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6・あの夜を思い出して
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矢嶋の後に続き黙々と歩きながら、私は彼の背中をにらんでいた。
仕事場なのだから、さすがに彼も社会人として真っ当な態度で接してくるだろうと思っていた。それなのに、あのおかしな呼び方をするなんてと、怒りがむくむくと沸き起こっていた。辻がいたあの場では恥ずかしさの方が先に立って黙ってしまったが、やはり文句の一つも言わないと収まらない気分だ。
その気持ちが念となって届いたのか、私の前を歩いていた矢嶋が不意に立ち止まった。ついさっきまでの不機嫌そうな顔はどこへ行ったのか。振り返った彼は私の顔をしげしげと見てにやりと笑った。
「いつにも増して、ますますいい感じの大きなたこ焼きが乗っかってるじゃないか」
この前は無駄にいい声で私の名前を呼んだくせに、とさらに腹が立つ。
「いい加減に……!」
その先の言葉は飲み込んだ。廊下の向こう側から、局内の人と思われる一団がやってきたのだ。すれ違いざまに矢嶋と挨拶を交わしていくその中に、ぽうっと熱に浮かされたような目で矢嶋を見ている女性がいた。通りすがりに彼女は私に怪訝な目を向けたが、そこにあったのは敵意かあるいは嫉妬のようなものだったと思う。
そういう視線を向けられたのは、その時だけではなかった。スタジオに着くまでの間に出会った妙齢の女性たちのほとんどが、矢嶋の後ろを着いて歩く私をじろじろと見ては顔をしかめた。その表情は皆こう言っていた。
―― どうしてあんなのが矢嶋さんと一緒にいるのよ。
しかし私は心の中でふふんと嗤う。
黙ってさえいれば、この人、かっこいいものね。でも残念でした、性格がとっても悪いんだから――。
私はそんな風に思いながら、彼女たちの視線をやり過ごした。
人とすれ違うことがなくなり、しばらく行った一画で矢嶋が足を止めた。
「たこ焼きちゃん、着いたぞ。ここだ」
「私、そんな名前じゃありませんってば!」
「そんなに怒った顔するなよ。俺がいじめてでもいるみたいじゃないか」
「人が嫌がることを言ったりするのは、れっきとしたいじめですよ」
「ふぅん」
「ふぅん、って……」
飲み会の席でしかしたことのないようなやり取りを、まさか職場でもすることになるとは思っていなかった。
手応えのない反応に呆れていると、矢嶋は見るからに重たそうなドアを開けて、私を中へ促した。
「入って」
「はい……」
薄暗い部屋に恐る恐る足を踏み入れた私は、きょろきょろと辺りに目をやった。
続いて入って来た矢嶋は扉を閉めて私のすぐ後ろに立ち、壁際にあるスイッチを押した。部屋の中がぱっと明るくなる。彼は私の傍を通り抜けて、もう一枚の扉を開け、奥の部屋へ向かった。
「こっち」
彼に促されて入った部屋は窓が大きく切られていて、そこから外の景色が見えた。楕円形のテーブルがあって、その周りに座り心地の良さそうな椅子が数客置かれている。廊下側と思われる壁の一部には分厚そうなガラスが入っていて、その向こう側からスタジオ内の様子を見ることができるようだ。
「ここがスタジオ。今入ってきた方がマスタールームだ。あそこにある機材を使って放送するわけだな。技術さんの仕事だ。ディレクターもあそこから色々と指示を出したりする。仕事内容は、辻さんからもう聞いたんだよな。バイトの子も一緒だし、大丈夫だろう。分からないことがあったら、その場でバイトの子か辻さんに聞いてくれ。――マスタールームに戻ろうか」
そう言って彼は私の先に立って、ラジオスタジオを出た。
「ここでリクエストの電話を取ってもらって、メモしたそれを辻さんが目を通す。で、あとはアトランダムに選んで流すって感じだな。何か質問はあるか?」
辻の説明を聞いた時もそうだったが、これはもう実際にやってみるしかないと思っている。
「今のところは特にありません。とりあえずは、よろしくお願いします」
仕事の話だからだろう。矢嶋が真面目に説明してくれたから、私も真面目な顔で答えて頭を下げた。いつもこうなら彼に苛立つこともないのに、と心の中で思う。
「ところで、今日はこれでもう終わりでしょうか?私、もう戻ってもいいですよね?」
「まぁ、そう言わず、もう少し話そうぜ」
「話?」
二人きりなのをいいことに、いつものようにまた色々と、私をからかおうとでも言うのか。
「仕事の話なら聞きますが」
「仕事以外の話はだめなのか?」
「その場合は、また飲み会の時にでも、ということで。あぁ、でも、先輩の傍にはいつものように、できるだけ近寄らないように気を付けるつもりですけどね。じゃあ、私、失礼します」
くるりと背を向けて、出入り口の扉に手をかけた。ノブを回そうとした時、背後に矢嶋が立った。
「俺と二人になるのは嫌?」
頭の上から降って来た彼の声にどきりとした。突然何を言い出したのかと困惑する。私は振り返ることなく、大きくため息をついた。
「この前は不可抗力でしたけど、できれば二人きりになんて、なりたくないですね。だって、先輩はいつだって私をからかうだけだから」
矢嶋は私の進路をふさぐかのようにすっとドアの前に移動した。
いつものように意地悪なことでも言い出すのだろう身構えた。
しかし、彼が口にしたのは、私がここで働き始めたことへの疑問だった。
「この前はものすごく驚いたよ。あんな所でたこ焼きちゃんに会うなんて思っていなかったから。なぁ、いつからここで働き始めたんだ?この前市川から初めて聞いたけど、お前、派遣で働いているんだってな。俺がここにいるってことは、知っていたはずだよな。それなのに、ここの仕事を受けたのか?嫌いな俺に会ってしまうかもしれないって思わなかったのか?」
どうしていちいちそんなことを聞くのかと苛立ち、反発心が生まれた。そのせいで、ここが職場だということを忘れてしまい、私は反抗的な態度を取る。
「それはもちろん思いましたよ。だけど、背に腹は代えられないっていうか、ここのお給料、他と比べると断然いいんです。だから決めただけです。ところで、わざわざ私を番組の手伝いになんて言い出したのは、私をからかって職場でのストレスを解消しようとでも考えたからですか?それとも後輩の私なら、自分の言うことを何でも聞くだろうと思ったから?いずれにしても、仕事ならきちんとやらせていただきますけど、先輩も社会人としてちゃんと常識的な態度で私に接してくださいね」
気づけば私はつらつらと思いつくままに、しかもけんか腰で言葉を並べてしまっていた。一時的にせよ、これから定期的に仕事で顔を会わせることになるのに、そんな言い方をすべきではなかったと後悔する。
私の態度に驚いたのか、それとも腹を立てたのか、恐る恐る見た矢嶋の表情は固まっていた。
低い声が自嘲気味に言う。
「お前にとっての俺って、相当イヤなやつなんだな」
これまでの私なら間髪入れずに、その通りだと返していただろう。しかし、いっとき気持ちが揺らいだことがあったその時を思い出し、言葉が濁る。
「でも先輩だって、私のことが嫌いですよね。だからいつも名前も呼んでくれない……」
「それは……」
矢嶋は苦々しい声で言った。
「嫌いだったら、お前を俺の番組になんて、考えるわけがないだろ」
「は……?」
私は矢嶋の顔をまじまじと見た。
「嫌いだったら、あの時の飲み会で、泥酔したお前をわざわざ部屋まで運んだりもしない」
「でも、あれは……。誰かに頼まれて仕方なくですよね?それに後輩だから……」
「違う。仕方なくじゃないし、後輩だからっていう理由だけじゃない」
矢嶋が私を真っすぐに見た。
よそ見は許されないような気がして、私はやむを得ずその目を見返した。彼と視線を合わせながら、前にもこんなことがあったと思い出し、急に落ち着かない気分になった。
「たこ焼きちゃんは、俺に『お前のことは嫌いだ』って言わせたいのか?」
「言わせたいのかって、そんな……。言いたいのなら、そう言えばいいじゃないですか」
「言えるわけないだろ」
矢嶋は私から視線を外そうとしない。
意味深なその視線をまともに受けて、私の鼓動は騒ぎ出した。小刻みな音の響きを持て余しながら、彼の言葉の意味を考えた。答えのようなものが浮かび上がってきそうになったが、そんなはずがないとそれを意識の底の方に沈める。いつの間にか会話がおかしな方向に流れている。それを止めたいと思った私は、あえて淡々として言った。
「とにかく、私のことは、ちゃんと名前で呼んでください。記憶力が悪い先輩のために改めて言いますけど、私の名前は川口夏貴ですから」
矢嶋は目を瞬いた。
「この流れを切るのか……。まぁ、いい」
愉快そうにくくっと笑い、彼は私の前に軽く身をかがめた。
「お前の名前、覚えているに決まってるだろ。この前の夜だってちゃんと呼んでやったじゃないか。夏貴って」
「あんなのは……」
ただの気まぐれでしょ――。
そう言おうとして結局口をつぐむ私の頭に、矢嶋はぽんと手を乗せた。
「とりあえず、明後日から早速よろしくな、夏貴。いや、川口さん。これから少しずつ仲良くなろうぜ。それと、ここでは俺のことも、『先輩』をつけて呼ばなくいい。辻さんと同じようにな」
彼が目元をゆるめて私を見た。その瞬間、いつもは憎たらしいとしか思えなかった彼の整った顔立ちが急に甘いものに見えて、心が揺れた。
「さて、そろそろ戻るか」
矢嶋は扉を開けて私が動き出すのを待っている。
その顔に浮かぶ微笑みに、どきりとした。動揺したのを悟られたくなくて、私はうつむき加減で彼の前を通り抜けた。その時、覚えのある香りが鼻先をふわりとかすめる。彼に部屋まで運んでもらった夜に嗅いだ香りだと思ったら、鼓動が再びうるさくなり始めた。
ここには仕事をしに来ているのにーー。
八つ当たりだと分かっていながらも、私は自分を動揺させる矢嶋に腹が立った。
仕事場なのだから、さすがに彼も社会人として真っ当な態度で接してくるだろうと思っていた。それなのに、あのおかしな呼び方をするなんてと、怒りがむくむくと沸き起こっていた。辻がいたあの場では恥ずかしさの方が先に立って黙ってしまったが、やはり文句の一つも言わないと収まらない気分だ。
その気持ちが念となって届いたのか、私の前を歩いていた矢嶋が不意に立ち止まった。ついさっきまでの不機嫌そうな顔はどこへ行ったのか。振り返った彼は私の顔をしげしげと見てにやりと笑った。
「いつにも増して、ますますいい感じの大きなたこ焼きが乗っかってるじゃないか」
この前は無駄にいい声で私の名前を呼んだくせに、とさらに腹が立つ。
「いい加減に……!」
その先の言葉は飲み込んだ。廊下の向こう側から、局内の人と思われる一団がやってきたのだ。すれ違いざまに矢嶋と挨拶を交わしていくその中に、ぽうっと熱に浮かされたような目で矢嶋を見ている女性がいた。通りすがりに彼女は私に怪訝な目を向けたが、そこにあったのは敵意かあるいは嫉妬のようなものだったと思う。
そういう視線を向けられたのは、その時だけではなかった。スタジオに着くまでの間に出会った妙齢の女性たちのほとんどが、矢嶋の後ろを着いて歩く私をじろじろと見ては顔をしかめた。その表情は皆こう言っていた。
―― どうしてあんなのが矢嶋さんと一緒にいるのよ。
しかし私は心の中でふふんと嗤う。
黙ってさえいれば、この人、かっこいいものね。でも残念でした、性格がとっても悪いんだから――。
私はそんな風に思いながら、彼女たちの視線をやり過ごした。
人とすれ違うことがなくなり、しばらく行った一画で矢嶋が足を止めた。
「たこ焼きちゃん、着いたぞ。ここだ」
「私、そんな名前じゃありませんってば!」
「そんなに怒った顔するなよ。俺がいじめてでもいるみたいじゃないか」
「人が嫌がることを言ったりするのは、れっきとしたいじめですよ」
「ふぅん」
「ふぅん、って……」
飲み会の席でしかしたことのないようなやり取りを、まさか職場でもすることになるとは思っていなかった。
手応えのない反応に呆れていると、矢嶋は見るからに重たそうなドアを開けて、私を中へ促した。
「入って」
「はい……」
薄暗い部屋に恐る恐る足を踏み入れた私は、きょろきょろと辺りに目をやった。
続いて入って来た矢嶋は扉を閉めて私のすぐ後ろに立ち、壁際にあるスイッチを押した。部屋の中がぱっと明るくなる。彼は私の傍を通り抜けて、もう一枚の扉を開け、奥の部屋へ向かった。
「こっち」
彼に促されて入った部屋は窓が大きく切られていて、そこから外の景色が見えた。楕円形のテーブルがあって、その周りに座り心地の良さそうな椅子が数客置かれている。廊下側と思われる壁の一部には分厚そうなガラスが入っていて、その向こう側からスタジオ内の様子を見ることができるようだ。
「ここがスタジオ。今入ってきた方がマスタールームだ。あそこにある機材を使って放送するわけだな。技術さんの仕事だ。ディレクターもあそこから色々と指示を出したりする。仕事内容は、辻さんからもう聞いたんだよな。バイトの子も一緒だし、大丈夫だろう。分からないことがあったら、その場でバイトの子か辻さんに聞いてくれ。――マスタールームに戻ろうか」
そう言って彼は私の先に立って、ラジオスタジオを出た。
「ここでリクエストの電話を取ってもらって、メモしたそれを辻さんが目を通す。で、あとはアトランダムに選んで流すって感じだな。何か質問はあるか?」
辻の説明を聞いた時もそうだったが、これはもう実際にやってみるしかないと思っている。
「今のところは特にありません。とりあえずは、よろしくお願いします」
仕事の話だからだろう。矢嶋が真面目に説明してくれたから、私も真面目な顔で答えて頭を下げた。いつもこうなら彼に苛立つこともないのに、と心の中で思う。
「ところで、今日はこれでもう終わりでしょうか?私、もう戻ってもいいですよね?」
「まぁ、そう言わず、もう少し話そうぜ」
「話?」
二人きりなのをいいことに、いつものようにまた色々と、私をからかおうとでも言うのか。
「仕事の話なら聞きますが」
「仕事以外の話はだめなのか?」
「その場合は、また飲み会の時にでも、ということで。あぁ、でも、先輩の傍にはいつものように、できるだけ近寄らないように気を付けるつもりですけどね。じゃあ、私、失礼します」
くるりと背を向けて、出入り口の扉に手をかけた。ノブを回そうとした時、背後に矢嶋が立った。
「俺と二人になるのは嫌?」
頭の上から降って来た彼の声にどきりとした。突然何を言い出したのかと困惑する。私は振り返ることなく、大きくため息をついた。
「この前は不可抗力でしたけど、できれば二人きりになんて、なりたくないですね。だって、先輩はいつだって私をからかうだけだから」
矢嶋は私の進路をふさぐかのようにすっとドアの前に移動した。
いつものように意地悪なことでも言い出すのだろう身構えた。
しかし、彼が口にしたのは、私がここで働き始めたことへの疑問だった。
「この前はものすごく驚いたよ。あんな所でたこ焼きちゃんに会うなんて思っていなかったから。なぁ、いつからここで働き始めたんだ?この前市川から初めて聞いたけど、お前、派遣で働いているんだってな。俺がここにいるってことは、知っていたはずだよな。それなのに、ここの仕事を受けたのか?嫌いな俺に会ってしまうかもしれないって思わなかったのか?」
どうしていちいちそんなことを聞くのかと苛立ち、反発心が生まれた。そのせいで、ここが職場だということを忘れてしまい、私は反抗的な態度を取る。
「それはもちろん思いましたよ。だけど、背に腹は代えられないっていうか、ここのお給料、他と比べると断然いいんです。だから決めただけです。ところで、わざわざ私を番組の手伝いになんて言い出したのは、私をからかって職場でのストレスを解消しようとでも考えたからですか?それとも後輩の私なら、自分の言うことを何でも聞くだろうと思ったから?いずれにしても、仕事ならきちんとやらせていただきますけど、先輩も社会人としてちゃんと常識的な態度で私に接してくださいね」
気づけば私はつらつらと思いつくままに、しかもけんか腰で言葉を並べてしまっていた。一時的にせよ、これから定期的に仕事で顔を会わせることになるのに、そんな言い方をすべきではなかったと後悔する。
私の態度に驚いたのか、それとも腹を立てたのか、恐る恐る見た矢嶋の表情は固まっていた。
低い声が自嘲気味に言う。
「お前にとっての俺って、相当イヤなやつなんだな」
これまでの私なら間髪入れずに、その通りだと返していただろう。しかし、いっとき気持ちが揺らいだことがあったその時を思い出し、言葉が濁る。
「でも先輩だって、私のことが嫌いですよね。だからいつも名前も呼んでくれない……」
「それは……」
矢嶋は苦々しい声で言った。
「嫌いだったら、お前を俺の番組になんて、考えるわけがないだろ」
「は……?」
私は矢嶋の顔をまじまじと見た。
「嫌いだったら、あの時の飲み会で、泥酔したお前をわざわざ部屋まで運んだりもしない」
「でも、あれは……。誰かに頼まれて仕方なくですよね?それに後輩だから……」
「違う。仕方なくじゃないし、後輩だからっていう理由だけじゃない」
矢嶋が私を真っすぐに見た。
よそ見は許されないような気がして、私はやむを得ずその目を見返した。彼と視線を合わせながら、前にもこんなことがあったと思い出し、急に落ち着かない気分になった。
「たこ焼きちゃんは、俺に『お前のことは嫌いだ』って言わせたいのか?」
「言わせたいのかって、そんな……。言いたいのなら、そう言えばいいじゃないですか」
「言えるわけないだろ」
矢嶋は私から視線を外そうとしない。
意味深なその視線をまともに受けて、私の鼓動は騒ぎ出した。小刻みな音の響きを持て余しながら、彼の言葉の意味を考えた。答えのようなものが浮かび上がってきそうになったが、そんなはずがないとそれを意識の底の方に沈める。いつの間にか会話がおかしな方向に流れている。それを止めたいと思った私は、あえて淡々として言った。
「とにかく、私のことは、ちゃんと名前で呼んでください。記憶力が悪い先輩のために改めて言いますけど、私の名前は川口夏貴ですから」
矢嶋は目を瞬いた。
「この流れを切るのか……。まぁ、いい」
愉快そうにくくっと笑い、彼は私の前に軽く身をかがめた。
「お前の名前、覚えているに決まってるだろ。この前の夜だってちゃんと呼んでやったじゃないか。夏貴って」
「あんなのは……」
ただの気まぐれでしょ――。
そう言おうとして結局口をつぐむ私の頭に、矢嶋はぽんと手を乗せた。
「とりあえず、明後日から早速よろしくな、夏貴。いや、川口さん。これから少しずつ仲良くなろうぜ。それと、ここでは俺のことも、『先輩』をつけて呼ばなくいい。辻さんと同じようにな」
彼が目元をゆるめて私を見た。その瞬間、いつもは憎たらしいとしか思えなかった彼の整った顔立ちが急に甘いものに見えて、心が揺れた。
「さて、そろそろ戻るか」
矢嶋は扉を開けて私が動き出すのを待っている。
その顔に浮かぶ微笑みに、どきりとした。動揺したのを悟られたくなくて、私はうつむき加減で彼の前を通り抜けた。その時、覚えのある香りが鼻先をふわりとかすめる。彼に部屋まで運んでもらった夜に嗅いだ香りだと思ったら、鼓動が再びうるさくなり始めた。
ここには仕事をしに来ているのにーー。
八つ当たりだと分かっていながらも、私は自分を動揺させる矢嶋に腹が立った。
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