鳥籠の中の幸福

岩永みやび

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鳥籠の外

19 必要不可欠なこと

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 ジェイクは、簡単に言ってしまえばフィリップのことが好きだった。その感情は好きというありきたりな言葉で表現しきれるようなものではなかったのだが、とにかくジェイクはフィリップのことが好きだった。

 それにもかかわらず、フィリップはクラリスと結婚してしまった。当然である。ジェイクは、己の気持ちをフィリップにはひた隠しにしていたのだから。

 フィリップとクラリスの結婚は、まだ我慢ができた。クラリスはいい子だったし、ふたりがジェイクの前で恋人らしい振る舞いを見せつけるようなこともなかったからである。

 しかし、子供が生まれてしまった。

 それを機に、フィリップの生活は子供中心になった。フィリップは、ジェイクを家に招待して子供を見せてくれた。ふにゃふにゃと頼りない小さな生き物を見た瞬間、ジェイクはこれは小さなフィリップだと思った。

 己の手中におさめることのできなかったフィリップの分身が、まるでそこにいるかのような錯覚に襲われた。

 どうしても、欲しい。

 抱いてはならない欲求が、ジェイクの中でみるみる膨らんだ。妄想しているだけなら、まだよかった。けれどもジェイクの思いは止まることなく膨らみ続けた。妄想だけでは飽き足らず、ついには誰も近寄らない伯爵家所有の森に家を建てた。

 こじんまりとした家を見て、そこでフィリップとふたりきりで暮らす未来を想像した。いつしかそれは、想像だけでは終わらなくなった。

 そして不運なことに、チャンスが訪れてしまった。

 あの大雨の日である。フィリップが馬を走らせている間、ジェイクはフィリップに頼まれた通りクラリスとネイトの様子を見にローラン家を訪れていた。

 しかし、そこには誰にも伝えていない真実があった。ジェイクはあの日、ローラン家を二度訪れていたのだ。

 一度目は、クラリスが就寝した直後。
 玄関扉をノックをしたジェイクであるが、反応はなかった。雨音で聞こえていないのかと思い、ジェイクはノブを捻った。とても不運なことに、鍵は掛かっていなかったのだ。

 ローラン家の中は、しんと静まり返っていた。連日の育児で疲れ切っていたらしいクラリスが、リビングのソファに横たわっていた。胸を上下させて、穏やかな顔で眠っていた。少し休むつもりが、うっかり寝入ってしまったのだろう。エプロンをつけたままの彼女は、少しの物音くらいでは目を覚ましそうになかった。

 そしてすぐ傍のベビーベッドに、ネイトがいた。
 ジェイクの耳に、悪魔が囁いた。

 ネイトを匿う場所は、既に用意していた。妄想を少しだけ現実に引っ張り出しただけの家であり、本当に使用するつもりはなかった。この時までは。

 ジェイクは頭の中で素早く計画を練った。その中で、ジェイクの障害になるようなものは思い浮かばなかった。あとは金で乳母を雇えばどうにでもなる気がした。ほんの少し手を伸ばせば届くところに、ずっと欲しかったものが呑気に転がっていた。

 ジェイクは、悪魔の囁きに従ってしまった。溜め込んでいたものが、隠しきれずに溢れてしまったのだ。

 布で包んだネイトを抱えて、大雨の中、馬を走らせた。王都は突然の大雨に混乱していた。ジェイクひとりが持ち場を離れたところで、たいして気にする者はいなかった。元々ジェイクは、フィリップの妻子を見てくると言って騎士団本部を出てきていた。それが余計に、ジェイクを自由にしてしまった。

 そうして思っていたよりも簡単に、ジェイクは目的のものを手に入れてしまったのだ。

 とりあえずネイトを森の家に置いて、再び街に戻った。そうして何も知らないような顔で、ローラン家を訪れた。二度目の訪問である。今度はクラリスを起こして「ネイトは?」と尋ねた。

 そこからは、悲痛な展開だった。
 泣き喚くクラリスは、ネイトを捜すため外に飛び出そうとした。騎士団で捜索するから彼女には家で待機していてほしいと伝えて、どうにか宥めた。

 クラリスの取り乱した様子に、少しだけジェイクの心が痛んだ。けれども、お目当ての物を入手できたという達成感の方が勝った。

 己にこのような残酷な一面があることを、ジェイクはここで初めて知った。

 あれから十八年。怖いくらいに事は順調に進んでいた。成長するにつれて、ネイトはフィリップそっくりになった。

 ネイトにフィリップを重ねていたジェイクは、いつしかネイトのことをフィリと呼ぶようになった。

 フィリのことは誰にも渡せない。

「あまり考え込むのもよくないぞ」

 眼前で項垂れるフィリップにそう声をかけながら、ジェイクは内心で自嘲する。己がこの世で最もフィリップを励ます資格がないことを、ジェイクはよくわかっていた。けれどもジェイクの罪を暴かれるわけにはいかない。常に何食わぬ顔でフィリップの隣を陣取り、フィリップが己のことを疑っていないことを確認しなければ落ち着かない日々だ。

「もう遅い。本当に帰る」
「……あぁ、付き合わせて悪かったな」

 ふらりと立ち上がるフィリップを制して、ジェイクはひとり外に出た。静まり返った夜道に、ようやく肩の力が抜けた。

 ローラン家を訪れると、あの日のことを思い出してしまう。後悔はしていないつもりだ。今のジェイクは、きちんと幸せだ。

 宿舎に戻ると、ルーディーが待ち構えていた。
 眉を寄せるジェイクに、ルーディーが片手をあげて気さくに駆け寄ってきた。

「隊長! 遅いですよ。俺がどれだけ待ったと思っているんですか」
「待っておけと頼んだ覚えはない」
「そりゃそうなんですけど」

 へらへらと締まりのない表情を見せるルーディーは、当然のような様子でジェイクの隣に並んだ。まさかジェイクの私室までついてくるつもりか。そこまでプライベートな空間に嫌いな人間を招くほどジェイクは親切ではない。足を止めて、ルーディーを見据える。

「なんの用だ」
「またまたぁ! 隊長の彼女について教えてくださいよ。どうせ今も彼女のところに顔を出してきたんでしょ?」
「……」

 またその話かと、ジェイクはうんざりする。
 ジェイクに親しい女性はいない。何度伝えても、ルーディーは食い下がってくる。その勢いと自信はどこから出てくるのだろうか。

「ずっとフィリップと一緒にいた。久しぶりにクラリスと会って話をしていたら遅くなっただけだ」
「クラリスさんって、フィリップ副長の奥さんですよね? 美人って噂の!」
「あぁ、そうだな」
「俺もお会いしたかったです! なんで俺だけ置いて行くんですか」

 それはおまえがうるさいからだ。
 喉元まで上がってきた言葉を飲み込んで、ジェイクは首を左右に振った。これ以上、うるさい部下の相手はしたくなかった。

「私はもう寝る。おまえもとっとと寝ろ。明日も仕事だろ」
「えー!? せっかく隊長が帰ってくるの待ってたのに」

 だから、待てと言った覚えはない。
 またもや口を飛び出しかけた言葉を飲み込んで。ジェイクは自室に戻った。うるさいルーディーを半ば強引に引き離すジェイクは、住み慣れた宿舎の一室で息を吐いた。

 上着を床に放って、ベッドに倒れ込んだ。先程見た、フィリップの懸命に涙を堪えるような痛ましい表情が脳裏をちらつく。

 フィリップは、どんな表情をしていても美しい。ガシガシと頭を掻いて、次に細っこいフィリの姿を思い浮かべた。

 表情が乏しいのは、間違いなくジェイクの影響だろう。けれども嬉しいことがあると、わかりやすく目を輝かせるのだ。そこに表情豊かなフィリップの面影が重なる。

 後悔は、ないのか。
 ジェイクはもう十八年近くに渡って、己自身に問いかけてきた。とても正解などない難解な問いに思えた。けれども最後には、決まって同じ結論を導き出す。

 後悔は、ない。

 だってあれは、ジェイクの心を満たすためには必要不可欠な行為であったからだ。
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