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第二回公演
11、チルチルチルチルアウトタイム
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残っているチューハイを手に、詩麻呂は劇場外へと向かった。
持ち物はカーゴパンツのポケットに突っ込んだ財布と携帯電話だけ。
場内に置きっぱなしにした鞄が危険だったが、アルコールが入った頭ではそんなこと考える余裕もなかった。
「外出?」
「あい」
とろりとした表情で窓口にいた従業員に詩麻呂が返事をし、そのまま出て行こうとすると、
「おい、ちょっと待ってろっ。今、外出券渡すからっ」
慌てて紙片に時間を記入し、窓口越しに渡してきた。
「無くさないようになっ。転ぶなよっ」
「うん」
心配げな従業員に見送られながら詩麻呂が町へ出る。
土産物屋はすでに閉まり、町は閑散としていた。
あてもなく歩いていると、安い手作り弁当屋の前に随分不釣り合いな若い女性がいた。
部屋着のような簡単な格好にダウンを羽織っただけの姿。
その横顔には見覚えがあった。
「あ」
詩麻呂が発した声に女性が振り向く。
「あれー?おねえさんあれー?久しぶりー」
どこで逢ったかわからないが、見たことのある顔に話しかけると、
「あれ?あんた…、うちのお客?」
女性は踊り子さんだった。しかも見破られそうになった踊り子さんだ。だがアルコールがそのことをすっかり忘れさせていた。
「ごはん買うのー?ぼくもごはんー」
ご機嫌な声で詩麻呂が近づいていき、
「あんたいくつ?声変わりもまだなんじゃないの?未成年に酒飲ましたのバレたら」
「おねーさん、さむーい」
「ちょっと!」
無邪気に踊り子に抱きつく。ばふばふしたダウンからはあまり好きではない香水の匂いが漂い、
「んーっ」
匂いよりも柔らかさを求めて頬を擦り寄せると、
「あんた…」
「んー?」
「女?」
踊り子さんのその一言に、詩麻呂の、詩帆の心臓がどくんと大きく跳ねた。
やばい、どうしよう。バレた。なんで。どうしよう。誤魔化せ。どうやって。考えろ。あ、なんか吐きそう。やばい、心臓痛い。どうしよう。破裂しそう。やばい、死ぬのかな。
様々な声が内から聞こえ、鼓動が早くなる。
「う、ぐ」
詩帆が胸を抑え、身体を折りながら荒い息を繰り返す。
「ちょっとあんた、大丈夫っ?」
少年だか少女だかの変化に、踊り子さんが背中を擦ると、
「この件は、どうかご内密に」
詩帆は芝居がかった言い回しでそう言った。
「自分、大学で、演劇をしているのですが、何か、ヒントになればと思って、やってきたんですが」
まだ適当な嘘をつける余裕はあった。その余裕を実感し、詩帆は自分の中の声に大丈夫だと言い聞かせる。
「女、一人だと、アレかと思いまして、このような、姿で、潜入して」
「そう、なんだ」
暇な大学生の途切れ途切れな嘘を踊り子さんはあっさり信じた。拍子抜けすると同時に詩帆は強気に出た。
「おねーさん、ご飯食べいこうよ。おごるからさ。一人で食べんのつまんないし、口止め料ってことでさ」
「えっ!?あー…、うん」
「ココら辺美味しいとこある?」
詩帆は砕けた口調でそう言いながら踊り子さんの手を引く。
年下の大学生の女の子に奢ってもらう。詩帆が同じ立場なら躊躇うが、踊り子さんは承諾した。
弁当の値段と着ていたダウンの使い古され感、髪のトリートメント具合、付けているのが随分前に流行った香水という点から詩帆は踊り子さんの財布事情を慮る。
二人は弁当屋の内容とさほど変わらないチェーンのご飯屋へ向かった。
詩帆が食券販売機に千円札を適当に入れ、380円のホワイトシチュー丼とやらを選ぶ。
踊り子さんは480円の生姜焼き定食を頼んだ。出てきた小銭を詩帆はいかにも若い男の子がするようにポケットに突っ込んだ。
「うわ」
出てきたシチュー丼は鉛筆の削りカスの味がした。おまけに上手に炊かれたご飯と牛乳たっぷりのホワイトシチューの組み合わせは果てしなく甘い。途端に詩帆は隣の生姜焼き定食が羨ましくなり、
「おにくちょっとちょうだい」
甘えた声で詩帆が言うと、踊り子さんは手のひらを添えつつ箸で摘んだ肉を一切れくれた。
「んんー」
それを詩帆がぐっちぐっちと咀嚼する。肉が固い。量全体も千切りキャベツで誤魔化している。玉ねぎをたっぷり使った遥心特製生姜焼きとは違った。
「はい、あーん」
お返しに詩帆はスプーンに乗せたシチュー丼を一口あげた。
踊り子さんが飲み込んだのを確認し、まずかろう、と耳元で言ってやった。それに対し、
「まずい。知ってる」
と、踊り子さんが返した。
二人が楽しそうに笑う。
店員は姉弟みたいな二人が何をそんなに楽しそうに笑っているのかわからない。
「おねーさん、よくあの劇場上るの?」
シチュー丼をかき混ぜながら詩帆が訊く。
「んー、まあまあかな」
ストリップの公演は大体10日間で踊り子さんが入れ替わる。
定期的に10日間もいるなら近所のご飯屋さんの味など知り尽くしているはずだ。
詩帆はこんな店でこんな料理を奢ったことを途端に申し訳なくなる。
「ごめん。ちょっと時間ないからあたし先行くけど」
先に食べ終わった踊り子さんはそう言うとすぐに立ち上がる。
お弁当を買おうとしていたということは、何か楽屋でする作業でもあったのかもしれない。
ダンスの振り付けの確認か、商売道具の手入れか。
山盛りキャベツと具のない味噌汁まできちんと平らげ、踊り子さんは店を出て行った。
それからしばらくして、詩帆は猫舌だからと時間をかけて食べていたシチュー丼を半分以上残したまま席を立った。
そしてそのまま近くの100円ショップへ向かい、チューハイを買って店の外でぐびりと煽った。
素面では戻れなかった。
持ち物はカーゴパンツのポケットに突っ込んだ財布と携帯電話だけ。
場内に置きっぱなしにした鞄が危険だったが、アルコールが入った頭ではそんなこと考える余裕もなかった。
「外出?」
「あい」
とろりとした表情で窓口にいた従業員に詩麻呂が返事をし、そのまま出て行こうとすると、
「おい、ちょっと待ってろっ。今、外出券渡すからっ」
慌てて紙片に時間を記入し、窓口越しに渡してきた。
「無くさないようになっ。転ぶなよっ」
「うん」
心配げな従業員に見送られながら詩麻呂が町へ出る。
土産物屋はすでに閉まり、町は閑散としていた。
あてもなく歩いていると、安い手作り弁当屋の前に随分不釣り合いな若い女性がいた。
部屋着のような簡単な格好にダウンを羽織っただけの姿。
その横顔には見覚えがあった。
「あ」
詩麻呂が発した声に女性が振り向く。
「あれー?おねえさんあれー?久しぶりー」
どこで逢ったかわからないが、見たことのある顔に話しかけると、
「あれ?あんた…、うちのお客?」
女性は踊り子さんだった。しかも見破られそうになった踊り子さんだ。だがアルコールがそのことをすっかり忘れさせていた。
「ごはん買うのー?ぼくもごはんー」
ご機嫌な声で詩麻呂が近づいていき、
「あんたいくつ?声変わりもまだなんじゃないの?未成年に酒飲ましたのバレたら」
「おねーさん、さむーい」
「ちょっと!」
無邪気に踊り子に抱きつく。ばふばふしたダウンからはあまり好きではない香水の匂いが漂い、
「んーっ」
匂いよりも柔らかさを求めて頬を擦り寄せると、
「あんた…」
「んー?」
「女?」
踊り子さんのその一言に、詩麻呂の、詩帆の心臓がどくんと大きく跳ねた。
やばい、どうしよう。バレた。なんで。どうしよう。誤魔化せ。どうやって。考えろ。あ、なんか吐きそう。やばい、心臓痛い。どうしよう。破裂しそう。やばい、死ぬのかな。
様々な声が内から聞こえ、鼓動が早くなる。
「う、ぐ」
詩帆が胸を抑え、身体を折りながら荒い息を繰り返す。
「ちょっとあんた、大丈夫っ?」
少年だか少女だかの変化に、踊り子さんが背中を擦ると、
「この件は、どうかご内密に」
詩帆は芝居がかった言い回しでそう言った。
「自分、大学で、演劇をしているのですが、何か、ヒントになればと思って、やってきたんですが」
まだ適当な嘘をつける余裕はあった。その余裕を実感し、詩帆は自分の中の声に大丈夫だと言い聞かせる。
「女、一人だと、アレかと思いまして、このような、姿で、潜入して」
「そう、なんだ」
暇な大学生の途切れ途切れな嘘を踊り子さんはあっさり信じた。拍子抜けすると同時に詩帆は強気に出た。
「おねーさん、ご飯食べいこうよ。おごるからさ。一人で食べんのつまんないし、口止め料ってことでさ」
「えっ!?あー…、うん」
「ココら辺美味しいとこある?」
詩帆は砕けた口調でそう言いながら踊り子さんの手を引く。
年下の大学生の女の子に奢ってもらう。詩帆が同じ立場なら躊躇うが、踊り子さんは承諾した。
弁当の値段と着ていたダウンの使い古され感、髪のトリートメント具合、付けているのが随分前に流行った香水という点から詩帆は踊り子さんの財布事情を慮る。
二人は弁当屋の内容とさほど変わらないチェーンのご飯屋へ向かった。
詩帆が食券販売機に千円札を適当に入れ、380円のホワイトシチュー丼とやらを選ぶ。
踊り子さんは480円の生姜焼き定食を頼んだ。出てきた小銭を詩帆はいかにも若い男の子がするようにポケットに突っ込んだ。
「うわ」
出てきたシチュー丼は鉛筆の削りカスの味がした。おまけに上手に炊かれたご飯と牛乳たっぷりのホワイトシチューの組み合わせは果てしなく甘い。途端に詩帆は隣の生姜焼き定食が羨ましくなり、
「おにくちょっとちょうだい」
甘えた声で詩帆が言うと、踊り子さんは手のひらを添えつつ箸で摘んだ肉を一切れくれた。
「んんー」
それを詩帆がぐっちぐっちと咀嚼する。肉が固い。量全体も千切りキャベツで誤魔化している。玉ねぎをたっぷり使った遥心特製生姜焼きとは違った。
「はい、あーん」
お返しに詩帆はスプーンに乗せたシチュー丼を一口あげた。
踊り子さんが飲み込んだのを確認し、まずかろう、と耳元で言ってやった。それに対し、
「まずい。知ってる」
と、踊り子さんが返した。
二人が楽しそうに笑う。
店員は姉弟みたいな二人が何をそんなに楽しそうに笑っているのかわからない。
「おねーさん、よくあの劇場上るの?」
シチュー丼をかき混ぜながら詩帆が訊く。
「んー、まあまあかな」
ストリップの公演は大体10日間で踊り子さんが入れ替わる。
定期的に10日間もいるなら近所のご飯屋さんの味など知り尽くしているはずだ。
詩帆はこんな店でこんな料理を奢ったことを途端に申し訳なくなる。
「ごめん。ちょっと時間ないからあたし先行くけど」
先に食べ終わった踊り子さんはそう言うとすぐに立ち上がる。
お弁当を買おうとしていたということは、何か楽屋でする作業でもあったのかもしれない。
ダンスの振り付けの確認か、商売道具の手入れか。
山盛りキャベツと具のない味噌汁まできちんと平らげ、踊り子さんは店を出て行った。
それからしばらくして、詩帆は猫舌だからと時間をかけて食べていたシチュー丼を半分以上残したまま席を立った。
そしてそのまま近くの100円ショップへ向かい、チューハイを買って店の外でぐびりと煽った。
素面では戻れなかった。
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