アメジストの呪いに恋い焦がれ~きみに恋した本当の理由~

一色姫凛

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第五章

別れの炎

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 深夜零時過ぎ。
 黒いローブを頭からすっぽりと被った三人は、メリザの前にいた。

「行かれるのですね」

「うん。メリザ、最後に迷惑をかけてごめんね。いままでありがとう」

 メリザは小さく微笑む。首から下がった黒いネックレスが食卓の灯りを反射して鈍く輝いている。ロナルドのネックレスだった。

 ロナルドの家に行く前からずっと一緒に過ごしていたのに、アレクがこうしてメリザと対面するのは初めてのことである。

 エリザはふんわりとした雰囲気のある可愛らしい女性だった。

「いいえ。ケルト様にはたくさん料理を教えて頂きましたし、それどころか家事まで手伝って頂いたのですから、最後に何かお礼をしたいと思っていたところです。ちょうど良かったですわ」

 ふふっとメリザが笑うと、ケルトは眉をしかめた。

「明日も教えるって約束してたのに、ごめん」

「いいのです。いつかまた、ゆっくりと教えて頂きますから」

 いつかまた。いつかまた、ここに戻ってくることができるのだろうか。

 アレクはぐるっと部屋を見渡す。

 毎朝、マーリナスと肩を並べた食卓。マーリナスは一番右で、その隣がアレク。ケルトはその正面に座るというのが、ここ最近の定位置だ。

 リビングのソファを見れば、ロナルドと初めて会った時のことを思い出す。
 
「ロナルドとも、もう会えないんですね」

 寂しそうに顔を陰らせたアレクの肩に優しく手が乗る。マーリナスだった。
 マーリナスはメリザを振り返る。

「メリザ、頼む」

「はい。それでは皆様、お元気で」 

 メリザが玄関に向かったのと同時に、アレクたちは逆方向――勝手口に向かって走る。台所から裏手に抜けるドアだ。

 もちろん、そちらにも何人か騎士が見回っており、このまま出たらすぐに見つかってしまう。

 玄関に立ったメリザはふうっと大きく息をはいた。

 それからくるりと背を向けて手にした油缶の蓋を開け、両手で油缶を抱えて床やソファ、椅子、ダイニングテーブルに油を巻き、エプロンのポケットからマッチを取り出して火を灯した。

 ゆらゆらと揺れる炎を瞳に映し、ゆっくりと部屋を見渡す。長年お世話になった家である。愛着なら嫌というほどあった。

「さようなら。いままでありがとう」

 そう言って、手にしたマッチを軽く放り投げた。

 ぼっと小さく音が鳴って、火の手が伸びる。

 火の手が玄関と台所を遮断するまで待って「よし」と一つ頷き、ドアから飛びだした。

 メリザは中庭をできるだけ髪を振り乱し、必死の形相で走る。そして門口に立つ騎士に縋り付いて叫んだ。

「騎士様! 助けて下さい! 誤って火を落としてしまったのです! ああ、どうしましょう! 皆様、まだ寝ておられるのに!」

「なんだと!?」

 騎士が二人同時に玄関を振り返る。そこには轟々とうなる火の海が見えた。慌てて玄関まで走ったが、火の手が激しく奥がどうなっているかすら見えない。

 騎士は同時に両手を前に突き出した。手のひらいっぱいに青い光りが灯る。彼らが使役したのは中級の水魔法である。二人がかりで行えば、こういった火災は二、三、発で消火できる。

 それと同時に台所で息を潜めるアレクが小さく言葉を紡いだ。

  騎士の手から水魔法が発せられる。勢いよく、燃えるリビングに向かって行ったが……

 じゅうっ

 水蒸気を上げて消え失せた。

「どういうことだ……」

 騎士は愕然としてつぶやいた。

 火は、微塵も消えていない。それどころか天井まで一気に火の手を伸ばした。

 その後も二度、三度と魔法をしかけてみたが、一向に消火することができない。

 そんな、馬鹿な! 騎士は焦る。

「裏手にいる騎士を呼んでこい! このままでは全焼するぞ!」

「はっ」

 一人が駆けだす。裏手にいる騎士に声をかけ、見回りがいなくなったのを見計らって、アレクたちはドアから飛び出した。

「メリザは大丈夫でしょうか」

 夜道を駆けながらアレクが問うと、マーリナスは小さく笑って見せた。

「大丈夫だろう。支度金は持たせてやったし、彼女の実家は伯爵家だ」

「伯爵う!? じゃあ、お嬢様じゃないか。なんでこんなところで働いてるんだよ!」

 目を丸くしたケルトが叫び、アレクはしーっと唇に指を当てる。

 慌てて後方を振り返ったが、追ってくる騎士の姿はない。まだ消火活動に当たっているのだろう。

「昔、伯爵を助けたことがあってな。その縁でうちで働くことになったのだ」

 それよりもマーリナスには気にかかる事がある。

 騎士ともなれば、魔法を使えるのは当然のこと。

 火を放ったところで足止めにはならないとマーリナスは指摘したのだが、そこにアレクが言ったのだ。

 ぼくに任せてください、と。

 アレクが紡いだ魔法はエレノアやロナルドを治療した時と同じものだった。

 治癒魔法などかけてどうするのだと思っていれば、明らかに火の手が増した。

 しかも騎士の水魔法を打ち消すほどの威力。ともすれば、疑問が浮かばない方がおかしい。

「アレク。あれはどういった原理なのだ」

 アレクは小さく息を切らしながら答える。

「本来、癒しの息吹サニータ・セラフィは、体内にある魔力に干渉するのです。魔法を使えなくても、人は誰しも大なり小なり魔力を持っている。それは火や水といった自然の力にも宿ると。その理論を説いた学者は嘘つき呼ばわりされて、すでにこの世を去ってしまいましたが、その理論を証明したのがこの魔法なのです」

「つまり、増幅魔法の一種なのか」

「そうです。ぼくも火に向かって行使したことはなかったので、少し不安でしたけど……うまくいって良かったです」

 夜に紛れ、三人は前を向いて駆けだした。

 目的地は国門である。

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