138 / 146
第六章
篝火の心
しおりを挟む
「いつも喧嘩ばかりしていたんです。食事を作る時も朝刊を読む時も。お風呂に入る時だって順番で揉めてた」
「そうか」
テントに二人きり。ランタンの揺れる灯りに目を細め、語るアレクの隣にはマーリナス。隣のテントでは泣き疲れたケルトが眠りについていた。
「でも僕はそんな二人が少し羨ましかったんです。僕にはそういう相手がいませんでしたから」
「そうだろうな。あの二人は一見反りが合わないように見えるが、実は気が合うような気がしていた。遊ばれているのはケルトの方だっただろうがな」
「そうですね。楽しそうに……見えました」
語れば語るほど、かみつくケルトに笑いを向けるロナルドが思い浮かぶ。
「死んだなんて……嘘、ですよね」
アレクはロナルドの最期を見なかった。
あの時、ギルの大技によって崩れ落ちた瓦礫に埋もれてしまったアレクとマーリナスは、しばらくの間身動きが取れなかった。
その間にケルトの身に何が起きたのか。
「ロナルドが死んだ」と叫ぶケルトの言葉を未だに信じられずにいる。それはマーリナスも同じだろう。
「わたしは見たものしか信じない。ロナルドの亡骸をこの目で見るまでは泣いたりしない。おまえも心を強く持つんだ、アレク」
「でも……怖いんです。本当だったらどうしようって。ケルトが泣く度、嘘だって疑う心が薄れていってしまうんです」
じわりと滲んだ瞳を指先で拭い、抱えた膝に頭を埋めたアレクの頭にぽんと手が乗る。
「そうしたらまたわたしのもとに来ればいい。おまえの荷物はわたしが半分引き受けるといったはずだ。もう忘れたのか?」
「マーリナス……」
「罪も罰も痛みも。抱えきれないものはわたしに寄越せ。そのためにわたしはおまえの傍にいるのだからな」
マーリナスは苦々しく告げる。
二度とこのような言葉を贈ることはないと思っていた。
あの時の誓いは決して軽々しく口にしたわけではない。
別れる運命だったと覚悟して、アレクの心を引き裂くことしかできない自分に腹が立ち、それでも正しい選択肢だと信じ続けた。
だが結局はまだアレクの隣にいる。
この数奇な運命に意味を持たせるとするなら、そういうことなんだろう。
国への失望感が募るなか、一度でもアレクを手放そうと決断したことが腹立たしくも情けなく思えた。
己への自嘲と止められないアレクへの想いが交錯し、マーリナスは視線を落とす。
「国のために残ると決めたのに結局はこのザマだ。だがわたしには、ああすることしかできなかった。おまえを……利用されるなど、あってはならないことだ」
アレクはふと顔をあげる。
葛藤だろうか。
国に仕える警備隊長であるマーリナスが反旗を翻した。
義務感と正義感の狭間でマーリナスは苦しんでいるようにみえた。
「僕はきっとマーリナスが思っているほどいい人間ではありません」
「アレク?」
「憎むほど嫌悪しているこの呪いをマーリナスを助けるために利用したことも……あります。でも後悔はしていません。身勝手だけど大事なひとが救われたなら、それでいいんです」
力なくこぼす笑みは哀しみを含む。
ひとは生きているうちに何度も選択肢を迫られるから。
過ちだったと後悔することも数え切れないほどあるけれど。
アレクが願うのはマーリナスのしあわせだけだ。
じっと見つめる紫色の瞳にマーリナスはふっと笑みをこぼす。
「わたしも後悔はしていない」
ただ、とつけ足した。
「おまえを傷つけて悪かった」
アレクは首を振る。
共に歩もうと誓ったあの夜。
罪も痛みも半分背負って。
マーリナスはそういったけど、もうひとつ分けられるものがある。
「僕たちは互いの幸福を願っただけです。あの時はしあわせを半分にしようとした。そうでしょう? マーリナスは約束を破ってなんかいません」
互いを思えばこそ。
一生の別れになるかもと哀しみにとらわれていたけれど、あの決断には相手のしあわせを願う思いが込められていた。
それがわからないほど愚かではない。
「マーリナスのおかげで僕は助かりました。いつか、今度は僕がマーリナスの力になります」
マーリナスは目を細める。
聖母のような微笑みを浮かべるアレクは、時に驚くほど強かな姿をみせることがある。
いつだって心が折れそうな時、凜とした想いで支えてくれるのだ。
ロナルドの死について口ではああ言ったが、内心不安が渦巻く。
あのロナルドが死んだ?
反芻するのも恐ろしくなるほどに心が全力で拒否していた。
「ロナルドも。マーリナスがいったように、きっと無事ですよ。僕もそう信じます」
「アレク」
夜の砂漠は底冷えするような寒さがある。
耐えず灯される火種。体は十分な温かさを保っているのに、負の感情にとらわれた瞬間、心が凍りつく。
けれど儚げに咲く笑顔とどんな炎よりも温かい言葉が、冷えた血脈をゆっくりと解いてくれる。
爆ぜる篝火が静寂に炎の揺らめきを落とすなか、マーリナスはコツンと額を押し当てた。
「ありがとう」
「お礼を言うのは僕のほうです」
ランタンの明かりを消して夜の帳に身を隠し。二人はゆっくりと横たわった。重ね合うのは互いの心と唇。微かに触れあう程度のキスを落とすと、アレクはマーリナスを力強く抱きしめた。マーリナスは応じる。隙間もないほど深いキスを。恐れなど打ち払うだけの情熱を。
信じる勇気を、ここに生みだして。
「そうか」
テントに二人きり。ランタンの揺れる灯りに目を細め、語るアレクの隣にはマーリナス。隣のテントでは泣き疲れたケルトが眠りについていた。
「でも僕はそんな二人が少し羨ましかったんです。僕にはそういう相手がいませんでしたから」
「そうだろうな。あの二人は一見反りが合わないように見えるが、実は気が合うような気がしていた。遊ばれているのはケルトの方だっただろうがな」
「そうですね。楽しそうに……見えました」
語れば語るほど、かみつくケルトに笑いを向けるロナルドが思い浮かぶ。
「死んだなんて……嘘、ですよね」
アレクはロナルドの最期を見なかった。
あの時、ギルの大技によって崩れ落ちた瓦礫に埋もれてしまったアレクとマーリナスは、しばらくの間身動きが取れなかった。
その間にケルトの身に何が起きたのか。
「ロナルドが死んだ」と叫ぶケルトの言葉を未だに信じられずにいる。それはマーリナスも同じだろう。
「わたしは見たものしか信じない。ロナルドの亡骸をこの目で見るまでは泣いたりしない。おまえも心を強く持つんだ、アレク」
「でも……怖いんです。本当だったらどうしようって。ケルトが泣く度、嘘だって疑う心が薄れていってしまうんです」
じわりと滲んだ瞳を指先で拭い、抱えた膝に頭を埋めたアレクの頭にぽんと手が乗る。
「そうしたらまたわたしのもとに来ればいい。おまえの荷物はわたしが半分引き受けるといったはずだ。もう忘れたのか?」
「マーリナス……」
「罪も罰も痛みも。抱えきれないものはわたしに寄越せ。そのためにわたしはおまえの傍にいるのだからな」
マーリナスは苦々しく告げる。
二度とこのような言葉を贈ることはないと思っていた。
あの時の誓いは決して軽々しく口にしたわけではない。
別れる運命だったと覚悟して、アレクの心を引き裂くことしかできない自分に腹が立ち、それでも正しい選択肢だと信じ続けた。
だが結局はまだアレクの隣にいる。
この数奇な運命に意味を持たせるとするなら、そういうことなんだろう。
国への失望感が募るなか、一度でもアレクを手放そうと決断したことが腹立たしくも情けなく思えた。
己への自嘲と止められないアレクへの想いが交錯し、マーリナスは視線を落とす。
「国のために残ると決めたのに結局はこのザマだ。だがわたしには、ああすることしかできなかった。おまえを……利用されるなど、あってはならないことだ」
アレクはふと顔をあげる。
葛藤だろうか。
国に仕える警備隊長であるマーリナスが反旗を翻した。
義務感と正義感の狭間でマーリナスは苦しんでいるようにみえた。
「僕はきっとマーリナスが思っているほどいい人間ではありません」
「アレク?」
「憎むほど嫌悪しているこの呪いをマーリナスを助けるために利用したことも……あります。でも後悔はしていません。身勝手だけど大事なひとが救われたなら、それでいいんです」
力なくこぼす笑みは哀しみを含む。
ひとは生きているうちに何度も選択肢を迫られるから。
過ちだったと後悔することも数え切れないほどあるけれど。
アレクが願うのはマーリナスのしあわせだけだ。
じっと見つめる紫色の瞳にマーリナスはふっと笑みをこぼす。
「わたしも後悔はしていない」
ただ、とつけ足した。
「おまえを傷つけて悪かった」
アレクは首を振る。
共に歩もうと誓ったあの夜。
罪も痛みも半分背負って。
マーリナスはそういったけど、もうひとつ分けられるものがある。
「僕たちは互いの幸福を願っただけです。あの時はしあわせを半分にしようとした。そうでしょう? マーリナスは約束を破ってなんかいません」
互いを思えばこそ。
一生の別れになるかもと哀しみにとらわれていたけれど、あの決断には相手のしあわせを願う思いが込められていた。
それがわからないほど愚かではない。
「マーリナスのおかげで僕は助かりました。いつか、今度は僕がマーリナスの力になります」
マーリナスは目を細める。
聖母のような微笑みを浮かべるアレクは、時に驚くほど強かな姿をみせることがある。
いつだって心が折れそうな時、凜とした想いで支えてくれるのだ。
ロナルドの死について口ではああ言ったが、内心不安が渦巻く。
あのロナルドが死んだ?
反芻するのも恐ろしくなるほどに心が全力で拒否していた。
「ロナルドも。マーリナスがいったように、きっと無事ですよ。僕もそう信じます」
「アレク」
夜の砂漠は底冷えするような寒さがある。
耐えず灯される火種。体は十分な温かさを保っているのに、負の感情にとらわれた瞬間、心が凍りつく。
けれど儚げに咲く笑顔とどんな炎よりも温かい言葉が、冷えた血脈をゆっくりと解いてくれる。
爆ぜる篝火が静寂に炎の揺らめきを落とすなか、マーリナスはコツンと額を押し当てた。
「ありがとう」
「お礼を言うのは僕のほうです」
ランタンの明かりを消して夜の帳に身を隠し。二人はゆっくりと横たわった。重ね合うのは互いの心と唇。微かに触れあう程度のキスを落とすと、アレクはマーリナスを力強く抱きしめた。マーリナスは応じる。隙間もないほど深いキスを。恐れなど打ち払うだけの情熱を。
信じる勇気を、ここに生みだして。
0
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
できるかぎり毎日? お話の予告と皆の裏話? のあがるインスタとYouTube
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~
蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。
転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。
戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。
マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。
皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた!
しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった!
ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。
皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。
冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる
尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる
🌟2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟
ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。
――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。
お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。
目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。
ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。
執着攻め×不憫受け
美形公爵×病弱王子
不憫展開からの溺愛ハピエン物語。
◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。
四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。
なお、※表示のある回はR18描写を含みます。
🌟第10回BL小説大賞にて奨励賞を頂戴しました。応援ありがとうございました。
🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。
前世が教師だった少年は辺境で愛される
結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。
ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。
雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる