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第五章
残された時間
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オクルール大臣と薬師ホーキンス、医療棟で目覚めたばかりのエレノア。
そしてゴドリュースを初めとして、聴取記録や報告書の類いをかき集めた総督率いる騎士団は、一瞥もせずに警備隊駐屯地を後にした。
騎士団はマーリナスが総督を案内している時間を見計らって、隊長室に押し入っていたのである。
戸棚は倒れ、机の引き出しは引っ張り出されたまま。その他の重要書類などは足の踏み場もないほど床に散乱し、まるで強盗にでも遭ったような惨状だけが残っていた。
当然の顔をして騎士団と肩を並べたニック。捕らえられたロナルドの後ろ姿。
目に焼き付いたそれらの光景は、マーリナスの心を深く抉る。
夕日が地平線へ吸い込まれ、夜の吐息がしっとりと部屋を満たし始める。
薄暗くなった部屋の中で、しばらくその惨状を眺めていたマーリナスは、落ちていた書類を手に取った。それはするりと手から滑り落ち、ゆらゆらと宙を彷徨って再び別の紙の上に重なった。
その時にはもう、マーリナスの姿は部屋になく、パタンと閉じたドアの音だけが、静まり返った部屋に置き去りにされていた――
マーリナスは夜道を駆ける。夜空と同じ色の髪を煽られる風に乱して。
周囲の喧騒など耳に入ってこなかった。早めに酒をあおった酔っ払いも、商店から呼びかける声も。駆けるたびに刻まれる鼓動と、短く切れる呼吸だけが耳をつく。
角を曲がった先に、見慣れた門構えが小さく見えた。気がはやり、駆ける足を速める。少しずつ門が近づいてくると、門を挟むようにしてふたつ人影が見えた。
マーリナスは走りながら綺麗な眉を寄せる。
近づくほどに鮮明になったその影は、騎士だった。槍を地面に突き立てて、甲冑の上から赤いマントを流している。
いったん足を止めて息を整えたマーリナスは、乱れた前髪を掻き上げた。それから焦りを気取られぬように、普段と変わらぬ表情を作りあげ、騎士の前に足を進めた。
「ここはわたしの自宅ですが、何かご用でも」
「第一警備隊長、マーリナス・シュベルツァだな。我々は騎士団長の命により、明日の朝までこちらの警護に当たることとなった。我らのことは気にせず、家に入るといい」
「警護の必要性はないと思われますが」
「それを判断するのは、きみではなく騎士団長だ。さあ、さっさと中に入れ」
マーリナスはすっと目を細める。物は言い様だ。警護といえば響きがいいが、要は見張りである。明日の朝には騎士団が迎えにくる。それまで逃亡しないように、監視するつもりなのだろう。
門をくぐって中庭を抜け、ドアを開く。頭上で備え付けの呼び鈴がカランと音を立てる。
部屋の灯りがドアの隙間から漏れて、笑顔を咲かせてこちらを振り返ったアレクが見えた。
「マーリナス! お帰りなさい!」
迷わず胸に飛び込んできたアレクを力一杯抱きしめて。ほんのりと甘い香りが漂うアレクの肩に額を落としたマーリナスは、ほっと胸を撫で下ろす。
「無事か、アレク」
「あの人たちは誰なのですか? ついさっき突然現れて――」
「しっ。アレク、ケルトを連れてこい。大事な話がある」
そっとアレクの体を離したマーリナスの目は、いつになく真剣なものだった。
その目を見て、アレクは悟る。
何かあったんだ。
多くを言わずとも、アレクにはそれがしっかりと伝わった。
「わかりました。ケルトを呼んできます」
疑問ひとつ口に出さず、アレクは二階へ駆け上がる。その背中を見つめるマーリナスの瞳は悲しげに揺れ動く。
残された時間はあとわずか。
未来というのは実に予測不可能だ。自分の望む未来など、生きているうちに叶うことはないのかもしれない。そんな陰鬱とした思いが、あたまをよぎる。
それでもひとは選ばなければならない。どれほど悲しく、理不尽でも。命ある限り、立ち止まることは許されないのだから。
そう分かっていても、望まない選択を余儀なくされるということは、痛みを伴うものだ。
ついこの間、再会できたばかりだというのに、なぜ運命はこうも残酷なのだろうか。
守りたいと願うほど危険に晒さなくてはならず、大切にしようとするほど遠ざけねばならないとは。
事後処理に追われて駐屯地に缶詰状態となったマーリナスが、アレクと会うのは実に五日ぶりのこと。
聞きたいことは山ほどあったし、話したいことも沢山ある。
それなのに、久しぶりに会って話す内容がこれだとは。
マーリナスは自嘲の笑みをこぼす。
それでも伝えなくてはならない。アレクの身を守るためには、それが一番正しい選択となるのだから。
階段を駆け下りてくるアレクとケルトに静かな眼差しを向けるマーリナスは、ゆっくりと息を吐き出した。
そしてゴドリュースを初めとして、聴取記録や報告書の類いをかき集めた総督率いる騎士団は、一瞥もせずに警備隊駐屯地を後にした。
騎士団はマーリナスが総督を案内している時間を見計らって、隊長室に押し入っていたのである。
戸棚は倒れ、机の引き出しは引っ張り出されたまま。その他の重要書類などは足の踏み場もないほど床に散乱し、まるで強盗にでも遭ったような惨状だけが残っていた。
当然の顔をして騎士団と肩を並べたニック。捕らえられたロナルドの後ろ姿。
目に焼き付いたそれらの光景は、マーリナスの心を深く抉る。
夕日が地平線へ吸い込まれ、夜の吐息がしっとりと部屋を満たし始める。
薄暗くなった部屋の中で、しばらくその惨状を眺めていたマーリナスは、落ちていた書類を手に取った。それはするりと手から滑り落ち、ゆらゆらと宙を彷徨って再び別の紙の上に重なった。
その時にはもう、マーリナスの姿は部屋になく、パタンと閉じたドアの音だけが、静まり返った部屋に置き去りにされていた――
マーリナスは夜道を駆ける。夜空と同じ色の髪を煽られる風に乱して。
周囲の喧騒など耳に入ってこなかった。早めに酒をあおった酔っ払いも、商店から呼びかける声も。駆けるたびに刻まれる鼓動と、短く切れる呼吸だけが耳をつく。
角を曲がった先に、見慣れた門構えが小さく見えた。気がはやり、駆ける足を速める。少しずつ門が近づいてくると、門を挟むようにしてふたつ人影が見えた。
マーリナスは走りながら綺麗な眉を寄せる。
近づくほどに鮮明になったその影は、騎士だった。槍を地面に突き立てて、甲冑の上から赤いマントを流している。
いったん足を止めて息を整えたマーリナスは、乱れた前髪を掻き上げた。それから焦りを気取られぬように、普段と変わらぬ表情を作りあげ、騎士の前に足を進めた。
「ここはわたしの自宅ですが、何かご用でも」
「第一警備隊長、マーリナス・シュベルツァだな。我々は騎士団長の命により、明日の朝までこちらの警護に当たることとなった。我らのことは気にせず、家に入るといい」
「警護の必要性はないと思われますが」
「それを判断するのは、きみではなく騎士団長だ。さあ、さっさと中に入れ」
マーリナスはすっと目を細める。物は言い様だ。警護といえば響きがいいが、要は見張りである。明日の朝には騎士団が迎えにくる。それまで逃亡しないように、監視するつもりなのだろう。
門をくぐって中庭を抜け、ドアを開く。頭上で備え付けの呼び鈴がカランと音を立てる。
部屋の灯りがドアの隙間から漏れて、笑顔を咲かせてこちらを振り返ったアレクが見えた。
「マーリナス! お帰りなさい!」
迷わず胸に飛び込んできたアレクを力一杯抱きしめて。ほんのりと甘い香りが漂うアレクの肩に額を落としたマーリナスは、ほっと胸を撫で下ろす。
「無事か、アレク」
「あの人たちは誰なのですか? ついさっき突然現れて――」
「しっ。アレク、ケルトを連れてこい。大事な話がある」
そっとアレクの体を離したマーリナスの目は、いつになく真剣なものだった。
その目を見て、アレクは悟る。
何かあったんだ。
多くを言わずとも、アレクにはそれがしっかりと伝わった。
「わかりました。ケルトを呼んできます」
疑問ひとつ口に出さず、アレクは二階へ駆け上がる。その背中を見つめるマーリナスの瞳は悲しげに揺れ動く。
残された時間はあとわずか。
未来というのは実に予測不可能だ。自分の望む未来など、生きているうちに叶うことはないのかもしれない。そんな陰鬱とした思いが、あたまをよぎる。
それでもひとは選ばなければならない。どれほど悲しく、理不尽でも。命ある限り、立ち止まることは許されないのだから。
そう分かっていても、望まない選択を余儀なくされるということは、痛みを伴うものだ。
ついこの間、再会できたばかりだというのに、なぜ運命はこうも残酷なのだろうか。
守りたいと願うほど危険に晒さなくてはならず、大切にしようとするほど遠ざけねばならないとは。
事後処理に追われて駐屯地に缶詰状態となったマーリナスが、アレクと会うのは実に五日ぶりのこと。
聞きたいことは山ほどあったし、話したいことも沢山ある。
それなのに、久しぶりに会って話す内容がこれだとは。
マーリナスは自嘲の笑みをこぼす。
それでも伝えなくてはならない。アレクの身を守るためには、それが一番正しい選択となるのだから。
階段を駆け下りてくるアレクとケルトに静かな眼差しを向けるマーリナスは、ゆっくりと息を吐き出した。
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