アンダンテ・メトロノーム

古城乃鸚哥

文字の大きさ
9 / 10

2-3

しおりを挟む
「え、それで、そのまま彼女置いてきたの!?」
 トランペットの練習室へ逃げ込んだ瀬尾は、高井の上げた声の勢いに吹き飛ばされそうで思わず仰け反った。
 トランペットの練習室は210で、一番端だ。メンバーは高井の他に、同じ二回生の清水亜季しみずあきがいる。彼女も少し離れたところから、瀬尾を呆れた目で見ていた。
「ちょっと、気分転換だよ」
 瀬尾は、二人の信じられないものを見るような視線を避けて目を落とす。
「いや瀬尾くん、そりゃないよ。まだ入部して間もないのに、そんなこと言って置いてくるなんて」
 清水は少し怒っているようだった。彼女は楽器を置いて、瀬尾たちに近づいてくる。高井はそっと瀬尾を伺うが、瀬尾は不貞腐れて顔を上げない。
「そうはいったって、あのままあの場にいてもおれじゃなにもできないし」
 助けを求めて逃げて来たのは事実だった。ただ、頭から非難されるとなかなか素直になれない。
「何もできないって、自分がそういう空気にしたんでしょ?」
 ちょっと様子見て来る、と清水は不機嫌な顔のまま出て行った。
「まあ、清水さんしっかりとしてるから。悪いけどちょっと任せておこうか」
 高井が励ますように弱く笑った。視界の隅でそれを捉えて、瀬尾は息をつく。
「どうしたらいいのかわからなくなったのは、ほんとだよ」
「うん。でも珍しいよな、瀬尾がそんなこというの」
 高井の言葉に、心当たりのなかった瀬尾は反応しなかった。なにが珍しいのか、そんなことってなんなのか。自分では、好き嫌いも明確で態度に出る性質だと思っているのだが。
「どうも苦手だよ、ああいうタイプ。どんな言動でも脅かしそうで」
「ああ、それはあるかもね。瀬尾は特にね」
 高井は軽く笑いながら相槌を打った。瀬尾は肩を竦める。
「だから、距離を取ってんのに」
「ああ、敢えてそうしてるんだ?でもさ、逆にああいうタイプ、意外とタフだったりするかもよ?」
 なんてよく知らないけど、と高井は腕を頭の後ろで組んで椅子にもたれかかった。
「オレだったら、瀬尾と逆の意味でうまく喋れないかもなぁ」
「逆って」
「かわいいからさ、嫌われたくなくて近づけないかも」
「へぇ、ああいうのが好みなわけ」
 冗談とも本気ともつかない様子の高井を意外に思って、瀬尾は素直に驚いた。
「意地悪な先輩から守ってあげたくなるくらいにはね」
「べつに、意地悪ってわけじゃないし」
 言いながら、それ以上弁解のしようもないことを悟る。自分の立場を守り通したいわけではなかったが、高井も完全に味方ではないかもしれないと思うと、瀬尾はふいに孤独感に苛まれた。
「そりゃあ、ちょっとは言い方とか、悪かったと思ってるけど」
 声に力がないことに気づいたのか、高井はまた軽い調子で笑う。
「じゃあそれ、言ってあげればいいんじゃないの、とりあえずは」
 そうするよ、と前向きな言葉を絞り出して、瀬尾は自分の思考が悪い方へと流れることを押し留めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...