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15 【ネロ視点】強くなりすぎた俺の愛は、か弱き君には猛毒でしかなかった
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エルマがいなくなった巣は、死んだように静まり返っていた。
ガランとした洞窟。
天井の月光石は変わらず青白く輝き、床には山積みの財宝が煌めいている。
けれど、それらに何の意味があるというのだろう。
この宝石を見て「綺麗だ」と笑う彼女は、もういない。
俺の鱗を「すごい」と撫でてくれる、あの温かい手も、もうここにはないのだ。
「……寒いな」
俺は人の姿を解き、本来の巨竜の姿に戻って、彼女と愛し合った毛皮の上に体を丸めた。
竜王である俺が寒さを感じるはずがない。
だというのに、体の芯が凍りついたように震えている。
鼻を寄せると、毛皮からはまだ微かに、彼女の甘い匂いがした。
日向のような、ミルクのような、愛しい「人の子」の匂い。
それを胸いっぱいに吸い込むと、堪えていた激情が喉の奥から込み上げてくる。
『……すまない、エルマ。愛していたんだ』
誰もいない虚空に向かって、俺は低く唸った。
俺の人生は、いつだってこの「力」に呪われていた。
◆
俺は、生まれながらにして異端だった。
黒竜(ブラックドラゴン)。
竜族の中でも稀に生まれるその変異種は、他の竜とは桁違いの魔力と、凶暴な破壊衝動を持って産み落とされる。
親兄弟すら、幼い俺を恐れて殺そうとした。
俺は生きるために戦い、殺し、そして傷つき――十年前、下界の森へと墜落した。
そこで出会ったのが、エルマだった。
『うわぁ、真っ黒! 大きなトカゲさんね』
当時、まだ少女だった彼女は、血まみれの俺を見ても悲鳴を上げなかった。
それどころか、俺を「トカゲ」呼ばわりして、無防備に近づいてきたのだ。
俺が少し牙を見せれば、人間など恐怖で失禁するはずなのに。
『痛かったわね。待ってて、今お薬塗ってあげる』
彼女の小さな手が、俺の硬い鱗に触れた。
その温かさを、俺は一生忘れないだろう。
魔力を帯びていない、ただの弱い人間の手。簡単に噛み砕ける細い指。
けれど、その手当てはどんな高等魔法よりも優しく、孤独だった俺の心を溶かした。
俺はこの少女の「番(つがい)」になりたいと思った。
初めて、殺し合い以外の温もりを知ったからだ。
だが、その願いはすぐに絶たれた。
竜族の追手が現れ、傷の癒えた俺を無理やり連れ戻したのだ。
俺は必死に抵抗したが、当時の俺はまだ若く、力が足りなかった。
『離せ! 俺はあいつの元へ帰るんだ!』
『諦めろ、忌み子よ。人間と竜が添い遂げられるわけがない』
長老たちは俺を嘲笑い、アードラ山脈の深淵へと幽閉した。
そこからの十年間、俺が何を支えに生きてきたか。
それはただ一つ、「エルマに相応しい男になる」ことだった。
人間と竜の間には、種族という壁がある。
今のままでは、彼女を迎えに行ってもまた引き裂かれる。
ならば、誰にも文句を言わせない「頂点」に立てばいい。
この山脈の全てを支配し、誰にも邪魔されない最強の王になれば、彼女を永遠に俺の腕の中に閉じ込めておける。
俺は狂ったように戦った。
自分を蔑んだ同族を食い殺し、魔力を貪り、長老たちを焼き尽くし、絶対的な「竜王」の座をもぎ取った。
美しい宝石を集めたのも、立派な巣を作ったのも、全てはエルマのためだ。
彼女が喜ぶ顔が見たかった。
彼女を最高に幸せな花嫁にしたかった。
そうして手に入れた力で、俺はついに彼女を迎えに行ったのだ。
◆
再会した彼女は、昔と変わらず好奇心旺盛で、そして愛らしかった。
俺が竜王だと知っても動じず、それどころか俺の体を隅々まで愛してくれた。
俺は有頂天だった。
十年越しの夢が叶ったのだ。
これからは毎日彼女を抱き、愛を注ぎ、たくさんの子供を作って、幸せに暮らすのだと疑わなかった。
だが――現実は、あまりにも残酷だった。
『ガハッ……っ』
昨夜、俺の腕の中で血を吐いた彼女の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
俺が強くなりすぎたせいだ。
彼女を守るために、彼女を迎えに行くために、血反吐を吐く思いで鍛え上げたこの強大な魔力が、皮肉にも彼女を殺す猛毒になってしまった。
俺の体液は濃すぎた。
俺の楔は大きすぎた。
俺の愛は、人間の器には重すぎた。
『子供を作るの。……私の命と引き換えにしても』
あんなことを言わせてしまった。
愛する女に、「死ぬ覚悟」をさせてしまった。
俺は彼女を幸せにするために王になったはずなのに、結果として彼女を死刑台に送ろうとしていたのだ。
なんて滑稽で、惨めな竜王だろうか。
『……うぅ……ッ』
俺は彼女のいない寒さに耐えきれず、自分の尻尾を抱きしめるようにして蹲った。
朝、彼女を人里へ送った時の、あの眠り姫のように安らかな寝顔。
手元にありったけの財宝を置いてきた。
あれがあれば、人間社会で彼女は女王のように暮らせるはずだ。
人間の、優しくて体の弱い男と結婚して、俺のことなど忘れて、穏やかに老いていくのだろう。
それが彼女にとっての「正解」だ。
分かっている。
分かっているが――心が引き裂かれそうだ。
「エルマ……会いたい……」
一秒でも長く、彼女の側にいたかった。
触れたかった。
名前を呼んでほしかった。
俺が求めたのは「最強の力」なんかじゃない。ただ、彼女と日向ぼっこができる、穏やかな日々だけだったのに。
……もう、起きている意味はない。
彼女のいない世界など、色を失った灰色の荒野と同じだ。
俺はこのまま、深い眠りにつこうと思う。
竜の冬眠は長い。数年、数十年、あるいは数百年。
次に目が覚める頃には、彼女の寿命は尽き、この想いも風化しているだろうか。
『愛している、エルマ』
俺は最後に、彼女が愛用していた毛皮に鼻先を埋めた。
肺いっぱいに彼女の残り香を吸い込む。
それが俺にとっての、最後の子守唄だった。
瞼が重くなる。
意識が深い闇へと沈んでいく。
どうか、彼女が幸せでありますように。
たとえその隣に、俺がいなくとも。
最強の、そして最弱の竜王は、涙を一筋流して、永い孤独な眠りへと落ちていった。
ガランとした洞窟。
天井の月光石は変わらず青白く輝き、床には山積みの財宝が煌めいている。
けれど、それらに何の意味があるというのだろう。
この宝石を見て「綺麗だ」と笑う彼女は、もういない。
俺の鱗を「すごい」と撫でてくれる、あの温かい手も、もうここにはないのだ。
「……寒いな」
俺は人の姿を解き、本来の巨竜の姿に戻って、彼女と愛し合った毛皮の上に体を丸めた。
竜王である俺が寒さを感じるはずがない。
だというのに、体の芯が凍りついたように震えている。
鼻を寄せると、毛皮からはまだ微かに、彼女の甘い匂いがした。
日向のような、ミルクのような、愛しい「人の子」の匂い。
それを胸いっぱいに吸い込むと、堪えていた激情が喉の奥から込み上げてくる。
『……すまない、エルマ。愛していたんだ』
誰もいない虚空に向かって、俺は低く唸った。
俺の人生は、いつだってこの「力」に呪われていた。
◆
俺は、生まれながらにして異端だった。
黒竜(ブラックドラゴン)。
竜族の中でも稀に生まれるその変異種は、他の竜とは桁違いの魔力と、凶暴な破壊衝動を持って産み落とされる。
親兄弟すら、幼い俺を恐れて殺そうとした。
俺は生きるために戦い、殺し、そして傷つき――十年前、下界の森へと墜落した。
そこで出会ったのが、エルマだった。
『うわぁ、真っ黒! 大きなトカゲさんね』
当時、まだ少女だった彼女は、血まみれの俺を見ても悲鳴を上げなかった。
それどころか、俺を「トカゲ」呼ばわりして、無防備に近づいてきたのだ。
俺が少し牙を見せれば、人間など恐怖で失禁するはずなのに。
『痛かったわね。待ってて、今お薬塗ってあげる』
彼女の小さな手が、俺の硬い鱗に触れた。
その温かさを、俺は一生忘れないだろう。
魔力を帯びていない、ただの弱い人間の手。簡単に噛み砕ける細い指。
けれど、その手当てはどんな高等魔法よりも優しく、孤独だった俺の心を溶かした。
俺はこの少女の「番(つがい)」になりたいと思った。
初めて、殺し合い以外の温もりを知ったからだ。
だが、その願いはすぐに絶たれた。
竜族の追手が現れ、傷の癒えた俺を無理やり連れ戻したのだ。
俺は必死に抵抗したが、当時の俺はまだ若く、力が足りなかった。
『離せ! 俺はあいつの元へ帰るんだ!』
『諦めろ、忌み子よ。人間と竜が添い遂げられるわけがない』
長老たちは俺を嘲笑い、アードラ山脈の深淵へと幽閉した。
そこからの十年間、俺が何を支えに生きてきたか。
それはただ一つ、「エルマに相応しい男になる」ことだった。
人間と竜の間には、種族という壁がある。
今のままでは、彼女を迎えに行ってもまた引き裂かれる。
ならば、誰にも文句を言わせない「頂点」に立てばいい。
この山脈の全てを支配し、誰にも邪魔されない最強の王になれば、彼女を永遠に俺の腕の中に閉じ込めておける。
俺は狂ったように戦った。
自分を蔑んだ同族を食い殺し、魔力を貪り、長老たちを焼き尽くし、絶対的な「竜王」の座をもぎ取った。
美しい宝石を集めたのも、立派な巣を作ったのも、全てはエルマのためだ。
彼女が喜ぶ顔が見たかった。
彼女を最高に幸せな花嫁にしたかった。
そうして手に入れた力で、俺はついに彼女を迎えに行ったのだ。
◆
再会した彼女は、昔と変わらず好奇心旺盛で、そして愛らしかった。
俺が竜王だと知っても動じず、それどころか俺の体を隅々まで愛してくれた。
俺は有頂天だった。
十年越しの夢が叶ったのだ。
これからは毎日彼女を抱き、愛を注ぎ、たくさんの子供を作って、幸せに暮らすのだと疑わなかった。
だが――現実は、あまりにも残酷だった。
『ガハッ……っ』
昨夜、俺の腕の中で血を吐いた彼女の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
俺が強くなりすぎたせいだ。
彼女を守るために、彼女を迎えに行くために、血反吐を吐く思いで鍛え上げたこの強大な魔力が、皮肉にも彼女を殺す猛毒になってしまった。
俺の体液は濃すぎた。
俺の楔は大きすぎた。
俺の愛は、人間の器には重すぎた。
『子供を作るの。……私の命と引き換えにしても』
あんなことを言わせてしまった。
愛する女に、「死ぬ覚悟」をさせてしまった。
俺は彼女を幸せにするために王になったはずなのに、結果として彼女を死刑台に送ろうとしていたのだ。
なんて滑稽で、惨めな竜王だろうか。
『……うぅ……ッ』
俺は彼女のいない寒さに耐えきれず、自分の尻尾を抱きしめるようにして蹲った。
朝、彼女を人里へ送った時の、あの眠り姫のように安らかな寝顔。
手元にありったけの財宝を置いてきた。
あれがあれば、人間社会で彼女は女王のように暮らせるはずだ。
人間の、優しくて体の弱い男と結婚して、俺のことなど忘れて、穏やかに老いていくのだろう。
それが彼女にとっての「正解」だ。
分かっている。
分かっているが――心が引き裂かれそうだ。
「エルマ……会いたい……」
一秒でも長く、彼女の側にいたかった。
触れたかった。
名前を呼んでほしかった。
俺が求めたのは「最強の力」なんかじゃない。ただ、彼女と日向ぼっこができる、穏やかな日々だけだったのに。
……もう、起きている意味はない。
彼女のいない世界など、色を失った灰色の荒野と同じだ。
俺はこのまま、深い眠りにつこうと思う。
竜の冬眠は長い。数年、数十年、あるいは数百年。
次に目が覚める頃には、彼女の寿命は尽き、この想いも風化しているだろうか。
『愛している、エルマ』
俺は最後に、彼女が愛用していた毛皮に鼻先を埋めた。
肺いっぱいに彼女の残り香を吸い込む。
それが俺にとっての、最後の子守唄だった。
瞼が重くなる。
意識が深い闇へと沈んでいく。
どうか、彼女が幸せでありますように。
たとえその隣に、俺がいなくとも。
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