アンダンテ・メトロノーム

古城乃鸚哥

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 今にも雨の降りそうな雲の立ち込めた、しっとりとした空を見上げて、瀬尾はため息をついた。
 昼間一時晴れてたってのに……傘なんて、持ってきてないし。
 胸中呟きながら楽器ケースを持って、部室から教室へ移動していた瀬尾は、はっとして足を止めて後ろを振り返った。同じく楽器ケースとカバンを肩にかけた茉白が、小走りで瀬尾に追いついてくる。
 なんであの人、いないんだか。
 面倒だなとため息を吐きそうになるのを寸ででこらえて、瀬尾は茉白が追いついて来たのを確かめ再び歩みを進め始めた。
 黒川から今日の練習を休むと連絡があったのは夕刻のことだ。理学部生の彼は、研究発表が近く準備のために抜けられないと言っていた。
『青井さんにも伝えておいてくれ。今日の練習では彼女のことを頼んだよ』
 そんな言伝で締めくくられた。頼まれても困る、というのが正直なところだったが、それは言葉にしなかった。
 とりあえず教室までは一緒に行って、練習して、部室まで一緒に帰って来れば及第点でしょ。
 などと考えながら、時折後ろの気配を気にしつつ練習場所の教室にたどり着く。道中どちらもとも、一言も発しなかった。
 楽器ケースを置き、教室の手頃な位置に自身の練習スペースを構築しようとした瀬尾は、一応一言彼女に声をかけておこうかと視線を動かした。茉白が視界に入る前に、予想外の至近距離から「あの」と声をかけられ、瀬尾は不意を突かれて思わずびくっと体が動く。
 少し離れたところにいた茉白が、いつの間にかすぐ近くまでやってきていた。
「びっくりした。どうしたの」
 素の反応が出た瀬尾を、茉白が何やら切迫した目で下から見上げる。
「あの、瀬尾さんに、聞きたいことがあって」
 そんな顔して聞かれても、おれ何にもわかんないんだけど。
 嫌な予感しかしない、と顔に書いた瀬尾は口では「なに」と先を促す。茉白は一旦視線を落とし、何度か躊躇いながら再び顔を上げて瀬尾を見た。
「あの。瀬尾さんは、黒川さんを尊敬してますか」
 どう解釈したものか分からず、瀬尾はあからさまに不愉快な顔をする。
「なにそれ、どういうこと」
 意図せず声が低くなったことが茉白を驚かせたようだが、構うことすら面倒だ。
「あ、あの、変な意味じゃあないんです、あの、なんていうか、わたしもそうなので」
 瀬尾の表情は変わらないが、茉白も声をかけてきた勢いの余力で言葉を続ける。
「わたしも、黒川さんの音楽がすごく素敵だと思って、憧れて、あんなふうになりたいと思ってこのオケに入ったんです。だから」
「だからなに?」
 きらきらした言葉の連続が聞くに耐えなくて、思わず瀬尾は茉白を遮る。
 意図した以上に、自身の声が冷たく空気を震わせた。それは、瀬尾の動揺の表れだった。
 茉白は気圧されたように口を噤む。
 居心地の悪い沈黙が流れた。
 起死回生の魔法の一言などは、瀬尾も茉白も持ち合わせていない。
 苦し紛れに息をついて言い放った瀬尾の言葉に、茉白は凍りついた。
「おれ、きみと仲良くする気、ないから」
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