの手は必要なかったようです」
「よくやった」
口を歪めてそう言った総督に、ニックは目を輝かせる。勢いよくその場に跪き、嬉々とした声をあげた。
「総督閣下に忠誠を尽くすのは当然のことであります!」
隣で影を落とすロナルドには目もくれず、総督を見上げるその目。かつては、ロナルドに向けられたものだった。
彼がロナルドにどれほど心酔していたことか。それをよく知るマーリナスは声を失った。
「うむ。では、後のことは任せたぞ。わたしは何かと忙しいのでな。これにて失礼する」
もうここに用はないと、後腐れなく立ち去る総督の姿をマーリナスが追うことはない。
ただ、項垂れるロナルドをみていた。
「ああそうだ。忘れるところであった。マーリナス殿にこれを」
数歩進んだのちに総督が振り返った。
手にした書簡は蝋封されており、赤みがかった蝋の中には二対の剣と下向きに描かれた城の紋様がくっきりと刻まれていた。
それが何を意味するのか、この国で知らぬ者はいない。スタローン王国の国旗にもなっているその紋様。それが押された書簡ともなれば。
「国王より預かってまいった。此度の功績を称え、城に招いて下さるそうだ。アレクという少年も一緒にな」
どくんっと大きく音を立て、鼓動が跳ねた。
捕らえられたロナルド、態度を豹変させたニック。目にした光景はどれもこれも予想の範疇を軽く超える。信じていたものが打ち砕かれる衝撃に、認めることさえ、ままならない。
しかし、その言葉はさらに追い打ちをかけるものだった。
マーリナスから乾いた、声がもれる。
「アレクも……ですか」
「さよう。国王が、直に会ってみたいと申されたのでな」
「国王が……」
「明日の朝、遣いを寄越す。失礼のないように、しかと準備せよ。ではな」
立ち尽くすマーリナスの横を騎士団長に続いて騎士が、そしてロナルドは顔を伏せたまま通り過ぎた。
ひとつずつ、自分の傍から大事なものが欠けていく。揺れる濃紺色の瞳を通路に落とす。片羽をもがれた鳥のごとく、マーリナスは悔しさを拳の中へ握りしめた。
不自然にならない程度に歩幅を緩め、ひとつふたつ遠回りをする。
ロナルドのことだ。無事にあれを手に入れることさえできたら、その足でアレクの元へ行き、国外へ逃がしてくれるに違いない。
絶対的な信頼をもって安堵が心を満たしたが、マーリナスの濃紺色の瞳は悲しさを乗せて歩みゆく通路に落とされた。
その瞬間に立ち会えないのは悲しいが、いま優先すべきはアレクの身の安全である。そんな我が儘を言っている場合ではないと、己を叱咤する。
その隣では総督が、周囲に目を配っていた。それは興味本位で向ける眼差しとは違い、まるで何かを探しているような。
「そうだ。騎士団長から報告があったのだが……ニックといったか。彼がオクルールの館にあった荷馬車から、通行許可書を取ってきたそうだな。見つけたのはアレクという少年だとか」
散歩がてらに会話するノリで、総督が切り出した。表情こそ動かさなかったが、マーリナスの眉が小さく跳ねる。
報告書にはアレクの名を伏せておいたのだが、ニックの口から明かされてしまったのでは誤魔化しがきかない。
「……そのようです」
仕方がないので、苦々しく同意した。
しかし。騎士団は動かなかったのに、なぜ総督がそれを知っているのだ。騎士団長であるドルシェ・アモンドが必要なしと判断すれば、わざわざ総督に報告する義務もない。
アレクが偽物と判断したからには、ニックが届けたものは正しく偽の通行証のはず。
それを騎士団長が握り潰したのか?
いや、違う。
総督に報告を上げたのは騎士団長だ。
つまりーー
騎士団は来なかったのではなく、来れなかった。
そのことに気がついたマーリナスは、小さく喉を鳴らした。
「彼の功績がなければ、きみたち第一警備隊は突入に踏み出せなかっただろう。ぜひ、わたしからも誉めてやりたいのだがね。彼はいまどこにいるのかね」
「彼は正式な隊員ではありませんので。わたしも復職しましたし、すでに任を解いてあります」
「……そうか。それなら仕方がないな」
残念そうな口ぶりだが、顔は飄々として、むしろ楽しんでいるように見えた。
総督の口からアレクの名が出たことに動揺するマーリナスは、嫌な予感が的中したことを悟る。
総督が直々に足を運んだ理由はアレクだ。
恐らく、騎士団長はニックの持ち寄った通行証を総督に確認してもらい、そこで指示を受けた。国章の差異など一介の警備隊にわかるはずがない。それも他国のものとなれば余計に。
正確に見極めたアレクに興味を惹かれたのか、それとも他に気になる理由でもできたか。
どちらにせよ、総督がアレクに目をつけたのは間違いない。
だからこそ来訪の事前通達はなされず、動きを悟らせないようにニックを足止めした。そう考えればニックの消息も辻褄が合う。
「ニックは」
無事なのですか。
そう尋ねたかったが、ギリギリ飲み込んで「いま、どこに?」と尋ねた。
総督は薄い笑いを唇に浮かべる。瞳こそ穏やかだったが、その顔には含みがあるよな気がしてならなかった。
「元気にしているよ。どうも、団長と意気投合したらしい」
「団長と?」
そこでマーリナスはハッとする。そういえば、騎士団長はどこにいる。中庭に姿は見えなかった。総督は腹心である団長を置いてきたのか?
まさか……
「ああ、ほら。来たようだ」
薄い笑いが不気味さを帯びて、勝ち誇る。
向かい側で、漆黒のマントがばさりと靡いた。
膝丈ほどまであるそれは、歩みを進めるたびに大きく広がり、夜の大海原を思わせた。
厳しい顔立ちをよりいっそう際立たせる浅黒い肌と、艶を消した重厚感のある甲冑。豪華な鞘に収められた長剣を携えて、悠々とこちらへ歩いてくるその姿。
その後ろにはニックと数名の騎士の姿があり、蔓で拘束されたロナルドがいた。
騎士団長は総督の眼前にて敬礼すると、低い声で告げた。
「任務妨害を行ったため、ロナルド副隊長を拘束いたしました」
「うむ……して、例のものは」
「ニックが無事、確保しております。万が一にと控えておりましたが、わたしの手は必要なかったようです」
「よくやった」
口を歪めてそう言った総督に、ニックは目を輝かせる。勢いよくその場に跪き、嬉々とした声をあげた。
「総督閣下に忠誠を尽くすのは当然のことであります!」
隣で影を落とすロナルドには目もくれず、総督を見上げるその目。かつては、ロナルドに向けられたものだった。
彼がロナルドにどれほど心酔していたことか。それをよく知るマーリナスは声を失った。
「うむ。では、後のことは任せたぞ。わたしは何かと忙しいのでな。これにて失礼する」
もうここに用はないと、後腐れなく立ち去る総督の姿をマーリナスが追うことはない。
ただ、項垂れるロナルドをみていた。
「ああそうだ。忘れるところであった。マーリナス殿にこれを」
数歩進んだのちに総督が振り返った。
手にした書簡は蝋封されており、赤みがかった蝋の中には二対の剣と下向きに描かれた城の紋様がくっきりと刻まれていた。
それが何を意味するのか、この国で知らぬ者はいない。スタローン王国の国旗にもなっているその紋様。それが押された書簡ともなれば。
「国王より預かってまいった。此度の功績を称え、城に招いて下さるそうだ。アレクという少年も一緒にな」
どくんっと大きく音を立て、鼓動が跳ねた。
捕らえられたロナルド、態度を豹変させたニック。目にした光景はどれもこれも予想の範疇を軽く超える。信じていたものが打ち砕かれる衝撃に、認めることさえ、ままならない。
しかし、その言葉はさらに追い打ちをかけるものだった。
マーリナスから乾いた、声がもれる。
「アレクも……ですか」
「さよう。国王が、直に会ってみたいと申されたのでな」
「国王が……」
「明日の朝、遣いを寄越す。失礼のないように、しかと準備せよ。ではな」
立ち尽くすマーリナスの横を騎士団長に続いて騎士が、そしてロナルドは顔を伏せたまま通り過ぎた。
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