魔女様は秘密がお好き

大鳥 俊

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19.見えるもの、見えないもの

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 フィーネは自宅に帰って頭を抱えた。
 どうするつもりなのだ。専門外の事に首を突っ込んで。

 今思えば、あの時の自分はブチ切れた状態だったのだろう。
 信頼していた主夫男に裏切られ、不快な話を耳にして。
 そうでなければ、力不足の案件に手を出してしまう事はなかったはずだ。

 しかし、たとえ過去に戻れても、フィーネはこの啖呵たんかを訂正するつもりはなかった。
 冷花の不正が気に入らないのは本当。ある意味、自分の思ったように発言できたという事実だけは褒めてもよかった。もちろん、力不足である事実も変わりはないのだけど。

「言ったからにはやるわよ……。絶対」

 タイミングは最高に悪い。
 まだアストリードと決着をつけていないのに、手に余る案件を抱えるなんて。

 冷花は高価な商品であるため、他の商品とは別に運ばれる。
 もちろん一目見てそれと分かれば早いのだが、荷馬車自体は特別なものではなく、普通と変わらないらしい。賊対策のためだ。

 唯一他と違うのは、途中で荷物が減る事。
 つまり、何らかの接触が道中にあるということ。

 ガレスの掴んだ情報によると、まったく同じ型の荷馬車とそっくりそのまま入れ替わっているらしい。荷を運び出すより目立ちにくく、ものの数分もしないうちにすり替わる。御者達は素知らぬ顔で違う荷を運ぶ。

 すり替えた荷馬車の冷花は恐らく以前に抜いたものだろう。
 荷は減らされるだけでなく、古い物が届けられている。あんまりだった。

 ガレスは奪われた冷花の在り処を見つけ、奪えば良いと言った。
 魔女フィーネが少し脅せば、奴らは逃げるだろうと言って。――実際はそこが難しいのだと、彼に言ってやりたいところである。

 フィーネは窓の外を見た。
 陽は見えない位置まで傾き、白光は橙色に変わって森全体を照らしている。日中に聞こえる鳥の声もすでになく、夜はもうすぐそこまで近づいていた。

 もうじき、アストリードが帰ってくるだろう。
 そう思った瞬間、心の奥底に沈めていた気持ちが、ゆっくりと浮上してきた。
 彼が帰ってくる時間、即ち決別の時。心の底にはまだ、彼を失いたくないという思いがくすぶっている。

 ――このまま帰って来なければいいのに。

 本心ではない。
 でも今ならまだ、綺麗なままお別れ出来るかもと思ってしまったのだ。

 この考えが愚かだと分かっていた。それも、どうしようもなく。
 未練がましいし、こんな終わりはないと思う。それでもフィーネは、本人から語られる望まない真実を聞くよりはマシではないかと、そう考えてしまったのだった。――一時でもそう思った自分が情けなかった。

 フィーネは頭を振った。
 鬱々とした考えに嫌気がさしたのだ。こんな気持ちは早く振り払ってしまいたい。

「とにかくアストリードが帰って来ない事には始まらないわ」

 頬を軽くたたいて気合を入れ直す。
 大丈夫。魔女フィーネはこんな事でへこたれはしない。


◇◆◇


 夕焼けが消え、月が昇ってゆく。
 日に焼けた地面からは熱が徐々に失われてゆき、少しずつ気温が下がってきていた。
 時刻は夜の十時過ぎ。昼間より過ごしやすくなった室内で、フィーネは静かに座っていた。

「……遅すぎる、わ」

 目の前の空席を眺める。
 普段ならとうの昔に帰宅している時間なのに、まだアストリードは戻っていなかった。

 彼はいつも夕暮れ時には帰ってきていた。
 時間を約束しているわけではなかったけれど、この三週間はいつもそう。それは対価である家事労働をこなすためであったと思うし、ほんの少しだけ、フィーネと一緒に夕飯を食べるためと思っていた。

 なのに、今日に限って遅い。

 『すぐ戻る』って言ったくせに。
 追い出す気でいるのに、それでも帰って来ない事実には腹が立つ。――そして、少し心配になった。

 フィーネは居ても立ってもいられず、席を立った。
 くるりとテーブルを避け、アストリードの部屋の前で立ち止まる。

 この部屋の鍵は壊れていた。
 それを気にせず使っていたのは彼だし、入るなとは言われていない。

 ドアノブに手を置き、静かに回した。深呼吸。躊躇いがあるかないかと聞かれれば、あると答える。いくら自宅だからといっても、自分なら怒るだろう。

 ――そうよ。怒るなら怒ればいいのよ。

 いつもにこにこ笑っているその顔に違う感情をのせればいい。
 怒っているのは自分の方だと、喧嘩すればいいのだ。

 勢いに任せて扉を引いて、視界の端に何かが落ちた。

「……?」

 紙だった。
 丁寧に三つ折りにされたそれは封筒に入れる前の手紙のように見える。

 拾い上げ、フィーネは手を止めた。
 これは誰に宛てたものだろう? なぜ封筒に入っていないの?
 そんな事を一人で考えても分かるはずもなく。少し躊躇ったが中を見ることにした。

『フィーネへ』

 ドキリと心臓が跳ねた。
 まさか自分の名前が書いてあるとは思わなかったのだ。

『君がこの手紙を読んでいるという事は、俺が帰って来なかったからだと思う。
少しは心配してくれているのな。そう思えば嬉しくもある。――ただその場合、俺はもうここには戻って来られない』

 戻って来られない。
 その言葉だけが頭に残り、手には力が込められる。

『君が最初から疑っていた通り、俺は俺の目的を達成するために君に近づいた。
言い訳をするつもりはない。利用されたと思うなら、そう思ってもらって構わない。
君の嫌がる事はしないと約束したのに、それを反故ほごにしたことだけは謝らせてほしい。すまない、フィーネ』

 やっぱり、と落胆する自分と、冷静に状況を見極めようとする自分がいる。
 この文面では詳細が省かれすぎていて、フィーネがなにに利用されたのか分からない。そしてそれでは本当に裏切られたのか判断できなかった。

 流行る気持ちを押さえ、文字を追う。
 しかし、後に続くのは日常のこまごました事だった。
 茶葉の買い置きの場所、量が少なくなってきた保存食のこと。
 傷んでいた箒の代わりを用意した事や、苦手な包帯の巻き方のコツ。

 わざわざそんな事を書かなくても良いのに、それらの記述は手紙のほとんどを占めていた。

『願わくば、フィーネがいつも笑顔でいられますように』

 いつものほほんと笑っているのは貴方じゃない。

『もしまた俺のように家に泊めて欲しいと男が来ても、絶対に受け入れてはダメだ。そいつはかなり怪しいやつだから』

 それを貴方が言うの?

 続く言葉にいちいち突っ込みを入れて。フィーネは笑った。
 らしいと言えばらしい手紙。いや、もう手紙というか、最早これは一人暮らしをする女の子に対しての注意書きだ。

「ばか、じゃないの?」

 目の前に彼はいない。
 『すぐ戻る』という約束を破り、家事労働を放棄し、フィーネを放置している。

 それどころか、今日、はっきり聞いたのだ。
 魔女を利用すると話していたこと。この耳でしっかりと。動かぬ証拠として。

 手紙をぐしゃぐしゃに丸めて、投げ捨ててやればいいのにできなかった。

 フィーネは床を見た。
 手紙を握りしめて、瞬きをせずに。ずっと、ずっと。


 ――ぽたり、と雫が落ちた。

 床がじわじわと濡れてゆく。
 ぽたり、ぽたり。瞬きもしていないのに。増えてゆく。ぽたり、ぽたり。

「ふっ……くっ……」

 歪む視界。耐えろ。
 自分は魔女だ。強い魔女。ねえ、そうでしょう?

 答える者はいない。
 一人きり。昨日までは違った。もう、戻らない――……

 崩れるように座り込み、フィーネは顔を覆った。
 うめきが漏れる。何度息を吸っても楽にならない。

 長い人生での一カ月。たった一カ月を過ごしただけなのに。
 心の中で大きな存在になっていた彼が、もういない。

 纏っていた鎧はもろく、崩れ去る。

 心配されて嬉しかった事。
 おしゃべりして楽しかった事。
 彼に嘘をつきたくないと思った事――

 次々に溢れる想い出は輝いていて。
 秘密にしていた本心が揺り動かされる。
 堪え切れない想い。何度も何度も呼吸を繰り返し、ひくつく喉を堪えて、声を殺す。でないと身体中が渇いて死んでしまいそうだった。
 
 フィーネはアストリードがいてくれる事を望んでいた。
 一カ月でなくていい。もっと長く。それこそ、ずっと。
 
 声を上げて泣かないのはせめてもの矜持きょうじだった。
 彼は自分を利用した。そんな相手を想って泣くなんて、情けなかったから。
 なのに、脳裏に浮かぶのは彼の笑顔ばかり。
 料理をしている時。腕まくりをして洗濯をしている時。フィーネと話をしている時。こんな何気ない生活の中、いつもいつも穏やかに微笑んでいた。――ねえ、どうして貴方はいつも笑っていたの?
 
 目的があって近づいたと自白するアストリード。
 詳細は言葉でも文字でも一切語られず、残されたのは過保護過ぎる注意書き。 
 利用するつもりで近づいた相手に、不必要な手紙――。

「…………」

 すとんと、胸の内で何かが落ちた。

 見えるもの、見えないもの。
 聞こえるもの、聞こえないもの。
 
 買い置きの場所?
 保存食の在庫?
 包帯の巻き方の、コツ?

 見えるのは些細な注意書き。
 しかし、何かがフィーネの心を優しくでる。
 
 ――ああ。

 彼はいつだって、そうだった。
 魔女を相手にしているというのに、怖れはなく、逆に穏やで。対価として支払うには行き過ぎた気遣いばかり。魔女として振る舞うフィーネの態度に機嫌を悪くする事も無くて、いつも笑顔でいてくれた。

 笑顔はフィーネを安心させるため。
 おいしい食事はフィーネが嬉しくなるため。
 楽しいおしゃべりはフィーネが満たされるため――……。

 彼は初めからフィーネを見ていた。
 魔女ではなく、ただのフィーネを。

 手紙をギュっと抱きかかえた。
 見えてくるアストリードの心。
 長々と綴られる言葉は、まるで、残してゆくフィーネを心配しているみたいだった。

「ばか、ねぇ……」

 彼に対してか、自分に対してか。
 フィーネは一人呟き、首を振った。

「私を誰だと思っているの?」

 守られるだけの、か弱い女の子だとでも言いたいのだろうか。

 泥だらけの姿を見たから?
 田舎娘のような服装を見たから?
 魔女らしくない、志を聞いたから?

 そんなものはフィーネの一部分でしかない。
 それだけを見て勝手に守るつもりでいるなら、とんだ検討違いだ。

 いつの間にか涙は引っ込んでいて。残りを手の甲でぬぐった。
 自分の望み。それを真っすぐに見据えて、フィーネは立ち上がる。

 ――貴方の望み通りになど、絶対に動いてやらない。

 私は魔女だ。気まぐれな魔女は、何にもとらわれず、自分の望むままに振る舞う。
 それはイメージどおりなのかもしれないけれど。こういうのは、だって得意なのだ。


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