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第一章
第一章③
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休日の東京駅は人で溢れていた。
イベントプランナーの仕事は主に首都圏内なので、新幹線に乗るのは久しぶりだ。改札内にはスーツのビジネスマンよりも、お洒落をした友人同士やカップルや家族連れが多く、華やいだ雰囲気だ。
軽音部同窓会専用の掲示板に必要な食料や道具はこちらで揃えると書いてあったので、悠翔は必要最低限の必需品をいれたスポーツバッグ一つでやってきた。
沢山の人の中、すらりと背が高くスタイルのいい男の姿が目に入った。サングラスをしているが、黒髪の特徴的な癖毛とすらりと高く通った鼻筋、艶やかで形のいい厚めの唇に見覚えがある。
悠翔は咄嗟に人ごみに紛れた。逃げるような格好悪い行為に嫌悪しながらも、柱の陰で息を潜める。
三回深呼吸をして柱の後ろから出ると、もう男の姿はなかった。密かに胸を撫でおろす。
十一時四分発の新幹線あさま609号に乗り込み、二人掛けの席の窓際の指定席に腰を下ろした。客が次々と乗り込んでくる。
自分の隣にはきっちりしたスーツを着た中年男が座った。男はこちらに顔を向けると上から下まで観察するように眺め、少しだけニヤついた顔をした。
嘲りか或いは興味か、微妙なラインだ。どちらにせよ、いい気はしない。ジロリと睨みつけると、男はそそくさと顔を逸らした。
悠翔は鼻を鳴らして窓の外に目を遣る。
発車時刻まであと僅か。
ほとんどの客が席に着いた頃に、前方から誰かが歩いてくる気配があった。
「失礼、そこのスーツの方。席をかわって頂けませんか?」
聞き覚えがある声に悠翔は反射的に顔を上げる。
黒いサングラスをかけた長身の男が、自分の隣の中年男の傍らに佇んでいた。
悠翔は思わず顔を引き攣らせる。
「いきなりなんだね、キミは」
不機嫌そうに中年男が長身の男を見上げる。
不愉快な表情を向けられたというのに男は優美に笑む。
「隣の彼は僕の知り合いなんです。席を譲って頂けませんか?」
そう言って長身の男が差し出した切符は、グランクラスの席のものだった。中年男は愛想の良い笑みを浮かべ、荷物を持ってさっと立ち上がった。
「いいとも」
切符を交換し、中年男は満足そうに去った。
長身の男が隣に腰を下ろし、優雅に長い脚を組む。男はサングラスを取って、涼しげな茶色の瞳をスッと細めた。
「やあ、悠翔。久しぶりだね」
艶のある低い声、美麗な顔立ち。
懐かしすぎる男が目の前で笑うのを見て、悠翔は軽い眩暈を覚えた。
やはり、見間違いではなかった。上手く避けたと思ったのに、無意味だった。意外だけれど、恐らく行先は同じだろう。
学生時代の喧騒や喜怒哀楽が一気に甦る。荒れ狂う感情を落ち着かせるように大きく息を吸い込み、悠翔は凪いだ無感情な顔で男を見た。
「よお、久しぶりだな。真澄」
白川真澄、それが人形のように耽美な男の名だ。悠翔とは小学校からの幼なじみで、誰よりもよく知りながら、誰よりも気が合わない男。
「そんなお澄まし顔して、まったく君らしくないね。高校を卒業して以来だね、六年ぶりか。でも君、全然変わらないね。ふふ、見事に小さいままだ。獅子じゃなくて相変わらず仔猫ちゃんだね」
大人になったんだ、冷静に対応しろ。ここで怒ったら真澄の思うツボだ。
頭では理解している。
だけど、真澄を前にするとすぐに素の感情が出てしまう。
「誰が仔猫ちゃんだ、この木偶の棒。背ばっか伸びてヒョロヒョロのもやし野郎に、仔猫ちゃん呼ばわりされたかねぇんだよ」
悠翔が険しい顔で立ち上がって声を荒げると、真澄が楽しそうな顔になる。
「僕はあの頃よりも更に背が伸びたし、肩幅も広くなって筋肉もついたよ。もやしって言葉は撤回してもらおうか」
「はっ、俺の方がまだまだ筋肉質だ」
「でも手首は細いし肩幅も狭い。それに相変わらず女の子に気を遣われる身長だなんてご愁傷様、同じ男として同情するよ」
小学校から背の順はずっと先頭で、昔から真澄には「チビ」と散々からかわれている。身長のことを言われるのは何よりも嫌いだ。
学生時代の腹立たしさが沸々と甦り、悠翔は吊った目を更に吊り上げ、眉間に皺を寄せて真澄を睨んだ。
「おっと、今の威圧的な顔は迫力満点だね。百獣の王に相応しい顔だ。でも、その顔はよしておきなよ。お母様そっくりの可愛らしい美貌がもったいないよ」
自分と同じ薄茶の癖のある柔らかな髪に猫のようにぱっちりとした琥珀色の瞳の母の姿が脳裏に浮かぶ。甘ったるく自分を呼ぶ声が耳の奥で響いた気がした。
「……うるせえよ」
悪口に乗せられて熱くなっていた心が急激に冷める。
悠翔はどさりと椅子に身を投げると、車窓に目を遣った。列車が発車し、窓の外の景色がゆるゆると動き出す。
久しぶりの再会に無関心で窓の外ばかり見ているこちらのことを少しも気に留めず、真澄は相変わらず自分のペースで話しかけてくる。
「まさか、君が東京にいるとは驚きだね」
「別に何処にいようと、俺の勝手だろ」
「勝手ができるようになってよかったねえ。ちゃんとお母様の許しは得たの?」
答えずにいる悠翔に、真澄は一瞬眉を顰めた。だがすぐにいつもの飄々とした笑みを浮かべる。
「悠翔、お母様は元気かい?」
「察しがいいお前のことだ、さっきの会話でだいたいのことはわかっただろ」
「亡くなったのかい?」
「ああ。大学四年生の春に逝っちまったよ」
「そう。東京にいたから知らなかったよ」
一瞬だけ神妙な顔をしたわりに、お悔やみの一つもなく淡々と真澄が言った。
非常識な奴だと思うが、彼の冷淡な態度が今は有難い。母の死は心の奥底に仕舞った。もう扉を開くつもりはない。
「まさか、お前が同窓会に顔を出すとはな」
真澄が来ると知っていたら、来なかったのに。
今回の同窓会用の掲示板に実名やニックネームでちらほら同窓会の質問事項や、個人への呼びかけが書き込まれる中、他の参加者から真澄の名前があがることはあっても、彼からの書き込みだけは一度もなかった。てっきり不参加だと思っていたのに。
「同窓会くらい顔を出すさ。学校のならともかく、愛する軽音部の同窓会だからね」
「嘘くせ。で、なんで態々俺の隣に移動してくるんだよ」
「久しぶりに君とゆっくり話したかったからさ」
真澄が邪気のない笑みを浮かべる。
男女問わず赤面してしまう美しい微笑。でも、悠翔は簡単に絆されたりしない。真澄にはテトロドトキシンばりの猛毒があるのをちゃんと知っている。
悠翔は鋭い眼差しを向ける。
「真澄、何を企んでやがる?」
「やだなぁ、悠翔。本当に何も企んでいないよ。神は信じていないから、君に誓うよ」
悠翔は吟味するように真澄を見詰めた。
珍しく真澄の茶色の瞳は真摯な色を帯びている、嘘は吐いていなさそうだ。
肩に入っていた力を抜き、背もたれに体を預ける。
「折角のグランクラスを捨ててまで、馬鹿じゃねぇの」
「謙遜だねえ。君との会話は金で簡単に手に入るグランクラスよりもずっと価値があるよ。ねえ、君は今、何をしているんだい?」
真澄の質問の意図は読めない。ただ、世間話や御愛想の類じゃないことだけは長年の付き合いではっきりと解る。
一瞬身構えたが、虚栄心を張らなくてはいけないような生き方はしていない。正しいかどうかはともかく、人生の選択肢は自分で選んできた。
「プレシャスデイズっていうイベント運営の会社でイベントプランナーをしている」
「ふうん、そうなんだ」
興味なさげな態度。よくあることだから、腹立たしくない。唐突に訪れる沈黙にも慣れっこだ。
会話を広げるのに真澄に同じ質問をしてもいいが、彼が人気バンドのブラックサーカスのギタリストであるのは周知の事実で、何をしているかなど聞くまでもない。
不思議なことにとびきりイケメンの有名人なのに、駅でも車内でも誰も彼の存在に気付く様子はない。さっきまでサングラスで顔を隠していただろうか。
いや、違う。真澄は目を引く華やかな美男子だけど、意図的に自分の存在感を消すのが昔から上手かった。
「悠翔、仕事は楽しいかい?」
「まあな。大きなイベントが盛況に終わると達成感はあるぜ」
「へえ、そう」
また気のない返事、そして沈黙。
相変わらずマイペースな男だ。ならばこっちもとことんマイペースに振舞うまでだ。
悠翔は駅で買ったサンドイッチの包みを開いた。スモークサーモンとアボカドとタルタルソースのサンドイッチに噛り付く。
評判通り、何処を食べても具が入っていて、美味しい。自然と笑みが零れる。断面が美しくても、中身がスカスカのサンドイッチは興ざめだ。
「美味しそうだね、一口頂戴」
真澄が身を乗り出してきた。悠翔は大袈裟に身を引く。
「嫌だ。腹が減ってるなら、車内販売でも捕まえろよ」
「それが食べたいの。それに、あさまは車内販売ないし」
「じゃあ次の駅で降りて東京駅に戻ればどうだ?」
「集合時間に遅刻しちゃうでしょう。いいから、一口頂戴よ」
ギターを掻き鳴らす指の長い大きな手が伸びきた。手首を掴まれて引っ張られ、サンドイッチを齧られた。
遠慮のない一口。つい、舌打ちが漏れる。
「うん、美味しい」
「勝手に食うな」
「いいじゃないか、僕と君の仲でしょう」
相変わらずのフリーダムっぷりだ。溜め息を吐き、無残に齧られたサンドイッチの残りを黙々と食べる。
「ねえ、悠翔。今、彼女いる?」
どういうつもりだ。
悠翔は問い質したくなるのを堪え、無感情な顔と声を装って正直に答える。
「いない」
さっきと同じように「ふうん」とか「へえ」という適当な相槌が返ってくるのかと思いきや、操は喜色満面で口を開いた。
「可哀相だねえ。僕は今、彼女が三人でセフレが四人いるよ。なんなら一人紹介してあげようか? あ、でも僕の今の恋人達は全員モデルばりの長身だからねえ。悠翔のチビが目立つからやめといた方がいいかも」
生き生きと笑う真澄に苛立ちを覚える反面、心のどこかでホッとした。
「男を身長で選ぶ女なんざこっちからお断りだ。男は器がでかけりゃそれで良いんだよ」
「負け惜しみだね。君だって面食いなくせに」
「お前ほどじゃねえよ」
「やっぱり恋人選びには身長や体格も大事だよ。君は確かに男気があって頼れる兄貴な性格だよ。でも、君に抱きしめられても安心感なさそう」
「うるせえ、余計なお世話だ」
「それにあれのデカさも重要だよ。テクニックも必要だけど、やっぱり太くて大きい方が女の子は喜ぶでしょう」
平然と下ネタを飛ばす真澄に、悠翔は呆れた面持ちを浮かべる。
「品がねぇ奴だな、電車ん中でそんなこと大声で口にするなよ」
「僕の声はよく通る良い声なんだ」
「自分で言うなよ。相変わらず自信過剰な男だぜ」
「正しい自己分析さ」
「はっ、勝手に言ってろ」
「悠翔はさ、態度は大きい癖に、自己評価が過小なところあるよね。自分に厳し過ぎない?」
「お前が緩すぎるだけだ」
すっかり昔に戻ったように他愛ない言い合いを繰り返す。おかげで一時間四十分の道行はあっという間に過ぎた。気付けば窓の外には見慣れない景色が広がっている。
長野駅到着のアナウンスで二人は新幹線を降りた。そこからローカル線に乗り換える。目的の音無村駅へのローカル線の本数は一時間に三本ほどと、田舎にしては良心的だ。
乗り継ぎにそれほど困ることなく、十五分ほどホームで待つだけで済んだ。到着した二両しかない電車に乗り込む。
ここから音無村駅までは三十分ほどかかる。集合時間ギリギリの到着だ。
飲食のチェーン店や大きなホテルが立ち並び、大きな道路が見える都会的な長野駅を離れるにつれて、窓の外は寂しい景色に変わっていった。
ひたすら続く田園、険しい棚田、森。目まぐるしく変わる景色は等しく寂寞としていて、どこか不安を掻き立てられる。
忙しない時間の檻を抜けだしてゆったりと走る電車に揺られているうちに気が抜けてきて、見知らぬ閑散とした景色への不安は和らいだ。
仕事に忙殺される日々から離れるのもいいものだ。悠翔はシートに深く体を預けた。
イベントプランナーの仕事は主に首都圏内なので、新幹線に乗るのは久しぶりだ。改札内にはスーツのビジネスマンよりも、お洒落をした友人同士やカップルや家族連れが多く、華やいだ雰囲気だ。
軽音部同窓会専用の掲示板に必要な食料や道具はこちらで揃えると書いてあったので、悠翔は必要最低限の必需品をいれたスポーツバッグ一つでやってきた。
沢山の人の中、すらりと背が高くスタイルのいい男の姿が目に入った。サングラスをしているが、黒髪の特徴的な癖毛とすらりと高く通った鼻筋、艶やかで形のいい厚めの唇に見覚えがある。
悠翔は咄嗟に人ごみに紛れた。逃げるような格好悪い行為に嫌悪しながらも、柱の陰で息を潜める。
三回深呼吸をして柱の後ろから出ると、もう男の姿はなかった。密かに胸を撫でおろす。
十一時四分発の新幹線あさま609号に乗り込み、二人掛けの席の窓際の指定席に腰を下ろした。客が次々と乗り込んでくる。
自分の隣にはきっちりしたスーツを着た中年男が座った。男はこちらに顔を向けると上から下まで観察するように眺め、少しだけニヤついた顔をした。
嘲りか或いは興味か、微妙なラインだ。どちらにせよ、いい気はしない。ジロリと睨みつけると、男はそそくさと顔を逸らした。
悠翔は鼻を鳴らして窓の外に目を遣る。
発車時刻まであと僅か。
ほとんどの客が席に着いた頃に、前方から誰かが歩いてくる気配があった。
「失礼、そこのスーツの方。席をかわって頂けませんか?」
聞き覚えがある声に悠翔は反射的に顔を上げる。
黒いサングラスをかけた長身の男が、自分の隣の中年男の傍らに佇んでいた。
悠翔は思わず顔を引き攣らせる。
「いきなりなんだね、キミは」
不機嫌そうに中年男が長身の男を見上げる。
不愉快な表情を向けられたというのに男は優美に笑む。
「隣の彼は僕の知り合いなんです。席を譲って頂けませんか?」
そう言って長身の男が差し出した切符は、グランクラスの席のものだった。中年男は愛想の良い笑みを浮かべ、荷物を持ってさっと立ち上がった。
「いいとも」
切符を交換し、中年男は満足そうに去った。
長身の男が隣に腰を下ろし、優雅に長い脚を組む。男はサングラスを取って、涼しげな茶色の瞳をスッと細めた。
「やあ、悠翔。久しぶりだね」
艶のある低い声、美麗な顔立ち。
懐かしすぎる男が目の前で笑うのを見て、悠翔は軽い眩暈を覚えた。
やはり、見間違いではなかった。上手く避けたと思ったのに、無意味だった。意外だけれど、恐らく行先は同じだろう。
学生時代の喧騒や喜怒哀楽が一気に甦る。荒れ狂う感情を落ち着かせるように大きく息を吸い込み、悠翔は凪いだ無感情な顔で男を見た。
「よお、久しぶりだな。真澄」
白川真澄、それが人形のように耽美な男の名だ。悠翔とは小学校からの幼なじみで、誰よりもよく知りながら、誰よりも気が合わない男。
「そんなお澄まし顔して、まったく君らしくないね。高校を卒業して以来だね、六年ぶりか。でも君、全然変わらないね。ふふ、見事に小さいままだ。獅子じゃなくて相変わらず仔猫ちゃんだね」
大人になったんだ、冷静に対応しろ。ここで怒ったら真澄の思うツボだ。
頭では理解している。
だけど、真澄を前にするとすぐに素の感情が出てしまう。
「誰が仔猫ちゃんだ、この木偶の棒。背ばっか伸びてヒョロヒョロのもやし野郎に、仔猫ちゃん呼ばわりされたかねぇんだよ」
悠翔が険しい顔で立ち上がって声を荒げると、真澄が楽しそうな顔になる。
「僕はあの頃よりも更に背が伸びたし、肩幅も広くなって筋肉もついたよ。もやしって言葉は撤回してもらおうか」
「はっ、俺の方がまだまだ筋肉質だ」
「でも手首は細いし肩幅も狭い。それに相変わらず女の子に気を遣われる身長だなんてご愁傷様、同じ男として同情するよ」
小学校から背の順はずっと先頭で、昔から真澄には「チビ」と散々からかわれている。身長のことを言われるのは何よりも嫌いだ。
学生時代の腹立たしさが沸々と甦り、悠翔は吊った目を更に吊り上げ、眉間に皺を寄せて真澄を睨んだ。
「おっと、今の威圧的な顔は迫力満点だね。百獣の王に相応しい顔だ。でも、その顔はよしておきなよ。お母様そっくりの可愛らしい美貌がもったいないよ」
自分と同じ薄茶の癖のある柔らかな髪に猫のようにぱっちりとした琥珀色の瞳の母の姿が脳裏に浮かぶ。甘ったるく自分を呼ぶ声が耳の奥で響いた気がした。
「……うるせえよ」
悪口に乗せられて熱くなっていた心が急激に冷める。
悠翔はどさりと椅子に身を投げると、車窓に目を遣った。列車が発車し、窓の外の景色がゆるゆると動き出す。
久しぶりの再会に無関心で窓の外ばかり見ているこちらのことを少しも気に留めず、真澄は相変わらず自分のペースで話しかけてくる。
「まさか、君が東京にいるとは驚きだね」
「別に何処にいようと、俺の勝手だろ」
「勝手ができるようになってよかったねえ。ちゃんとお母様の許しは得たの?」
答えずにいる悠翔に、真澄は一瞬眉を顰めた。だがすぐにいつもの飄々とした笑みを浮かべる。
「悠翔、お母様は元気かい?」
「察しがいいお前のことだ、さっきの会話でだいたいのことはわかっただろ」
「亡くなったのかい?」
「ああ。大学四年生の春に逝っちまったよ」
「そう。東京にいたから知らなかったよ」
一瞬だけ神妙な顔をしたわりに、お悔やみの一つもなく淡々と真澄が言った。
非常識な奴だと思うが、彼の冷淡な態度が今は有難い。母の死は心の奥底に仕舞った。もう扉を開くつもりはない。
「まさか、お前が同窓会に顔を出すとはな」
真澄が来ると知っていたら、来なかったのに。
今回の同窓会用の掲示板に実名やニックネームでちらほら同窓会の質問事項や、個人への呼びかけが書き込まれる中、他の参加者から真澄の名前があがることはあっても、彼からの書き込みだけは一度もなかった。てっきり不参加だと思っていたのに。
「同窓会くらい顔を出すさ。学校のならともかく、愛する軽音部の同窓会だからね」
「嘘くせ。で、なんで態々俺の隣に移動してくるんだよ」
「久しぶりに君とゆっくり話したかったからさ」
真澄が邪気のない笑みを浮かべる。
男女問わず赤面してしまう美しい微笑。でも、悠翔は簡単に絆されたりしない。真澄にはテトロドトキシンばりの猛毒があるのをちゃんと知っている。
悠翔は鋭い眼差しを向ける。
「真澄、何を企んでやがる?」
「やだなぁ、悠翔。本当に何も企んでいないよ。神は信じていないから、君に誓うよ」
悠翔は吟味するように真澄を見詰めた。
珍しく真澄の茶色の瞳は真摯な色を帯びている、嘘は吐いていなさそうだ。
肩に入っていた力を抜き、背もたれに体を預ける。
「折角のグランクラスを捨ててまで、馬鹿じゃねぇの」
「謙遜だねえ。君との会話は金で簡単に手に入るグランクラスよりもずっと価値があるよ。ねえ、君は今、何をしているんだい?」
真澄の質問の意図は読めない。ただ、世間話や御愛想の類じゃないことだけは長年の付き合いではっきりと解る。
一瞬身構えたが、虚栄心を張らなくてはいけないような生き方はしていない。正しいかどうかはともかく、人生の選択肢は自分で選んできた。
「プレシャスデイズっていうイベント運営の会社でイベントプランナーをしている」
「ふうん、そうなんだ」
興味なさげな態度。よくあることだから、腹立たしくない。唐突に訪れる沈黙にも慣れっこだ。
会話を広げるのに真澄に同じ質問をしてもいいが、彼が人気バンドのブラックサーカスのギタリストであるのは周知の事実で、何をしているかなど聞くまでもない。
不思議なことにとびきりイケメンの有名人なのに、駅でも車内でも誰も彼の存在に気付く様子はない。さっきまでサングラスで顔を隠していただろうか。
いや、違う。真澄は目を引く華やかな美男子だけど、意図的に自分の存在感を消すのが昔から上手かった。
「悠翔、仕事は楽しいかい?」
「まあな。大きなイベントが盛況に終わると達成感はあるぜ」
「へえ、そう」
また気のない返事、そして沈黙。
相変わらずマイペースな男だ。ならばこっちもとことんマイペースに振舞うまでだ。
悠翔は駅で買ったサンドイッチの包みを開いた。スモークサーモンとアボカドとタルタルソースのサンドイッチに噛り付く。
評判通り、何処を食べても具が入っていて、美味しい。自然と笑みが零れる。断面が美しくても、中身がスカスカのサンドイッチは興ざめだ。
「美味しそうだね、一口頂戴」
真澄が身を乗り出してきた。悠翔は大袈裟に身を引く。
「嫌だ。腹が減ってるなら、車内販売でも捕まえろよ」
「それが食べたいの。それに、あさまは車内販売ないし」
「じゃあ次の駅で降りて東京駅に戻ればどうだ?」
「集合時間に遅刻しちゃうでしょう。いいから、一口頂戴よ」
ギターを掻き鳴らす指の長い大きな手が伸びきた。手首を掴まれて引っ張られ、サンドイッチを齧られた。
遠慮のない一口。つい、舌打ちが漏れる。
「うん、美味しい」
「勝手に食うな」
「いいじゃないか、僕と君の仲でしょう」
相変わらずのフリーダムっぷりだ。溜め息を吐き、無残に齧られたサンドイッチの残りを黙々と食べる。
「ねえ、悠翔。今、彼女いる?」
どういうつもりだ。
悠翔は問い質したくなるのを堪え、無感情な顔と声を装って正直に答える。
「いない」
さっきと同じように「ふうん」とか「へえ」という適当な相槌が返ってくるのかと思いきや、操は喜色満面で口を開いた。
「可哀相だねえ。僕は今、彼女が三人でセフレが四人いるよ。なんなら一人紹介してあげようか? あ、でも僕の今の恋人達は全員モデルばりの長身だからねえ。悠翔のチビが目立つからやめといた方がいいかも」
生き生きと笑う真澄に苛立ちを覚える反面、心のどこかでホッとした。
「男を身長で選ぶ女なんざこっちからお断りだ。男は器がでかけりゃそれで良いんだよ」
「負け惜しみだね。君だって面食いなくせに」
「お前ほどじゃねえよ」
「やっぱり恋人選びには身長や体格も大事だよ。君は確かに男気があって頼れる兄貴な性格だよ。でも、君に抱きしめられても安心感なさそう」
「うるせえ、余計なお世話だ」
「それにあれのデカさも重要だよ。テクニックも必要だけど、やっぱり太くて大きい方が女の子は喜ぶでしょう」
平然と下ネタを飛ばす真澄に、悠翔は呆れた面持ちを浮かべる。
「品がねぇ奴だな、電車ん中でそんなこと大声で口にするなよ」
「僕の声はよく通る良い声なんだ」
「自分で言うなよ。相変わらず自信過剰な男だぜ」
「正しい自己分析さ」
「はっ、勝手に言ってろ」
「悠翔はさ、態度は大きい癖に、自己評価が過小なところあるよね。自分に厳し過ぎない?」
「お前が緩すぎるだけだ」
すっかり昔に戻ったように他愛ない言い合いを繰り返す。おかげで一時間四十分の道行はあっという間に過ぎた。気付けば窓の外には見慣れない景色が広がっている。
長野駅到着のアナウンスで二人は新幹線を降りた。そこからローカル線に乗り換える。目的の音無村駅へのローカル線の本数は一時間に三本ほどと、田舎にしては良心的だ。
乗り継ぎにそれほど困ることなく、十五分ほどホームで待つだけで済んだ。到着した二両しかない電車に乗り込む。
ここから音無村駅までは三十分ほどかかる。集合時間ギリギリの到着だ。
飲食のチェーン店や大きなホテルが立ち並び、大きな道路が見える都会的な長野駅を離れるにつれて、窓の外は寂しい景色に変わっていった。
ひたすら続く田園、険しい棚田、森。目まぐるしく変わる景色は等しく寂寞としていて、どこか不安を掻き立てられる。
忙しない時間の檻を抜けだしてゆったりと走る電車に揺られているうちに気が抜けてきて、見知らぬ閑散とした景色への不安は和らいだ。
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