もしもあの夜、玲奈を抱いていたら【R18完結】番外編

月村 未来(つきむら みらい)

文字の大きさ
3 / 19
第一章 グラス越しの再会

2話 あなたを、口説きたかった夜

しおりを挟む




──その言葉を聞いた瞬間、ケイの頭に、あの頃の光景が鮮やかによみがえった。


まだ玲奈が同じ部署にいた頃。
大手取引先との合同プロジェクトで、毎日が数字とスケジュールに追われる日々だった。
その中で、ケイは誰よりも冷静に状況を見て、必要な部分だけに声を出すタイプだった。

「風間くん、ここの仕様、あと一日で変えられる?」

夕方、会議室の白い蛍光灯の下、
資料を片手に玲奈が近づいてきた。
その声色はいつもと同じ落ち着きなのに、
近くで見ると瞳の奥がわずかに焦っている。

「……できます。少し残業になりますが」

ケイが答えると、玲奈はふっと安堵したように口元を緩めた。

「助かる」

──そう短く言っただけで、また前を向く。




それから数時間後。
残業組もまばらになったオフィスで、
ケイは一人、修正作業のキーボードを叩いていた。

背後から、軽い足音。

「……おつかれ」

紙コップのコーヒーを差し出す玲奈が立っていた。

「先輩、まだ帰ってなかったんですか」

「帰れるわけないでしょ。
私、これしかできないから……こういう時、そばにいることくらい」

冗談めかして笑ったけれど、
その声には微かに本音が混ざっていた。


ケイは何も返せず、ただカップを受け取った。
飲み口から立ち上る香りが、さっきの玲奈の香水と重なって、
胸の奥に熱を落とす。


「……風間くんて、こういう時、ほんと頼りになるよね」


玲奈が背中越しにそう言った。
オフィスの照明は半分落とされ、窓際には夜景がにじんでいた。

言葉の響きだけがやけに耳に残り、
作業画面に視線を戻しても、指がわずかに止まる。


そして──あの打ち上げの日。

大きなプロジェクトが終わり、
賑やかな居酒屋の座敷は熱気と笑い声でいっぱいだった。

ケイが席を立ち、店内奥のトイレへ向かうと、
ちょうど出入口で玲奈と鉢合わせた。

「あ……」

「風間くん」

玲奈は少し笑って、手にしたハンカチで指先を押さえていた。

「氷で冷やしてたの。グラス、思いきりぶつけちゃって」

「大丈夫ですか?」

ケイの声は落ち着いていたが、
彼女の指先に残る赤みが妙に気になった。

「平気よ。ほら、私って仕事終わってもドジだから」

軽く肩をすくめた玲奈が、冗談めかして笑う。

──でも、その目は、笑っていなかった。

ふわりと漂う香水の甘さ。
ほんの一歩分の距離。
意識した瞬間、急に空気が濃くなる。

玲奈はゆっくりとケイを見上げた。
ほんのわずか、目を細めて──
そのまま、静かに言う。

「……今日のあなた、ちょっとカッコよかった」

一拍の沈黙。

「え?」

返すケイの声は、わずかに掠れていた。

「いつも頼りにしてるけど、今日は特にね。
……ずっと落ち着いてて」

指先の氷がハンカチの中で小さく鳴る。
ケイは言葉を探して口を開きかけ──でも、やめた。

あの瞳の熱を、どう受け止めればいいのか分からなかった。

「……みんな、待ってるから」

玲奈は先に視線を逸らし、ひと呼吸おいてから言った。

踵を返すその動きに、ふわっと髪が揺れる。
すれ違いざま、ケイの肩に触れた玲奈の指が──
ほんの一瞬、そこに留まった。

「……ねえ、風間くん」

その背を向けたまま、玲奈がぽつりと呟く。

「たまには、そういう顔もしていいのよ」

振り返る前に、玲奈はすっと歩き出す。
その背中を見送りながら、ケイは動けずにいた。

──もし、あの時、言葉にしていたら。
何かは、確かに変わっていた。

でもケイはただ、あの“空気”を、
「気づかなかったふり」で通り過ぎた。




しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

危険な残業

詩織
恋愛
いつも残業の多い奈津美。そこにある人が現れいつもの残業でなくなる

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

無表情いとこの隠れた欲望

春密まつり
恋愛
大学生で21歳の梓は、6歳年上のいとこの雪哉と一緒に暮らすことになった。 小さい頃よく遊んでくれたお兄さんは社会人になりかっこよく成長していて戸惑いがち。 緊張しながらも仲良く暮らせそうだと思った矢先、転んだ拍子にキスをしてしまう。 それから雪哉の態度が変わり――。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...