生贄公爵と蛇の王

荒瀬ヤヒロ

文字の大きさ
96 / 98

第96話

しおりを挟む



***


 あまりにも恐ろしい光景だ。
 黒と赤の大蛇が夜空を飛び、炎を吐き散らしながら戦っている。

 王太子は蛇に構わず避難を優先させるように命じた。騎士として、もちろん命令に従うつもりだ。
 だが、騎士であるが故に、人知を超えた化け物を目にして、迷いが生じた。
 これを放っておいていいのか。命を捨てでも、斬りかかるべきではないのか。王国を守るために、剣を抜くべきでは。
 怪我人を連れて退避すべきか、剣を抜くべきか、ほんの一瞬だけ、彼は迷った。
 その一瞬の硬直が彼の命を脅かした。赤い蛇が吐いた炎の弾が、まっすぐに彼に向かって飛んできたのだ。
 直撃する、と思った瞬間に、目の前に黒い壁が現れた。
 黒い蛇が、体を滑り込ませ炎から彼を守った。

 ナドガが騎士を庇ってシャリージャーラから離れた一瞬の隙を突き、シャリージャーラは大口を開けて地上めがけて飛びかかった。
 狙いは―― 騎士に手を引かれてこの場を離れようとしているレイチェルだ。

「レイチェル!」

 ナドガの声に、レイチェルは空を振り仰ぎ、自分に向かう牙を目にした。

 血が迸った。レイチェルの頰に、熱い飛沫がかかる。
 咄嗟につぶった目を開けたレイチェルは、自分を庇ってシャリージャーラに左半身を齧られたヴェンディグの姿を目にした。

「ヴェンッ……っ」

 レイチェルは喉を引きつらせた。ヴェンディグの肩に、太い牙が食い込んでいる。ぼたぼたと血が落ちる音。生々しい匂いに、頭がぐらりとする。
 ヴェンディグは痛みに呻き声一つあげず、右手を持ち上げ、握った何かをシャリージャーラの左目に突き刺した。
 空の月まで揺るがすような大絶叫と共に、シャリージャーラがヴェンディグを吐き出すようにして離れた。
 ヴェンディグはその場にどさりと倒れた。

「ヴェンディグ様っ!!」

 レイチェルは座り込んでヴェンディグを助け起こそうとした。
 だが、頭にも顔にも牙が掠った酷い傷があり、左のこめかみから頰にかけて肉が削られて真っ赤に染まっていた。肩口には牙が食い込んだ傷があり、血が噴き出している。左腕はほとんど取れかけている。怪我の深さも血の量も、一目見て致命的だとわかるものだった。

「……ヴェンディグ様っ!!」

 レイチェルが呼びかけると、ヴェンディグは目を開けたが、その目からは急速に光が失われていくのがわかった。



 ナドガは暴れるシャリージャーラを抑えるように絡みついた。
 シャリージャーラの左目には、アーカシュア侯爵家の紋が刻まれた懐剣が突き立てられている。

「シャリージャーラよ……もう終わりだ。もう静かに眠るがよい」

 ナドガが静かな声音で囁くと、シャリージャーラは残った右目でナドガを睨みつけた。

「お前などっ……もはや敵ではない!私の方が強い!私はお前などに倒されないっ!!」

 シャリージャーラはナドガの拘束から逃れようとのたうちまわって暴れたが、強く締め付けられるばかりで些かも自由にならない。
 おかしい。
 力はシャリージャーラの方が上のはずだ。
 何も食べていない蛇の王などより、シャリージャーラの方が遥かに強い。強くなったのだ。
 だが、ナドガは痛ましい者を見るように目を細めた。

「シャリージャーラ。お前は王宮の人々を操るために、かなりの力を使っただろう」
「それがどうした!? それぐらいで、何も食っていないお前に負けるはずがっ……」
「食ったさ」

 ナドガは言った。

「私は、それを食った」



 支えた体から体温が失われていくのが感じ取れる。レイチェルは自分の方が寒くてガタガタ震えてしまいそうな気がした。

「ヴェンディグ様、閣下……ヴェンディグ様……っ」
「……レ……イチェル」

 ヴェンディグが咳き込んだ。その口から血が溢れる。

「ヴェンディグ様っ……!」

 ぼろぼろと涙を流すレイチェルの顔を見て、ヴェンディグは血にまみれた口元でふっと笑ったようだった。

「……泣く……な。俺の……愛しい、婚約者……」

 レイチェルははっと目を見開いた。
 ヴェンディグは、琥珀色の瞳を優しく緩ませてレイチェルをみつめていた。

「悪いな……もっと、カッコつけて言いたかった、けど……」

 涙に濡れたレイチェルの頰に右手でそっと触れて、ヴェンディグは言った。

「愛してる」

 その言葉の後に、すうっと、息を引き取る音が聞こえた。




 蛇は人の「欲」を食らう。

「欲」にはいろんな種類があって、人の数だけ様々な「欲」が生み出される。

 蛇の王ナドガルーティオは知っている。

 一番、美味しい「欲」は何か。一番、力を与えてくれる「欲」は何か。

 それは、一人では決して生み出せない「欲」。


「私は、この世で一番、強く尊い「欲」を手に入れた」

 ナドガは言った。

「「愛」という「欲」を」

 シャリージャーラの体に熱が籠る。だが、ナドガは少しも慌てなかった。ナドガの発する熱の方が、遥かに強い。

「二人の人間の「欲」が、お互いに向かい合って、混じり合った時、「愛」が生まれるのだ」

 シャリージャーラが逃げ出そうともがく。その体から、ぶすぶすと黒い煙が上がり始めた。

「私の宿主は、愛し、愛されることを知った。その「愛」を糧にした私の力は、十二年間、一方的な「欲」だけを貪ってきたお前よりも強い!」

 シャリージャーラの口から悲鳴が迸った。赤い鱗が燃え尽きるように煙と化し、次々に剥がれ落ちていく。赤い蛇の体が、ぼろぼろと崩れるように小さくなっていく。

「影に還れ。シャリージャーラよ。いずれまた、影から生まれることが出来る日まで」

 憐れみを込めて声をかけ、最後の熱を浴びせた。
 シャリージャーラは夜空に灰の匂いを残して、跡形もなく消滅した。


しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを 

青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ 学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。 お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。 お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。 レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。 でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。 お相手は隣国の王女アレキサンドラ。 アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。 バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。 バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。 せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
ファンタジー
 毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 連載時、HOT 1位ありがとうございました! その他、多数投稿しています。 こちらもよろしくお願いします! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

処理中です...