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「おれもう帰ろうかな」
部室に移動して一時間ほど練習したところで、瀬尾は楽器を置いて高井に油を売りに来ていた。まだ三時限目の最中のせいか、今日は二人の他に人はまだいない。
「あ、いったん帰る? じゃあさ、帰る前にちょっとだけ付き合って」
「そしてそのまま来ないでおこうかな」
高井は、自分の発言が無視されたことに反論するよりも、抑揚のない瀬尾の言葉を流せず食いつく。
「えぇ、休むってこと? どうしたの、なんかあったの」
べつに、と言ってため息をつく瀬尾。高井はなにかあったんだろうなとは思ったが、どうしたら瀬尾がそれを吐き出してくれるかわからなかった。彼はあまり自分のことを話したがらない。
「でもさ、もしかしたら、入部希望のオーボエの子、今日来るかもよ?」
雑談のつもりで振った話題だったが、瀬尾の動きが一瞬止まったのが高井にもわかった。
瀬尾は身体中の気体を吐き出すかのような長い長い息をついた。
「あぁ、そのこと? もしかして」
恐る恐る、高井は訊ねる。どこで瀬尾の逆鱗に触れるかわからない。以前も瀬尾を怒らせて、しばらく口をきいてくれなくなったことがあった。
「なに、そのことって」
瀬尾の目は冷たい。そこを無理に掘り進んでいくのは得策ではないと高井は思ったが、他に糸口がない。言葉を探していたら、瀬尾がため息をついて口を開いた。
「昼あの人に会ったとき、言ってた。今日新しい子がくるって」
「あの人って、黒川さん?」
聞きながら、それ以外にいないよな、と高井は内心苦笑する。瀬尾はうんともすんとも言わず、低い宙をぼんやりと見ていた。
「心配ないって。たぶん、いい子だと思うよ。見た感じだけどさ」
高井は、瀬尾が何かを心配しているのかもわからないまま気休めを言う。やはり瀬尾は、顔も向けず動かなかった。
仕方なく、高井はそれ以上言うのをやめる。空気を変えようと努めて明るく二の句を継いだ。
「まあ、それはいいとして。さっきも言いかけたねど、気分転換に付き合ってよ」
瀬尾はようやく少し目を動かし、高井を見る。
「なに」
「ちょっと一緒に合わせて欲しい曲があってさ」
言いながら、高井は床に置いたリュックから楽譜を取り出した。
「おれ、初見とか得意じゃないんだけど」
瀬尾は乗り気でないながらも、高井の手元を覗き込む。
それは五線紙に手書きで書かれたものだった。
「これ、なに」
瀬尾が高井を見た。高井は少し照れくさそうに笑う。
「ちょっと、書いてみたんだ」
「書いてみたって、どういうこと」
「曲、になってるかわかんないけど」
言うと、瀬尾はへえと感嘆の声を上げた。
「曲、つくったってこと?すごいね」
「いや、でもメロディだけなんだよ。で、ちょっと試しに瀬尾に伴奏を頼みたくさ」
高井は譜面台に楽譜をセットして、楽器を構えて瀬尾を見る。期待に満ちた眼差しを受けて、瀬尾は渋々楽器を準備した。
「で、おれはなにをすればいいわけ?」
「伸ばしでも刻みでもいいんだけどさ、四拍ずつ、C、G、A、Cを4回繰り返し鳴らしてくんないかな?オレがメロディ吹くから」
空色のメトロノームを72に合わせる高井。歩くような速度が提示される。
「C、G、A、Cね……間違えそう」
「突然頼んだしいいよ、むしろ楽譜がなくてごめん」
「あっても、おれすぐ読めないからいいよ」
瀬尾の声の調子が戻ってきたことに内心安堵しながら、高井はカウントを取った。
ダブルリードの哀愁ある音が伸び、その上にトランペットが緩やかに舞う。どこか牧歌的な、陽光の下で穏やかに散歩をしているようなイメージのメロディ。
指定された16小節を終え、高井は確かめるように何度も小さく頷く。
「これ、このメロディつくったのってすごいね」
瀬尾は素直に感想を伝えた。高井は嬉しそうに笑う。
「オレ、ちょっと思うところがあってさ。曲作りなんてよく分からないけど、やってみようと思って」
「ふうん、作曲家にでもなるの?」
「そんな大層な構想じゃないよ。ただちょっと、やってみたいと思っただけ」
少しぼやかして言う高井に、瀬尾はそれ以上突っ込みはしなかった。
結局その後、雑談や練習で時間が過ぎ、徐々に部員も集まって瀬尾は帰る機を逃した。
部室に移動して一時間ほど練習したところで、瀬尾は楽器を置いて高井に油を売りに来ていた。まだ三時限目の最中のせいか、今日は二人の他に人はまだいない。
「あ、いったん帰る? じゃあさ、帰る前にちょっとだけ付き合って」
「そしてそのまま来ないでおこうかな」
高井は、自分の発言が無視されたことに反論するよりも、抑揚のない瀬尾の言葉を流せず食いつく。
「えぇ、休むってこと? どうしたの、なんかあったの」
べつに、と言ってため息をつく瀬尾。高井はなにかあったんだろうなとは思ったが、どうしたら瀬尾がそれを吐き出してくれるかわからなかった。彼はあまり自分のことを話したがらない。
「でもさ、もしかしたら、入部希望のオーボエの子、今日来るかもよ?」
雑談のつもりで振った話題だったが、瀬尾の動きが一瞬止まったのが高井にもわかった。
瀬尾は身体中の気体を吐き出すかのような長い長い息をついた。
「あぁ、そのこと? もしかして」
恐る恐る、高井は訊ねる。どこで瀬尾の逆鱗に触れるかわからない。以前も瀬尾を怒らせて、しばらく口をきいてくれなくなったことがあった。
「なに、そのことって」
瀬尾の目は冷たい。そこを無理に掘り進んでいくのは得策ではないと高井は思ったが、他に糸口がない。言葉を探していたら、瀬尾がため息をついて口を開いた。
「昼あの人に会ったとき、言ってた。今日新しい子がくるって」
「あの人って、黒川さん?」
聞きながら、それ以外にいないよな、と高井は内心苦笑する。瀬尾はうんともすんとも言わず、低い宙をぼんやりと見ていた。
「心配ないって。たぶん、いい子だと思うよ。見た感じだけどさ」
高井は、瀬尾が何かを心配しているのかもわからないまま気休めを言う。やはり瀬尾は、顔も向けず動かなかった。
仕方なく、高井はそれ以上言うのをやめる。空気を変えようと努めて明るく二の句を継いだ。
「まあ、それはいいとして。さっきも言いかけたねど、気分転換に付き合ってよ」
瀬尾はようやく少し目を動かし、高井を見る。
「なに」
「ちょっと一緒に合わせて欲しい曲があってさ」
言いながら、高井は床に置いたリュックから楽譜を取り出した。
「おれ、初見とか得意じゃないんだけど」
瀬尾は乗り気でないながらも、高井の手元を覗き込む。
それは五線紙に手書きで書かれたものだった。
「これ、なに」
瀬尾が高井を見た。高井は少し照れくさそうに笑う。
「ちょっと、書いてみたんだ」
「書いてみたって、どういうこと」
「曲、になってるかわかんないけど」
言うと、瀬尾はへえと感嘆の声を上げた。
「曲、つくったってこと?すごいね」
「いや、でもメロディだけなんだよ。で、ちょっと試しに瀬尾に伴奏を頼みたくさ」
高井は譜面台に楽譜をセットして、楽器を構えて瀬尾を見る。期待に満ちた眼差しを受けて、瀬尾は渋々楽器を準備した。
「で、おれはなにをすればいいわけ?」
「伸ばしでも刻みでもいいんだけどさ、四拍ずつ、C、G、A、Cを4回繰り返し鳴らしてくんないかな?オレがメロディ吹くから」
空色のメトロノームを72に合わせる高井。歩くような速度が提示される。
「C、G、A、Cね……間違えそう」
「突然頼んだしいいよ、むしろ楽譜がなくてごめん」
「あっても、おれすぐ読めないからいいよ」
瀬尾の声の調子が戻ってきたことに内心安堵しながら、高井はカウントを取った。
ダブルリードの哀愁ある音が伸び、その上にトランペットが緩やかに舞う。どこか牧歌的な、陽光の下で穏やかに散歩をしているようなイメージのメロディ。
指定された16小節を終え、高井は確かめるように何度も小さく頷く。
「これ、このメロディつくったのってすごいね」
瀬尾は素直に感想を伝えた。高井は嬉しそうに笑う。
「オレ、ちょっと思うところがあってさ。曲作りなんてよく分からないけど、やってみようと思って」
「ふうん、作曲家にでもなるの?」
「そんな大層な構想じゃないよ。ただちょっと、やってみたいと思っただけ」
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