生贄公爵と蛇の王

荒瀬ヤヒロ

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第50話

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「準備が整うまでは秘密にして、まずはお姉様にお話しするって言われてたんだけど、パーシバルと会っているのをお母様に見られて「パーシバルと結婚したい?」って訊かれたの。それでつい「パーシバルと結婚する」って答えたの。そうしたら、数日後にお母様とお父様がいきなりパーシバルを呼び出して、「二人でお姉様に報告しなさい」って」

 それであの朝に繋がるのか、とレイチェルは重い溜め息を吐いた。

「でも、どうしてお姉様を嫁がせるなんて話になるの? 後継はお姉様なのに!」

 リネット本人は自分が侯爵家を継ぐだなんて考えたこともない。だから、両親がレイチェルを嫁がせると言い出したのは寝耳に水だった。
 リネットには両親がそんなことを言い出した理由がわからないが、レイチェルにはなんとなくわかった。

 両親は、レイチェルよりリネットに家に残ってもらいたかっただけだろう。可愛いリネットに全てをあげて、可愛くないレイチェルから全てを取り上げたかったのだ。

「私、公爵様に「お姉様を返して」って手紙を送ったら、パーシバルにすごく叱られたの。お姉様のことは心配だけれど、今は家に帰らない方がお姉様のためだって」

 リネットはぐすんと鼻をすすった。

「私もそのうち家を出て、パーシバルと一緒に暮らすの。パーシバルが医者になるまでは伯爵家が援助してくれるから、その間に平民の暮らしに慣れなさいって」

 そう言うと、リネットはワンピースのスカートをちょいと摘んで見せた。

「この服は平民の服屋で買ったの。平民の暮らしを学ぶためにパーシバルと一緒に街を歩いたりしているのよ。もう市場で買い物だって出来るんだから!」

 リネットはちょっと誇らしげに胸を張った。
 レイチェルは目を瞬いた。外ではレイチェルの後ろに隠れてばかりでお茶会で令嬢達の会話にも混ざれなかった子が、平民の世界で生きていけるとは思えなかった。

「でも、お父様とお母様は反対するだろうから、絶対に言っちゃいけないって」

 それはそうだろう。レイチェルだって心配になる程なのだから。

「パーシバルが言うの。私はお父様とお母様から離れなきゃいけないんだって」

 リネットはふと真剣な表情になった。

「たとえ家族でも、一緒にいると良くない影響を与えてしまうことはあるんだって。私の家族は少し離れていた方が上手くいくと思うから、パーシバルは私を家から出すために私と結婚してくれる気になったんだと思う」

 レイチェルは肩を落とした。何も考えていないと思っていた妹が、姉の婚約者の助けを借りながらとはいえ、現状を変えようと行動していたことを初めて知った。

 考えることで思考は鍛えられる。今のリネットは思考力を身につけている最中なのだろう。
 思えば、リネットの話をこんなにたくさん聞いたことはなかった。たどたどしくはあるが、起きた事実と自分の想いを相手に伝わるように話すことが出来ていた。
 教師から教わるマナーや勉強とは違う、心の教育だ。本来なら、そのような「子育て」は両親が行うべきことで、両親がそれを放棄したならレイチェルがやらなければいけないはずだった。

 けれども、レイチェルは自分を守るのに精一杯でそれを投げ出したから、パーシバルが代わりに背負い込んでくれたのだ。

「お姉様がいなくなってから、お父様もお母様も機嫌が悪くて時々喧嘩もするの。お姉様がいる時はいつも私を甘やかしてくれていたのに、今は私のことなんて見えていないみたいなの」

 リネットは小さく溜め息を吐いた。

「昔、お茶会でどこかの令嬢に「お人形」って言われたの」

 リネットがレイチェルの目をひたと見つめた。

「お人形だったのかしら? お父様とお母様にとっては。私も、お姉様も」

 レイチェルはどきりとした。

「私は平民になるの嫌じゃないの。むしろ楽しみよ。だって私、貴族の令嬢って怖いのよ。いつも何一つ失敗しちゃいけないって空気が張りつめているみたいで。私には向いていないの」

 リネットは少し口を尖らせて言った。

「下町の花屋の店員のアビーって子とは、通りかかるたびに喧嘩するのよ。だって、あの子ったらパーシバルにちょっかいかけるんだもの。でも、アビーと話すのは全然怖くないの。笑ったり怒ったりわかりやすいんだもの。私はわかりやすい人達の中にいる方がいいのよ、きっと。頭が悪いから、貴族の世界は向いていないの」
「リネット……」

 レイチェルはなんと言っていいかわからなかった。

 貴族の令嬢なんて、親のいいなりに嫁ぐのが普通だ。だけど、レイチェルは何もかも捨ててそこから逃げ出した。それに比べて、リネットは自分の力で自分の居場所を見つけようとしている。

 一人で突っ張って逃げ出したレイチェルと、パーシバルを頼ったリネットの違いだ。

 自分も、もっとパーシバルを頼ればよかったのかとレイチェルは思った。そうすれば、もっと円満な形で両親と距離を置けたのかもしれない。

「馬車が来たわ」

 不意に、窓の外を眺めていたマリッカが言った。

「帰る時間よ、レイチェル。リネットもね」

 マリッカの声に我に返ったレイチェルは、ソファから立ち上がった。それから、リネットに手を差し伸べた。

「……話してくれてありがとう。リネット」

 驚きはしたが、妹の本音を聞けて良かった。レイチェルはそう思った。


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