1 / 98
第1話
しおりを挟む「お願いします! 私と結婚してください!」
「はあ?」
勇気を振り絞ってレイチェルが口にした求婚に、かの人は琥珀色の瞳を思いきり歪ませたのだった。
***
この国にはかわいそうな公爵様がいる。
公爵様は、まだ幼い頃にその身に「蛇の呪い」をかけられた。
嘆き悲しんだ王様や王妃様はたくさんの祈祷師や魔術師を集めたが、蛇の呪いは解けなかった。
公爵様はずっと寝たきりで、誰にもお姿を見せない。でも、その身に「蛇の呪い」の証がくっきり刻まれていることは誰でも知っていた。
公爵様はもうずっと長いこと、「蛇の呪い」に蝕まれ、命を食われているのだ。
だから、国の者はいつしか、公爵様のことを「蛇に食われた生贄」の公爵——生贄公爵と呼ぶようになった。
***
救いようがないな、とレイチェルは思った。
彼らに対する期待はとうの昔に捨て去ったはずだったが、それでもまさか、ここまで愚かだったとは、と肩から力が抜けそうになる。肩から力が抜けかけたので、自然と頭も下がってしまう。
項垂れたように見えたのだろうか、はしゃいだ声がきんきんと響き渡った。
「ごめんなさい、お姉様! でも、パーシバルは私と結婚するのよ!」
「す、すまない。レイチェル……」
目の前で、レイチェルの婚約者であるサイロン伯爵家三男パーシバルの腕にぶら下がってにこにこご機嫌なのは、出来るなら信じたくないがレイチェルの実の妹のリネットだ。
とうとうやったか。
レイチェルとしては感想はそれだけだ。あと一つ付け加えるなら、「やるんじゃないかとは思っていた」。
二つ下の妹は昔からこうだ。レイチェルの持ち物を「欲しい欲しい」と羨ましがり奪っていく。おもちゃも服もアクセサリーも、すべてだ。
おかげで、レイチェルはいつもさしものリネットも欲しがらないであろう地味で時代遅れのデザインの古着を着ているしかない。
取り返そうという気力さえ失ったのはいくつの時だったか。十に満たない歳だったことは確かだ。
「安心しなさい、レイチェル。お前にはちゃんと他に嫁ぎ先をみつけてやったからな」
「ええ。喜びなさい、レイチェル」
レイチェルが気力を失った最大の原因が雁首揃えて寝言をほざいている。
妹に婚約者を奪われた娘に「安心して喜べ」とは。
頭がおかしいんじゃないだろうか。
「アーカシュア侯爵、それはあんまりに……」
婚約者——元?婚約者が眉をひそめてレイチェルの父母に顔を向ける。
悲しい哉、どうやらこの場でかろうじてまともな感性を持ち合わせているのは、レイチェルとは血の繋がっていない元婚約者だけのようだ。
最初からレイチェルに対して申し訳なさそうな顔をしているし、妹に乗り換えはしたが、彼にはまだ人間性の欠片が残っている。なので、レイチェルはパーシバルを恨むことはすまいと心に決めた。
救いようがないのは、血の繋がった両親と妹だ。
昔から、レイチェルの物を欲しがるリネットを止めないどころか、逆にレイチェルを叱りつけてくるような人達だった。気力を失ったのと同時に、レイチェルは彼らに期待するのもやめたのだ。
だが、しかし——
「レイチェル。お前のことはモルガン侯爵がもらってくださるそうだ」
「なっ!」
だがしかし、ここまでの仕打ちをされるとは、流石に予想していなかった。
「アーカシュア侯爵! 何を言っているのですっ!」
「パーシバル? きゃっ」
パーシバルがリネットを振り落とす勢いでレイチェルの父に食ってかかった。
パーシバルが顔を青くするのも無理はない
レイチェルだって青ざめるのを通り越して頭まで真っ白になりそうだ。
モルガン侯爵はレイチェルよりも40も年上で、陰で「女狂いの豚侯爵」と呼ばれる曰く付きの御仁なのだから。
「同じ侯爵家で裕福な家に嫁げるのだから、これ以上の幸福はないだろう。なあ、レイチェル」
父親の猫撫で声にぞっとした。
確かに、モルガン侯爵は経営の才能はあるらしく、国で一、二を争うほどの大金持ちだ。
だからと言って、一人目の奥方が原因不明の病死、二人目の20も年下の奥方が階段から足を滑らせて事故死している侯爵の妻になって、娘が本当に幸せになれると思っているのなら間違いなく頭がおかしい。
レイチェルは震えそうになる体を押しとどめて、きっと顔を上げた。
「……よく、わかりました」
「うむ。では早速、婚約を整えて……」
「私は、この家を出て行きます。二度と帰りません」
レイチェルがきっぱりとそう言うと、その場の空気が凍った。
「お姉様!?」
「な、何を言っている!」
「言葉の通りです。今日までお世話になりました。では、失礼致します」
軽くカーテシーをしてさっさと踵を返すと、パーシバルが慌ててレイチェルを引き留めた。
「待つんだレイチェル! これは流石に私も納得できない。君をモルガン侯爵に嫁がせたりはしないから、落ち着いて話を——」
「無駄ですよ、パーシバル様。パーシバル様は伯爵令息、国一番とも言われる資産家の侯爵家に対抗できる訳がございません」
ちらりと振り向いて言うと、パーシバルがぐっと口を引き結んだ。
優しい人なのだ。優しいからこそ、リネットと両親の押しの強さに抗えなかったのだろうけれど。
父と母が何かを喚いていたが、聞きたくもないし捕まるのは嫌なのでレイチェルは立ち止まらずに足早に部屋を出た。
「お姉様、待って!」
「放っておきなさい、リネット! どうせ、行く当てなどなくて戻ってくるに決まっている。まったく、貴族の娘ともあろう者が我が儘ばかり言いおって!」
憤然とした父の声が聞こえてくる。なんと言われようと思われようと構わない。これはレイチェルにとって最初で最後の戦いだ。
屋敷を出たレイチェルは懐に忍ばせた懐剣を服の上からそっと押さえた。
(これが駄目だったら、胸を突いて死んでみせるわ)
確固たる足取りで王城を目指したレイチェルは、辿り着いた門前で門番の兵士に懇願した。
「アーカシュア侯爵家の一女、レイチェル・アーカシュアにございます。カーリントン公爵閣下にお会いしたく参上致しました。なにとぞ、お取り次ぎをお願い申し上げます」
1
あなたにおすすめの小説
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを
青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ
学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。
お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。
お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。
レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。
でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。
お相手は隣国の王女アレキサンドラ。
アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。
バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。
バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。
せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる