生贄公爵と蛇の王

荒瀬ヤヒロ

文字の大きさ
17 / 98

第17話

しおりを挟む
***


 早朝のまだ薄暗い時間に起き出して、パメラはいつものように水汲みを始めた。
 早く済ませてしまわないと、あの二人が起きてきたら邪魔をされる。せっかく一杯にした水瓶をひっくり返されるのは、嫌がらせの中でも特に辛い。水瓶を一杯にするために、何度井戸から桶を引き上げなければならないと思っているのだ。
 腕が怠くて痛くなっても、休む暇などない。井戸から水を汲んで運んで水瓶にあけて、を十数回繰り返して、ようやく水瓶が一杯になる。パメラはほっと息を吐いて、朝食の支度に取り掛かった。
 豆のスープを作りライ麦のパンをスライスしたところで、キンキン響く声が聞こえてきてパメラは身を硬くした。

「ちょっと! 朝食の準備が出来ていないじゃないの!」
「も、申し訳ありません……」

 義姉のエリザベスに怒鳴られ、パメラは慌ててテーブルにパンを並べた。

「ぐずぐずしないでよ! のろま!」
「あっ……」

 エリザベスに突き飛ばされ、パメラは床に尻餅をついた。パンが一枚、床に落ちる。

「それはあんたが食べなさいよね!」
「……はい」

 パメラは落ちたパンを拾って台所へ戻った。スープをついでテーブルに並べると、義母のマデリーンにスープ皿の置き方が悪いと罵られる。
 パメラは台所の隅で立ったまま自分の食事をとる。呼ばれればすぐに行かなければならないからだ。

「はあ……」

 朝食の片付けをした後は洗濯をする。
 パメラは子爵令嬢だ。幼い頃は大きなお屋敷に使用人に囲まれて暮らしていた。
 だが、パメラが五歳の時、母が亡くなり、父の愛人の女性とその連れ子が家に乗り込んできた。パメラの義母と義姉となった彼女らはことあるごとにパメラをいびったが、気の弱い父は彼女らのいいなりで見て見ぬ振りだ。
 そのうち、義母と義姉の散財で借金が嵩み、使用人も雇えなくなりお屋敷も手放さなければならなくなった。
 小屋のような粗末な家に住み、贅沢な暮らしができなくなったことでマデリーンとエリザベスは毎日ヒステリックに騒ぎ、パメラに当たるようになった。破産させられたというのに、相変わらず父はマデリーンとエリザベスに何も言えない。

(情けない……っ)

 パメラは父を一番憎んでいた。誰にでもいい顔をして、自分が悪く言われないためになら自分の娘を犠牲にしてもいいと思っている。

「死ね……」

 死んでしまえ。義母も義姉も父も。出来るだけ苦しんで死んでしまえばいい。

「死ね、死ね、死ね」

 洗濯をしている間、パメラはいつも三人への呪いの言葉を吐いている。手を動かせば、水音に紛れて誰にも気づかれない。いつかこの呪いが成就すると思えば、痛む腕を動かすことも、切り傷が水に沁みるのも、我慢できる。
 パメラは一心不乱に洗濯を続けた。
 だが、視界の端にこちらへ向かってくる馬影を認めて、はっと顔を上げた。

「パメラ」

 颯爽と馬を駆ってパメラの前へやってきたのは、幼馴染のダニエルだった。男爵子息のダニエルとは、領地が隣同士ということで幼い頃はよく遊んだものだった。
 ダニエルは馬から下りると、いつもぼさぼさな赤毛をがしがし掻いて照れ笑いした。そばかすの浮いた顔で背も低いダニエルは、幼い頃は鈍くさくて村の子供達から馬鹿にされていた。それをいつも助けていたのがパメラだ。

「ダニエル。久しぶり」

 パメラが大きなお屋敷を出されて、惨めな暮らしをするようになっても、ダニエルだけはパメラのことを気にかけてくれている。

「これ」

 ダニエルが懐からハンカチの包みを取り出した。包みを解くと、ふんわりと焼かれたマドレーヌが入っていた。

「連中に見つからないうちに、食っちまえよ」
「ありがとう」

 パメラはお礼を言って、マドレーヌを口に含んだ。どれくらいぶりかの優しい甘みが口の中に広がり、全身を幸福感が満たす。
 だが、幸福感は長く続かなかった。

「ダニエルじゃない!」

 エリザベスが目ざとくダニエルと見つけ、家の中から走ってきた。

「じゃあな、パメラ」

 ダニエルはさっと馬に股がると、元来た方へ馬首を向ける。

「あっ、待ってよ! お茶を淹れるわ。ゆっくりしていって」
「いや、用があるんで」
「そんなぁ。ちょっとだけでいいから、ね? せっかくダニエルに会えたのに、すぐに行っちゃうなんて酷いわ」

 エリザベスは猫撫で声でダニエルを引き留めようとするが、ダニエルはそれを無視して去っていった。

「なによ……あんた! どうして私を呼ばないで二人で話しているのよ! あんたなんかが色目使ったって無駄なんだからね!」

 エリザベスはパメラの頰を打って家に戻っていった。
 パメラは打たれた頰を押さえて、エリザベスの後ろ姿を睨みつけた。
 お屋敷に住んでいた頃は、エリザベスはダニエルのことをたかが男爵家で風采も上がらない、あんなつまらない男あんたにお似合いよ。と言って散々馬鹿にしていた。それなのに、家が没落してからはなんとかしてダニエルに取り入ろうと態度を豹変させている。

(ダニエルは、お父様とは違うわ……あんた達みたいな心の汚い人間に騙されたり、言いなりになったりしないわ!)

 パメラはダニエルが持ってきてくれたハンカチをぎゅっと握り締めた。

しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを 

青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ 学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。 お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。 お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。 レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。 でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。 お相手は隣国の王女アレキサンドラ。 アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。 バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。 バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。 せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

女神様、もっと早く祝福が欲しかった。

しゃーりん
ファンタジー
アルーサル王国には、女神様からの祝福を授かる者がいる。…ごくたまに。 今回、授かったのは6歳の王女であり、血縁の判定ができる魔力だった。 女神様は国に役立つ魔力を授けてくれる。ということは、血縁が乱れてるってことか? 一人の倫理観が異常な男によって、国中の貴族が混乱するお話です。ご注意下さい。

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
ファンタジー
 毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 連載時、HOT 1位ありがとうございました! その他、多数投稿しています。 こちらもよろしくお願いします! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

処理中です...