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第三章
64、デビュタント(五・波乱の一夜)
しおりを挟む「オリビア嬢」
サラはエバニエルに抱いた怒りを抑える前に、その声の主がいる方へ振り向いてしまった。責めるような目で見上げられたロシエルは戸惑い、不安そうにサラを見つめている。
「ロシエル殿下、失礼いたしました。違う事に気を取られてしまって……」
(エバニエル殿下は私の背中に傷がある事は知っていたけれど、オリビア様の偽者だと気付いてはいなかったわ。それなら今は何を言われても無視し続ければいい。私がお嬢様と入れ替わってしまえば、あんな脅しを受けても無意味だもの!そんな事よりも今は目の前にロシエル殿下がいるのよ。こっちに集中しなきゃ!まずは最初に挨拶をして、それから踊りながら体調を気遣うような話をして、それから、それで……)
サラが目線を伏せて、興奮気味の感情を早く落ち着かせようとしながら胸の位置で両手を強く握りしめていると、ロシエルがハンカチを取り出してサラの手の上にそっと押し当ててきた。
「手から血が出ている」
「え…?」
怪我をした覚えがないまま、手から血が出ていると教えられたサラは一瞬慌てて見せるが、ロシエルが取った行動に別の意図があると気づいて顔を上げると、金色の瞳が優しく見下ろしている。
「先に手当をした方がいい。傷口を押さえたまま、ついて来なさい」
「…はい」
ロシエルは令嬢達を見守る人々の中からキースを見つけ出し、彼のもとへサラをエスコートをしながら、宮廷楽団の指揮者に向かって軽く手を上げた。指揮者は間奏曲から二曲目の演奏に移る合図を楽団に送り、それを待ち望んでいた他の令嬢達も、中央で踊るはずの二人がその場からいなくなる様子を伺いながらスタンバイを始めている。
周囲の視線が注がれる中、キースはロシエルと一緒に戻ってきたサラを心配そうに迎えた。
「ロシエル殿下、何があったのですか」
「キース公子、令嬢は手を怪我している。宮廷医を呼ぶから―――」
ロシエルはキースの背後にいるマティアス侯爵の存在に気付き、会話の相手を変えて話し続けた。
「マティアス侯爵、令嬢と一緒に『控えの間』で待っていてくれ」
「恐れ入ります。しかしながら、殿下のお手を煩わせる訳にはいきません。娘はすぐに連れ帰って治療を受けさせます」
「侯爵、彼女もデビュタントの一人だ。すぐに帰してしまうのは忍びない。二人で控えの間で待っていてくれ」
「ではお言葉に甘えて、控えの間でお待ちしております」
ロシエルはその場を離れ皇帝に挨拶をした後、皇族専用の通路を使って何処かへ行ってしまった。
サラが手を隠すように持っているハンカチを見たキースは、血が滲んでいる事に気付き、それを隠すように手で包み込んだ。
「こんなに血が出るほど、どうして…」
「違います。これは…このハンカチは殿下の物です」
(私は怪我なんかしてない。この血は私のじゃなくて、ロシエル殿下の血だわ)
「…そうか。では行こうか」
「キース、お前はここに残っていろ。イザベラを一人にする訳にはいかない」
キースが控えの間まで付き添って行こうとする前に侯爵がそれを制止した。キースは無言になってしまい、近くにいた侯爵夫人も、キースと一緒に残るようにと遠回しに言われた事に気付いて黙ったままだ。サラはキースの手に触れて、柔らかく微笑んだ。
「私なら大丈夫です。すぐに戻ります」
その言葉がサラの本音だとは思えず、それでもキースは黙って頷くしかなかった。
ロシエルに言われた通り、無人となった控えの間でマティアス侯爵と待っている間、サラはついさっきエバニエルに言われた事を、小声で手短に報告し始めた。
「エバニエル殿下は…、私の背中に傷がある事を知っているようです」
侯爵は僅かに眉をしかめて、横に座るサラを見ないまま返事をする。
「それで、何と答えたんだ」
「…そんな情報はでまかせだと答えました」
「それだけで済むとは思えんな」
「……証拠を見せろと言われて、困っていた所にロシエル殿下が声をかけて下さいました」
侯爵が黙ってしまったので、サラは溢れる不安を吐き出した。
「このままだと…いつ私が偽物だとばれてしまうのか不安です……。やっぱり私は―――」
「お前の最大の弱点は、他人を利用する事を恐れてしまう事だ」
(――利用?この状況で人を利用するって、どういう事?)
「申し訳ございません。仰っている意味がわからないのですが…」
「お前はただ、オリビアの振りをしまま、背中の傷はこの私につけられたものだと言えばよかったんだ。私が憎くはないのか?」
サラは侯爵の言葉に衝撃を受けてその横顔を見つめた。侯爵は驚きを隠せずにいるサラを横目で観察している。
(…憎い?それよりも恐い人だと思っているし、それに旦那様のせいにして認めてしまう事に何のメリットがあるの?)
「どうやらキースに甘やかされ過ぎて、こういう時の対処法がわかっていないようだな。……だが、お前なりによくやっている。後は黙っているだけでいい」
侯爵が不意打ちで褒め言葉を発したせいで、サラは自分の耳を疑って俯いてしまった。
(い、今…、私の事を褒めたの?急にどうしてそんな事を言い出すの。旦那様は一体何を考えているの!?)
ちょうどその時、ノック音に続いて部屋の扉が開き、侯爵とサラはソファから立ち上がった。そこに姿を現したのは医者ではなくロシエル本人で、扉が再び閉められた事を確認した彼は、二人とは反対側のソファに腰を下ろした。
「待たせてしまったかな。どうぞ座って」
「は、はい…!」
返事をしたのはサラだが、侯爵は静かに腰を下ろすなり本題に踏み込む。
「殿下の貴重な時間を無駄にするつもりはありません。早速ですが、我々の提案についてこの場で返事を頂けるという事でよろしいのでしょうか」
「…あぁ、侯爵。残念だが、答えはノーだ。何故なら…」
ロシエルは一呼吸をおいて、苦笑気味に答える。
「何故なら私は病気などではない。それどころか、かなりの健康体だ。要らぬ心配をかけてしまったな」
(えっ、病気じゃないって、どういう事!?)
サラは言葉を失った。ロシエルは申し訳なさそうに微笑んでいるが、聖女の力でロシエルを治療すればオリビアに会わせてくれるという侯爵との約束は果たされない事になる。気を落としてしまったサラを横目に、マティアス侯爵は冷静に質問で返す。
「何故その事を公表しないのか、理由を聞かせて頂けますか?」
「自分の命を守る為、そして無益な争いを起こさせない為だよ。この事は知っているのは陛下だけだ」
(そうだったのね!だから皇帝は私にロシエル殿下を治療してほしいなんて一切言ってこなかったんだわ!)
「弟君のエバニエル殿下もご存じないと?」
「あぁ。だが最近薄々と気付いているようだ」
「誰に命を狙われているのですか」
「…敵は一人じゃない。だからいつ死んでもおかしくないと思わせるほど病弱な振りをして生きてきたんだ。だがキース公子が私と間違われて何度か危険な目に遭ってしまった事については申し訳なく思っている」
サラは新たな事実を聞かされて、ショックで目の前が真っ暗になりかけた。黙ってもいられず、確認せずにはいられない。
「お待ち下さい…。キース…お兄様が危険な目に何度も遭っているって…もしかして、この前大怪我を負って帰ってきたのは……」
「そうか。キース公子は君に言ってなかったんだな。失言だった、すまない」
青ざめているサラをロシエルが気遣ってくれているが、サラは唇を震わせている。
「でも…でもどうしてお兄様が殿下と間違われるのですか?二人は全然似てないのに!」
「うむ、今は髪を染めているが本当は珍しい銀色なんだ。キース公子の髪色より、もっとはっきりとした銀色だ。稀にこの特徴を持った者が皇族に産まれてくるが、それは神に呪われた存在である事を意味している。そしてその存在を消したいと思っている輩は一人や二人じゃない。実際にこの色を持って生まれた者は過去に誰一人として長生きしていないんだ。先代の皇帝もその一人。信用していた側近に裏切られて亡くなってしまったんだ」
サラは絶句してしまった。キースが単なる人違いで命を狙われていたと、そんな真実を打ち明けられてもそれを受け入れるのは容易な事ではない。二人の会話を聞いていた侯爵だが、まるで予め知っていたかのように落ち着いた口調で質問を続ける。
「命が狙われる理由はそれだけではないはず。その珍しい髪色を持つ者が皇帝になる運命だと定められているからこそ、皇族内でも暗殺が仕向けられているのではないのですか」
ロシエルは真実を追求しようとする侯爵の目をじっと見つめ返した。
「それこそ秘密とされている事のはずだが、さすが騎士団の総司令官殿だ。…私が先王の子だと知っているな?」
「現皇帝陛下が皇后に迎えた女性が、先王の婚約者であった事は皆が知っております」
「そうだ。母はオリビア侯爵令嬢のように美しく聡明な女性だった。だからこそ現皇帝陛下は婚約者を失った憐れな母を皇后として迎えたんだ。その後、私が腹の中にいる事がわかってしまったようだが、陛下が私を殺さずに生かしてくれた事を感謝している。母は弟のエバニエルを産んで亡くなってしまったが、皇帝の座も全て弟に譲るつもりだ」
「それでは、命を狙われるようになったのはいつから?」
「……母が亡くなった後だよ、侯爵。だが私の事は心配いらない。キース公子に危険が及ばないように私も最善を尽くしているつもりだが、侯爵の優秀な『影』が活躍しているおかげで非情に助かっている。できれば帝国を守る強固な盾として、このまま黙って見守っていてくれる事を願っているのだが…」
ロシエルが侯爵に対して意味ありげな言葉を放つと、サラは隣から殺気立ったオーラ感じて鳥肌を立たせた。
(…な、何これ…。旦那様の怒りが伝わってきて、胸がしめつけられそうだわ…。ロシエル殿下の言葉に何か気に障るような事があったの?影って騎士団の事じゃないの?旦那様は野心家だって言われているけど、この怒りはその類じゃない。これこそ憎しみに近いものだわ。もしかして…、旦那様は皇族を憎んでいるの?)
侯爵はロシエルから目を逸らさず、低く冷たい口調で問い返す。
「殿下は全てお見通しのようですが、私の提案など無視し続ける事もできたはず。何故我々に真実を打ち明けて下さったのですか?」
「うむ。悩んだ結果、聖女が私に会いに来てくれるというのに、それを断る上手い口実が全く浮かんでこなかったんだ。病弱の振りをしたまま、これ以上令嬢に情けない印象を抱かせたくないと思ってね」
「…え、私に?」
ロシエルの冗談めいた意味深な答えに、サラの中で緊張の糸がプツンと切れた。ロシエルを見てみると、確かに病弱とは思えないほど魅力的な笑顔を浮かべて、サラの目を見つめていた。
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