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第17話
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早朝のまだ薄暗い時間に起き出して、パメラはいつものように水汲みを始めた。
早く済ませてしまわないと、あの二人が起きてきたら邪魔をされる。せっかく一杯にした水瓶をひっくり返されるのは、嫌がらせの中でも特に辛い。水瓶を一杯にするために、何度井戸から桶を引き上げなければならないと思っているのだ。
腕が怠くて痛くなっても、休む暇などない。井戸から水を汲んで運んで水瓶にあけて、を十数回繰り返して、ようやく水瓶が一杯になる。パメラはほっと息を吐いて、朝食の支度に取り掛かった。
豆のスープを作りライ麦のパンをスライスしたところで、キンキン響く声が聞こえてきてパメラは身を硬くした。
「ちょっと! 朝食の準備が出来ていないじゃないの!」
「も、申し訳ありません……」
義姉のエリザベスに怒鳴られ、パメラは慌ててテーブルにパンを並べた。
「ぐずぐずしないでよ! のろま!」
「あっ……」
エリザベスに突き飛ばされ、パメラは床に尻餅をついた。パンが一枚、床に落ちる。
「それはあんたが食べなさいよね!」
「……はい」
パメラは落ちたパンを拾って台所へ戻った。スープをついでテーブルに並べると、義母のマデリーンにスープ皿の置き方が悪いと罵られる。
パメラは台所の隅で立ったまま自分の食事をとる。呼ばれればすぐに行かなければならないからだ。
「はあ……」
朝食の片付けをした後は洗濯をする。
パメラは子爵令嬢だ。幼い頃は大きなお屋敷に使用人に囲まれて暮らしていた。
だが、パメラが五歳の時、母が亡くなり、父の愛人の女性とその連れ子が家に乗り込んできた。パメラの義母と義姉となった彼女らはことあるごとにパメラをいびったが、気の弱い父は彼女らのいいなりで見て見ぬ振りだ。
そのうち、義母と義姉の散財で借金が嵩み、使用人も雇えなくなりお屋敷も手放さなければならなくなった。
小屋のような粗末な家に住み、贅沢な暮らしができなくなったことでマデリーンとエリザベスは毎日ヒステリックに騒ぎ、パメラに当たるようになった。破産させられたというのに、相変わらず父はマデリーンとエリザベスに何も言えない。
(情けない……っ)
パメラは父を一番憎んでいた。誰にでもいい顔をして、自分が悪く言われないためになら自分の娘を犠牲にしてもいいと思っている。
「死ね……」
死んでしまえ。義母も義姉も父も。出来るだけ苦しんで死んでしまえばいい。
「死ね、死ね、死ね」
洗濯をしている間、パメラはいつも三人への呪いの言葉を吐いている。手を動かせば、水音に紛れて誰にも気づかれない。いつかこの呪いが成就すると思えば、痛む腕を動かすことも、切り傷が水に沁みるのも、我慢できる。
パメラは一心不乱に洗濯を続けた。
だが、視界の端にこちらへ向かってくる馬影を認めて、はっと顔を上げた。
「パメラ」
颯爽と馬を駆ってパメラの前へやってきたのは、幼馴染のダニエルだった。男爵子息のダニエルとは、領地が隣同士ということで幼い頃はよく遊んだものだった。
ダニエルは馬から下りると、いつもぼさぼさな赤毛をがしがし掻いて照れ笑いした。そばかすの浮いた顔で背も低いダニエルは、幼い頃は鈍くさくて村の子供達から馬鹿にされていた。それをいつも助けていたのがパメラだ。
「ダニエル。久しぶり」
パメラが大きなお屋敷を出されて、惨めな暮らしをするようになっても、ダニエルだけはパメラのことを気にかけてくれている。
「これ」
ダニエルが懐からハンカチの包みを取り出した。包みを解くと、ふんわりと焼かれたマドレーヌが入っていた。
「連中に見つからないうちに、食っちまえよ」
「ありがとう」
パメラはお礼を言って、マドレーヌを口に含んだ。どれくらいぶりかの優しい甘みが口の中に広がり、全身を幸福感が満たす。
だが、幸福感は長く続かなかった。
「ダニエルじゃない!」
エリザベスが目ざとくダニエルと見つけ、家の中から走ってきた。
「じゃあな、パメラ」
ダニエルはさっと馬に股がると、元来た方へ馬首を向ける。
「あっ、待ってよ! お茶を淹れるわ。ゆっくりしていって」
「いや、用があるんで」
「そんなぁ。ちょっとだけでいいから、ね? せっかくダニエルに会えたのに、すぐに行っちゃうなんて酷いわ」
エリザベスは猫撫で声でダニエルを引き留めようとするが、ダニエルはそれを無視して去っていった。
「なによ……あんた! どうして私を呼ばないで二人で話しているのよ! あんたなんかが色目使ったって無駄なんだからね!」
エリザベスはパメラの頰を打って家に戻っていった。
パメラは打たれた頰を押さえて、エリザベスの後ろ姿を睨みつけた。
お屋敷に住んでいた頃は、エリザベスはダニエルのことをたかが男爵家で風采も上がらない、あんなつまらない男あんたにお似合いよ。と言って散々馬鹿にしていた。それなのに、家が没落してからはなんとかしてダニエルに取り入ろうと態度を豹変させている。
(ダニエルは、お父様とは違うわ……あんた達みたいな心の汚い人間に騙されたり、言いなりになったりしないわ!)
パメラはダニエルが持ってきてくれたハンカチをぎゅっと握り締めた。
早朝のまだ薄暗い時間に起き出して、パメラはいつものように水汲みを始めた。
早く済ませてしまわないと、あの二人が起きてきたら邪魔をされる。せっかく一杯にした水瓶をひっくり返されるのは、嫌がらせの中でも特に辛い。水瓶を一杯にするために、何度井戸から桶を引き上げなければならないと思っているのだ。
腕が怠くて痛くなっても、休む暇などない。井戸から水を汲んで運んで水瓶にあけて、を十数回繰り返して、ようやく水瓶が一杯になる。パメラはほっと息を吐いて、朝食の支度に取り掛かった。
豆のスープを作りライ麦のパンをスライスしたところで、キンキン響く声が聞こえてきてパメラは身を硬くした。
「ちょっと! 朝食の準備が出来ていないじゃないの!」
「も、申し訳ありません……」
義姉のエリザベスに怒鳴られ、パメラは慌ててテーブルにパンを並べた。
「ぐずぐずしないでよ! のろま!」
「あっ……」
エリザベスに突き飛ばされ、パメラは床に尻餅をついた。パンが一枚、床に落ちる。
「それはあんたが食べなさいよね!」
「……はい」
パメラは落ちたパンを拾って台所へ戻った。スープをついでテーブルに並べると、義母のマデリーンにスープ皿の置き方が悪いと罵られる。
パメラは台所の隅で立ったまま自分の食事をとる。呼ばれればすぐに行かなければならないからだ。
「はあ……」
朝食の片付けをした後は洗濯をする。
パメラは子爵令嬢だ。幼い頃は大きなお屋敷に使用人に囲まれて暮らしていた。
だが、パメラが五歳の時、母が亡くなり、父の愛人の女性とその連れ子が家に乗り込んできた。パメラの義母と義姉となった彼女らはことあるごとにパメラをいびったが、気の弱い父は彼女らのいいなりで見て見ぬ振りだ。
そのうち、義母と義姉の散財で借金が嵩み、使用人も雇えなくなりお屋敷も手放さなければならなくなった。
小屋のような粗末な家に住み、贅沢な暮らしができなくなったことでマデリーンとエリザベスは毎日ヒステリックに騒ぎ、パメラに当たるようになった。破産させられたというのに、相変わらず父はマデリーンとエリザベスに何も言えない。
(情けない……っ)
パメラは父を一番憎んでいた。誰にでもいい顔をして、自分が悪く言われないためになら自分の娘を犠牲にしてもいいと思っている。
「死ね……」
死んでしまえ。義母も義姉も父も。出来るだけ苦しんで死んでしまえばいい。
「死ね、死ね、死ね」
洗濯をしている間、パメラはいつも三人への呪いの言葉を吐いている。手を動かせば、水音に紛れて誰にも気づかれない。いつかこの呪いが成就すると思えば、痛む腕を動かすことも、切り傷が水に沁みるのも、我慢できる。
パメラは一心不乱に洗濯を続けた。
だが、視界の端にこちらへ向かってくる馬影を認めて、はっと顔を上げた。
「パメラ」
颯爽と馬を駆ってパメラの前へやってきたのは、幼馴染のダニエルだった。男爵子息のダニエルとは、領地が隣同士ということで幼い頃はよく遊んだものだった。
ダニエルは馬から下りると、いつもぼさぼさな赤毛をがしがし掻いて照れ笑いした。そばかすの浮いた顔で背も低いダニエルは、幼い頃は鈍くさくて村の子供達から馬鹿にされていた。それをいつも助けていたのがパメラだ。
「ダニエル。久しぶり」
パメラが大きなお屋敷を出されて、惨めな暮らしをするようになっても、ダニエルだけはパメラのことを気にかけてくれている。
「これ」
ダニエルが懐からハンカチの包みを取り出した。包みを解くと、ふんわりと焼かれたマドレーヌが入っていた。
「連中に見つからないうちに、食っちまえよ」
「ありがとう」
パメラはお礼を言って、マドレーヌを口に含んだ。どれくらいぶりかの優しい甘みが口の中に広がり、全身を幸福感が満たす。
だが、幸福感は長く続かなかった。
「ダニエルじゃない!」
エリザベスが目ざとくダニエルと見つけ、家の中から走ってきた。
「じゃあな、パメラ」
ダニエルはさっと馬に股がると、元来た方へ馬首を向ける。
「あっ、待ってよ! お茶を淹れるわ。ゆっくりしていって」
「いや、用があるんで」
「そんなぁ。ちょっとだけでいいから、ね? せっかくダニエルに会えたのに、すぐに行っちゃうなんて酷いわ」
エリザベスは猫撫で声でダニエルを引き留めようとするが、ダニエルはそれを無視して去っていった。
「なによ……あんた! どうして私を呼ばないで二人で話しているのよ! あんたなんかが色目使ったって無駄なんだからね!」
エリザベスはパメラの頰を打って家に戻っていった。
パメラは打たれた頰を押さえて、エリザベスの後ろ姿を睨みつけた。
お屋敷に住んでいた頃は、エリザベスはダニエルのことをたかが男爵家で風采も上がらない、あんなつまらない男あんたにお似合いよ。と言って散々馬鹿にしていた。それなのに、家が没落してからはなんとかしてダニエルに取り入ろうと態度を豹変させている。
(ダニエルは、お父様とは違うわ……あんた達みたいな心の汚い人間に騙されたり、言いなりになったりしないわ!)
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