アンダンテ・メトロノーム

古城乃鸚哥

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「え、それで、そのまま彼女置いてきたの!?」
 トランペットの練習室へ逃げ込んだ瀬尾は、高井の上げた声の勢いに吹き飛ばされそうで思わず仰け反った。
 トランペットの練習室は210で、一番端だ。メンバーは高井の他に、同じ二回生の清水亜季しみずあきがいる。彼女も少し離れたところから、瀬尾を呆れた目で見ていた。
「ちょっと、気分転換だよ」
 瀬尾は、二人の信じられないものを見るような視線を避けて目を落とす。
「いや瀬尾くん、そりゃないよ。まだ入部して間もないのに、そんなこと言って置いてくるなんて」
 清水は少し怒っているようだった。彼女は楽器を置いて、瀬尾たちに近づいてくる。高井はそっと瀬尾を伺うが、瀬尾は不貞腐れて顔を上げない。
「そうはいったって、あのままあの場にいてもおれじゃなにもできないし」
 助けを求めて逃げて来たのは事実だった。ただ、頭から非難されるとなかなか素直になれない。
「何もできないって、自分がそういう空気にしたんでしょ?」
 ちょっと様子見て来る、と清水は不機嫌な顔のまま出て行った。
「まあ、清水さんしっかりとしてるから。悪いけどちょっと任せておこうか」
 高井が励ますように弱く笑った。視界の隅でそれを捉えて、瀬尾は息をつく。
「どうしたらいいのかわからなくなったのは、ほんとだよ」
「うん。でも珍しいよな、瀬尾がそんなこというの」
 高井の言葉に、心当たりのなかった瀬尾は反応しなかった。なにが珍しいのか、そんなことってなんなのか。自分では、好き嫌いも明確で態度に出る性質だと思っているのだが。
「どうも苦手だよ、ああいうタイプ。どんな言動でも脅かしそうで」
「ああ、それはあるかもね。瀬尾は特にね」
 高井は軽く笑いながら相槌を打った。瀬尾は肩を竦める。
「だから、距離を取ってんのに」
「ああ、敢えてそうしてるんだ?でもさ、逆にああいうタイプ、意外とタフだったりするかもよ?」
 なんてよく知らないけど、と高井は腕を頭の後ろで組んで椅子にもたれかかった。
「オレだったら、瀬尾と逆の意味でうまく喋れないかもなぁ」
「逆って」
「かわいいからさ、嫌われたくなくて近づけないかも」
「へぇ、ああいうのが好みなわけ」
 冗談とも本気ともつかない様子の高井を意外に思って、瀬尾は素直に驚いた。
「意地悪な先輩から守ってあげたくなるくらいにはね」
「べつに、意地悪ってわけじゃないし」
 言いながら、それ以上弁解のしようもないことを悟る。自分の立場を守り通したいわけではなかったが、高井も完全に味方ではないかもしれないと思うと、瀬尾はふいに孤独感に苛まれた。
「そりゃあ、ちょっとは言い方とか、悪かったと思ってるけど」
 声に力がないことに気づいたのか、高井はまた軽い調子で笑う。
「じゃあそれ、言ってあげればいいんじゃないの、とりあえずは」
 そうするよ、と前向きな言葉を絞り出して、瀬尾は自分の思考が悪い方へと流れることを押し留めた。
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