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冬の恐怖
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「コリンよ、この娘はなんだ?」
冬の女王の凍てつく目がララに注がれる。ララは、身が凍ってしまったように動けなくなった。自分の前に立つ冬の女王の足元を下目使いで見ると、冬の女王の足元の床がどんどん凍っていくのが見えた。
「やあ、ベラ! 久し振りだな! ご機嫌は……相変わらず悪いね」
コリンは、まるで冬の女王のご機嫌をうかがうように大げさに話しているが、顔は苦笑いなのが見てすぐにわかった。そして、メガネを掛け直した。
「この子は、この家の子でララって言うんだ。ララ、この人は、〟冬の女王のベラリサ〟―― 」
「そんな事を聞いてるのではない」
ベラは、口調は変わらないものの、怒りが言葉に宿っていた。ベラの足元で、小さな雪の竜巻が出来ている。これ以上怒らせると、オーグル以上の恐怖が自分に降りかかるかもしれないとララは考えた。
「コリンよ、この部屋に入っていいのはお前だけではないのか?」
「そうだけど……、オレもこんな姿になっちまったし――どう、この服似合う?」
自分の体を見渡しながらコリンが言った。そのやりとりを見ていたララは、ある言葉に疑問を持った――こんな姿ってどういう意味だ? まるで、前は違う姿だったみたいな物言いだ。コリンはベラの顔を見上げると、ばつが悪そうに肩をすくめた。
「ねえ、こんな姿って――」
「似合っておるぞ」
ララがコリンに話しかけようとしたとき、ベラがさえぎるかのように会話に入ってきた。
「ベラも、白いドレスが似合ってるよ」
ベラは、コリンのお世辞にフンと鼻であざ笑うと、袖にしまってあった杖を取り出し軽く振り上げた。すると、みるみるうちに散らかった部屋がきれいに片付いて元の部屋の姿に戻った。埃は雪となり、溶けていた。
「だが、ここに人間の娘がいる事はよろしくない。この部屋のバランスが崩れてしまう。とくにこの娘だと……」
と言うと、ベラは鋭い目をララに向けた。
「確かに、ララは少々ひねくれてるからな」
コリンは、大きな声で笑った。
その言葉が、ララは一番気に食わなかった。ララは、ゴーストブックのところへ歩き、壁にもたれて座ると、二人の会話をふて腐れながら見た。
「コリンは、私をバカにしているの?」
ララは、完全にふて腐れながらゴーストブックに訊いた。その間も、コリンとベラの会話は続いている。
「いや、バカにしていない」
「むしろ頼りにしようとしておる。私たちにはない知識を必要としているのだ」
「悪知恵がねえ~」
「その前にコーディ――」
「私を頼る?」
ゴーストブックの話をさえぎるようにララは訊き返した。
「そんな必要はないでしょ?」
ベラを見ると、眉間にしわを寄せて話している。
「いや、必要だ! ララ、こっちへ来い」
コリンが、ララを手招きして叫ぶように呼んだ。ララは、嫌々重い腰を上げ、コリンに近づく。
「私の話、聞こえてたの?」
「ああ聞こえてたさ! オレには、日本の〝セイトクフトコ〟と同じ才能があるからな!」
「誰それ?」
ララは顔をしかめるが、コリンは人差し指を左右に振り三回舌打ちをしながら気障に言った。
「少しは、この国の歴史も学んだ方がいい。悪戯ばかりじゃなくてね。ゴーストブック!」
コリンが呼ぶと、一冊のゴーストブックが、泣きながらページを開いて飛び跳ねるようにコリンに近づいた。ララは、その動きがちょっとだけ可愛く見えた。でも、何で泣いているんだろう? よく見ると、ララがオーグルのコリンに向かって投げたゴーストブックに似ていた。似ていたと言うのは、あのときは何も考えず必死だったので、ララはいちいち投げた本の題名など覚えていなかった。ゴーストブックは、ピョンとコリンのいる窓の縁に飛び乗り窓にもたれかかった。泣いているので、ヒクヒク動いている。
「確かこの辺に――あった!」
コリンは、泣いているゴーストブックのページをめくり――泣いているのでページがめくりづらく、コリンは泣き止まそうとゴーストブックの表紙をなでて落ち着かせていた――ある歴史上の人物の絵を指差してララを見た。その人物は、変な帽子をかぶり、小さな口の上にひげを生やしていて、両手で何かの棒みたいの物を持っていた。
「……これ、〟セイトクフトコ〝じゃなくて、〟ショウトクタイシ〝っていうのよ」
ララは、呆れたようにコリンに言った。
「え? そうなの?」
コリンは、絵を覗き込みながら驚いた。
「ララは、ちゃんと勉強してるんだな!」
コリンは、自分の間違いがなかったかのように、ララを褒めて笑った。ララは褒められたのに、そんなに嬉しくない。日本に住んでいれば、一度は聞いたことある名前だからだ。
「で、何なの?」
ララは、コリンを冷ややかな目で見る。それとは対照的に、コリンの目はララに対する期待でキラキラしていた。
「おお、ララ。お前の力を借りたい」
「ヤダ」
「早いよ!」コリンは、地団太を踏んだ。
「やはりこの娘に頼るのが間違いだ。では、秘密を守るために氷漬けにしよう」
ベラが、人差し指をララの唇に触れようとき、ララは叫ぶように言った。
「やっぱり、あなたは悪い人なのね」
「何?」
ベラの片眉がつり上がった。ララは構わず話し続けた。
「あなたが、ママたちが言っていた〟あいつ〟なのね! なんか、悪役って感じだし!」
「いや、それは違うぞ!」
反論したのは、コリンだった。意外な反論に、ララは驚いてコリンを見た。
「ベラは、逆に人間たちを助けているんだ。〝あいつ〟が起きて活動しているとき、わざと吹雪を起こしたり、雪で玄関のドアをふさいだり――」
「ウソに決まってるわ!」
「本当さ! 人間たちは、その記述が載ってある本を全部改訂したんだ」
「冬の女王は悪者の方が面白いって言って」
「ホント勝手だ人間は!」
「何冊のゴーストブックが命を落としたか!」
今度は、隣にいるゴーストブックたちが憤慨した。みんなベラを助けようとするが、セチアだけが花に顔をうずめ、大きなお尻をブルブル震えさせていた。ララは、しばらくコリンたちと睨み合った。
「もうよい。この娘にわかってもらおうと思わん……」
ベラは、窓に広がる景色を眺めた。
ララは疑いの目で見ていが、ベラの目はとても寂しそうに見えた。それは、「私の気持ちは誰にもわからない」そう言っているような目だ。ララはその目を見て、自分もそういう想いを持っていると考えた。ララは、ただ悪戯をしたり、ひねくれたことを言っているわけではない。ただ、ひたすらに寂しかったのだ。両親は仕事で忙しいし、おばあちゃんの家は遠いし、学校の友達も塾や習い事で忙しい子が多く、遊ぶ時間も少ない。ベラの目の意味が、ララは少しだけわかった気がした。
「いいか、ララ。ベラたち〝季節の王家〟は、ある者から人間たちを守るという役目があるんだ。春の姫〝リンネ〟には〝あいつ〟閉じ込める役目、夏の王〝ラマー〟は〝あいつ〟を力で押さえつけ、秋の王子〝オーレッド〟は来るときの準備のための時間稼ぎをし、そして冬の女王の〝ベラリサ〟はその厳しさで人間を〝あいつ〟から遠ざける。ま、それだけじゃないんだけどね」
コリンの話とベラの寂しそうな目が、ララの心を少しずつ溶かしていく。
ベラは、まだ窓の外を見ていた。その目が、ララの心に重くのしかかった。さっき私はとんでもないことを言ってしまったのではないか、ララは自分を責めている自分を感じた。そして、このときからララの心が変わり始めていた。少しずつだが、自分の知らない世界を、もっと知りたいと思うようになってきた。
「で、でも、何で私が助けなきゃいけないの? この人たちだけで十分じゃない! そもそも、さっきから言っている〝あいつ〟って誰よ?」
ララは、近くにあるゴーストブックの背表紙を、人差し指でなぞりながらまだ強がっていた。自分が変わっているのを信じたくなかったのだ。ひねくれ者の方が楽だから。なぞられているゴーストブックは、くすぐったいのか、体をもぞもぞ動かしていた。
「〝季節の王家〟たちの力が弱まっているんだ。人間たちの自然破壊や環境破壊のせいで、季節のバランスが崩れているんだ」
「……」
ララは、何も言えなかった。
本当のただのひねくれ者なら反論していただろう。ニュースやワイドショーで偉そうに御託を並べる評論家たちとは違う。ララは、人のことを悪く言わないし――悪口は言うが――自分のやったことを人のせいにしない――逃げるために人に責任を押し付けることはあるが――ララは、本当のひねくれ者ではなかった。それに、十歳の少女に人間のしてしまった自然界への罪をすべて理解しろという方が無理な話。反論のしようがない。
でも、自分の目の前で、不思議な自分の知らない世界の住人と人間について話していると、その存在を認めざる得なくなる。認めるという気持ちに加え、自分の知らない世界を知りたいという好奇心が、ララの凍っていた心をみるみるうちに溶かしていった。コリンも、ララの変化に気付き、優しく話しかけた。
「やっと、オレたちのことを認めたね」
「――で、〟あいつ〝って誰?」
近くに積まれた古い本に腰掛けながら、ララの声は恥ずかしそうに、だが強く頼もしかった――腰かけた瞬間、いくつかのうめき声が聞こえたが、ララは気にもしなかった――その声を聞いたコリンが笑顔で話そうとしたとき、ベラがコリンよりも先に名前を口にした。
「〝カイヤックブール〟――」
「カイ……ヤ?」
「〝あいつ〟の名前は、私の友、冬の小さな太陽〝グリアナン〟が娘、〝カイヤックブール〟だ」
その名前を聞いたとき、ララの心が誰かの冷たい手でギュッと握られ、耳に甲高く不気味な笑い声が聞こえた。ララは、全身鳥肌がたった。
「カイヤックブール……」
ララは、恐怖を噛みしめながら、名前を復唱した。
「怖がることはない。とりあえず、この家にいれば大丈夫だ」
ララが、ベラのつぶやいた名前に怖れているのを見て、コリンが優しく言った。
「でも――」
ララは、スッと腕を上げ、窓を指差した。コリン、ベラ、ゴーストブックたちは、ララが指差した方向に目を移した。その方向には花瓶があり、セチアが花の中に頭を押し入れ、先ほどより激しく震えている。よく見ると、大きなお尻は花の中に入らなかったみたいだ。
「セチア! お前が怖がってどうすんだよ!」
コリンは、呆れてようにかぶりを振りながら言った。
「この部屋に冬の女王はいるし、〝あいつ〟ももうじきここへ来るに違いない――冬の女王は、〝あいつ〟の仲間だから……」
セチアの大きなお尻が、一段と大きく震えた。
「セチア、言っていいことと悪い――」
「よい、コリン」
「悪気はないんだ。許してやってくれ」
「嫌われるのはもう慣れておる。あの時から……」
ベラの目が、さらに寂しくなったようにララは見えた。「あの……」ベラが、窓の外に広がる雪景色を、遠い目で見ながらつぶやいた。それは、遠い過去に何か悲しく忘れられない思い出があったに違いない。
「どうしたの……?」
ララは、不思議そうにコリンに訊く。さっきまで、あんなに怖く真剣な顔をしていたのに、今のベラは悲しい乙女の目をしている。コリンは、何も言わずにただベラを見ていた。
「カイヤックブールのこと――」
「ヒイィィィ!」
ララの一言に、セチアが悲鳴をあげた。みんなは、頭を押さえうつむく――セチアが、「カイヤックブール」という言葉に反応し悲鳴を上げるので、話がなかなか続かない。
「……その人のことを、詳しく聞きたいんだけど」
ララは、セチアを気にしながらささやくように訊いた。
「おお、そうだな! カイヤックブールっていうのは――」
「時間だ」
コリンが、得意げに右手の人差し指を立てて説明しようと胸を張ったとき、ベラが窓を見つめながら言い放った。コリンは、話に水を差され、ふて腐れた顔をした。
遠くから車のエンジン音が聞こえ、音が鳴りやむと同時に大人三人の会話が聞こえた。
「とりあえず、今日はここまでだ。ここに居すぎると怪しまれてしまう――こんな本ばかりの部屋で、何か吹き込んでいるんじゃないかとな」
ベラは、窓の外の大人に冷たい視線を送っていた。
「わかったわ。じゃあ、明日また来る」
ララが、扉に向かおうとすると、コリンが呼び止める。
「ちょっと待て! ゴーストブックたち、あれを」
コリンがゴーストブックに指示を出すと、ゴーストブックたちが持ちづらそうに――正確には、自分たちではさんで――古い人形を持ってきた。
「それは、俺の友達で〟身代わり人形のプースリ〟だ。だが、ほとんど寝ているから悪さはしないだろう。そいつをベッドに入れ、「ちょっと頼むね」って言えば、お前の代わりに寝ていてくれるよ」
「ホントに起きない?」
「ああ、こいつが起きるときは、この世で一番危険なことが起こる朝だけだ。だから大丈夫」
「……わかったわ」
ララは、疑わしそうにプースリを受け取った。プースリは、重さも形も人形そのままだが、ものすごく可愛い寝顔の人形だった。まるで、本当に寝ているみたいだ。だが、寝息が聞こえない。ララは、本当に大丈夫なのか心配になった。
「急げ!」
ベラは、厳しい声で急かした。ララはその声に反応し、急いで部屋を出ようとすると、コリンがまた呼び止めた。
「あともう一つ!」
ララは、面倒くさそうに顔をしかめて振り向いた。
「この部屋の鍵は、きっとオルバがもうお前に貸してはくれないだろう。ここがララの来る場所じゃないって思ってるからな、オルバは」
「おばあちゃんは、知ってるの?」
「最初はこいつらを見て驚いてたよ」
コリンは、ゴーストブックを親指で指した。ゴーストブックは、恥ずかしそうに寄り添った。
「そりゃ驚くわ。本がしゃべれば……」
ララは、肩をすくめて言った。
「ま、ララのママたちが生まれる前のことだけどな――だから合言葉を教える。お前の家族、ここにいる誰も知らない言葉だ……」そう言うと、ララの耳元でコリンが合言葉をささやく。そして、ララにウインクする。ララはコリンを見て、首をかしげながら小さくうなずいた。
「そんなんで大丈夫なの?」
「早く!」ベラが、大声を出して急かした。
「そんなに急ぐことじゃないんだけどなあ……」
コリンが、ララの耳元でつぶやいた。
「じゃあ、明日ね」
ララは、走って部屋を出た。扉の閉まる奥で、部屋の住人たちがジッとララを見ていたのが、ララにはとても不思議な光景に見えた。
ララは、人形を自分のベッドに隠すと、階段をドタバタと駆け降りた。
「おや、ララお迎えかい?」
オルバは、驚きながら嬉しそうに靴を脱いでいる。ララは、満面の作り笑いを見せた。
「ええ、車の音が聞こえたから」
ララがそう言うと、オルバは右手の手のひらをララの前に差し出した。ララは、目を丸くしとぼけた調子で肩をすくめる。
「何?」
「あの部屋は、もういいだろ。それとも中で友達でも出来たかい?」
オルバの目は。冬の女王並みに冷たい目だった。
「いいえ別に。でも、おばあちゃんの言ってた意味はわかったわ」
ララのその言葉に、オルバはなぜか嬉しそうな、でも厳しい顔だった。
「そうかい。でも、あそこの部屋にはもう入ってはいけないよ」
「フン、つまんないの」
ララは、つまらなそうにオルバに鍵を渡す。オルバは鍵をしっかり握り家に上がると、ララの前をゆっくりと通り過ぎた。ララは、そのオルバの後姿に舌を出して見送る。ララ得意の演技は、完ぺきに演じられた――なぜなら、もう鍵は必要ないからだ。
「いやいや、疲れた……」
レジュリーが玄関を開け、真咲が大きな買い物袋を持ちながら家に入ってきた。
「お帰りなさい」
「おお、ララ。いい子にしてたか?」
真咲から荷物を一つ受け取ると、真咲はララの頬にキスをした。ちょっと嫌そうに作り笑いをしながら、ララは荷物を床に置いた。――荷物を運ぶつもりは、ララにはない。
「ララ!」
レジュリーは、ララを見るなり抱きついておでこにキスをした。
「大丈夫? ケガはない?」
「大丈夫よ。大丈夫」ララの作り笑いも、そろそろ限界だった。
「よかった……」
レジュリーは、本当に安心したのだろう、もう一度強くララを抱きしめ、ララの置いた荷物を持って居間に向かった。
「ちょっと、パパ! 荷物持ってよ!」
レジュリーは、重そうに荷物を持ちながら叫んだ。ララは。玄関から誰もいなくなると、大きく息を吐いた。
家族は自分に隠し事をしている。でも、自分も家族に隠し事がある。これから、面白くなりそうだと、ララの顔が自然とほころむ半面、その裏に恐怖という二文字がチラチラ見え隠れしていた。
その日の夜、ララは家族とクリスマスパーティーも兼ねた豪華な食事をした。フライドチキンにクリームシチュー、グリーンサラダに、クリスマスケーキはチョコレートケーキだ。久し振りの豪華な食事に、ララは目を輝かせ、むさぼりつくように食べた。たまに喉を詰まらせて、りんごジュースで流すが、食事のときに飲むりんごジュースほどおいしい物はなかった。普段は、水かお茶しか飲めない。りんごジュースなんて、誕生日かクリスマスのときしか飲めなかった。毎日がクリスマスならいいのになとララは考えたが、イエス・キリストの誕生日を毎日祝うほど信仰もしていないし、そこまで暮らしが豊かでもない。一年に何回かあることが、とてもありがたいことなんだと再認識して、リンゴジュースを一気に飲み干した。
でも、不思議だったのは、おじいちゃんの書斎で何をしていたか誰も聞いてこなかったことだ。まるで、おじいちゃんの書斎に入ったこと自体、なかったことにしようとしている。レジュリーは、頼んでもいないのに、りんごジュースをララのコップに注いでくれた――こんなこと今まで生きてきた十年間で一度もない。
ララは、おじいちゃんの書斎のことを話せなくてとてもつまらなかった。きっとみんな驚くと思っていたのに、話すどころか、ララの存在自体もみ消されたような感じがする。結局、ララは食事中一言も話すことなく、温かいシチューとフライドチキンを黙々と頬張った。
食事も終わり、満腹で夜ベッドに入ると、食事のときのことなど忘れてしまい、明日のことで頭がいっぱいになった。生死をさまよう恐怖感というものを、生まれて初めて感じたララだが、何かとても充実した一日に感じられた。毎年、オルバの家に来ては暇を持て余していたララだが、こんなに不思議な体験は札幌にいたのでは体験できない――そういえば、こんなこと今までなかったけど、何で今年は――
この家には、まだまだ秘密があるに違いない。ララは、どんな秘密があるのか予想をたてた。見たこともない空想の動物、書斎にあった開いてはいけない本、コリンやゴーストブックの他にどんな妖精がいるのか、ベラはどこに住んでいるのか……、空想がつきることがなかった。
しかし楽しいことだけではない。明日は別世界の核心に迫り、それを解決するというコリンたちの期待という重圧が待ち受けている――と、そんなことを考えるほど、ララは神経質ではない。明日はどんなことが待っているのか考えながら、夢の中に行ってしまった。
昔話
次の日、ララはベッドの布団に包まってなかなか出ようとしなかった。昨日、あんなに朝早く起きてきたのに、いつまで経っても起きてくる気配のないララを、心配したレジュリーが様子を見にやってきた。
「ララ、具合悪いの?」
「ちょっと……」
「病院行く?」
レジュリーは、髪を耳にかけて、咳き込むララの顔を布団どかし覗きこむ。
「ううん、今日はこのまま寝てるわ……」
ララの声は、明らかに元気がなかった。顔も少し赤い。
「ちょっと熱っぽいんじゃない……?」レジュリーが手を近付けると、顔を布団に潜り込ませた。
「もう寝かして。ママにうつしたら悪いから……」
ララは、レジュリーを拒んだ。あまり近くに来てほしくなかった――それには理由がある。
「そう、わかったわ。ママ、買い物に行くけど欲しいものある?」
「新しいゲーム機……」
「じゃあ、帰ってきたらミルク粥作ってくるわね」
「ケチ……」
レジュリーは、部屋の扉が閉まるまでララを見てから部屋を出た。ララは、そっと布団から顔を出し、扉が閉まったのを確認すると、ベッドから飛び降り、扉に耳をつけそっと耳を澄ます。階段を降りる音が終わり、リビングのドアが開いて閉まる音を確認した。
「よし! ひえ~!暑かったぁ……」
ララは、勢いよく重ね着していたセーターを三枚ベッドに脱いだ。風邪は仮病だった。なるべく、レジュリーたちを自分に近づけさせないための作戦だ。病気になれば、そっと寝かせておいてくれる。そうなればこいつの出番だ! ララは、コリンからもらったプースリをベッドに入れる。
「〝ちょっと頼むね〟」
ララが顔を近づけ、囁くようにつぶやく。すると、ララの言葉に反応したプースリは、ララがベッドに寝ているぐらいの大きさになり、髪もブロンド色のクリクリ髪になった。
「すごい! こんなおもちゃがあればいいのに――」
余計なことを話している時間がもったいないと気付いたララは、一言つぶやくと、物音をたてないように静かに部屋のドアに近づいた。
寝室の扉を静かに開け、そっと顔だけを出しキョロキョロあたりを見渡す。誰もいないことを確認し終わると、スカートをたくし上げ、つま先で音が鳴らないようにおじいちゃんの書斎の扉に移動した。今日も怪しく日に当たる扉の前に立ち、ララはコリンに教わった合言葉をつぶやいた。
「えっと、〝我、春を待ち焦がれるものなり〟」
扉の鍵の発条が、魔法にかかったかのように回り出し、カチッと鍵が開いた。
「ベラに聞かれたくないわけだ……」
ララは肩をすくめ、苦笑いでおじいちゃんの書斎に入り、静かに重い扉を閉めた。
おじいちゃんの書斎に入ると、昨日のメンバーのほとんどが部屋に揃っていた。
「おはよう、ララ!」
コリンだけが、元気よくあいさつをする。ゴーストブックたちは、まだ寝むそうだ。ベラは、あいさつするような性格じゃないが、ララをチラリと見てすぐ目をそらした。
「おはよう。今日の欠席はセチアだけね」
ララが窓に目をやると、ポインセチアの花瓶がぶるぶる震えているのが見えた。
「さて、カイヤックブールについて聞きましょうか」
ララは、書斎にあるおじいちゃんの大きなイスに、まるで威張り散らしているどこぞの会社の社長のようにドスンと腰掛けた。大きなイスはララには大き過ぎて、座っているというよりは、置かれているようだった。ひじ掛けに腕を乗せるが、高過ぎてララの首がなくなるぐらい肩が上がってしまった。ララは足で机を蹴り、右に左にイスを動かして遊びながら話を待った。
「ララは、気が早いなぁ。その前に、オレのデーモンとの格闘の話を――」
「私から話そう」
ベラが、コリンの関係ない話をさえぎってくれたのが、ララには好都合だった。何でかはわからないし、昔話を聞いたこともなかったが、コリンが自慢げに話すことが全部ウソに思えてしまうからだ。別にコリンが嫌いなわけではない――好きでもないけど――だが、コリンは話をさえぎられたのが気に入らなかったみたいで、あぐらをかいてベラを睨みつけている。
「あれは、もうどのくらい前になるだろうか――」
コリンのことなどお構いなしに、ベラの話は始まった。ララは、コリンに呆れながらイスに座り直し、ベラの話を聞いた。
「その年も、冬の終わりの準備に、私と友の冬の小さな太陽〝グリアナン〟は、雪を溶かし木々に冬の終わりを告げていた。
その頃から、グリアナンは自分の娘〝カイヤックブール〟に山の統治を任せていた。カイヤックブールは、春や釣り、山の女神となり、山頂からわき出る泉が滝になって、丘にそって流れて草原や大地を潤すまでを見守る役目だった。毎晩、日が沈むと大きな岩で流れを止め、朝になると岩をどけた。
「どうだ、カイヤックブール。仕事には慣れたか?」
私が尋ねると、その母親譲りの綺麗な目で私を見ながら微笑んだ。
「大丈夫よ。ベラも、そろそろ仕事が終わるのね」
「そうだな。あと何週間か経ったら、私の娘〝リンネ〟が来る。仲良くしてあげてくれ」
「わかったわ。待ちどうしいなあ……」
あの遠くを見る目に、私でさえ吸い込まれてしまいそうなぐらい、カイヤックブールは美しかった。日本刀のような鼻の峰、杏子を割ったような唇、垣間見える滑らかな乳白、餅米のような耳と朶、露の如く潤う髪の毛――
「まるで、日本の歌のようだな」コリンが言うと、「日本人の歌だ」と無表情で、普通にベラは答えた。コリンは、「だろうなあ!」と大声で笑うが、ララは聞き覚えがなかった。
そして、何週間か経ち、我が娘リンネがやってきた。私はリンネを抱きしめ、娘の成長を、肌と目で確認した。
「母上、お久し振りです」
「リンネよ、また一段と――」
私が、久し振りに会った娘に言葉をかけようとしたときだった。
「大変だ~!! 洪水だ!」
突然、山の麓の人間たちが騒ぎ出したのだ。私とリンネが山頂を見ると、泉の水があふれ出し、急流となって流れ落ちていた。動物や人々、家々まで、泉の水が運び去ってしまったのだ。
「母上、これは……」
「カイヤックブールは何をしておるのだ!」
私とリンネは、泉の口に急いだ。
「カイヤックブール!」
私たちが着いたとき、カイヤックブールは両手で顔を覆い、ガタガタ震えておった。
「どうした! 何があった!」
私が尋ねると、彼女はゆっくりと顔から手を離した。
その顔は、恐怖をまとった以外表しようがない顔だった。目はくぼみ、やせこけた顔は恐怖で引きつっていた。何週間か前にあったカイヤックブールとはまるで別人だった。
「し、シカの群れを山から連れて帰ってきたあと、ちょっとだけ居眠りをして……、何か騒がしいなあと思って目を開けたら……、泉の水があふれ出していて……、私……、私どうしようも出来なくて……」
リンネが震える彼女の肩に優しく手を置き落ち着かせた。その間も、溢れ出した水の流れは止まらず、私たちはもうどうすることもできなかった。私たちは水に浸食されていく村をただ黙って見ていた。
「カイヤックブール……」
私が彼女にかける言葉を考えているとき、突然、彼女の様子が変わった。
「フフ、フフフ、フフハハハハハ!」
彼女は急に声を上げ、笑いだしたのだ。
「どうしたのだ?」
私の言葉にも反応せず、笑っている彼女の心は水晶になり、身体はみるみるうちに石となっていった。
「ハハハハ、弱い……、弱い人間が悪いんだ! 神にも見放され、力のない人間が悪いんだ! 私は悪くない、私は悪くない……。そうだ……、人間なんていなくなればいいんだ……。ハハハ、いなくなればいい……」
その言葉を最後に、カイヤックブールは石に変身してしまった。
「母上……」
娘のリンネも不安そうな顔で私を見た。だが、私もどうしていいかわからなかった。
「リンネよ、あなたはあなたの仕事をしなさい。それが、私たち〝季節の王家〟の務めです」
「でも、彼女をどうするのですか?」
「とりあえず、山の頂にいるグリアナンのもとにいきます。もちろん彼女を連れて」
「わかりました。母上、お気をつけて……」
「お前も頑張るのですよ」
私は、リンネの涙をふき、額にキスをして、カイヤックブールをグリアナンのもとへ連れて行った。
そこでまた事件が起きた。
グリアナンがいなくなってしまったのだ。娘の不始末にいち早く気付き、罪を感じ、この世界からいなくなってしまったのだ。
「フフフ……」
突然、石のカイヤックブールが話し始めた。
「ハハハ、母親もいなくなったか……。これも、すべて人間が弱いからだ! ベラよ、そうは思わんか?」
私は、何も答えれなかった。正直に言えば、彼女の姿に恐怖を感じたのかもしれない。その場から一歩も動けなかったし、カイヤックブールから目をそむけることもできなかった。
そのとき、リンネのハープの音色と緑の婦人の歌声が聞こえ、春の温かさが山の頂に漂った。木に緑の葉が宿り、花たちが蕾をつけて始めた。
「どうやら、今年はこれでお別れのようだ……。ベラよ、来年が楽しみだ……」
そう言うと、カイヤックブールは山の岩と化した。私にも、残された時間がなかったので、そのままその場を後にし、城へと戻った。
それから今まで、カイヤックブールの逆恨みから人間たちを助けるため、雪の嵐を起こしている。もう太陽は登らん。グリアナンがいなくなってしまったから……
ベラの目に涙が溢れていた。カイヤックブールを、自分の娘のように可愛がっていたことが、その涙からララに伝わってきた。
「とまあ、そういうことだ」
コリンは、淡々と話す。
「ベラも、好きで天気を荒らしているわけじゃないのさ」
「私、冬の晴れている日の記憶がないわ」
「グリアナンが去ったあの日から、どの世界にも冬の小さな太陽を見た者はいない」
ベラは、とても悲しそうだ。友の娘、娘のように可愛がったカイヤックブールが犯した過ちを、助けることができなかった自分を責めているようにも見えた。
「そういえば、オレも見たことないや」
コリンは、楽しそうに言う。
「そういうことだったの……」
ララは、聞いているだけでなんだか滅入ってしまった。おとぎ話のような本当の話。ララの知らない世界での出来事が、自分の住んでいる世界にも影響を及ぼす。それは、逆の可能性もあることを意味していた。
「問題はここからだ」
ベラが、急に低い声で、重々しく話し始めた。
「もう私の力じゃ、奴を止められないのだ」
その言葉に、ララは耳を貸さずにはいられなかった。
ララが口を開こうとしたとき、セチアが花びらからそっと顔を出した。セチアにとっても何か重要なことをララが言うのではないのかと気になったからである。
「おお! セチア! お目覚めかい?」
コリンの明るい声も、誰の耳にも入っていなかった。さすがのコリンも、すぐに空気を察し、口を押えて黙った。
「止めることが出来ないってどういうこと?」
ララが、聞きづらそうにイスに座り直す。ゴーストブックたちもベラに注目している。コリンは、難しい顔をして腕組みしている。
「私は、人間たちを奴から遠ざけるためだけをしてきたわけじゃない。雪を舞い上げては、道という道を消し、奴を山の頂から降りて来ないようにもしてきた。だが、私のその力が衰えてきたのだ」
「どうして? あなたたちが、死ぬということはないんじゃないの?」
「それは違うぞ、ララ」
コリンが、珍しく真面目な顔で答えた。
「オレたちにも、〝命〟っていうものがある。それは、人間と同じ。みんな苦手なものだってあるんだ。だけど、人間と違うのは、オレたちの弱点は〟人間ということだ」
「何でよ?何で、人間〟が弱点なの?」
ララは、理解できなかった。昨日まで知らなかった世界の住人に、自分たちが、コリンたちの〝命〟を脅かしていると言われてもピンとこない。
すると、ゴーストブックたちが各々重い口を開き始めた。
「人間たちは、わしたちを捨てる」
「それに破くだろ!」
「ジュースとかこぼされると汚れるのよね……」
「僕なんか忘れられるんだよ~」
セチアも続いた。
「花は、短い期間しか咲かない。でもその短い期間のために、自然の力を借りて一生懸命生きる。中には、何カ月も人間の力を借りて育つ花もある。でも人間は飽きてしまうと、水をくれるのを忘れたり、ほったらかしにしたり、まだ何も知らない子供は、小さな芽を抜いてしまったりするわ。私の仲間も、何人も花を咲かせることもなく命を落とした」
ララは、何も言えなかった。ほとんどが自分のやったことのある話だったからだ。
クラスの男子に髪の色のことでからかわれ腹が立ったときに、学校の花壇の花を蹴っ飛ばしたことがある。それも同じことだ。ララは、ただただうつむくことしかできなかった。
「そして、ベラだ」
コリンが、話を続けた。
「ララも、環境問題って聞いたことあるだ?」
「うん、テレビで聞いたことはある」
「じゃあ、温暖化は?」
「聞いたことある程度……」
「まあ、そんなもんだろ。その温暖化がベラにとって〝命〟に関わる問題であり、力の衰えの原因なんだ」
「どういうこと?」
「冬でも暖かいのだ」
ベラは、憎しみに近い目でララを見た。
「人間たちの増加、生活環境の変化の結果、季節全体の温度が上昇した。これは私にとってかなり深刻なものだ」
「……」ララは、何も言えない。
「雪を降らそうとしてもすぐに溶けてしまい、動物たちを眠りに誘うこともできない。全ての〟世界の秩序〝が崩れてきているのだ!」
「私は、冬に咲くポインセチア。冬が来ないと私は何の意味もない……」
セチアの声には、悲しみが込められていた。なんだか、自分が人間の責任全てを背負って聞いているような感覚にララはなってきていた。
「でも、ララのせいではない」
コリンがきっぱりと言った。その言葉は、ララにのしかかった人間の責任を、ほんの少しだけ軽くしてくれた。コリンと会って、初めてコリンのことを頼もしいと思った。
「この問題は、ララが生まれる前から問題になっていたことだ。それに、子供のララにはどうしようもない問題だ――これから気をつけることはできるけど」
コリンは、腕組みをしながらベラを見た。ララも、ベラの顔を見ると、さっきまで鋭かったララに対するベラの目が、気持ち和らいだように見えた。
「じゃあ、お前のせいなのか?」
ベラは、コリンに目を移し睨みつけた。
「そうかもしれないし……そうじゃないかもしれない。ハハハ……」
コリンの笑い声にも、やりきれなさが混じっている――ララは、なぜ先ほどからコリンが責められているのかわからなかった。同じ妖精なのに……。
「これは、人間たちの責任だ。だが、その問題を解決しようと頑張っている人間もいることを、オレたちはわかってやらなくてはならない」
「いい身分だな」
ベラは、見下すような目をして突き放した。ララは、コリンに対する疑問を本人に訊いた。
「コリンって、元人間なの?」
ララは、初めて会ったときからなぜか初対面のように感じなかった。
「昔な――話を戻そう」
コリンはうつむき、低い声で何か大切なことを隠しているような言い回しで話す。でも、すぐに顔を上げ、話を仕切り直した。
「オレたちは、ベラの力の衰えと引き換えに、新たな力を手に入れた。それがララだ」
「私!?」ララは驚いた。
「私にそんな力ないよ!」
ララは、イスから勢いよく立ち上がり、両手を前に突き出し手を振りながら、慌てて否定した。
「お前の助けがいる」
「無理よ!」
「……」
「無理……」
「……」
「ダメダメ……」
「……」
「……」
「……」
「……何をすればいいんですか?」
「ララならそう言ってくれると思ったよ!」
ララは、コリンの無言の迫りに根負けし、肩を落とした。コリンは、明らかにララの〝その言葉〟を待っていたと言わんばかりに、両手を広げ嬉しそうだ。
「コリンよ、こんな小娘に何が出来る?」
ベラは、片眉を上げながらララを見て、不満そうにコリンに言った。ララは、そのベラの厳しい目を見ることができず、うつむきながらモジモジとその場に立ちつくしていた。
「オレに考えがある。と言っても、簡単なことだ。人間にしか出来ないこと、人間というより、ララにしか出来ないことだな」
「何なの?」
ララは、不安そうな顔をしていた。何かとんでもないこと言いそうな雰囲気がコリンから出ている。ララはそう感じた。
「簡単だよ! カイヤックブールの話し相手になればいいんだよ」
「はあぁぁぁ!?」
ララは、大きな声で叫んだ。やっぱりコリンは、とんでもないことを言い始めた。コリンは笑っているが、ララにとっては笑いごとではない。
「ふざけているのか!」
ベラも、憤慨した。ララも、さすがに手に負えないと、両手を一回振ると肩を落としてイスにドスンと腰掛けた。
「大真面目さ!」
コリンは、両手を大きく開きながら、演説するように話した。
「私、あなたたちの世界のことはよく知らないけど……、私もあまりいい考えとは思わないわ」
ララは、頭を振りながらコリンに言った。ゴーストブックたちも、集まってヒソヒソ何かを言い合っている。
「じゃあ、誰かいい策でもあるのか? ドラゴンを呼ぶか? 狼憑きを呼ぶか? それとも、デーモンを召喚して地獄に連れて行ってもらうか? どれも、奴を倒せるが、倒しただけじゃすまんぞ」
一同は、黙り込んでしまった。黙ったメンバーの中で、ベラだけがコリンをキッと睨んでいた。その顔は、何も思いつかない自分への怒りと、あまりにも軽率な発言をするコリンへの憎悪が入り混じった顔だった。その顔を見たララは、悪戯でコーンポタージュの中に虫の抜け殻を入れて飲ませたときの、レジュリーの怒鳴り顔に似ていたのを思い出した。ララは、ゾッとした。
「何もないのか? じゃあ、オレの話をよく聞いてくれたまえ」
コリンは、胸を張り威張り散らしながら言い放った。一同は、いっせいにコリンから目をそらした。
「ではまず――」お構いなしに、コリンの話は続いた。
「オレとベラ、ララの三人で山の頂を目指す」
「ちょっと待った!」
「オレたちは?」
ゴーストブックたちが、意義を申し出た。
「濡れてもいいなら来いよ」
コリンの言葉に、ゴーストブックたちは一瞬止まった後、口(開いていたページ)を閉じると、普通の本のようにテーブルの上で寝てしまった。
「ハハハ、やっぱり濡れたくはないんだな」
コリンの大きな笑い声が、部屋中に響いた――ゴーストブックたちは、何も反応しない。
「でだ、オレたちは森の中をまだすべて把握してない。だから、森の道案内をベラに頼む」
「断る権利は?」
「じゃあ、一生奴の報復を恐れながら冬を過ごすか?」
「誰が、奴を怖れるか! 私を愚弄するなら、ただでは済まんぞ!」
ベラが怒りをあらわにしたと同時に、窓ガラスがミシミシと音を立てて凍った。窓にクモの巣のように霜が徐々に広がって凍っていく。とても緻密な霜の巣は、あっという間に窓一面に張り巡らされた。ララは、自分も氷漬けにされるのではないかという恐怖にかられた。
「お前の力が弱まっていくのを止めれるのも、このララだぞ」
コリンは、胸を張り仁王立ちになって言った。
「何?」ベラの目が一段と鋭くなる。
「こんな小娘に何が出来る」
ベラはララを見ながら、鼻で笑うように言った。その鋭い目はララに向けられると、ララは全身に鳥肌が立った。
「こんな小娘だから出来ることがある」
コリンの強い言葉は、ララに重くのしかかる。何もできないのに、ララの頭の中でコリンの言葉が、はち切れそうになるぐらい広がっていった。
「出来なかったときは、どうするつもりだ?」
「そうだな……、奴を道ずれに、崖から落ちるさ」
コリンは、笑いながら言った。
「――その言葉、忘れるなよ」
ベラの顔が元に戻った。まるで、コリンが崖から落ちるところを想像してあざ笑うかのような顔だった。
「はいよ。ララ、お前を山の頂に連れていったあとが大切だ。奴は、自分の失敗を背負い過ぎた。ゆえに、自分の中で憎しみをためているんだ。お前は奴に似て、ひねくれて、悪さばかりする――」
ララは、コリンを睨みつけた――あんたに私の何がわかる!
「だが、それが奴を罪から解き放つことになる。あいつの話を聞いて、お前の言葉で励ましてやってくれ」
「はげ……ます?」
ララは、顔をしかめた。何も知らない相手を、どうやって励ますのか頭の中で考えたが、答えはまったく見つからない。
「ああ、そうだ。ララは、親に話を聞いてもらえないとき腹が立たないか? 話を我慢するのが辛いと思ったことはないか?」
「……たくさんある」
ララは、小さな声で言った。ララが学校であった楽しい出来事を話そうとしたとき、「今、忙しい」の一言で済まされることが、とても腹立たしく、悲しかったことを思い出した。
「奴もそうだ。失敗をしたことを誰にも慰め、励ましてもらえなかった――というより、そうする前に罪というものが奴に伸しかかった。そのとき、まわりには誰もいなかったし、カイヤックブール一人だったからな。だから、その罪を解放できるのは、同じ気持ちを持ち理解できるお前だけだ。頼む! カイヤックブールと話をしてやってもらえないか?」
「……うん」
ララは、コリンの迫力のある頼み方に、半ば強引にうなずかされてしまった。うなずいたものの、そんなことで何が変わるのか、という疑問は拭えなかった。でもそれ以上に、自分と同じ気持ちを持つ人に会ってみたいという好奇心が、不安という気持ちを勝った。
「よし! いい子だ! じゃあ、いつにする? お前の好きなときに行こう! でも、なるべく早く行かないと。いつだ? 三日後、四日後か?」
「そんなには待てん」
「だけどベラ、ララにだって心の準備が――」
「明日」
「へ?」
コリンは、意表を突かれた顔をしている。ベラもゆっくりとララに目を移す。寝ていたゴーストブック、黙って存在を消していたセチアもララを見た。
「そんなに急がなくても――」
「だって私、明後日には札幌に帰るのよ」
「そうなの???!!!」
コリンは、驚きに顔のパーツすべてが飛び出そうになっている。ベラも、表情を変えず目だけを見開いて驚いている。ゴーストブックは、ページを見開いてお互いを見合い、セチアは手で頬を押し潰し大きく口を開け驚いていた。ララは、なぜそんなに驚いているのか、まったくわからないまま、ポカーンとみんなの顔を見渡した。
「だって、新年は毎年札幌で過ごしてるの。おばあちゃんも一緒よ」
「あいつも行くのか!?」
コリンは、悔しそうに足を一回踏み鳴らした――その踏み鳴らしたときの音が面白かったのか何か知らないが、コリンは何回か足を踏み鳴らしながら笑っている。
「急がねば……」
ベラが窓の外を見ながら物静かに言った。コリンはそれを見ると、いきなり真剣になって話した。
「ああ、急がねば……」
コリンは、ベラの話し方を真似した――その瞬間、ベラがコリンを鋭い目で見て睨みつけた。その目を見たコリンは、満面の笑みで返した。
ララは静かにドアを開け、廊下に誰もいないことを確認した。そして、抜き足で寝室に向かい、静かに部屋の中へと入る。ララが静かに寝室のドアを閉めると、プースリはまだベッドの中で寝ていた。
だがここで、ララは一つ気付いたことがあった。プースリの戻し方を教わっていない。ララは、プースリを見下ろしながら、腕を組んで考えた。
「どうしよう……」
ララは、思いつく言葉をプースリにかけた。「戻れ!」「ありがとう」「終わりよ」「早く!」「コラ!」「てめえ!」「お願い……」。プースリは、全然反応がなかった。
「もう……、起きろ!!!」
ララは、苛立ちに思わず叫んでしまった。「しまった!」と思ったときには、下の部屋のドアが勢いよく開き、階段を上ってくる音がした。
「やばい!」
ララが、どうしようもないと思い、ベッドに潜り込もうとしたとき、プースリが目を見開いてみたまま、小さくなり元の大きさに戻った。そして、そのまま寝てしまった。
「ラッキー!」
ララは指を一回弾くと、急いでベッドにもぐり込んだ。
「どうしたの!?」
レジュリーが、ドアを思い切り開けてララを見て叫んだ。
「う~ん……、何?」
ララは、さも今起こされたかのように体を起こした。
「今、やめろって叫ばなかった?」
「叫んでないよ……」
ララは、目をこすりながら頭を振った。確かに、ララは「やめろ」とは言っていなかった。
「そう、ならよかった――〟あいつ‶が来たのかと思った……」レジュリーは、胸をなでおろすと、「もうすぐ夕食だから、もう少し寝てなさい」と言って寝室を出た。
ララは、間一髪のところで難を逃れた。でも、一つわかったことがある――この家の大人三人はカイヤックブールの存在を知っていたのだ。
プースリは、何事もなかったかのように、ララの隣でスヤスヤ寝ていた。
冬の女王の凍てつく目がララに注がれる。ララは、身が凍ってしまったように動けなくなった。自分の前に立つ冬の女王の足元を下目使いで見ると、冬の女王の足元の床がどんどん凍っていくのが見えた。
「やあ、ベラ! 久し振りだな! ご機嫌は……相変わらず悪いね」
コリンは、まるで冬の女王のご機嫌をうかがうように大げさに話しているが、顔は苦笑いなのが見てすぐにわかった。そして、メガネを掛け直した。
「この子は、この家の子でララって言うんだ。ララ、この人は、〟冬の女王のベラリサ〟―― 」
「そんな事を聞いてるのではない」
ベラは、口調は変わらないものの、怒りが言葉に宿っていた。ベラの足元で、小さな雪の竜巻が出来ている。これ以上怒らせると、オーグル以上の恐怖が自分に降りかかるかもしれないとララは考えた。
「コリンよ、この部屋に入っていいのはお前だけではないのか?」
「そうだけど……、オレもこんな姿になっちまったし――どう、この服似合う?」
自分の体を見渡しながらコリンが言った。そのやりとりを見ていたララは、ある言葉に疑問を持った――こんな姿ってどういう意味だ? まるで、前は違う姿だったみたいな物言いだ。コリンはベラの顔を見上げると、ばつが悪そうに肩をすくめた。
「ねえ、こんな姿って――」
「似合っておるぞ」
ララがコリンに話しかけようとしたとき、ベラがさえぎるかのように会話に入ってきた。
「ベラも、白いドレスが似合ってるよ」
ベラは、コリンのお世辞にフンと鼻であざ笑うと、袖にしまってあった杖を取り出し軽く振り上げた。すると、みるみるうちに散らかった部屋がきれいに片付いて元の部屋の姿に戻った。埃は雪となり、溶けていた。
「だが、ここに人間の娘がいる事はよろしくない。この部屋のバランスが崩れてしまう。とくにこの娘だと……」
と言うと、ベラは鋭い目をララに向けた。
「確かに、ララは少々ひねくれてるからな」
コリンは、大きな声で笑った。
その言葉が、ララは一番気に食わなかった。ララは、ゴーストブックのところへ歩き、壁にもたれて座ると、二人の会話をふて腐れながら見た。
「コリンは、私をバカにしているの?」
ララは、完全にふて腐れながらゴーストブックに訊いた。その間も、コリンとベラの会話は続いている。
「いや、バカにしていない」
「むしろ頼りにしようとしておる。私たちにはない知識を必要としているのだ」
「悪知恵がねえ~」
「その前にコーディ――」
「私を頼る?」
ゴーストブックの話をさえぎるようにララは訊き返した。
「そんな必要はないでしょ?」
ベラを見ると、眉間にしわを寄せて話している。
「いや、必要だ! ララ、こっちへ来い」
コリンが、ララを手招きして叫ぶように呼んだ。ララは、嫌々重い腰を上げ、コリンに近づく。
「私の話、聞こえてたの?」
「ああ聞こえてたさ! オレには、日本の〝セイトクフトコ〟と同じ才能があるからな!」
「誰それ?」
ララは顔をしかめるが、コリンは人差し指を左右に振り三回舌打ちをしながら気障に言った。
「少しは、この国の歴史も学んだ方がいい。悪戯ばかりじゃなくてね。ゴーストブック!」
コリンが呼ぶと、一冊のゴーストブックが、泣きながらページを開いて飛び跳ねるようにコリンに近づいた。ララは、その動きがちょっとだけ可愛く見えた。でも、何で泣いているんだろう? よく見ると、ララがオーグルのコリンに向かって投げたゴーストブックに似ていた。似ていたと言うのは、あのときは何も考えず必死だったので、ララはいちいち投げた本の題名など覚えていなかった。ゴーストブックは、ピョンとコリンのいる窓の縁に飛び乗り窓にもたれかかった。泣いているので、ヒクヒク動いている。
「確かこの辺に――あった!」
コリンは、泣いているゴーストブックのページをめくり――泣いているのでページがめくりづらく、コリンは泣き止まそうとゴーストブックの表紙をなでて落ち着かせていた――ある歴史上の人物の絵を指差してララを見た。その人物は、変な帽子をかぶり、小さな口の上にひげを生やしていて、両手で何かの棒みたいの物を持っていた。
「……これ、〟セイトクフトコ〝じゃなくて、〟ショウトクタイシ〝っていうのよ」
ララは、呆れたようにコリンに言った。
「え? そうなの?」
コリンは、絵を覗き込みながら驚いた。
「ララは、ちゃんと勉強してるんだな!」
コリンは、自分の間違いがなかったかのように、ララを褒めて笑った。ララは褒められたのに、そんなに嬉しくない。日本に住んでいれば、一度は聞いたことある名前だからだ。
「で、何なの?」
ララは、コリンを冷ややかな目で見る。それとは対照的に、コリンの目はララに対する期待でキラキラしていた。
「おお、ララ。お前の力を借りたい」
「ヤダ」
「早いよ!」コリンは、地団太を踏んだ。
「やはりこの娘に頼るのが間違いだ。では、秘密を守るために氷漬けにしよう」
ベラが、人差し指をララの唇に触れようとき、ララは叫ぶように言った。
「やっぱり、あなたは悪い人なのね」
「何?」
ベラの片眉がつり上がった。ララは構わず話し続けた。
「あなたが、ママたちが言っていた〟あいつ〟なのね! なんか、悪役って感じだし!」
「いや、それは違うぞ!」
反論したのは、コリンだった。意外な反論に、ララは驚いてコリンを見た。
「ベラは、逆に人間たちを助けているんだ。〝あいつ〟が起きて活動しているとき、わざと吹雪を起こしたり、雪で玄関のドアをふさいだり――」
「ウソに決まってるわ!」
「本当さ! 人間たちは、その記述が載ってある本を全部改訂したんだ」
「冬の女王は悪者の方が面白いって言って」
「ホント勝手だ人間は!」
「何冊のゴーストブックが命を落としたか!」
今度は、隣にいるゴーストブックたちが憤慨した。みんなベラを助けようとするが、セチアだけが花に顔をうずめ、大きなお尻をブルブル震えさせていた。ララは、しばらくコリンたちと睨み合った。
「もうよい。この娘にわかってもらおうと思わん……」
ベラは、窓に広がる景色を眺めた。
ララは疑いの目で見ていが、ベラの目はとても寂しそうに見えた。それは、「私の気持ちは誰にもわからない」そう言っているような目だ。ララはその目を見て、自分もそういう想いを持っていると考えた。ララは、ただ悪戯をしたり、ひねくれたことを言っているわけではない。ただ、ひたすらに寂しかったのだ。両親は仕事で忙しいし、おばあちゃんの家は遠いし、学校の友達も塾や習い事で忙しい子が多く、遊ぶ時間も少ない。ベラの目の意味が、ララは少しだけわかった気がした。
「いいか、ララ。ベラたち〝季節の王家〟は、ある者から人間たちを守るという役目があるんだ。春の姫〝リンネ〟には〝あいつ〟閉じ込める役目、夏の王〝ラマー〟は〝あいつ〟を力で押さえつけ、秋の王子〝オーレッド〟は来るときの準備のための時間稼ぎをし、そして冬の女王の〝ベラリサ〟はその厳しさで人間を〝あいつ〟から遠ざける。ま、それだけじゃないんだけどね」
コリンの話とベラの寂しそうな目が、ララの心を少しずつ溶かしていく。
ベラは、まだ窓の外を見ていた。その目が、ララの心に重くのしかかった。さっき私はとんでもないことを言ってしまったのではないか、ララは自分を責めている自分を感じた。そして、このときからララの心が変わり始めていた。少しずつだが、自分の知らない世界を、もっと知りたいと思うようになってきた。
「で、でも、何で私が助けなきゃいけないの? この人たちだけで十分じゃない! そもそも、さっきから言っている〝あいつ〟って誰よ?」
ララは、近くにあるゴーストブックの背表紙を、人差し指でなぞりながらまだ強がっていた。自分が変わっているのを信じたくなかったのだ。ひねくれ者の方が楽だから。なぞられているゴーストブックは、くすぐったいのか、体をもぞもぞ動かしていた。
「〝季節の王家〟たちの力が弱まっているんだ。人間たちの自然破壊や環境破壊のせいで、季節のバランスが崩れているんだ」
「……」
ララは、何も言えなかった。
本当のただのひねくれ者なら反論していただろう。ニュースやワイドショーで偉そうに御託を並べる評論家たちとは違う。ララは、人のことを悪く言わないし――悪口は言うが――自分のやったことを人のせいにしない――逃げるために人に責任を押し付けることはあるが――ララは、本当のひねくれ者ではなかった。それに、十歳の少女に人間のしてしまった自然界への罪をすべて理解しろという方が無理な話。反論のしようがない。
でも、自分の目の前で、不思議な自分の知らない世界の住人と人間について話していると、その存在を認めざる得なくなる。認めるという気持ちに加え、自分の知らない世界を知りたいという好奇心が、ララの凍っていた心をみるみるうちに溶かしていった。コリンも、ララの変化に気付き、優しく話しかけた。
「やっと、オレたちのことを認めたね」
「――で、〟あいつ〝って誰?」
近くに積まれた古い本に腰掛けながら、ララの声は恥ずかしそうに、だが強く頼もしかった――腰かけた瞬間、いくつかのうめき声が聞こえたが、ララは気にもしなかった――その声を聞いたコリンが笑顔で話そうとしたとき、ベラがコリンよりも先に名前を口にした。
「〝カイヤックブール〟――」
「カイ……ヤ?」
「〝あいつ〟の名前は、私の友、冬の小さな太陽〝グリアナン〟が娘、〝カイヤックブール〟だ」
その名前を聞いたとき、ララの心が誰かの冷たい手でギュッと握られ、耳に甲高く不気味な笑い声が聞こえた。ララは、全身鳥肌がたった。
「カイヤックブール……」
ララは、恐怖を噛みしめながら、名前を復唱した。
「怖がることはない。とりあえず、この家にいれば大丈夫だ」
ララが、ベラのつぶやいた名前に怖れているのを見て、コリンが優しく言った。
「でも――」
ララは、スッと腕を上げ、窓を指差した。コリン、ベラ、ゴーストブックたちは、ララが指差した方向に目を移した。その方向には花瓶があり、セチアが花の中に頭を押し入れ、先ほどより激しく震えている。よく見ると、大きなお尻は花の中に入らなかったみたいだ。
「セチア! お前が怖がってどうすんだよ!」
コリンは、呆れてようにかぶりを振りながら言った。
「この部屋に冬の女王はいるし、〝あいつ〟ももうじきここへ来るに違いない――冬の女王は、〝あいつ〟の仲間だから……」
セチアの大きなお尻が、一段と大きく震えた。
「セチア、言っていいことと悪い――」
「よい、コリン」
「悪気はないんだ。許してやってくれ」
「嫌われるのはもう慣れておる。あの時から……」
ベラの目が、さらに寂しくなったようにララは見えた。「あの……」ベラが、窓の外に広がる雪景色を、遠い目で見ながらつぶやいた。それは、遠い過去に何か悲しく忘れられない思い出があったに違いない。
「どうしたの……?」
ララは、不思議そうにコリンに訊く。さっきまで、あんなに怖く真剣な顔をしていたのに、今のベラは悲しい乙女の目をしている。コリンは、何も言わずにただベラを見ていた。
「カイヤックブールのこと――」
「ヒイィィィ!」
ララの一言に、セチアが悲鳴をあげた。みんなは、頭を押さえうつむく――セチアが、「カイヤックブール」という言葉に反応し悲鳴を上げるので、話がなかなか続かない。
「……その人のことを、詳しく聞きたいんだけど」
ララは、セチアを気にしながらささやくように訊いた。
「おお、そうだな! カイヤックブールっていうのは――」
「時間だ」
コリンが、得意げに右手の人差し指を立てて説明しようと胸を張ったとき、ベラが窓を見つめながら言い放った。コリンは、話に水を差され、ふて腐れた顔をした。
遠くから車のエンジン音が聞こえ、音が鳴りやむと同時に大人三人の会話が聞こえた。
「とりあえず、今日はここまでだ。ここに居すぎると怪しまれてしまう――こんな本ばかりの部屋で、何か吹き込んでいるんじゃないかとな」
ベラは、窓の外の大人に冷たい視線を送っていた。
「わかったわ。じゃあ、明日また来る」
ララが、扉に向かおうとすると、コリンが呼び止める。
「ちょっと待て! ゴーストブックたち、あれを」
コリンがゴーストブックに指示を出すと、ゴーストブックたちが持ちづらそうに――正確には、自分たちではさんで――古い人形を持ってきた。
「それは、俺の友達で〟身代わり人形のプースリ〟だ。だが、ほとんど寝ているから悪さはしないだろう。そいつをベッドに入れ、「ちょっと頼むね」って言えば、お前の代わりに寝ていてくれるよ」
「ホントに起きない?」
「ああ、こいつが起きるときは、この世で一番危険なことが起こる朝だけだ。だから大丈夫」
「……わかったわ」
ララは、疑わしそうにプースリを受け取った。プースリは、重さも形も人形そのままだが、ものすごく可愛い寝顔の人形だった。まるで、本当に寝ているみたいだ。だが、寝息が聞こえない。ララは、本当に大丈夫なのか心配になった。
「急げ!」
ベラは、厳しい声で急かした。ララはその声に反応し、急いで部屋を出ようとすると、コリンがまた呼び止めた。
「あともう一つ!」
ララは、面倒くさそうに顔をしかめて振り向いた。
「この部屋の鍵は、きっとオルバがもうお前に貸してはくれないだろう。ここがララの来る場所じゃないって思ってるからな、オルバは」
「おばあちゃんは、知ってるの?」
「最初はこいつらを見て驚いてたよ」
コリンは、ゴーストブックを親指で指した。ゴーストブックは、恥ずかしそうに寄り添った。
「そりゃ驚くわ。本がしゃべれば……」
ララは、肩をすくめて言った。
「ま、ララのママたちが生まれる前のことだけどな――だから合言葉を教える。お前の家族、ここにいる誰も知らない言葉だ……」そう言うと、ララの耳元でコリンが合言葉をささやく。そして、ララにウインクする。ララはコリンを見て、首をかしげながら小さくうなずいた。
「そんなんで大丈夫なの?」
「早く!」ベラが、大声を出して急かした。
「そんなに急ぐことじゃないんだけどなあ……」
コリンが、ララの耳元でつぶやいた。
「じゃあ、明日ね」
ララは、走って部屋を出た。扉の閉まる奥で、部屋の住人たちがジッとララを見ていたのが、ララにはとても不思議な光景に見えた。
ララは、人形を自分のベッドに隠すと、階段をドタバタと駆け降りた。
「おや、ララお迎えかい?」
オルバは、驚きながら嬉しそうに靴を脱いでいる。ララは、満面の作り笑いを見せた。
「ええ、車の音が聞こえたから」
ララがそう言うと、オルバは右手の手のひらをララの前に差し出した。ララは、目を丸くしとぼけた調子で肩をすくめる。
「何?」
「あの部屋は、もういいだろ。それとも中で友達でも出来たかい?」
オルバの目は。冬の女王並みに冷たい目だった。
「いいえ別に。でも、おばあちゃんの言ってた意味はわかったわ」
ララのその言葉に、オルバはなぜか嬉しそうな、でも厳しい顔だった。
「そうかい。でも、あそこの部屋にはもう入ってはいけないよ」
「フン、つまんないの」
ララは、つまらなそうにオルバに鍵を渡す。オルバは鍵をしっかり握り家に上がると、ララの前をゆっくりと通り過ぎた。ララは、そのオルバの後姿に舌を出して見送る。ララ得意の演技は、完ぺきに演じられた――なぜなら、もう鍵は必要ないからだ。
「いやいや、疲れた……」
レジュリーが玄関を開け、真咲が大きな買い物袋を持ちながら家に入ってきた。
「お帰りなさい」
「おお、ララ。いい子にしてたか?」
真咲から荷物を一つ受け取ると、真咲はララの頬にキスをした。ちょっと嫌そうに作り笑いをしながら、ララは荷物を床に置いた。――荷物を運ぶつもりは、ララにはない。
「ララ!」
レジュリーは、ララを見るなり抱きついておでこにキスをした。
「大丈夫? ケガはない?」
「大丈夫よ。大丈夫」ララの作り笑いも、そろそろ限界だった。
「よかった……」
レジュリーは、本当に安心したのだろう、もう一度強くララを抱きしめ、ララの置いた荷物を持って居間に向かった。
「ちょっと、パパ! 荷物持ってよ!」
レジュリーは、重そうに荷物を持ちながら叫んだ。ララは。玄関から誰もいなくなると、大きく息を吐いた。
家族は自分に隠し事をしている。でも、自分も家族に隠し事がある。これから、面白くなりそうだと、ララの顔が自然とほころむ半面、その裏に恐怖という二文字がチラチラ見え隠れしていた。
その日の夜、ララは家族とクリスマスパーティーも兼ねた豪華な食事をした。フライドチキンにクリームシチュー、グリーンサラダに、クリスマスケーキはチョコレートケーキだ。久し振りの豪華な食事に、ララは目を輝かせ、むさぼりつくように食べた。たまに喉を詰まらせて、りんごジュースで流すが、食事のときに飲むりんごジュースほどおいしい物はなかった。普段は、水かお茶しか飲めない。りんごジュースなんて、誕生日かクリスマスのときしか飲めなかった。毎日がクリスマスならいいのになとララは考えたが、イエス・キリストの誕生日を毎日祝うほど信仰もしていないし、そこまで暮らしが豊かでもない。一年に何回かあることが、とてもありがたいことなんだと再認識して、リンゴジュースを一気に飲み干した。
でも、不思議だったのは、おじいちゃんの書斎で何をしていたか誰も聞いてこなかったことだ。まるで、おじいちゃんの書斎に入ったこと自体、なかったことにしようとしている。レジュリーは、頼んでもいないのに、りんごジュースをララのコップに注いでくれた――こんなこと今まで生きてきた十年間で一度もない。
ララは、おじいちゃんの書斎のことを話せなくてとてもつまらなかった。きっとみんな驚くと思っていたのに、話すどころか、ララの存在自体もみ消されたような感じがする。結局、ララは食事中一言も話すことなく、温かいシチューとフライドチキンを黙々と頬張った。
食事も終わり、満腹で夜ベッドに入ると、食事のときのことなど忘れてしまい、明日のことで頭がいっぱいになった。生死をさまよう恐怖感というものを、生まれて初めて感じたララだが、何かとても充実した一日に感じられた。毎年、オルバの家に来ては暇を持て余していたララだが、こんなに不思議な体験は札幌にいたのでは体験できない――そういえば、こんなこと今までなかったけど、何で今年は――
この家には、まだまだ秘密があるに違いない。ララは、どんな秘密があるのか予想をたてた。見たこともない空想の動物、書斎にあった開いてはいけない本、コリンやゴーストブックの他にどんな妖精がいるのか、ベラはどこに住んでいるのか……、空想がつきることがなかった。
しかし楽しいことだけではない。明日は別世界の核心に迫り、それを解決するというコリンたちの期待という重圧が待ち受けている――と、そんなことを考えるほど、ララは神経質ではない。明日はどんなことが待っているのか考えながら、夢の中に行ってしまった。
昔話
次の日、ララはベッドの布団に包まってなかなか出ようとしなかった。昨日、あんなに朝早く起きてきたのに、いつまで経っても起きてくる気配のないララを、心配したレジュリーが様子を見にやってきた。
「ララ、具合悪いの?」
「ちょっと……」
「病院行く?」
レジュリーは、髪を耳にかけて、咳き込むララの顔を布団どかし覗きこむ。
「ううん、今日はこのまま寝てるわ……」
ララの声は、明らかに元気がなかった。顔も少し赤い。
「ちょっと熱っぽいんじゃない……?」レジュリーが手を近付けると、顔を布団に潜り込ませた。
「もう寝かして。ママにうつしたら悪いから……」
ララは、レジュリーを拒んだ。あまり近くに来てほしくなかった――それには理由がある。
「そう、わかったわ。ママ、買い物に行くけど欲しいものある?」
「新しいゲーム機……」
「じゃあ、帰ってきたらミルク粥作ってくるわね」
「ケチ……」
レジュリーは、部屋の扉が閉まるまでララを見てから部屋を出た。ララは、そっと布団から顔を出し、扉が閉まったのを確認すると、ベッドから飛び降り、扉に耳をつけそっと耳を澄ます。階段を降りる音が終わり、リビングのドアが開いて閉まる音を確認した。
「よし! ひえ~!暑かったぁ……」
ララは、勢いよく重ね着していたセーターを三枚ベッドに脱いだ。風邪は仮病だった。なるべく、レジュリーたちを自分に近づけさせないための作戦だ。病気になれば、そっと寝かせておいてくれる。そうなればこいつの出番だ! ララは、コリンからもらったプースリをベッドに入れる。
「〝ちょっと頼むね〟」
ララが顔を近づけ、囁くようにつぶやく。すると、ララの言葉に反応したプースリは、ララがベッドに寝ているぐらいの大きさになり、髪もブロンド色のクリクリ髪になった。
「すごい! こんなおもちゃがあればいいのに――」
余計なことを話している時間がもったいないと気付いたララは、一言つぶやくと、物音をたてないように静かに部屋のドアに近づいた。
寝室の扉を静かに開け、そっと顔だけを出しキョロキョロあたりを見渡す。誰もいないことを確認し終わると、スカートをたくし上げ、つま先で音が鳴らないようにおじいちゃんの書斎の扉に移動した。今日も怪しく日に当たる扉の前に立ち、ララはコリンに教わった合言葉をつぶやいた。
「えっと、〝我、春を待ち焦がれるものなり〟」
扉の鍵の発条が、魔法にかかったかのように回り出し、カチッと鍵が開いた。
「ベラに聞かれたくないわけだ……」
ララは肩をすくめ、苦笑いでおじいちゃんの書斎に入り、静かに重い扉を閉めた。
おじいちゃんの書斎に入ると、昨日のメンバーのほとんどが部屋に揃っていた。
「おはよう、ララ!」
コリンだけが、元気よくあいさつをする。ゴーストブックたちは、まだ寝むそうだ。ベラは、あいさつするような性格じゃないが、ララをチラリと見てすぐ目をそらした。
「おはよう。今日の欠席はセチアだけね」
ララが窓に目をやると、ポインセチアの花瓶がぶるぶる震えているのが見えた。
「さて、カイヤックブールについて聞きましょうか」
ララは、書斎にあるおじいちゃんの大きなイスに、まるで威張り散らしているどこぞの会社の社長のようにドスンと腰掛けた。大きなイスはララには大き過ぎて、座っているというよりは、置かれているようだった。ひじ掛けに腕を乗せるが、高過ぎてララの首がなくなるぐらい肩が上がってしまった。ララは足で机を蹴り、右に左にイスを動かして遊びながら話を待った。
「ララは、気が早いなぁ。その前に、オレのデーモンとの格闘の話を――」
「私から話そう」
ベラが、コリンの関係ない話をさえぎってくれたのが、ララには好都合だった。何でかはわからないし、昔話を聞いたこともなかったが、コリンが自慢げに話すことが全部ウソに思えてしまうからだ。別にコリンが嫌いなわけではない――好きでもないけど――だが、コリンは話をさえぎられたのが気に入らなかったみたいで、あぐらをかいてベラを睨みつけている。
「あれは、もうどのくらい前になるだろうか――」
コリンのことなどお構いなしに、ベラの話は始まった。ララは、コリンに呆れながらイスに座り直し、ベラの話を聞いた。
「その年も、冬の終わりの準備に、私と友の冬の小さな太陽〝グリアナン〟は、雪を溶かし木々に冬の終わりを告げていた。
その頃から、グリアナンは自分の娘〝カイヤックブール〟に山の統治を任せていた。カイヤックブールは、春や釣り、山の女神となり、山頂からわき出る泉が滝になって、丘にそって流れて草原や大地を潤すまでを見守る役目だった。毎晩、日が沈むと大きな岩で流れを止め、朝になると岩をどけた。
「どうだ、カイヤックブール。仕事には慣れたか?」
私が尋ねると、その母親譲りの綺麗な目で私を見ながら微笑んだ。
「大丈夫よ。ベラも、そろそろ仕事が終わるのね」
「そうだな。あと何週間か経ったら、私の娘〝リンネ〟が来る。仲良くしてあげてくれ」
「わかったわ。待ちどうしいなあ……」
あの遠くを見る目に、私でさえ吸い込まれてしまいそうなぐらい、カイヤックブールは美しかった。日本刀のような鼻の峰、杏子を割ったような唇、垣間見える滑らかな乳白、餅米のような耳と朶、露の如く潤う髪の毛――
「まるで、日本の歌のようだな」コリンが言うと、「日本人の歌だ」と無表情で、普通にベラは答えた。コリンは、「だろうなあ!」と大声で笑うが、ララは聞き覚えがなかった。
そして、何週間か経ち、我が娘リンネがやってきた。私はリンネを抱きしめ、娘の成長を、肌と目で確認した。
「母上、お久し振りです」
「リンネよ、また一段と――」
私が、久し振りに会った娘に言葉をかけようとしたときだった。
「大変だ~!! 洪水だ!」
突然、山の麓の人間たちが騒ぎ出したのだ。私とリンネが山頂を見ると、泉の水があふれ出し、急流となって流れ落ちていた。動物や人々、家々まで、泉の水が運び去ってしまったのだ。
「母上、これは……」
「カイヤックブールは何をしておるのだ!」
私とリンネは、泉の口に急いだ。
「カイヤックブール!」
私たちが着いたとき、カイヤックブールは両手で顔を覆い、ガタガタ震えておった。
「どうした! 何があった!」
私が尋ねると、彼女はゆっくりと顔から手を離した。
その顔は、恐怖をまとった以外表しようがない顔だった。目はくぼみ、やせこけた顔は恐怖で引きつっていた。何週間か前にあったカイヤックブールとはまるで別人だった。
「し、シカの群れを山から連れて帰ってきたあと、ちょっとだけ居眠りをして……、何か騒がしいなあと思って目を開けたら……、泉の水があふれ出していて……、私……、私どうしようも出来なくて……」
リンネが震える彼女の肩に優しく手を置き落ち着かせた。その間も、溢れ出した水の流れは止まらず、私たちはもうどうすることもできなかった。私たちは水に浸食されていく村をただ黙って見ていた。
「カイヤックブール……」
私が彼女にかける言葉を考えているとき、突然、彼女の様子が変わった。
「フフ、フフフ、フフハハハハハ!」
彼女は急に声を上げ、笑いだしたのだ。
「どうしたのだ?」
私の言葉にも反応せず、笑っている彼女の心は水晶になり、身体はみるみるうちに石となっていった。
「ハハハハ、弱い……、弱い人間が悪いんだ! 神にも見放され、力のない人間が悪いんだ! 私は悪くない、私は悪くない……。そうだ……、人間なんていなくなればいいんだ……。ハハハ、いなくなればいい……」
その言葉を最後に、カイヤックブールは石に変身してしまった。
「母上……」
娘のリンネも不安そうな顔で私を見た。だが、私もどうしていいかわからなかった。
「リンネよ、あなたはあなたの仕事をしなさい。それが、私たち〝季節の王家〟の務めです」
「でも、彼女をどうするのですか?」
「とりあえず、山の頂にいるグリアナンのもとにいきます。もちろん彼女を連れて」
「わかりました。母上、お気をつけて……」
「お前も頑張るのですよ」
私は、リンネの涙をふき、額にキスをして、カイヤックブールをグリアナンのもとへ連れて行った。
そこでまた事件が起きた。
グリアナンがいなくなってしまったのだ。娘の不始末にいち早く気付き、罪を感じ、この世界からいなくなってしまったのだ。
「フフフ……」
突然、石のカイヤックブールが話し始めた。
「ハハハ、母親もいなくなったか……。これも、すべて人間が弱いからだ! ベラよ、そうは思わんか?」
私は、何も答えれなかった。正直に言えば、彼女の姿に恐怖を感じたのかもしれない。その場から一歩も動けなかったし、カイヤックブールから目をそむけることもできなかった。
そのとき、リンネのハープの音色と緑の婦人の歌声が聞こえ、春の温かさが山の頂に漂った。木に緑の葉が宿り、花たちが蕾をつけて始めた。
「どうやら、今年はこれでお別れのようだ……。ベラよ、来年が楽しみだ……」
そう言うと、カイヤックブールは山の岩と化した。私にも、残された時間がなかったので、そのままその場を後にし、城へと戻った。
それから今まで、カイヤックブールの逆恨みから人間たちを助けるため、雪の嵐を起こしている。もう太陽は登らん。グリアナンがいなくなってしまったから……
ベラの目に涙が溢れていた。カイヤックブールを、自分の娘のように可愛がっていたことが、その涙からララに伝わってきた。
「とまあ、そういうことだ」
コリンは、淡々と話す。
「ベラも、好きで天気を荒らしているわけじゃないのさ」
「私、冬の晴れている日の記憶がないわ」
「グリアナンが去ったあの日から、どの世界にも冬の小さな太陽を見た者はいない」
ベラは、とても悲しそうだ。友の娘、娘のように可愛がったカイヤックブールが犯した過ちを、助けることができなかった自分を責めているようにも見えた。
「そういえば、オレも見たことないや」
コリンは、楽しそうに言う。
「そういうことだったの……」
ララは、聞いているだけでなんだか滅入ってしまった。おとぎ話のような本当の話。ララの知らない世界での出来事が、自分の住んでいる世界にも影響を及ぼす。それは、逆の可能性もあることを意味していた。
「問題はここからだ」
ベラが、急に低い声で、重々しく話し始めた。
「もう私の力じゃ、奴を止められないのだ」
その言葉に、ララは耳を貸さずにはいられなかった。
ララが口を開こうとしたとき、セチアが花びらからそっと顔を出した。セチアにとっても何か重要なことをララが言うのではないのかと気になったからである。
「おお! セチア! お目覚めかい?」
コリンの明るい声も、誰の耳にも入っていなかった。さすがのコリンも、すぐに空気を察し、口を押えて黙った。
「止めることが出来ないってどういうこと?」
ララが、聞きづらそうにイスに座り直す。ゴーストブックたちもベラに注目している。コリンは、難しい顔をして腕組みしている。
「私は、人間たちを奴から遠ざけるためだけをしてきたわけじゃない。雪を舞い上げては、道という道を消し、奴を山の頂から降りて来ないようにもしてきた。だが、私のその力が衰えてきたのだ」
「どうして? あなたたちが、死ぬということはないんじゃないの?」
「それは違うぞ、ララ」
コリンが、珍しく真面目な顔で答えた。
「オレたちにも、〝命〟っていうものがある。それは、人間と同じ。みんな苦手なものだってあるんだ。だけど、人間と違うのは、オレたちの弱点は〟人間ということだ」
「何でよ?何で、人間〟が弱点なの?」
ララは、理解できなかった。昨日まで知らなかった世界の住人に、自分たちが、コリンたちの〝命〟を脅かしていると言われてもピンとこない。
すると、ゴーストブックたちが各々重い口を開き始めた。
「人間たちは、わしたちを捨てる」
「それに破くだろ!」
「ジュースとかこぼされると汚れるのよね……」
「僕なんか忘れられるんだよ~」
セチアも続いた。
「花は、短い期間しか咲かない。でもその短い期間のために、自然の力を借りて一生懸命生きる。中には、何カ月も人間の力を借りて育つ花もある。でも人間は飽きてしまうと、水をくれるのを忘れたり、ほったらかしにしたり、まだ何も知らない子供は、小さな芽を抜いてしまったりするわ。私の仲間も、何人も花を咲かせることもなく命を落とした」
ララは、何も言えなかった。ほとんどが自分のやったことのある話だったからだ。
クラスの男子に髪の色のことでからかわれ腹が立ったときに、学校の花壇の花を蹴っ飛ばしたことがある。それも同じことだ。ララは、ただただうつむくことしかできなかった。
「そして、ベラだ」
コリンが、話を続けた。
「ララも、環境問題って聞いたことあるだ?」
「うん、テレビで聞いたことはある」
「じゃあ、温暖化は?」
「聞いたことある程度……」
「まあ、そんなもんだろ。その温暖化がベラにとって〝命〟に関わる問題であり、力の衰えの原因なんだ」
「どういうこと?」
「冬でも暖かいのだ」
ベラは、憎しみに近い目でララを見た。
「人間たちの増加、生活環境の変化の結果、季節全体の温度が上昇した。これは私にとってかなり深刻なものだ」
「……」ララは、何も言えない。
「雪を降らそうとしてもすぐに溶けてしまい、動物たちを眠りに誘うこともできない。全ての〟世界の秩序〝が崩れてきているのだ!」
「私は、冬に咲くポインセチア。冬が来ないと私は何の意味もない……」
セチアの声には、悲しみが込められていた。なんだか、自分が人間の責任全てを背負って聞いているような感覚にララはなってきていた。
「でも、ララのせいではない」
コリンがきっぱりと言った。その言葉は、ララにのしかかった人間の責任を、ほんの少しだけ軽くしてくれた。コリンと会って、初めてコリンのことを頼もしいと思った。
「この問題は、ララが生まれる前から問題になっていたことだ。それに、子供のララにはどうしようもない問題だ――これから気をつけることはできるけど」
コリンは、腕組みをしながらベラを見た。ララも、ベラの顔を見ると、さっきまで鋭かったララに対するベラの目が、気持ち和らいだように見えた。
「じゃあ、お前のせいなのか?」
ベラは、コリンに目を移し睨みつけた。
「そうかもしれないし……そうじゃないかもしれない。ハハハ……」
コリンの笑い声にも、やりきれなさが混じっている――ララは、なぜ先ほどからコリンが責められているのかわからなかった。同じ妖精なのに……。
「これは、人間たちの責任だ。だが、その問題を解決しようと頑張っている人間もいることを、オレたちはわかってやらなくてはならない」
「いい身分だな」
ベラは、見下すような目をして突き放した。ララは、コリンに対する疑問を本人に訊いた。
「コリンって、元人間なの?」
ララは、初めて会ったときからなぜか初対面のように感じなかった。
「昔な――話を戻そう」
コリンはうつむき、低い声で何か大切なことを隠しているような言い回しで話す。でも、すぐに顔を上げ、話を仕切り直した。
「オレたちは、ベラの力の衰えと引き換えに、新たな力を手に入れた。それがララだ」
「私!?」ララは驚いた。
「私にそんな力ないよ!」
ララは、イスから勢いよく立ち上がり、両手を前に突き出し手を振りながら、慌てて否定した。
「お前の助けがいる」
「無理よ!」
「……」
「無理……」
「……」
「ダメダメ……」
「……」
「……」
「……」
「……何をすればいいんですか?」
「ララならそう言ってくれると思ったよ!」
ララは、コリンの無言の迫りに根負けし、肩を落とした。コリンは、明らかにララの〝その言葉〟を待っていたと言わんばかりに、両手を広げ嬉しそうだ。
「コリンよ、こんな小娘に何が出来る?」
ベラは、片眉を上げながらララを見て、不満そうにコリンに言った。ララは、そのベラの厳しい目を見ることができず、うつむきながらモジモジとその場に立ちつくしていた。
「オレに考えがある。と言っても、簡単なことだ。人間にしか出来ないこと、人間というより、ララにしか出来ないことだな」
「何なの?」
ララは、不安そうな顔をしていた。何かとんでもないこと言いそうな雰囲気がコリンから出ている。ララはそう感じた。
「簡単だよ! カイヤックブールの話し相手になればいいんだよ」
「はあぁぁぁ!?」
ララは、大きな声で叫んだ。やっぱりコリンは、とんでもないことを言い始めた。コリンは笑っているが、ララにとっては笑いごとではない。
「ふざけているのか!」
ベラも、憤慨した。ララも、さすがに手に負えないと、両手を一回振ると肩を落としてイスにドスンと腰掛けた。
「大真面目さ!」
コリンは、両手を大きく開きながら、演説するように話した。
「私、あなたたちの世界のことはよく知らないけど……、私もあまりいい考えとは思わないわ」
ララは、頭を振りながらコリンに言った。ゴーストブックたちも、集まってヒソヒソ何かを言い合っている。
「じゃあ、誰かいい策でもあるのか? ドラゴンを呼ぶか? 狼憑きを呼ぶか? それとも、デーモンを召喚して地獄に連れて行ってもらうか? どれも、奴を倒せるが、倒しただけじゃすまんぞ」
一同は、黙り込んでしまった。黙ったメンバーの中で、ベラだけがコリンをキッと睨んでいた。その顔は、何も思いつかない自分への怒りと、あまりにも軽率な発言をするコリンへの憎悪が入り混じった顔だった。その顔を見たララは、悪戯でコーンポタージュの中に虫の抜け殻を入れて飲ませたときの、レジュリーの怒鳴り顔に似ていたのを思い出した。ララは、ゾッとした。
「何もないのか? じゃあ、オレの話をよく聞いてくれたまえ」
コリンは、胸を張り威張り散らしながら言い放った。一同は、いっせいにコリンから目をそらした。
「ではまず――」お構いなしに、コリンの話は続いた。
「オレとベラ、ララの三人で山の頂を目指す」
「ちょっと待った!」
「オレたちは?」
ゴーストブックたちが、意義を申し出た。
「濡れてもいいなら来いよ」
コリンの言葉に、ゴーストブックたちは一瞬止まった後、口(開いていたページ)を閉じると、普通の本のようにテーブルの上で寝てしまった。
「ハハハ、やっぱり濡れたくはないんだな」
コリンの大きな笑い声が、部屋中に響いた――ゴーストブックたちは、何も反応しない。
「でだ、オレたちは森の中をまだすべて把握してない。だから、森の道案内をベラに頼む」
「断る権利は?」
「じゃあ、一生奴の報復を恐れながら冬を過ごすか?」
「誰が、奴を怖れるか! 私を愚弄するなら、ただでは済まんぞ!」
ベラが怒りをあらわにしたと同時に、窓ガラスがミシミシと音を立てて凍った。窓にクモの巣のように霜が徐々に広がって凍っていく。とても緻密な霜の巣は、あっという間に窓一面に張り巡らされた。ララは、自分も氷漬けにされるのではないかという恐怖にかられた。
「お前の力が弱まっていくのを止めれるのも、このララだぞ」
コリンは、胸を張り仁王立ちになって言った。
「何?」ベラの目が一段と鋭くなる。
「こんな小娘に何が出来る」
ベラはララを見ながら、鼻で笑うように言った。その鋭い目はララに向けられると、ララは全身に鳥肌が立った。
「こんな小娘だから出来ることがある」
コリンの強い言葉は、ララに重くのしかかる。何もできないのに、ララの頭の中でコリンの言葉が、はち切れそうになるぐらい広がっていった。
「出来なかったときは、どうするつもりだ?」
「そうだな……、奴を道ずれに、崖から落ちるさ」
コリンは、笑いながら言った。
「――その言葉、忘れるなよ」
ベラの顔が元に戻った。まるで、コリンが崖から落ちるところを想像してあざ笑うかのような顔だった。
「はいよ。ララ、お前を山の頂に連れていったあとが大切だ。奴は、自分の失敗を背負い過ぎた。ゆえに、自分の中で憎しみをためているんだ。お前は奴に似て、ひねくれて、悪さばかりする――」
ララは、コリンを睨みつけた――あんたに私の何がわかる!
「だが、それが奴を罪から解き放つことになる。あいつの話を聞いて、お前の言葉で励ましてやってくれ」
「はげ……ます?」
ララは、顔をしかめた。何も知らない相手を、どうやって励ますのか頭の中で考えたが、答えはまったく見つからない。
「ああ、そうだ。ララは、親に話を聞いてもらえないとき腹が立たないか? 話を我慢するのが辛いと思ったことはないか?」
「……たくさんある」
ララは、小さな声で言った。ララが学校であった楽しい出来事を話そうとしたとき、「今、忙しい」の一言で済まされることが、とても腹立たしく、悲しかったことを思い出した。
「奴もそうだ。失敗をしたことを誰にも慰め、励ましてもらえなかった――というより、そうする前に罪というものが奴に伸しかかった。そのとき、まわりには誰もいなかったし、カイヤックブール一人だったからな。だから、その罪を解放できるのは、同じ気持ちを持ち理解できるお前だけだ。頼む! カイヤックブールと話をしてやってもらえないか?」
「……うん」
ララは、コリンの迫力のある頼み方に、半ば強引にうなずかされてしまった。うなずいたものの、そんなことで何が変わるのか、という疑問は拭えなかった。でもそれ以上に、自分と同じ気持ちを持つ人に会ってみたいという好奇心が、不安という気持ちを勝った。
「よし! いい子だ! じゃあ、いつにする? お前の好きなときに行こう! でも、なるべく早く行かないと。いつだ? 三日後、四日後か?」
「そんなには待てん」
「だけどベラ、ララにだって心の準備が――」
「明日」
「へ?」
コリンは、意表を突かれた顔をしている。ベラもゆっくりとララに目を移す。寝ていたゴーストブック、黙って存在を消していたセチアもララを見た。
「そんなに急がなくても――」
「だって私、明後日には札幌に帰るのよ」
「そうなの???!!!」
コリンは、驚きに顔のパーツすべてが飛び出そうになっている。ベラも、表情を変えず目だけを見開いて驚いている。ゴーストブックは、ページを見開いてお互いを見合い、セチアは手で頬を押し潰し大きく口を開け驚いていた。ララは、なぜそんなに驚いているのか、まったくわからないまま、ポカーンとみんなの顔を見渡した。
「だって、新年は毎年札幌で過ごしてるの。おばあちゃんも一緒よ」
「あいつも行くのか!?」
コリンは、悔しそうに足を一回踏み鳴らした――その踏み鳴らしたときの音が面白かったのか何か知らないが、コリンは何回か足を踏み鳴らしながら笑っている。
「急がねば……」
ベラが窓の外を見ながら物静かに言った。コリンはそれを見ると、いきなり真剣になって話した。
「ああ、急がねば……」
コリンは、ベラの話し方を真似した――その瞬間、ベラがコリンを鋭い目で見て睨みつけた。その目を見たコリンは、満面の笑みで返した。
ララは静かにドアを開け、廊下に誰もいないことを確認した。そして、抜き足で寝室に向かい、静かに部屋の中へと入る。ララが静かに寝室のドアを閉めると、プースリはまだベッドの中で寝ていた。
だがここで、ララは一つ気付いたことがあった。プースリの戻し方を教わっていない。ララは、プースリを見下ろしながら、腕を組んで考えた。
「どうしよう……」
ララは、思いつく言葉をプースリにかけた。「戻れ!」「ありがとう」「終わりよ」「早く!」「コラ!」「てめえ!」「お願い……」。プースリは、全然反応がなかった。
「もう……、起きろ!!!」
ララは、苛立ちに思わず叫んでしまった。「しまった!」と思ったときには、下の部屋のドアが勢いよく開き、階段を上ってくる音がした。
「やばい!」
ララが、どうしようもないと思い、ベッドに潜り込もうとしたとき、プースリが目を見開いてみたまま、小さくなり元の大きさに戻った。そして、そのまま寝てしまった。
「ラッキー!」
ララは指を一回弾くと、急いでベッドにもぐり込んだ。
「どうしたの!?」
レジュリーが、ドアを思い切り開けてララを見て叫んだ。
「う~ん……、何?」
ララは、さも今起こされたかのように体を起こした。
「今、やめろって叫ばなかった?」
「叫んでないよ……」
ララは、目をこすりながら頭を振った。確かに、ララは「やめろ」とは言っていなかった。
「そう、ならよかった――〟あいつ‶が来たのかと思った……」レジュリーは、胸をなでおろすと、「もうすぐ夕食だから、もう少し寝てなさい」と言って寝室を出た。
ララは、間一髪のところで難を逃れた。でも、一つわかったことがある――この家の大人三人はカイヤックブールの存在を知っていたのだ。
プースリは、何事もなかったかのように、ララの隣でスヤスヤ寝ていた。
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