妹に婚約者を奪われたので、怪物と噂の「冷徹公爵」に嫁ぎます。~どうやら彼は不器用なだけだったようで、今さら実家に戻れと言われても困ります~

みやび

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【第1章】 捨てられ令嬢と氷の公爵

第14話 甘すぎる朝と、久遠の指輪

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 翌朝。
 私は、全身を包み込む重みと温かさで目を覚ました。

「……ん」

 重い瞼を持ち上げると、視界いっぱいに広がったのは、白い肌と逞しい胸板だった。
 状況を理解するのに、数秒かかる。
 昨晩、ジークハルト様と想いを通わせ、そのまま彼のベッドで眠ってしまったのだった。

(ゆ、夢じゃなかった……)

 カッと顔が熱くなるのを感じながら、そっと視線を上げる。
 すると、そこには既に目を覚まし、頬杖をついて私を見つめているジークハルト様の顔があった。
 朝日を背に受けたその姿は、彫刻のように美しい。けれど、そのサファイア色の瞳は、昨日のような鋭さはなく、とろけるように甘く細められていた。

「……おはよう、エリス。よく眠れたか?」
「お、おはようございます、ジークハルト様! あ、あの、私、いつまで寝て……」
「まだ起きなくていい」

 私が上半身を起こそうとすると、彼の腕が私の腰に回り、再びベッドへと引き戻された。
 ふかふかの枕に頭が沈み、すぐに彼が覆いかぶさるような体勢になる。

「じ、ジークハルト様……?」
「もうしばらく、こうしていさせてくれ。……お前が腕の中にいる感覚を、確かめていたいのだ」

 彼はそうつぶやくと、私の首筋に顔を埋めた。
 彼の銀髪が頬をくすぐり、熱い吐息が肌にかかる。
 以前の彼なら、こんな距離に近づけば私が凍えてしまうと懸念して、すぐに離れただろう。けれど今は違う。
 私という「中和剤」のおかげで、彼の魔力は驚くほど安定していた。むしろ、彼が触れている部分はポカポカと温かく、極上の毛布に包まれているようだ。

「……夢のようだ。朝起きて、隣にお前がいることが」
「私もです。……今までの人生で、こんなに幸せな朝はありませんでした」

 私が正直に伝えると、彼は嬉しそうに喉を鳴らし、私の額に優しく口づけを落とした。
 ちゅ、と甘い音が静寂な寝室に響く。

「今日は仕事は休みだ。一日中、私のそばにいろ」
「えっ、でも! まだ在庫リストの確認が……」
「ハンスにやらせろ。……お前は今日、私に愛されるのが仕事だ」

 有無を言わせぬ言葉。けれど、その声色はどこまでも優しくて。
 私は抗う気力を失い、幸せなため息をついて彼の背中に腕を回した。
 氷の公爵様は、どうやら一度箍(たが)が外れると、とことん甘えん坊になるらしい。それは私にとって、嬉しすぎる誤算だった。

 ◇

 遅めの朝食をとるために、二人で食堂へ向かった。
 廊下を歩く間も、ジークハルト様は私の腰を抱き寄せ、片時も離そうとしない。
 すれ違う使用人たちが、ギョッとした顔をして、それからニマニマと温かい笑みを浮かべて頭を下げる。

「おはようございます、旦那様、奥様。……本日はまた一段と、お熱いようで」
「うるさいぞ、ハンス」
「おや、失礼いたしました。ですが、屋敷の温度も上がっているようで何よりです」

 ハンスの言う通りだった。
 屋敷の中は、暖炉を焚いていないのに春のように暖かい。
 ジークハルト様の精神状態が安定したことで、無意識に放出されていた冷気が消え、代わりに穏やかな魔力が屋敷全体を満たしているのだ。
 廊下の花瓶に飾られた花々も、心なしか昨日より生き生きとして見える。

 食堂に着くと、テーブルには湯気の立つオムレツと、焼きたてのパン、そしてたっぷりのフルーツが並べられていた。

「さあ、座ってくれ」

 ジークハルト様が私の椅子を引き、エスコートしてくれる。
 食事中も、彼は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
 私がパンに手を伸ばそうとすれば、先にバターを塗って渡してくれたり、果物を一口サイズに切ってくれたり。
 実家では「召使」のように扱われていた私が、ここでは「お姫様」以上の扱いを受けている。

「……あの、ジークハルト様。そんなにしていただかなくても、自分で食べられます」
「私がしたいんだ。……今まで何もしてやれなかった分も、甘やかさせてくれ」

 彼は真剣な顔でそう言って、私の口元についたソースを親指で拭った。
 その仕草があまりに自然で、色っぽくて、私は茹で蛸のように赤くなって俯くしかなかった。

 食事が終わると、彼は「少し、部屋に来てくれ」と言って、私を書斎ではなく、さらに奥にある「宝物庫」のような部屋へと案内した。

「ここは……?」
「代々の当主が収集した魔道具や装飾品を保管している部屋だ。……エリス、そこに座りなさい」

 促されてソファに座ると、彼は部屋の奥から、重厚なベルベットの小箱を持ってきた。
 そして、私の前で片膝をつき、その箱をパカリと開いた。

「わぁ……っ」

 中に入っていたのは、見たこともないほど美しい指輪だった。
 中央には、彼の瞳と同じ色をした大粒のサファイア。その周りを、細やかな細工が施されたプラチナと、小さなダイヤモンドが取り囲んでいる。
 ただ豪華なだけではない。その指輪からは、静かで清らかな魔力が溢れ出しているのが、私には分かった。

「これは、我が家に伝わる『久遠(くおん)の指輪』だ」

 ジークハルト様が静かに説明する。

「初代当主が、最愛の妻のために作ったものだとされている。強力な守護魔法が込められていてな。身につけた者を、あらゆる災厄や病から守ると言われている」
「そんな、国宝級のもの……私には恐れ多いです」
「いいや。これをつける資格があるのは、世界でお前だけだ」

 彼は私の左手を取り、薬指にその指輪を滑り込ませた。
 サイズは驚くほどぴったりだった。
 指輪が根元まで収まった瞬間、ふわっと温かい光が私の全身を包み込んだ。まるで、彼に見えない腕で抱きしめられているような安心感。

「お前との結婚は、最初は契約だった。私の都合で、お前を縛り付けた」

 彼は私の手の甲に口づけを落とし、熱っぽい瞳で見上げてきた。

「だが、今は違う。……この指輪は、誓いだ。私が生涯をかけてお前を愛し、守り抜くという証だ。エリス、受け取ってくれるか?」

 涙で視界が滲んだ。
 実家を出た時、私は全てを捨てたつもりだった。
 家族も、故郷も、幸せな結婚への憧れも。
 ボロボロの万年筆一本だけを持って、死ぬ場所を探しに来たはずだった。

 それなのに。
 今、私の指には、世界で一番美しい指輪と、世界で一番強い人の愛が輝いている。

「……はい。喜んで、お受けします」

 私が答えると、彼は心底安堵したように破顔し、立ち上がって私を強く抱きしめた。

「ありがとう、エリス。……愛している」
「私もです、あなた」

 私たちは長い間、そうして抱き合っていた。
 窓の外では、雪解けの水がポタポタと音を立てて落ちていく。
 長く厳しかった冬が終わり、この北の地にも、そして私たちの心にも、本当の春が訪れようとしていた。

 ――この時の私たちは、まだ知らなかった。
 この幸せな時間に水を差すように、王都から「招かれざる知らせ」が近づいていることを。
 そしてそれが、私たちが夫婦として立ち向かう、最初の「戦場」への招待状であることを。
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