鳥籠の中の幸福

岩永みやび

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鳥籠の中

9 侵入者

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 ジェイクの来ない日が続いていた。とはいえ、彼が数日ほど姿を見せないのは普通である。十日ほど空けば少し遅いかなと思うくらい。今日がその十日目であった。

 暗くなった外を、フィリは椅子に座って眺めていた。そろそろ来るはずである。しかし来ない。仕事が忙しいのだろうか。ジェイクの仕事が忙しいということは、戦況が悪化しているということだろうか。ジェイクは、ここにいれば安全だと言う。今日の今日まで、フィリは誰にも見つかることなく平和に暮らしてきた。なのでジェイクの言い分に間違いはない。けれども、とフィリは最近考える。

 ここは一体どこなのだろうと。

 森の中であることはわかっている。問題はどこの森であり、なおかつ森のどこら辺なのかということだ。森の外に出てはいけないと、ジェイクから口を酸っぱくして言われている。ジェイクに捨てられると生きていけないフィリは、その教えを今日まで忠実に守ってきた。家の裏をずっと歩いて行くと、小さな川が流れている。そこから先には行ってはいけない。その先には危険な獣が出るのだから。

 ジェイクがいつもやって来るのは、フィリの家から見て川のある方角とは逆。つまり家の玄関側である。玄関を出てずっと歩いて行けば、街にたどり着く。フィリが実際に街へ足を運んだことはないのだが。

 ジェイクいわく、戦争のために若い男はほとんど強制的に戦場へ向かわされるという。本来であればフィリも対象となるのだろう。それを免れているのは、誰にも見つかることなく隠れて暮らしているからだ。フィリがここに存在していることを誰も知らないので、フィリが戦争に参加しなくても誰も文句を言わない。

 そういうことをジェイクから丁寧に説明されていたので、フィリは律儀に境界を守っていた。家の前には、大きな木が根を張っている。その大木が目印だ。そこから先には決して行かないとジェイクと約束していた。

 窓の外に広がる闇を眺めて、フィリは考えた。

 ジェイクがいつも夜に来るのは、仕事終わりにここへ寄るから。ということは、ジェイクの職場は割と近くにあるのではないか。おまけにジェイクは毎度歩いて来る。何度か馬に乗ってきたことはあるが、基本的には徒歩。やはり街はかなり近場にあるのではないだろうか。

 では、なぜジェイク以外の人間が来ないのか。街から仕事終わりに歩いて来られるような距離であれば、ジェイク以外の人間が立ち入ったとしても不思議ではない。なぜこの森に人が来ないのか。

 フィリは考える。考える間に、フィリの頭の中で思考がふわふわと飛び交う。

 もしかして、この世界にはフィリとジェイクしかいないのではないか。ついにはそんな滑稽なことを考える。しかし狭い鳥籠の中にいると、そんな想像もあながち間違いではないのかもしれないと思えてくる。

 だからフィリは、先日ジェイクに少しだけ突っ込んだ質問をしてみた。いつもの甘いパンである。あれを作っているのは誰かと。驚いたように固まったジェイクだが、すぐに答えてくれた。同僚の奥さんが作っていると言った。これで少なくとも、この世界はふたり以外にもジェイクの同僚とその奥さんが存在することが判明した。

 ではなぜ、誰もここを訪れないのか。色々可能性を考えてみるフィリだが、結局は戦争中だからということに落ち着いた。

 戦争のせいで、そもそも街には人が少ないのだろう。生活に余裕がなくて、いくら近所とはいえ森の中に入って来るほど暇ではないのかもしれない。おまけにここは何もない。特に果物はないし、獲物といえばたまに見かける兎くらいだ。もっと大きな獣もいるが、あれは捕まえるのが手間。下手をすれば自分がやられてしまう。そう考えると、草木しかない森にわざわざ足を踏み入れる理由はない気がする。

 森の中には、なにもない。森の外には、色々ある。色々ある場所に住んでいる人が、なにもない所へは来ないだろう。

 そう結論づけたフィリは、その後もぼんやりしながらジェイクを待った。しかし今日も彼は姿を現さなかった。

 翌日。
 いつもと変わらぬ時間を過ごしていたフィリは、風に揺れる洗濯物の前に立っていた。少し空が曇ってきた。取り込むべきか否かをじっと考えていたときである。

 ガサッと草を踏む音がした。

 反射的に顔をそちらへ向けた。いつもジェイクが通ってくる道からである。足音からして、獣の類ではない。瞬時に判断したフィリは、髪紐を取りに行こうと玄関に向けて一歩踏み出した。ジェイクは、フィリが髪を結んでいる姿を好む。それを知ったときから、フィリはジェイクの気配を感じるとすぐに髪を結ぶようにしていた。

 しかし。

 踏み出した格好で、フィリは足を止めた。ジェイクがこんな明るい時間にここを訪れるのは稀である。ないわけではないが、すごく稀なのだ。

 本当にジェイクだろうか。
 ここへ足を運ぶのは、この十八年間でジェイクだけだ。ジェイク以外なわけがない。

 けれどもフィリは、直感的に違うと思った。そう思った理由は、彼にもわからない。野生の感と言われるものかもしれない。

 洗濯物の陰から、フィリはゆっくり顔を覗かせた。

 果たしてそこにいたのは、ジェイクではなかった。

「あ! えっと、すみません。こんなところに人がいたなんて」

 慌てたように声を上げたのは、見たこともない人間だった。おまけに初めて見る髪色である。

 茶髪を短く整えた青年とも言うべき年齢の男は、ジェイクと似たような黒い服に身を包んでいた。腰には剣を携えている。

 驚きのあまり無表情で固まるフィリに、青年は身振り手振りを交えながら「す、すみません! 悪気はなくて」とフィリにとっては意味不明な言葉を並べたてた。

「ここがブラッドフォード卿の私有地であることは承知していたのですが。失礼いたしました!」

 ビシッと背筋を伸ばしてハキハキ喋る青年の発言は、フィリにとっては聞き馴染みのないものばかり。一方的に言葉を発し続ける青年は、合間にフィリのことを上から下まで観察している。

 まさしく未知の事態が生じている。固まっていたフィリは、ようやく瞬きをした。外の世界との関わりを持ちたいとどこかで願っていたはずなのだが、いざその瞬間が訪れると驚きと恐怖が勝ってしまう。ガチガチに固まった身体は、フィリの言うことを聞いてくれない。

 見知らぬ青年は、この鳥籠にとっては紛うことなき侵入者であった。

「……あの。ブラッドフォード卿とはどのようなご関係で?」

 なにかを問われていることは理解できたが、肝心の意味はわからない。緊張に顔が強張る。喉が異常に渇いていた。

「あの?」

 ピクリとも動かないフィリに、相手の青年が訝しむ。困惑するように首を傾げた青年。その隙をついて、フィリは家に駆け込んだ。背後から青年の焦ったような呼びかけが聞こえてくるが、すべてを無視して玄関扉を閉めた。久しく使っていない鍵の存在を思い出して、震える手で施錠した。外界と遮断されたと安堵したのも一瞬。

「あの! 俺は怪しい者ではなくてですね」

 扉の外から投げかけられた声に、フィリの肩が跳ねる。怯えた動作で扉から距離を取ったフィリは、窓が開いていることに気がついて眉間に力を入れた。躊躇したものの、これでは心許ない。駆け寄って窓を閉めようと手を伸ばしたフィリであったが、すぐ横から「あの!」と言われて手を引っ込めた。

「突然すみません。でも本当に怪しい者じゃなくて! 騎士です。ほら、隊服も着てるでしょ?」

 窓枠に手をかけて乗り出してくる青年は、己の格好を示した。隊服という単語に反応して、フィリの頭にジェイクの黒い服が浮かんだ。いつも同じ黒い服を着用している彼は、いつの日か「これは隊服だ」とこぼしていたのを思い出した。

 同僚という言葉が浮かんだ。それでも警戒を解かないフィリに、青年は窓越しに「ブラッドフォード卿とはどういうご関係ですか?」と問うてきた。

 どうやらブラッドフォード卿というのは、人の名前らしいとフィリは理解した。

「……そんな人は、知りません」

 考えた末に、フィリはそう答えていた。
 目の前の青年が怖いことに変わりはない。早くこの鳥籠から出て行ってほしい。その一心であった。

 フィリの対応に、青年は「えっ」と声をあげた。

「ちょっと待ってください!? ブラッドフォード卿とは無関係にここに?」

 驚愕する青年が窓枠から手を離したのを見て、フィリは窓を閉めた。勢いよく外界との遮断に成功したフィリは、そのままカーテンも閉めた。日除けにしか使用しなかったカーテンを、この日フィリははじめて視線除けとして使った。

 しばらく何かを叫んでいた青年であるが、やがて諦めたのだろう。外は静かになったが、フィリは扉を開ける決心がつかなかった。そのうち雨粒が窓を叩き始めた。

 洗濯物。

 ちらっと気になったが、取り込むためには外へ出る必要がある。あとでもう一度洗えばいい。そう己に言い聞かせて、フィリは扉を開けることなく夜を迎えた。
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