生贄公爵と蛇の王

荒瀬ヤヒロ

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第90話

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***


「何者だ、貴様等!」

 カーライルは腰の剣を抜いてリネットに突きつけた。

「何故、この場所を……何故、鍵を持っている!?」
「お、王太子殿下……お許しください。私共は……」
「そこから出ろ!」

 リネットに剣を突きつけられて逆らうことも出来ず、パーシバルとマリッカは通路から出て床にひざまずいた。

「王太子殿下! 王宮への無断での侵入、許されぬと覚悟しておりますが、私共は……」
「レイチェル・アーカシュアを助けたいのです! どうか、カーリントン公爵閣下に会わせていただけないでしょうか!?」

 説明しようとするパーシバルの横で、マリッカが王太子の足下に身を投げ出して懇願した。
 隠し通路を使って王宮に侵入したのだ。この場で切り捨てられても文句は言えない。恐怖に震えながらも、マリッカは必死に訴えた。

「お願いします! どうか、公爵閣下に……」
「……兄上?」

 マリッカの訴えを聞いたカーライルが、虚を突かれたように一瞬だけ惚けた表情になった。
 雰囲気が変わったことに気づいて、マリッカは顔を上げた。

「……兄上……そうだ、兄上が捕まって……」

 カーライルはぐらりと頭を傾がせた。

「く……っ」

 苦しげに眉根を寄せ、リネットから手を離して自分の額を押さえる。リネットはパーシバルに駆け寄って背中に隠れた。
 カーライルは酷く頭が痛むかのように顔を歪ませ、ぶつぶつと呟く。

「何故なんだ……兄上が、捕まったなんて……おかしいと思うのに……あの女の前にいると、何も言えなくなる……」
「殿下……?」 
「駄目なんだ……離れていれば、ふっと正気に戻る時がある……けれど、すぐにまた頭がぼんやりして……兄上、兄上を、助けなければ……」

 カーライルはふらついて二、三歩後ずさった。その時、ギィィと扉の軋む音がして、広い地下に足音が響く。
 誰かが入ってきたことに気づいたパーシバルとマリッカは身を硬くした。王太子は様子がおかしいし、もしもパメラに操られている兵士や貴族だった場合、万事休すだ。ナドガが見つかってしまう。

 銅像の向こうに影が踊り、か細い声が響いた。

「……殿下?」

 その声に、はっと顔を上げたのはカーライルだった。

「殿下? こちらにいらっしゃるのですか? もうずっと、地下で祈っておられると聞いて……」
「……ヘンリエッタ」

 王太子は抜き身の剣をぶら下げて、よろよろと声の方へ歩み寄った。
 ニナを伴って地下にやってきたヘンリエッタは、初代国王の大きな銅像の背後から姿を現したカーライルに驚いて目を丸くした。何があったのか、剣を抜いて青い顔をしている。

「殿下? いったい何が……」
「ヘンリエッタ……私に近寄るなと言っただろう……正気を失って、君を傷つけるかもしれない……」

 カーライルには、自分がおかしくなっている自覚があった。だから、最初からヘンリエッタに近づかないようにしていた。彼女の近くにいたら、自分の意志ではなく傷つけてしまうかもしれない。

 侯爵家の夜会で顔を合わせた瞬間から、パメラ・クレメラの言うことに従ってしまう。彼女の虜になっているとか愛しく思っている訳ではない。それなのに、頭がぼんやりして、彼女に従わなければいけないという気になってしまう。この状態で何かとんでもない間違いをしでかせば、一生後悔するとカーライルは恐ろしかった。

 だが、ヘンリエッタはきっと顔を引き締めてカーライルを見つめた。

「いいえ。私がおそばにいなかった間に、殿下はこうして苦しんでおられます。カーライル様をこれ以上、一人で苦しませはしません。「呪われた生贄公爵」を恐れなかったレイチェル様のように、私は何があろうとおそばを離れません」

 ヘンリエッタの凛とした声が聞こえてきて、パーシバル達三人は身動きが取れずに固まっていた。

 ややあって、静かな空間に、地下通路から低い声が響いた。

「カーライル」

 こちらに背を向けていたカーライルが、ばっと振り向いた。

「私の名はナドガルーティオ。こちらへ来てくれないか」

 地下から立ち昇る濃密な気配に、カーライルは扉をみつめて立ち尽くした。


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