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19 木登り
「……俺はここが気に入ったから。ここに住む」
『なに馬鹿なこと言ってんのさ。降りられなくなったんでしょ?』
高いところに満足して、そろそろ追いかけっこの続きでもしようかと思った俺。
いざ降りるぞという段階になって、先程までは心地よいと感じていた高さが、急に怖くなった。え、俺はなんでこんなところに登ったの?
下を見ないようにして降りようと思ったのだが、足場の確認をする際にどうしても遠いところにある地面が視界に入ってしまう。かと言って、地面を直視したまま降りるなんて無理。怖い。
そうしてどうしようもなくなった俺は、枝に腰掛けたまま、あてもなく足をぷらぷらさせるしかなかった。
「猫。こっちきて」
『だから嫌だって。なに? 怖くなったのか?』
「怖くないし。猫にも景色見せてあげたいだけだし」
『はいはい。そういうことにしておいてあげる』
偉そうなユナは、登ってくる気配がない。
降りるのが怖いなんてかっこ悪いこと、ペットの猫には知られたくはない。精一杯平気なふりをするが、内心では泣きたい気分だ。
「鳥! ちっこい鳥はどこ行った!」
ユナが来てくれないなら、鳥でもいい。とにかく、誰かに側に居てほしかった。だが、オリビアから俺の監視を頼まれているはずの鳥は、追いかけっこのどさくさに紛れて出てこない。そんなに俺と遊ぶの嫌か?
「どうしよう。猫」
『降りられなくなったのか?』
ジトッと座った目でこちらを見上げてくるユナに、俺は情けないと思いながらも助けを求めることにした。だって一生ここで暮らすのは嫌だ。
こくこく頷けば、ユナが大袈裟にため息を吐く。こいつは、猫のくせに感情豊かである。
『だから言ったのに。オリビア呼んできてあげるから。ちょっと待ってて』
「俺を置いて行くのか!?」
『どうやって連れて行くのさ。すぐに戻るから』
「俺をひとりにするな!」
『はぁ!?』
どうしろって言うんだよ! と大声を出すユナ。
「俺を置いて行って見捨てる気だろ!」
『するわけないでしょ、そんなこと』
「いつ!? いつ戻ってくるの」
『すぐに戻るってば』
「嫌だぁ! ひとりは嫌だぁ」
『我儘かよ』
こんな高いところにひとりは嫌だ。怖すぎる。ついうっかり滑って落下したらどうするんだ。
「助けて、猫ぉ」
『いや、だから』
困ったように、その場でうろうろするユナを見張っておく。目を離した隙に、どこかへ逃げられては堪らない。
そうしてどうしようもなく木の上でボケッとしていれば、誰かの足音が聞こえてきた。
はっと顔をあげる。これはチャンスだ。誰かは知らないが、助けてもらおう。ユナも同様の考えに至ったらしい。くるりと後ろを振り向いている。
「あ! ちょっと助け」
助けを求めようと声を上げた俺であるが、こちらをバッチリ見上げる人物と視線が合って、ぴたりと口を閉ざす。
「……何をしているんだ、おまえは」
呆れ気味に額を押さえたのは、口うるさいことで有名なフレッド兄上であった。
「兄上、助けてぇ」
だが、この際助かるのであれば兄上でもいいや。弱々しく助けを求めれば、兄上は眉間に皺を寄せる。
「なんでそんなところに登るんだ」
「登りたかったから」
「おまえ。そろそろ本能のままに生きるのはやめろ」
何それ。どういうこと?
兄上は、日課の散歩の最中らしい。ひとりでぶらぶらと目的もなく庭を歩いているのだ。オリビアは見回りと言っていたが、どうだか。多分、書類仕事をサボりたいだけだと思うけどな。
「助けて、兄上。このまま一生ここに住むことになってしまう」
「そうはならないだろ」
呑気な兄上は、やれやれと肩をすくめて寄ってくる。さすがは兄。こういう時には頼りになるな。これで助かったと胸を撫で下ろす俺であったが、何やら兄上の挙動がおかしい。
木の根元まで寄ってきた兄上は、そこで足を止めると、中途半端に腕を伸ばして、首を捻った。
「兄上?」
「これ、どうやって降ろすのが正解なんだ?」
「……」
ふざけたことを言い出す兄上は、少し考えると「よし!」と満足そうに大きく頷いた。嫌な予感がする。そしてそれは、命中した。
「飛び降りてこい、テオ」
「絶対に嫌」
なんて無茶を言い出すのだ。あろうことか、こんな高いところから飛び降りろと言う兄上は「ん」と両手を広げてみせる。
「大丈夫だ。私を信じろ。受け止めてやるから」
「嫌」
兄上は、毎日仕事ばかりでまともに運動している場面を見たことがない。剣術は得意と言っていたが、剣術とこれはどう考えても違うだろう。いくら俺が七歳児とはいえ、それなりに体重はあるわけで。そんな俺のことを、兄上がバッチリ受け止められるとは思えない。
「兄上は信用できないから嫌」
「おまえ、兄に向かってなんだその言い草は。ほら、大丈夫だから」
しきりに大丈夫と繰り返す兄上は、何も大丈夫ではなかった。嫌だと首を左右に振るのに、兄上はしつこい。しまいには「早くしろ」と苛立ったような声を出す。
飛び降りるのは絶対に無理。かといって、下で苛々し始める兄上を無視するのもちょっと怖い。ふたつの恐怖の間で板挟みになる。足がすくんで動かない。下からは兄上が急かしてくる。
いっぱいいっぱいになった俺は、木の幹にしがみついた。
「うぇぇ、オリビアぁ」
『あーあ、泣かせちゃった』
こんなことなら、ユナに頼んでオリビアを呼んできてもらえば良かった。兄上に責めるような視線を向けるユナは『オリビア呼んでくるね』と言って走り出す。
ひたすらオリビアの名前を連呼する俺を見て、フレッド兄上は弱々しく「すまない。泣かせるつもりは」とかなんとか呟いていた。
『なに馬鹿なこと言ってんのさ。降りられなくなったんでしょ?』
高いところに満足して、そろそろ追いかけっこの続きでもしようかと思った俺。
いざ降りるぞという段階になって、先程までは心地よいと感じていた高さが、急に怖くなった。え、俺はなんでこんなところに登ったの?
下を見ないようにして降りようと思ったのだが、足場の確認をする際にどうしても遠いところにある地面が視界に入ってしまう。かと言って、地面を直視したまま降りるなんて無理。怖い。
そうしてどうしようもなくなった俺は、枝に腰掛けたまま、あてもなく足をぷらぷらさせるしかなかった。
「猫。こっちきて」
『だから嫌だって。なに? 怖くなったのか?』
「怖くないし。猫にも景色見せてあげたいだけだし」
『はいはい。そういうことにしておいてあげる』
偉そうなユナは、登ってくる気配がない。
降りるのが怖いなんてかっこ悪いこと、ペットの猫には知られたくはない。精一杯平気なふりをするが、内心では泣きたい気分だ。
「鳥! ちっこい鳥はどこ行った!」
ユナが来てくれないなら、鳥でもいい。とにかく、誰かに側に居てほしかった。だが、オリビアから俺の監視を頼まれているはずの鳥は、追いかけっこのどさくさに紛れて出てこない。そんなに俺と遊ぶの嫌か?
「どうしよう。猫」
『降りられなくなったのか?』
ジトッと座った目でこちらを見上げてくるユナに、俺は情けないと思いながらも助けを求めることにした。だって一生ここで暮らすのは嫌だ。
こくこく頷けば、ユナが大袈裟にため息を吐く。こいつは、猫のくせに感情豊かである。
『だから言ったのに。オリビア呼んできてあげるから。ちょっと待ってて』
「俺を置いて行くのか!?」
『どうやって連れて行くのさ。すぐに戻るから』
「俺をひとりにするな!」
『はぁ!?』
どうしろって言うんだよ! と大声を出すユナ。
「俺を置いて行って見捨てる気だろ!」
『するわけないでしょ、そんなこと』
「いつ!? いつ戻ってくるの」
『すぐに戻るってば』
「嫌だぁ! ひとりは嫌だぁ」
『我儘かよ』
こんな高いところにひとりは嫌だ。怖すぎる。ついうっかり滑って落下したらどうするんだ。
「助けて、猫ぉ」
『いや、だから』
困ったように、その場でうろうろするユナを見張っておく。目を離した隙に、どこかへ逃げられては堪らない。
そうしてどうしようもなく木の上でボケッとしていれば、誰かの足音が聞こえてきた。
はっと顔をあげる。これはチャンスだ。誰かは知らないが、助けてもらおう。ユナも同様の考えに至ったらしい。くるりと後ろを振り向いている。
「あ! ちょっと助け」
助けを求めようと声を上げた俺であるが、こちらをバッチリ見上げる人物と視線が合って、ぴたりと口を閉ざす。
「……何をしているんだ、おまえは」
呆れ気味に額を押さえたのは、口うるさいことで有名なフレッド兄上であった。
「兄上、助けてぇ」
だが、この際助かるのであれば兄上でもいいや。弱々しく助けを求めれば、兄上は眉間に皺を寄せる。
「なんでそんなところに登るんだ」
「登りたかったから」
「おまえ。そろそろ本能のままに生きるのはやめろ」
何それ。どういうこと?
兄上は、日課の散歩の最中らしい。ひとりでぶらぶらと目的もなく庭を歩いているのだ。オリビアは見回りと言っていたが、どうだか。多分、書類仕事をサボりたいだけだと思うけどな。
「助けて、兄上。このまま一生ここに住むことになってしまう」
「そうはならないだろ」
呑気な兄上は、やれやれと肩をすくめて寄ってくる。さすがは兄。こういう時には頼りになるな。これで助かったと胸を撫で下ろす俺であったが、何やら兄上の挙動がおかしい。
木の根元まで寄ってきた兄上は、そこで足を止めると、中途半端に腕を伸ばして、首を捻った。
「兄上?」
「これ、どうやって降ろすのが正解なんだ?」
「……」
ふざけたことを言い出す兄上は、少し考えると「よし!」と満足そうに大きく頷いた。嫌な予感がする。そしてそれは、命中した。
「飛び降りてこい、テオ」
「絶対に嫌」
なんて無茶を言い出すのだ。あろうことか、こんな高いところから飛び降りろと言う兄上は「ん」と両手を広げてみせる。
「大丈夫だ。私を信じろ。受け止めてやるから」
「嫌」
兄上は、毎日仕事ばかりでまともに運動している場面を見たことがない。剣術は得意と言っていたが、剣術とこれはどう考えても違うだろう。いくら俺が七歳児とはいえ、それなりに体重はあるわけで。そんな俺のことを、兄上がバッチリ受け止められるとは思えない。
「兄上は信用できないから嫌」
「おまえ、兄に向かってなんだその言い草は。ほら、大丈夫だから」
しきりに大丈夫と繰り返す兄上は、何も大丈夫ではなかった。嫌だと首を左右に振るのに、兄上はしつこい。しまいには「早くしろ」と苛立ったような声を出す。
飛び降りるのは絶対に無理。かといって、下で苛々し始める兄上を無視するのもちょっと怖い。ふたつの恐怖の間で板挟みになる。足がすくんで動かない。下からは兄上が急かしてくる。
いっぱいいっぱいになった俺は、木の幹にしがみついた。
「うぇぇ、オリビアぁ」
『あーあ、泣かせちゃった』
こんなことなら、ユナに頼んでオリビアを呼んできてもらえば良かった。兄上に責めるような視線を向けるユナは『オリビア呼んでくるね』と言って走り出す。
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