身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

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第三章

43、焦心(一)

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 聖ミハエル教会の一室で、サラが聖女としての活動を始めてから二カ月以上が経過した。教会に通うのは週三日の午後だけで、患者のほとんどが貴族や金持ちばかりであることに不満はあるものの、魔法のような力を使って治療を続けているうちに、サラは自分の感情によって「聖女の力」の発動に影響があることに確信がもてるようなっていた。

 どうしてもうまくいかない時は、呪文のような言葉を適当に唱えればいいのだが、無理に発動させると体力を著しく消耗させてしまうこともわかってきた。そこから見出した答えは「聖女の力」を使いこなすには体力が必要不可欠だということだった。

 広い浴室で一人になったサラは、ショーツだけを身に着けた格好で鏡の前に立ち、細すぎる手足と、あばらの骨が浮き出ている不健康な体を見て、「う~ん」と唸っている。

「外見的には筋トレの効果はまだ出ていないわね。よく眠れるようになったから次は体を鍛えようと思ったんだけど、この体で筋トレしているところを見られたら過保護な人達に止めらちゃいそうだわ。まだ疲れやすい体だし、何十回もできるわけじゃないから、しょうがないか…」

 サラは腹筋や腕立て伏せなど、自分なりに考えたトレーニングの内容を毎日やる事に決めて実践しているのだが、食が細くなってしまったせいで劇的な変化は見られないとわかっていながらも、なかなか健康的な体に戻れない事にため息をもらした。

 一日分のトレーニングを終えて、薔薇水にひたしておいたタオルで汗ばんだ体を拭きあげながら、ふと自分の胸に視線を落とした。

「それにしても、この胸はちょっと贅沢な悩みね。前世の頃より大きいなんて皮肉だわ」

 鏡を見ても、細すぎるウエストとその上にある豊かな胸の膨らみは、どう見てもアンバランスに映っている。成長期で急に膨らみ始めた胸のせいで、肩凝りがひどくなってしまったのも悩みの一つだ。

 こつこつとやってきた筋トレのおかげで体力がついてきた事を体では感じているが、もっと外で体を動かせたらといいのにと、バスローブを着ながらサラは考えていた。

(乗馬をたしなむ貴族の女性もいるけど、私が習いたいと言っても旦那様が許してくれるとは思えない。でも馬を乗りこなせたらカッコいいだろうな。とくに騎士団なんて、みんな身長も高いし、鍛えた体で馬に乗る姿なんてさまになるでしょうね)

 サラは頭の中で、騎士であるリックとその友人のルアン、そして最近特に仲良くなった女性騎士のラウラや護衛でよく見かける騎士達、それぞれの雄姿を次々と思い浮かべていく。

 最後に騎士の制服を着たキースの姿を思い出そうとすると、なぜか夜のバルコニーで視線を交わした二人きりの場面に勝手に切り替わってしまった。顔を赤くしたまま急いで浴室から出ると、ふと窓の外の晴れ晴れとした青空に目を奪われ、雲一つない空を見上げて呟いた。

「彼らも今頃は、馬に乗って王都の中を警備して回っているのかしら」




 その日の夕方、教会での活動を終えて屋敷へ帰ってきたサラは、ソファに座って眠気と戦いながら、ぼんやりと考え事をしていた。

(今日もお嬢様に関する情報は収穫なし、か…。仕方ないわね、ずっと屋敷と教会の往復だけだもの。それに聖女の力を使って祈りながらお嬢様の行方を探そうとすると何故か難しくて、それにすごく疲れやすいのよね。やり過ぎると患者さんの治療に支障が出てしまうし、かと言って帰る頃にはもう疲れて集中するのも困難だし。やっぱり旦那様に私の行動制限を緩めてもらうようにお願いしないとダメかな。まだ直接お会いするのは怖いけど、今の私ならきっと――)

 その時突然騒々しい物音や人の声がどこからか聞こえてきて、何事かと身構えていると、ラウラが慌てた様子でやって来た。

「お嬢様!キース様が重症を負って、この屋敷に運ばれてくるそうです!急いで下へ!」

「え?」

 頭の中は真っ白な状態で、ラウラに手を引かれて一階まで降りていくと、広いエントランスの中央に担架に乗せられたキースが、リック・アイゼンと彼の部下によって運ばれてくる光景が視界に飛び込んできた。

 紺色の制服の大部分が赤黒に染まっていて、肩から腹部にかけて切り裂かれた制服が、どれほどの重症かを物語っている。

「キース!」

 駆け寄ったサラはキースの青ざめた顔を見て、地下牢で見たオリビアの姿を思い出し、耐え切れず体を震わせてしまう。

 リック達がキースの体を床の上に降ろすと、その動きに合わせてサラも屈み込み、震える両手でキースの右手を強く握りしめた。すると苦痛で顔を歪ませたキースを見たサラは、迷わずに聖女の力を発動させた。

(動揺してはだめ!絶対に助けるの!私がしっかりしないとまた失敗してしまう。二度と同じ過ちは繰り返さないわ!)

 淡い光がキースの傷口を覆うように現れると、深く刻まれた傷口はゆっくりと塞がっていった。やがて光が消えて出血は止まっても、なぜかキースはすぐに目覚めてはくれず、サラは握った手を離さずに祈ることを止めようとはしない。

 そのうちサラの額に冷や汗が出始め、顔色が悪くなっていくことに気づいたリックが、キースの体を挟んだ反対側に屈み込むと、ここに来た経緯を語り出した。

「最初は治療院に運ぶつもりでしたが、あなたが隣の教会にいないことが先にわかったので、このままでは彼が助からないと思い、まっすぐここへ連れてきました。彼がまだ目を覚まさないのは、恐らく出血がひどかったのでしょう。見たところ出血も止まって彼の呼吸も安定しているので、どうかご安心下さい」

「でも……ッ!彼が目を覚まさなければ、このままだとあの時と同じように――」

 リックが口止めをするようにサラの唇の前にすっと人差し指をかざすと、サラは自分の吐息がその指に当たったのを感じて顔を上げた。

 この時、サラの潤んだ瞳はピンクダイヤのように美しく輝いていて、溢れ出した涙はその頬を流れ落ちていった。周りの人達がどうしていいかもわからずに立ちつくしている中、リックだけがサラを諭すように言葉をかけてくれる。

「お嬢様、彼はもう大丈夫です。部屋に運んで休ませましょう。このまま聖女の力を使い続ければあなたが倒れてしまいそうで、それこそあの時の再現になってしまいます」

 リックはそう言いながら半ば強引にキースの手からサラの手を引き剥がすと、キースの胸の上にその手を押し当てさせた。するとキースの鼓動と、呼吸に合わせて上下するの胸の動きがサラの手にしっかりと伝わってきて、それが何とも言えない安心感をもたらしてくれる。

「彼が無事だと確認できましたね。さぁ、立ってください。一緒に行きましょう」

 こくんと頷いたサラがゆっくりと立ち上がろうとした時、一瞬立ちくらみが起こるが、リックが支えてくれたおかげですぐに体勢を整えることができた。

「…アイゼン卿、ありがとうございます。お部屋へ御案内します」

 執事のギルバートに案内を頼んだサラは、キースを乗せた担架を運ぶ騎士達の後に続いて、リックに支えられながらついて行くことにした。

 サラの手はまだ微かに震えていて、リックは腕に添えられたその手を離さないようにしっかりと支えていた。



 ※   ※   ※



 キースをベッドに寝かせた後も、サラは側に椅子を置いて、ずっとキースの手首を優しく掴んで聖女の力を絶えず送り続けている。

 リックはこの場の責任者として屋敷に残ることにしたが、部屋の片隅で大人しく見守るつもりでいたはずだったのに、思わず口を出さずにはいられなくなった。

「必死ですね」

 リックからの唐突な問いかけに、サラがびくんと反応する。

 もう大丈夫だと何度説明しても、キースが目覚めない限りサラは完全に納得してくれないことを、リックはよくわかっていた。それでも今の状況に複雑な気持ちを抱えている彼は、敢えて何度でも似たような事ばかりを言ってしまう。

「先ほど来ていた医師も、あなたのおかげで彼の傷はもう完治していると言っていました。ここは私に任せて、どうかお休みになって下さい」

「…でも彼がこのまま目覚めなければ、オリビア様の時と同じことが起きてしまうかもしれません。あの時、お嬢様が目を覚ますまでこんなふうに側にいてあげれたらよかったと、ずっと後悔しています。それに―――」

 サラはずっと自分の事を心配してくれるリックに向かって、疲れた表情を隠せないまま柔らかく微笑んだ。

「それに、キース様はオリビア様の意識が戻らないのは私のせいだとわかっていながら、私の事を守ると約束してくれました。そのあとで旦那様の言う通りにすることが条件だと言われましたが、私は何となく最初に出たその言葉が、この人の本心に聞こえたんです。だから私も同じように出来る限り彼の事を守ってあげたいと思っています」

「あなたの事を守ると、言われたのですか…」

 リックにしてはめずらしく、サラの前でため息交じりな言葉を洩らした。

「以前にキース公子から本物のオリビア様の居所を質問されたことがあります。ですが、私にもわからないと正直にお答えしました。そしてあれから私も調べてみました」

「え?あなたも調べてくださったのですか?」

「はい。オリビア様に似た人物が王都から出て行かなかったか、戸籍省に照会をしてみました。該当者は何人かいましたが、発行された通行許可書を見た限り、怪しい者はいませんでした。荷物はすべて厳しくチェックされていますし、王都の外に連れ出された可能性は低いと考えられます」

「それでは、お嬢様はまだ王都にいるということですか?でもキース様は情報屋も使って、心当たりも探してみたけれど、それでも見つからないと仰っていました」

「そのようですね。ですが、総司令官閣下は非常に用心深く、実の息子であるキース公子にでさえ秘密を漏らさない方です。それに以前は少なくとも月に一度は地方への遠征に同行していた閣下が、この数カ月間は一度も参加していません。その理由は、あなたが王都にいるからというだけではなく、本物のオリビア様も王都のどこかにいるからではないのでしょうか」

「まさか…、キース様の今日の怪我は、そのことと関係があるのですか?」

「いいえ、それは違います。…たしかにキース公子は私の考えを聞いて困惑されていたようですが、彼の怪我は任務中に部下をかばって負傷したものです。あなたがここにいなければ、彼は命を落としていたか、もしくは酷い後遺症を抱えていたかもしれません」

 サラはずっと行動が制限されている状況に焦りを感じていたはずなのに、この状況にいたからこそキースを早く救うことができて良かったと嬉しく思う自分がいる事に気がついた。そして偶然にも、それに気づかせてくれたリックの言葉に胸が熱くなり、感謝の気持ちでいっぱいになっている。

「私はどこにも行けなくて、何もできなくて、何も返してあげられなくて、もどかしい想いをずっと抱えていました。でもそのおかげで彼を救えたと言うのなら、私も救われた気持ちになります。そしてそう思えるのは、アイゼン卿、全てあなたのおかげです」

「……長話をしてしまいましたね」

 リックの心の中は、例え様のない幸福感で満たされた感覚に陥っている。それはサラが今まで見せたことのない笑顔で、真っ直ぐな眼差しでリックを見ているせいだ。結局さっきまで抱いていた不快な感情を一時的に忘れ、彼は優しい口調で言葉を返すしかなかった。

「彼が目覚めるまで、もうしばらく待ってみましょう」


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