身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

文字の大きさ
36 / 89
第二章

38、聖ミハエル教会での奇跡(二)

しおりを挟む


 
 誰かの甘く囁くような声に体が反応し一瞬意識が飛んでしまったサラは、何が起きたのかもわからず、恥ずかしさと困惑の中で、自分が冷たい暗闇の中にいることに気がついた。

(え?ここは…、どこ?)
 
 真っ暗な空間で何故かこの体だけはうっすらと見えていて、そのおかげで冷たい黒い霧が周囲を漂っていることがわかり、無意識にその霧を振り払おうとした。

 そこで自分の体が思うように動かせないことに驚いたサラは、唐突に、この肉体が自分のものではないことを悟った。つまり、この体は当然誰かの意思に従って動いているわけで、サラはその誰かの目を通して見ているだけの傍観者に過ぎない。

 それが確信に変わったのは、サラが誰もいないと思い込んでいた暗闇に向かって、この体の女性が急に話しかけた時だった。

「どうして私をここに連れてきたの」

 その問いかけに、暗闇のどこからともなく、姿形も見えない何者かの答えが返ってきた。

『お前を私の一部とするためだ。お前は私が決して得られることのないを持っている。私はそれが欲しくて、欲しくて、欲しくて堪らない…』

「私をあなたの領域に引き入れても完全に取り込む事はできません。それはあたなにもわかっているはずです」

『それでもいい…ここにいろ…私の一部となり、全てを完璧に満たすのだ…』

 周囲を漂う黒い霧は周りの温度を下げて、身震いをしてしまうほどに寒くなっていくのに、不思議な甘い香りがしたかと思うと、ゾクッとするほど生温かい感触がこの体の敏感なところばかりを狙って、透明なベールのようにするするとまとわりつき、この女性の感覚と同調しているサラにも嫌悪感がこみ上げてくる。

「…こんな事をしても無駄です。私には私の事を待ってくれている大切な人がいるの」

『許さないぞ…今戻れば、必ず後悔する事になる…』

 何者かの声は急に禍々しいものになった。そして暗闇の中で浮かび上がった赤い瞳を持つ両目が、殺意をにじませてこちらを睨んでいる。

 不快だった生温かい感触は消え去り、今度は身を切るような冷気が襲ってきた。それはまるで飛散したガラスの破片のようにこの体を切り裂いていくが、女性は苦痛で顔を歪めながら何も唱えることなく、次々と切り刻まれていく傷をあっという間に治してしまう。

(す、すごい!もしかしてこの人、絵の中で描かれていた本物の聖女様!?)

 この女性がサラの存在に気づく気配はなく、白い息を吐きながら、いつの間にか手に持っていた剣を上空に突き上げた彼女は、声を高らかに叫んだ。

「神から授かったこの『力』であなたを封印します!」

 その言葉の後、女性が掲げた剣先が眩しく輝き出し、その輝きは暗闇の全てを覆い尽くすように広がっていった。

『忘れるな…私の存在は……不滅だ……』

 禍々しい声は擦り切れていくような断末魔を残し、いつの間にか暗闇に浮かんでいたあの赤い目も消えて、サラの視界も光の世界に覆われていった。



 再び視界が戻ってくると、サラの意識は相変わらずまだ同じ女性の体の中にあって、何故か動かずに青く晴れた空の下で仰向けに横たわっていると、その場に駆けつけた誰かの腕によっていきなり抱きかかえられた。

 先ほどまで得体の知れない存在と気丈に戦っていたはずのこの肉体は、今はとてもぼろぼろに疲れ切っていて、体温も下がっているせいか、まったく力が入っていない。

 そのうえ誰かもわからぬ男性の胸の中で抱きしめられているのだが、その温もりに安心感を抱いている女性に、サラは強く共感していた。

(この感じ、身に覚えがある…)

 女性を抱きしめている男性の顔は見えていなくても、彼がこの女性の為に泣いている事は、すぐにサラにもわかってしまった。

「ソフィア…!」

「……ミハエル、もう、大丈夫。悪魔は封じましたから…」

 ソフィアと呼ばれた女性は、自分を強く抱きしめるミハエルに絞り出すような声で答えた。それからソフィアが何度も「大丈夫だから」と言っても、ミハエルはソフィアを抱きしめたまま離そうとしない。

「ミハエル、愛しています」

 微笑みながら「愛している」と言ったソフィアの感情は、サラの意識にも直接伝わり、じんわりと心を締め付けた。

 それからまた一転して何も見えなくなると、急に悲しい感情があふれ出し、サラの意識もその荒波に呑み込まれ、いつの間にかソフィアの存在さえも感じられず、胸が押し潰されそうな苦しみが襲い掛かってきた。

(苦しい…!助けて!)

 深く、とても深く、底無しの闇に引きずられるように、サラの意識は今度こそ足もつかない暗闇に堕ちていくようだった。これは転生前にも味わった「死」そのものだと思い出したサラは、絶望に追い込まれ必死にもがいた。

(誰か…!助けて!)

 自分にさえ見えていない己の手を、記憶にある感覚だけを頼りに振り回し、サラは自分の手を握ってくれていたはずの彼に助けを求めて叫んだ。

「キース!」

 やっと声を出せたと思った瞬間、今度こそは自分の物だとはっきりとわかる奇跡の力が、その輝きを放った。



 ※   ※   ※



 キースがドアの前でしゃがみ込み、部屋の中央で倒れているサラを呆然と見つめていると、もうしばらくして、背中に当たるドアを強く叩く音とその振動を感じたキースは、はっと我に返って、自分の体がドアを塞いでいることに気がついた。

「副団長!マティアス副団長!大丈夫ですか!?」

「…ッ、大丈夫だ!!私が出て来るまでそこで待機してくれ!」

 外にいる騎士達がドアを蹴破ってこないようにそう叫んだ後、キースは立ち上がって、掛けてあったコートを床の上で倒れているサラの体に被せた。そして部屋の外に出ると、中を覗かせないように素早くドアを閉めて、周囲の様子を伺った。

「何があったのですか!?ドアの隙間から強い光が漏れていましたが、お嬢様はご無事ですか!?」

 女性騎士のラウラが必死な形相でキースに迫ってきた。そのラウラの後ろのずっと先では、まだ中庭にいた司教達がこちらの様子を伺いながら何やら囁き合っている。

「…君達二人だけでなく、あそこにいる司教達も光を見たのか」

「え?は、はい。何かがぶつかる音がしたので振り向いたら、ドアの隙間から溢れ出す光がはっきりと見えました。ドアが金色に縁取られるほどに輝いていたので、遠くにいた彼らにも見えたはずです」

 キースは中庭にいる大司教と目が合うと、二人にドアの前から離れないように指示を出し、中庭にいる司教達がいる方へ向かって歩き出した。すると、大司教も他の者達にその場を離れないようにと言い残して、自らキースのもとへ近づいてきた。
 
「聖女様はご無事ですか?」

 大司教の言葉は心配してくれているようではあるが、妙に冷静過ぎるような気がして、キースは疑問を抱いた。

「いいえ、まだ気を失ったままです。大司教、あの光を見てもあまり動揺されていないようですが、何が起きたかおわかりなのですか」

「はい。――恐らく、聖女様に『目覚め』が起きたのではないかと考えられます」

「だが彼女は以前から『聖女の力』を持っていました。教会が言う『目覚め』とは一体どういう意味なのですか」

「教会が以前に発表した内容と、実際に受けた啓示の内容は若干異なります。聖女は神の祝福を受けた土地グローリアでその生を受け、そしてある日、光の中で力に目覚めた聖女が悪魔を封じるという夢を見た者が現れたのです。ですからあの光こそ、その者が見た聖女の『目覚め』の証であると考えられます」

 キースは大司教の口からさりげなく出た「悪魔」という単語に著しく反応を示し、怒りを露わにしながら言葉を返した。

「……確かに、我々が聞いていた発表では悪魔という存在は公表されていません。こうなる事がわかっていて、あの展示室にあった絵を見せたのですか?」

「いいえ。すでに奇跡のような力を使いこなしていると聞いておりましたので、このような事になるとは思ってもみませんでした。…今私に言える事はそれだけでございます」

 キースの怒りを前にしても、淡々と説明をする大司教の態度に変わりはなく、最後は急に口を固く閉ざされてしまい、キースは厳しく問い詰めたい感情をぐっと堪えた。

「……今日はこのまま帰らせてもらおう。聖女派遣の件はしばらく保留とさせて頂く。教会はまだ何か我々に隠している事がありそうだ」

「それについてはマティアス侯爵閣下にすでにご説明しております。保留期間はお任せしますが、私としては聖女様が快復されるまでお待ちしておりますので、どうぞご安心下さい」

 キースは大司教がどのように侯爵と関わっているのか見えない状況に不満を抱き、「失礼する」とだけ言い放って踵を返した。

 部屋の前まで戻ってくると、キースと大司教のただなら雰囲気を見守っていた二人の騎士が、ドアの前で緊張した面持ちで立っている。

「私が部屋から出てくるまで誰も近づけないでくれ」

 キースは部屋に入るなりドアの鍵をかけると、まだ床の上で倒れているサラのもとへ静かに歩み寄った。

(誰が敵か味方か、わからなくなりそうだ…)

 まだ意識が戻らないサラを見下ろし、苦い表情を浮かべたまま、そっと上半身だけを抱きかかえた。シュミーズとコルセットだけの姿になってしまったサラのために、その体に被せてあった白いコートを着付け直していると、その時、サラが何かを呟いた事に気づいたキースは、サラの肩を揺らし大声で呼びかけた。

「おい!起きろ!俺が誰かわかるか!?」

 大きな声が耳に響いて、サラはゆっくりと、窓から差し込む明るい日差しに怯えながら目を開けた。すると心配そうに青ざめた顔で覗き込むキースが視界に入ってきて、言葉にできないほどの安心感と疲労感がサラの全身を駆け巡る。

 今まで見ていた夢の内容があまりにもリアル過ぎたせいで、現実に戻れたのか判断が出来そうにないほどに頭が混乱している中、サラはとりあえずキースに今の状況を確認しようと、かすれた声で尋ねた。

「……キース様、わたし…何が、あったのですか…」

 そう言った直後、サラの肉体は突如として「死」に対する強烈な絶望と恐怖を思い出し、勝手にぶるぶると震え出した。

(やだ…、いやだ、怖い…ッ!何が起きたの?あれは何だったの!?)

 この体が自分のものではないと感じてしまうほどに震えを制御できず、自力では振り払えない恐怖に怯えたサラは、キースの腕にしがみつく。

「助けて…怖い…!死にたくない!怖いッ!」

 サラは我を失い、キースの腕を掴む手に精一杯の力を込めた。それでも簡単に振り払えそうなぐらいの弱い力を感じ取ったキースは、何をどうしていいかもわからない無力感と、大事な何かを失いそうな恐怖心と戦いながら、サラを強く抱き寄せた。

「しっかりしろ!俺が守ると約束しただろう!」

 サラはキースの力強い声を聞いて、張り詰めた糸が切れたように涙がボロボロと流れ出した。しっかりと抱きしめられたキースの胸の中でその涙を止められず、サラはしばらく泣き続けることしか出来なかった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~

みつまめ つぼみ
ファンタジー
 17歳で偽りの聖女として処刑された記憶を持つ7歳の女の子が、今度こそ世界を救うためにエルメーテ公爵家に引き取られて人生をやり直します。  記憶では冷血貴公子と呼ばれていた公爵令息は、義妹である主人公一筋。  そんな義兄に戸惑いながらも甘える日々。 「お兄様? シスコンもほどほどにしてくださいね?」  恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

アリエッタ幼女、スラムからの華麗なる転身

にゃんすき
ファンタジー
冒頭からいきなり主人公のアリエッタが大きな男に攫われて、前世の記憶を思い出し、逃げる所から物語が始まります。  姉妹で力を合わせて幸せを掴み取るストーリーになる、予定です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします

夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。 アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。 いわゆる"神々の愛し子"というもの。 神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。 そういうことだ。 そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。 簡単でしょう? えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか?? −−−−−− 新連載始まりました。 私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。 会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。 余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。 会話がわからない!となるよりは・・ 試みですね。 誤字・脱字・文章修正 随時行います。 短編タグが長編に変更になることがございます。 *タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。

処理中です...