身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

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第三章

42、オリビアへの祈り(二)

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 サラがガラスドア越しに薄暗い夜の世界を覗くと、月明かりに照らされた白い鳥が一羽、バルコニーの上で倒れたまま、起き上がれずに羽をばたつかせている。

「……あの鳥がぶつかったのね」

 ナイトドレスの上にストールを羽織り、ランタンを持って外に出たサラは、その鳥に明かりを近づけた。鳥の脚には紐が結わえられていて、その先には四角に折られた小さな紙が結ばれている。ひと目でこの鳥が伝令鳥だとわかるが、やはり羽を怪我をして上手く飛び立てないようだ。

 ランタンを下に置いて鳥に近づこうとすると、危険を感じた鳥はバタバタと動いてじっとしてくれない。暴れる鳥が怖くて困っていると、隣のバルコニーからガラスドアが開く音が聞こえて、そこからランタンを持った誰かが出てきた。

「あの…!」

 サラの声に反応した人物が振り向くより先に、その人物がキースだとすぐに気づいたサラは、驚いて言葉を詰まらせた。

(うそ…。部屋は離れているはずなのに、バルコニーだとこんな近くに感じるなんて…!)

 キースのほうも、まさかサラが外にいるとは思ってもいなかったようで、数秒の沈黙の後、我に返ったキースがバルコニーの端までやって来た。

「どうしたんだ?なぜ君がこんな時間まで起きているんだ?」

 サラは久しぶりにキースと会えたことに胸を熱くしながら、慌てて今の状況を説明し始めた。

「いえ、あの、寝ようとはしていたんです。そしたら、ガラスドアに何かがぶつかった音がして――、え?」

 サラが言い終える前に、キースはランタンを下に置いて、身一つでサラのいるバルコニーに飛び移っていた。

「あ、危ないじゃないですか!ここ三階ですよ!」

 サラの驚きと心配をよそに、キースは足早にサラのもとへ近づいてくる。

「ガラスが割れたのか?君は大丈夫なのか?」

「わ、私?」

 その答えがのんびりした返事に聞こえたのか、キースがサラの両肩をがっしりと掴んで、酷く心配した様子で同じ質問を繰り返した。

「君は大丈夫なのかと聞いているんだ!」

「私は大丈夫です!私じゃなくて、鳥!あの鳥が怪我をしているんです!」

「鳥?」

 サラが必死に指をさした先を見たキースは、やっと怪我をしている憐れな伝令鳥がいることに気づいてくれた。それからゆっくりとサラの肩から手を離すと、手慣れた様子で伝令鳥を腕に乗せて持ち上げた。

「これは私の伝令鳥だ。連日飛ばしていたせいで、疲れてコントロールを失ったのかもしれない。無理をさせてしまったな…。夜中に驚かせてすまなかった。とにかく君に怪我がなくてよかった。こいつは俺が面倒をみるから君は早く部屋に戻ってくれ」

「その前にその鳥を治療させて下さい。そのまま動かないでいてくれると助かります。暴れられると治療ができないんです」

「…わかった。お願いしよう」

 サラは集中するために「治療ヒール」と唱えて伝令鳥の怪我を治していく。伝令鳥はキースの腕に乗ったまま暴れる事もなく、それどころか気持ちよさそうに目を閉じている。治療が終わっても動こうとしないので、その無防備さに思わずクスッと笑ったサラは、鳥の脚にぶら下がっている紙に目が留まり、紐から外してキースに差し出した。

「どうぞ」

「え?あ、ああ!すまない。そうだった」

 キースも気を抜いていたのか、慌てて紙を受け取った瞬間、元気になった伝令鳥は空へ羽ばたいた。上空でくるくると旋回している伝令鳥を見たキースは安心して、その場で小さく折られていた手紙を広げた。

 伝令鳥が飛び去っていくのを見届けたサラがキースに視線を戻すと、彼は手紙を持ったまま表情を曇らせている。

「キース様、どうかされたのですか?悪い知らせですか?」

 キースはサラの質問に対し、ためらいがちに答えながら手紙をサラに戻した。

「…そうだな。悪い知らせだ。妹は…、オリビアはもう王都にはいないのかもしれない」

「え?王都に…いない?」

 サラはキースから返された手紙を広げてじっと見つめた。手紙には「探し物は見当たらず。外を探すなら改めてご相談を」と短いメモが書き記されている。

「情報屋を使ってオリビアに似た女性を探させたんだ。グローリアを出発する前に見たオリビアの顔は今でもはっきり覚えている。だが結果はすべて外れだった。父の屋敷へ運ばれた後、そこからどこへ移されたのかわからなくなってしまった……」

「そのご様子だと、旦那様の屋敷も探したのですね」

「あぁ。だが使用人達は何も知らない様子で、何の痕跡も残されていなかった」

「……グローリアから同行していたアイゼン卿に、話を聞くことはできませんか?」

「……彼にも聞いてみたが、何も知らないそうだ。だが彼は口が堅い男だ。どこまで信用していいかわからないが、この件に関しては本当の事を言っている気がする。もしオリビアの体が王都の外に移されたとなると、見つけるまで時間がかかるだろう。マティアス家が所有する領地だけでなく、地方には父と懇意にしている貴族や高官も多い。つまり探す当てが多すぎるんだ。予想していたより、かなり手ごわいな…」

 ひとしきり説明を終えたキースはバルコニーのベンチに腰かけ、額に手をあてて、かなり疲れているようだとわかる。

 サラは手紙を返そうとキースのそばへ近寄った。キースが手紙を受け取ると同時に、サラはキースの頭部を両側から包み込むように、こめかみ部分に手をかざした。

 サラの思わぬ行動にキースが驚くより先に、サラは無言で聖女の力を発動させる。キースは触れていないはずのサラの手の内側から感じる温かい熱に、疲れた頭と体が癒されていくことを実感し、何も言わずに黙って目を閉じることにした。そんな中、サラの柔らかい声が聞こえてきた。

「キース様、しばらくオリビア様を探すのを止めてください」

 キースはサラの意外な提案に動揺するが、目を閉じたままその訳を聞き返した。

「…なぜだ?君は早く自由の身になりたいんじゃないのか?」

「もちろんです。でもまさか、旦那様がここまで用心深く手を回しているとは思いもしませんでした。もしかして旦那様に会いに行った夜、何か言われたのではないのですか?」

「……父に妹の居所を尋ねたら、俺が知る必要はないと言われたよ。そのうえ君が聖女として地位を確立できた時にこそ、君にオリビアをもう一度治療するチャンスを与えてやるとまで言われてしまった」

 その時、キースはそれまで感じていた温かい熱が弱くなったせいで、動揺したサラの感情が伝わってきたような感覚にとらわれた。目を開けるべきか迷っていると、サラが再び口を開いた。

「――情報を得る為にお金を使ったのなら、すでに旦那様もお気づきのはずです。これ以上動けばキース様の立場が悪くなります。それに日中は騎士団の任務をこなして、夜は遅くまでオリビア様を探す為に外出して、これでは疲れも取れないでしょう」

「…君は冷静だな。私はこの数日間ほど、自分の無力さを感じたことはなかった」

 目を閉じていても、キースの悔しさは口調に滲み出ている。

(私は前世の記憶もあるし、小説の世界が現実になったことだってもう受け入れているわ。でも彼は違う。ずっと疎遠だったとしても、妹がいなくなって不安を抱えていたはず。私はそんな彼に何てことをさせてしまったの)

 サラは決意を固めて、目を閉じたままのキースに誓った。

「キース様、私は考える時間を十分にいただきました。だからこそ、このまま何もせずにはいられません。私はお嬢様の身代わりを続けながら、旦那様にわからないようにお嬢様を探してみようと思います」

「…君はこのまま聖女としての活動を続けると言うのか?」

「はい。お嬢様を完璧に助けられなかった私を信用できないと仰る旦那様の気持ちを理解できないわけではありません。今度こそ救えるという絶対的な自信があると、証明できればいいのですね」

「だが君は教会で倒れた翌日から、眠れない日が続いているようだという報告を受けている。あの悪夢を思い出して、今夜も眠れなくて起きていたんじゃないのか?」

「それは…、最初はそうでしたが、今は違います。数日前からですが、毎晩オリビア様が無事である事を祈っていたら、不思議と安心して眠りにつきやすくなりました。この力はお嬢様が私に分けられたものですから、どこかでつながっているのかもしれません。だとすれば、私のほうが先にお嬢様を見つけられるかも…」

「本当か?オリビアは無事で、君と不思議な力でつながっていると言うのか?」

「…はい。可能性はあると思います」

(本当はまだ確信がもてないけれど、この世界の主人公がいなくなるはずがないわ。小説の筋書き通りなら、オリビア様が十七歳になれば、自ら眠りから目覚めてくれるかもしれない。だとすれば、それまであと一年。長く感じるけど、これまでの事に比べればたった一年よ。そして私はここを去っていく……)

 ほっとした表情を見せているキースを見て、サラは寂しげに微笑んだ。

「もし私が先にオリビア様を見つけて目覚めさせることができたら、約束通り私を王都から逃がして下さい。その時は家庭教師の紹介状をつけて送り出していただけると助かります」

 キースはまだ目を閉じたまま、すぐに真剣な顔つきに戻り、眉間にしわを寄せて返事をした。

「――そうだな。君がここを離れてもやっていけるよう、その準備も進めていこう」

「ありがとうございます」

 温かい熱が消えて、冷たい夜の空気が心地よくキースの体に染みわたる。治療を終えたサラが身を引こうとした時、キースがサラの両手を捕まえた。

 サラがびっくりしていると、キースは目を開けて、優しい表情ではっきりと聞こえるように礼を言った。

「私こそ、君の決断に感謝する。ありがとう」

 キースの低い声の色気にあてられたサラは、忘れようとしていた感情がまた沸き起こるのを感じて、顔を真っ赤にした。

「わ、わたし、……部屋に戻ります!」

 動揺したサラは後ずさりする。すると強く握られていたはずの力は緩められ、キースは簡単にサラの手を解放した。

 サラは自分から離れたはずなのに、掴まれた手にキースの大きな手の感触と温もりがまだ残っている気がして、心臓のドキドキが止められない。

「おやすみなさい!」

「あぁ、おやすみ……。サラ」

 キースの最後の言葉はサラの耳には届かなかった。サラはその時点ですでに部屋の中に戻っていて、ガラスドアを閉めてカーテンを引いていたからだ。

 久しぶりに会えたキースの存在感は、サラが抱いていた想像をはるかに超えて、胸が苦しいと思えるほどサラの感情を激しく揺さぶっている。

(駄目よ…。こんな気持ちを抱いても、ここを去る時に苦しむのは私なんだから!オリビア様、どうか早く目覚めてここに戻ってきて!じゃないと私、勘違いして、彼から離れられなくなる…!)

 肩を掴まれた感触や、両手に残るキースの温もりが忘れられず、サラはベッドの中で身悶えしながら枕を抱きしめていた。


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