鳥籠の中の幸福

岩永みやび

文字の大きさ
8 / 33
鳥籠の中

8 幸せな味

しおりを挟む
 ジェイクが再び訪れたのは、砂糖を貰ったあの日から十日ほどが過ぎた頃であった。

 連日、窓の外をじっと眺めていたフィリは、久しぶり現れたジェイクを澄ました顔で迎え入れた。

「最近は忙しくてな」

 開口一番、言い訳めいた言葉を吐いたジェイクは、抱えていた紙袋をフィリに押し付けた。鼻腔をくすぐる甘い香りに、フィリは素早く中身を確認する。

「甘いパン!」
「好きだろう。それ」

 歓喜の声を上げるフィリに、ジェイクが笑った。フィリが甘いパンと呼ぶそれは、ジェイクがごく稀に持参してくる代物だった。普段の硬いパンとは違って柔らかい。おまけに砂糖がたっぷりまぶしてある贅沢な品だ。これは長持ちしないので、すぐにでも食べなければならない。そう判断したフィリは、テーブルにつくなり紙袋からパンを取り出そうとする。それを笑いながら制止したのは、ジェイクであった。

「先に夕食だろう?」

 火にかけてある鍋を横目に、そんなことを言う。

「これは夕食の後だ」

 動かないフィリから紙袋を取り上げて、ジェイクが皿を手にした。今日も色々適当に放り込んで煮たフィリお手製のスープだ。芋を多めに入れてみたので、腹にはたまる。ふたり分のスープをよそったジェイクは、「ほら。君も手伝ってくれ」とフィリを急かす。仕方がなく立ち上がったフィリは、飲み水を用意した。

 スープを食べる間も、フィリの視線は頻繁に紙袋へと注がれていた。それに気がついているジェイクは、噛み殺すように笑っている。

「あれは、銀貨と交換してもらうのですか」
「うん? あぁ、違うな。あれは売り物じゃない」
「売り物じゃ、ない」

 銀貨と物を交換できるということを、フィリは先日知った。甘いパンは銀貨何枚と交換なのか。気になって尋ねたフィリであるが、返ってきたのは予想外の言葉であった。

「知り合いに分けてもらったんだ。パンを作るのが得意らしくて。たまに貰う」
「こんな貴重な物を?」

 小さく震えるフィリに、ジェイクが「貴重?」と一瞬だけ訝しんだ。けれどもすぐに表情を戻すと、「そうだな」と取り繕うように笑った。パンに夢中なフィリは、ジェイクのそんな不審な動作に気が付かなかった。

「どういう知り合いですか」

 代わりに発せられた問いに、ジェイクは目を瞬いた。フィリがそういうことを訊くのは、ほとんど初めてだ。

「……同僚だ」
「同僚?」
「同じ場所で働いている人だ」

 わかりやすく言い直したジェイクに、フィリはなるほどと納得した。ということは騎士だろうと想像する。

「同僚の奥さんが」

 そこで言葉を切ったジェイクは、フィリのことを見据えた。断片的な情報を繋ぎ合わせて、このパンはその同僚の奥さんとやらが作ったのだろうと理解する。

 なぜか苦い顔をしたジェイクは、残っていたスープをかき込むようにして飲み干した。

「食べないのか?」

 フィリが食べ終わるのを待って、ジェイクがパンを示す。もちろん食べるに決まっている。いそいそとパンを取り出すフィリは、ジェイクをちらりと見遣った。その一瞬の視線に込められた意味を正確に察したジェイクは「全部食べていいぞ」と微笑む。期待していた答えに、フィリは目を輝かせた。

 紙袋に入っているパンはふたつ。普通に考えたらひとり一個だが、ジェイクはすべてをフィリに譲ってくれるという。パンを食べられないにもかかわらず、ジェイクはにこにこしている。それを少しだけ不思議に思ったものの、フィリはそれどころではない。

 早速ひとつ手に取って、頬張った。パンの周りにまぶされた砂糖が甘い。まさしく甘いパンだ。

「明日の朝までは保つんじゃないか? こっちは明日食べるといい」

 ジェイクの提案に、パンを頬張ったフィリはこくこく頷く。明日まで幸せが残っているというのは、いい提案だと思った。

 口の周りについた砂糖を舐め取って、フィリはジェイクを見る。

「食べないんですか」
「あぁ。私はいい。全部君にやろう」

 素敵な言葉は、何度聞いても嬉しくなる。
 ちょっぴり口角を上げるフィリに、ジェイクが我慢できないと言わんばかりに笑った。

「そんなに好きか。また貰えたら持ってきてやろう」
「お願いします」

 いまだに笑うジェイクは、手を伸ばしてフィリの頬を指で拭った。砂糖がついていたらしい。自然な動作で己の口に指を運んだジェイクは「甘いな」と当然のことを呟く。

「戦争は、いつ終わりますか」

 パンへの興奮がおさまった頃、フィリは言い放った。これまでの楽しそうな笑みを引っ込めたジェイクが「さあな」と素っ気なく応じた。

 ジェイクは戦争において、なにやら重要な立場にいるらしい。けれども戦争の終わりについては、いつも言葉を濁してしまう。終わりが見えていないのだろうと、フィリは理解した。生まれてからの十八年、ずっと戦争をしている。こんなに長く続いた戦争を終わらせるのは、簡単ではないだろう。もはや終わりなんてないのかもしれない。フィリが寿命を迎えるまで、ずっと続くのかもしれない。そうなれば、フィリは一生をこの狭い鳥籠で終えることになるのだろうか。

 甘いパンを食べながら、苦い現実を考える。
 途端にパンの味が落ちた気がした。勿体無いので、苦い現実は一旦忘れることにする。

「あの銀貨で、どれくらい甘い物が手に入りますか」
「うん?」

 先日ジェイクから渡された銀貨を思い浮かべたフィリに、ジェイクが苦笑した。

「なんだ。もっと甘い物を持って来いと?」

 その通りなので、フィリは素直に頷いた。

「金があってもな。物がなければ仕方がない」
「甘い物はあまりない?」
「そうだな」

 なるほど、とフィリは納得する。
 いくら金があっても、肝心の物が不足していたらどうにもならない。金も万能ではないと理解した。少し考えたら当然のことではあるのだが。しかしそう考えると、こんなにも贅沢な砂糖の使い方をする同僚の奥さんとやらは、とんでもない。フィリはいつも砂糖を慎重に扱う。こんな風に、パンにまぶすなど考えもしない。だって砂糖が無駄になる。フィリはひと粒だって砂糖を無駄にはしたくなかった。

 もしや同僚の奥さんとやらは、砂糖を大量に所持しているのだろうか。砂糖を作っているのだろうか。作った砂糖と交換で、生活に必要な物を賄っているのだろうか。家中甘い物で溢れた生活とは、どんなに幸福なのだろうか。甘い香りが家中に広がって、呼吸をする度に頬が緩んでしまいそうだ。

 フィリの頭の中で、どんどん想像が膨らんでいく。昼夜を問わず特に忙しくないフィリは、暇な時間ですっかり妄想する癖がついてしまった。頭の中は自由だ。フィリは妄想の中で、楽しい時間を過ごしている。

 ぼんやりするフィリを、ジェイクは何も言わずに見つめていた。フィリが妄想の世界に入り浸るのは、そんなに珍しいことでもない。ジェイク以外の人間と会話する機会が皆無なので、基本的にフィリは無口だ。その分、頭の中であれこれ饒舌に語っている。

 また何か面白いことを考えているな。
 ぼんやりするフィリに、ジェイクはそう思った。外の世界を知らない分、フィリの思考は自由だ。ジェイクには到底思いつかないようなことを考えていたりする。

 しばらく現実に戻ってこないだろうと判断したジェイクは、テーブルに散った砂糖を掃除する。下手にフィリに任せてしまうと、床に落ちた砂糖粒まで大事に保管してしまう恐れがあった。砂糖への執着は微笑ましいが、床に這いつくばらせるような真似はさせたくなかった。こっそり床やテーブルに散った砂糖を処分して、ジェイクはフィリを眺める。

 妄想に浸っていると思っていたフィリは、けれどもジェイクのことを半眼で捉えていた。

「なぜ捨てるんですか」
「見ていたのか」
「普通に見てました」

 自分はそこまで間抜けではないと、フィリは憤る。
 謝りもしないジェイクは、軽く肩をすくめるにとどまった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

氷の婚約者様に破談を申し出たら号泣された

楽矢
BL
目が覚めると、レースの牢獄のような天蓋付きベッドの上だった。 何も覚えていない出来損ない下級貴族ミラ。無能だクズだと冷酷な罵詈雑言を浴びせてくる氷の騎士セティアス。 記憶喪失から始まる、2人のファンタジー貴族ラブコメディ。 ---------- ※注) かっこいい攻はいません。 タイトル通りそのうち号泣しますのでご注意! 貴族描写は緩い目で雰囲気だけお読みいただけると幸いです。 ハッピーエンドです。 激重感情をこじらせた攻→受な関係がお好きな同志の方、どうぞよろしくお願いします! 全16話 完結済み/現在毎日更新予定 他サイトにも同作品を投稿しています。 様子を見ながらそのうち統合するかもしれません。 初めての一次創作でまだよく分かっておらず、何かおかしなことをしでかしていたら申し訳ないです!

拾われた後は

なか
BL
気づいたら森の中にいました。 そして拾われました。 僕と狼の人のこと。 ※完結しました その後の番外編をアップ中です

病み墜ちした騎士を救う方法

無月陸兎
BL
目が覚めたら、友人が作ったゲームの“ハズレ神子”になっていた。 死亡フラグを回避しようと動くも、思うようにいかず、最終的には原作ルートから離脱。 死んだことにして田舎でのんびりスローライフを送っていた俺のもとに、ある噂が届く。 どうやら、かつてのバディだった騎士の様子が、どうもおかしいとか……? ※欠損表現有。本編が始まるのは実質中盤頃です

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。

僕のユニークスキルはお菓子を出すことです

野鳥
BL
魔法のある世界で、異世界転生した主人公の唯一使えるユニークスキルがお菓子を出すことだった。 あれ?これって材料費なしでお菓子屋さん出来るのでは?? お菓子無双を夢見る主人公です。 ******** 小説は読み専なので、思い立った時にしか書けないです。 基本全ての小説は不定期に書いておりますので、ご了承くださいませー。 ショートショートじゃ終わらないので短編に切り替えます……こんなはずじゃ…( `ᾥ´ )クッ 本編完結しました〜

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される

秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました! 最終17位でした!応援ありがとうございます! あらすじ 魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。 ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。 死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――? 傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。

妖精です、囲われてます

うあゆ
BL
僕は妖精 森で気ままに暮らしていました。 ふと気づいたら人間に囲まれてました。 でもこの人間のそばはとても心地いいし、森に帰るタイミング見つからないなぁ、なんて思いながらダラダラ暮らしてます。 __________ 妖精の前だけはドロ甘の冷徹公爵×引きこもり妖精 なんやかんやお互い幸せに暮らします。

処理中です...