8 / 10
2-2
しおりを挟む
今にも雨の降りそうな雲の立ち込めた、しっとりとした空を見上げて、瀬尾はため息をついた。
昼間一時晴れてたってのに……傘なんて、持ってきてないし。
胸中呟きながら楽器ケースを持って、部室から教室へ移動していた瀬尾は、はっとして足を止めて後ろを振り返った。同じく楽器ケースとカバンを肩にかけた茉白が、小走りで瀬尾に追いついてくる。
なんであの人、いないんだか。
面倒だなとため息を吐きそうになるのを寸ででこらえて、瀬尾は茉白が追いついて来たのを確かめ再び歩みを進め始めた。
黒川から今日の練習を休むと連絡があったのは夕刻のことだ。理学部生の彼は、研究発表が近く準備のために抜けられないと言っていた。
『青井さんにも伝えておいてくれ。今日の練習では彼女のことを頼んだよ』
そんな言伝で締めくくられた。頼まれても困る、というのが正直なところだったが、それは言葉にしなかった。
とりあえず教室までは一緒に行って、練習して、部室まで一緒に帰って来れば及第点でしょ。
などと考えながら、時折後ろの気配を気にしつつ練習場所の教室にたどり着く。道中どちらもとも、一言も発しなかった。
楽器ケースを置き、教室の手頃な位置に自身の練習スペースを構築しようとした瀬尾は、一応一言彼女に声をかけておこうかと視線を動かした。茉白が視界に入る前に、予想外の至近距離から「あの」と声をかけられ、瀬尾は不意を突かれて思わずびくっと体が動く。
少し離れたところにいた茉白が、いつの間にかすぐ近くまでやってきていた。
「びっくりした。どうしたの」
素の反応が出た瀬尾を、茉白が何やら切迫した目で下から見上げる。
「あの、瀬尾さんに、聞きたいことがあって」
そんな顔して聞かれても、おれ何にもわかんないんだけど。
嫌な予感しかしない、と顔に書いた瀬尾は口では「なに」と先を促す。茉白は一旦視線を落とし、何度か躊躇いながら再び顔を上げて瀬尾を見た。
「あの。瀬尾さんは、黒川さんを尊敬してますか」
どう解釈したものか分からず、瀬尾はあからさまに不愉快な顔をする。
「なにそれ、どういうこと」
意図せず声が低くなったことが茉白を驚かせたようだが、構うことすら面倒だ。
「あ、あの、変な意味じゃあないんです、あの、なんていうか、わたしもそうなので」
瀬尾の表情は変わらないが、茉白も声をかけてきた勢いの余力で言葉を続ける。
「わたしも、黒川さんの音楽がすごく素敵だと思って、憧れて、あんなふうになりたいと思ってこのオケに入ったんです。だから」
「だからなに?」
きらきらした言葉の連続が聞くに耐えなくて、思わず瀬尾は茉白を遮る。
意図した以上に、自身の声が冷たく空気を震わせた。それは、瀬尾の動揺の表れだった。
茉白は気圧されたように口を噤む。
居心地の悪い沈黙が流れた。
起死回生の魔法の一言などは、瀬尾も茉白も持ち合わせていない。
苦し紛れに息をついて言い放った瀬尾の言葉に、茉白は凍りついた。
「おれ、きみと仲良くする気、ないから」
昼間一時晴れてたってのに……傘なんて、持ってきてないし。
胸中呟きながら楽器ケースを持って、部室から教室へ移動していた瀬尾は、はっとして足を止めて後ろを振り返った。同じく楽器ケースとカバンを肩にかけた茉白が、小走りで瀬尾に追いついてくる。
なんであの人、いないんだか。
面倒だなとため息を吐きそうになるのを寸ででこらえて、瀬尾は茉白が追いついて来たのを確かめ再び歩みを進め始めた。
黒川から今日の練習を休むと連絡があったのは夕刻のことだ。理学部生の彼は、研究発表が近く準備のために抜けられないと言っていた。
『青井さんにも伝えておいてくれ。今日の練習では彼女のことを頼んだよ』
そんな言伝で締めくくられた。頼まれても困る、というのが正直なところだったが、それは言葉にしなかった。
とりあえず教室までは一緒に行って、練習して、部室まで一緒に帰って来れば及第点でしょ。
などと考えながら、時折後ろの気配を気にしつつ練習場所の教室にたどり着く。道中どちらもとも、一言も発しなかった。
楽器ケースを置き、教室の手頃な位置に自身の練習スペースを構築しようとした瀬尾は、一応一言彼女に声をかけておこうかと視線を動かした。茉白が視界に入る前に、予想外の至近距離から「あの」と声をかけられ、瀬尾は不意を突かれて思わずびくっと体が動く。
少し離れたところにいた茉白が、いつの間にかすぐ近くまでやってきていた。
「びっくりした。どうしたの」
素の反応が出た瀬尾を、茉白が何やら切迫した目で下から見上げる。
「あの、瀬尾さんに、聞きたいことがあって」
そんな顔して聞かれても、おれ何にもわかんないんだけど。
嫌な予感しかしない、と顔に書いた瀬尾は口では「なに」と先を促す。茉白は一旦視線を落とし、何度か躊躇いながら再び顔を上げて瀬尾を見た。
「あの。瀬尾さんは、黒川さんを尊敬してますか」
どう解釈したものか分からず、瀬尾はあからさまに不愉快な顔をする。
「なにそれ、どういうこと」
意図せず声が低くなったことが茉白を驚かせたようだが、構うことすら面倒だ。
「あ、あの、変な意味じゃあないんです、あの、なんていうか、わたしもそうなので」
瀬尾の表情は変わらないが、茉白も声をかけてきた勢いの余力で言葉を続ける。
「わたしも、黒川さんの音楽がすごく素敵だと思って、憧れて、あんなふうになりたいと思ってこのオケに入ったんです。だから」
「だからなに?」
きらきらした言葉の連続が聞くに耐えなくて、思わず瀬尾は茉白を遮る。
意図した以上に、自身の声が冷たく空気を震わせた。それは、瀬尾の動揺の表れだった。
茉白は気圧されたように口を噤む。
居心地の悪い沈黙が流れた。
起死回生の魔法の一言などは、瀬尾も茉白も持ち合わせていない。
苦し紛れに息をついて言い放った瀬尾の言葉に、茉白は凍りついた。
「おれ、きみと仲良くする気、ないから」
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる