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鳥籠の外
25 新しい名前
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フィリのことを強い力で抱きしめていた銀髪の男は、ひとり泣き続けていた。困惑するフィリは、静かに座ったまま前を見ていた。フィリに向かってネイトと連呼する男は、涙で頬が濡れていた。
「まだネイトだと決まったわけではないだろう」
そんなわけのわからない状況で、ジェイクが口を開いた。落ち着き払った声色に、銀髪の男が「いいや」と声を絞り出す。
「ネイトだ。僕にはわかる」
断言した男は、フィリの頭を抱え込むようにして撫で続ける。されるがままのフィリは、しきりに瞬きを繰り返していた。髪が乱れるが、それを指摘する度胸もない。
やがてフィリの頭を解放した男は、自身の目元を指で拭った。
「生きていてくれて、よかった」
男がフィリの横に膝をついて、そう言った。フィリに感謝しているらしいが、フィリには男から感謝される心当たりが皆無であった。ゆえに、フィリはひたすら無言でこの意味不明な時間が終わるのを待った。
「フィリップ」
そんな時、ジェイクの声が響いてフィリは顔を強張らせた。己の名を呼ばれたのかと思ったのだ。フィリという名は捨てろと、ジェイクが言ったのである。その禁を破るのかと、フィリはドキッとした。
しかしジェイクが口にしたのは、別の名前であった。それを受けて、銀髪の男が「すまない。先走った」と涙を拭いながら応じた。
どうやらこの銀髪の名前がフィリップというらしいと、フィリは理解した。それと同時に、ほんの少しモヤモヤとした感情が湧き上がってきた。己と髪色が似た男の名が、フィリと似ている。その事実をどう処理するべきかと、フィリはこっそり眉間に皺を寄せた。単なる偶然なのかもしれない。そもそもフィリは、ジェイク以外の人間を知らない。人の名前にどういうものがあるのか、よくわからなかった。名前の付け方にも、何かしらのルールがあるのかもしれないと考えた。
結局、ほんの少しだけ抱いた違和感は、そのまま流すことにした。
ジェイクに苦笑いのような表情を向けてから、フィリップはフィリの頭を丁寧な手つきで撫でた。優しいけれども、どこか遠慮のある手つきだった。身じろぎするフィリに、フィリップが「生きてたんだな」と呟いた。
フィリが生きていることに、一体どういう意味があるのか。唐突に、フィリの頭の中を「生きがい」という単語が過った。以前ジェイクがフィリに教えてくれた概念であった。
しかし目の前にいるフィリップという男と、己との繋がりがフィリには想像できなかった。
そこからは目まぐるしい展開だった。
なにやらしきりにフィリに声をかけてくるフィリップは、フィリのことを「ネイト」と呼んだ。フィリにとっては初めて聞く名前であるが、フィリップはフィリのことをネイトであると信じて疑っていないような口振りであった。考えてみるが、やはりフィリはフィリップのことを知らない。けれどもフィリップは、まるでフィリのことを知っているような口振りである。そのことが、フィリは少しだけ気持ち悪かった。
「クラリスにそっくりだ」
フィリに向けて泣き笑いのような顔を向けながら、フィリップは言った。フィリが困惑しているうちに、話はどんどん進んでいく。他の人間も現れて、しきりにみんなフィリに向かって「よかった」という言葉を投げかけてきた。
無事でよかった。生きていてよかった。
よかったよかったと繰り返す人々の中で、フィリはずっとこっそりジェイクのことを気にしていた。時折ジェイクと視線が合ったが、ジェイクはすぐに顔を背けてしまう。たまにフィリに声をかけてくれるが、それはどこか他人行儀な対応であった。
フィリのことを生きがいと言ってくれたジェイクは、もうどこにもいなかった。
フィリの名前は、ネイトになった。
フィリップが、そう言ったのだ。
「君はネイト。ネイト・ローランだ」
告げられた新しい名前は、いまいちしっくりこなかった。まったくの他人の名前であるように聞こえる。ネイトと呼ばれるたびに、彼はひたすら困惑した。
それからネイトは、あれこれ質問された。そのほとんどに、ネイトは「知らない」「わからない」と答えた。
けれども質問される中で、ネイトは様々なことを知った。
どうやらフィリップという男は、ネイトの父親という存在らしい。そしてネイトにはクラリスという母親がいる。
ネイトはまだ生まれたばかりの時に、ローラン家から姿を消した。生きていれば十八歳。その消えたネイトが、フィリであるとみんな確信しているらしいとわかった。
否定できるだけの材料はなかった。
フィリは、ジェイクが拾ってきた戦争孤児である。しかしジェイクは様々な嘘を吐いていた。フィリが戦争孤児だというのは、ジェイクによる嘘の可能性が高い。であれば、やはり自分は消えたネイトなのだろうかと、ひたすら悩んだ。
森の中にあった家は、燃えてしまったらしい。
森から逃げてきたと言ったネイト。はじめはあまり信じてもらえていないようだったが、実際に森の中に家があったことを確認したからだろう。ネイトの主張はほとんど真実であると認めてもらえた。
ジェイクはあの森の所有者だったらしい。正確には、ジェイクの家があの土地を所有していた。
家があったなんて知らなかったと、ジェイクは主張した。そしてそれは受け入れられた。元々人の寄り付かない森だったらしい。
こうしてジェイクの思惑通り、ジェイクが疑われることはなかった。
そしてネイトは、フィリップの家で暮らすことになった。
「まだネイトだと決まったわけではないだろう」
そんなわけのわからない状況で、ジェイクが口を開いた。落ち着き払った声色に、銀髪の男が「いいや」と声を絞り出す。
「ネイトだ。僕にはわかる」
断言した男は、フィリの頭を抱え込むようにして撫で続ける。されるがままのフィリは、しきりに瞬きを繰り返していた。髪が乱れるが、それを指摘する度胸もない。
やがてフィリの頭を解放した男は、自身の目元を指で拭った。
「生きていてくれて、よかった」
男がフィリの横に膝をついて、そう言った。フィリに感謝しているらしいが、フィリには男から感謝される心当たりが皆無であった。ゆえに、フィリはひたすら無言でこの意味不明な時間が終わるのを待った。
「フィリップ」
そんな時、ジェイクの声が響いてフィリは顔を強張らせた。己の名を呼ばれたのかと思ったのだ。フィリという名は捨てろと、ジェイクが言ったのである。その禁を破るのかと、フィリはドキッとした。
しかしジェイクが口にしたのは、別の名前であった。それを受けて、銀髪の男が「すまない。先走った」と涙を拭いながら応じた。
どうやらこの銀髪の名前がフィリップというらしいと、フィリは理解した。それと同時に、ほんの少しモヤモヤとした感情が湧き上がってきた。己と髪色が似た男の名が、フィリと似ている。その事実をどう処理するべきかと、フィリはこっそり眉間に皺を寄せた。単なる偶然なのかもしれない。そもそもフィリは、ジェイク以外の人間を知らない。人の名前にどういうものがあるのか、よくわからなかった。名前の付け方にも、何かしらのルールがあるのかもしれないと考えた。
結局、ほんの少しだけ抱いた違和感は、そのまま流すことにした。
ジェイクに苦笑いのような表情を向けてから、フィリップはフィリの頭を丁寧な手つきで撫でた。優しいけれども、どこか遠慮のある手つきだった。身じろぎするフィリに、フィリップが「生きてたんだな」と呟いた。
フィリが生きていることに、一体どういう意味があるのか。唐突に、フィリの頭の中を「生きがい」という単語が過った。以前ジェイクがフィリに教えてくれた概念であった。
しかし目の前にいるフィリップという男と、己との繋がりがフィリには想像できなかった。
そこからは目まぐるしい展開だった。
なにやらしきりにフィリに声をかけてくるフィリップは、フィリのことを「ネイト」と呼んだ。フィリにとっては初めて聞く名前であるが、フィリップはフィリのことをネイトであると信じて疑っていないような口振りであった。考えてみるが、やはりフィリはフィリップのことを知らない。けれどもフィリップは、まるでフィリのことを知っているような口振りである。そのことが、フィリは少しだけ気持ち悪かった。
「クラリスにそっくりだ」
フィリに向けて泣き笑いのような顔を向けながら、フィリップは言った。フィリが困惑しているうちに、話はどんどん進んでいく。他の人間も現れて、しきりにみんなフィリに向かって「よかった」という言葉を投げかけてきた。
無事でよかった。生きていてよかった。
よかったよかったと繰り返す人々の中で、フィリはずっとこっそりジェイクのことを気にしていた。時折ジェイクと視線が合ったが、ジェイクはすぐに顔を背けてしまう。たまにフィリに声をかけてくれるが、それはどこか他人行儀な対応であった。
フィリのことを生きがいと言ってくれたジェイクは、もうどこにもいなかった。
フィリの名前は、ネイトになった。
フィリップが、そう言ったのだ。
「君はネイト。ネイト・ローランだ」
告げられた新しい名前は、いまいちしっくりこなかった。まったくの他人の名前であるように聞こえる。ネイトと呼ばれるたびに、彼はひたすら困惑した。
それからネイトは、あれこれ質問された。そのほとんどに、ネイトは「知らない」「わからない」と答えた。
けれども質問される中で、ネイトは様々なことを知った。
どうやらフィリップという男は、ネイトの父親という存在らしい。そしてネイトにはクラリスという母親がいる。
ネイトはまだ生まれたばかりの時に、ローラン家から姿を消した。生きていれば十八歳。その消えたネイトが、フィリであるとみんな確信しているらしいとわかった。
否定できるだけの材料はなかった。
フィリは、ジェイクが拾ってきた戦争孤児である。しかしジェイクは様々な嘘を吐いていた。フィリが戦争孤児だというのは、ジェイクによる嘘の可能性が高い。であれば、やはり自分は消えたネイトなのだろうかと、ひたすら悩んだ。
森の中にあった家は、燃えてしまったらしい。
森から逃げてきたと言ったネイト。はじめはあまり信じてもらえていないようだったが、実際に森の中に家があったことを確認したからだろう。ネイトの主張はほとんど真実であると認めてもらえた。
ジェイクはあの森の所有者だったらしい。正確には、ジェイクの家があの土地を所有していた。
家があったなんて知らなかったと、ジェイクは主張した。そしてそれは受け入れられた。元々人の寄り付かない森だったらしい。
こうしてジェイクの思惑通り、ジェイクが疑われることはなかった。
そしてネイトは、フィリップの家で暮らすことになった。
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