少年プリズン

まさみ

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六十七話

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 展望台から帰る途中。
 ポケットに手をつっこみ、所在なげに廊下をぶらつく。
 レイジは展望台に残してきた。
 面白半分にリョウをけしかけたレイジの性根の悪さにむしゃくしゃしてこれ以上アイツのツラを見るに耐えかねたからだ。
 女々しくしゃくりあげるリョウを四方八方手を尽くしてなぐさめるビバリー、黴でも生えそうにじめじめした雰囲気に嫌気がさして展望台を去ったが他に行く所もない。
 中庭へと足を向けかけたが凱たちがたむろってたことを思い出す。ひとりぽつんとしてるところに目をつけられたら面倒だ、殻にこもるカタツムリのように房にひっこんでるのが無難だろう。
 まったく、今日は厄日だ。
 房へと帰る道すがら、何度も手紙を抱えた囚人とすれちがった。
 どいつもこいつも能天気に幸せそうなツラをしている。
 でれでれとにやけきって弛緩したツラ、大の男が情けねえ。至福の笑みを浮かべた囚人が頬擦りせんばかりに手紙に顔を埋めて文面を読み返している。荒みきった双眸に柔和な光を宿し、頬を上気させて手紙に見入るさまは信じられないほど間が抜けている。
 今なら殴りかかっても殆ど無抵抗で倒せるだろうという不穏な考えが脳裏をかぶりを振って追い払う。
 わざわざ自分から恨みを買いこむことはない。
 向こうから歩いてくる囚人のにやけ面と衝突しないよう伏し目がちに歩き、すれちがう。
 今日は厄日だ、三ヶ月に一度の厄日。
 そりゃあ娑婆に家族がいる連中にとっては三ヶ月に一度の極上の日かもしれない、娑婆に女を待たせてる連中にとっては待ちに待った特別な日だろう。どっちもいない俺には関係ない、ただ鬱陶しいだけの気が滅入る日。実際手紙が届かない連中にとっては仏滅とおなじ扱いだろう、通夜のほうが幾らかマシだ。

 手紙が届く奴と届かない奴じゃなにもかもが違う。

 娑婆からの手紙が定期的に届くということは娑婆に待たせてるだれかに出所を待ち望まれてるということだ。
 女だったり家族だったり友人だったりさまざまだろうが、自業自得の無茶やって放りこまれた同じ穴のムジナの囚人でも「あなたのこと待ってるわ」「忘れてないわ」「はやくでてきてね」と励ましの手紙が届くというのはそれだけで人として上等な証明にもなるのだ。
 いや、そんな御託はどうでもいい。
 娯楽の極端に少ない刑務所暮らしを強いられてる連中にとって自分宛の手紙が届くというのは単純に嬉しい、凄く嬉しい。
 陳腐な表現を使えば天にも昇る心地ってやつだ。
 朝起きて飯食って働いて飯食って寝る、365日延延とそれが繰り返される単調な生活は時間の感覚を狂わせる。自分が入所して何日何ヶ月何年になるのか、コンクリート壁に印をつけて一日一日棒を足してかない限りきちんと把握するのはむずかしい。
 そんな生活をしてれば不安にもなる。
 娑婆に待たせてる女はちゃんと俺の帰りを待ってくれてるだろうか、他に男を作ってやしないだろうか、浮気してないだろうか。娑婆の家族は俺のことを忘れてないだろうか、出所した日にはあたたかい飯をこしらえて迎えてくれるだろうか。
 不安と疑念に苛まれ悶々とした日々を送る囚人にとって、三ヶ月に一度舞いこむ手紙は現在の身内の暮らしぶりや世相を知る為の重要な手がかりとなるのだ。
 脇目もふらずに手紙を読み耽る囚人とは対照的に手ぶらの囚人はくさった顔をしてる。
 爆発寸前の鬱憤を腹ん中にためこんだ憤懣やるかたない様子である囚人は壁に八つ当たりし、逆に拳を痛めて「畜生!」と毒づく。
 廊下にうずくまって通行人をねめつけていたある囚人は手紙を抱えた奴が通りかかるたびに「てめえ、俺の影を踏んだな」と無茶な言いがかりをつけて手加減なしに殴り倒す。
 手紙をもらえなかった連中はどいつもこいつもぴりぴりと殺気立っている、さわらぬ神に祟りなしというがあっちから絡んでくるんじゃ始末に終えない。
 手紙がもらえた奴ともらえない奴とですっぱり明暗がわかれるこの日、後者の俺はどこへ行っても居場所がない。
 右を向いても左を向いても幸せそうなツラの囚人ばかり、前を向いても後ろを向いても聞こえてくる上機嫌な鼻歌と軽快な口笛。地に足がついてない雰囲気に馴染めない、どこへ行ってもひどく場違いな気がする。
 こんな日に外にでるんじゃなかった。舌打ち。
 内心後悔しながら房へと急ぐ。
 手紙を読むのに飽きたらレイジもそのうち帰ってくるだろう。内側から鍵をあけてアイツを閉め出してやるのも一興だ。意地の悪い空想に耽りながら廊下を歩いていた俺は前から歩いてきた囚人を見てぎょっとする。
 凱だ。
 でれでれと弛緩しきっただらしないツラの凱が、珍しく仲間を従えることなく単身で歩いてくる。
 やばい。
 俺を目の敵にしてる凱のことだ、見つかったらどんな因縁をふっかけられるかしれねえ。拳の一つや二つ、三つ四つ五つ覚悟しなければ……はじかれたように周りを見回す。
 ここは廊下のど真ん中、隠れる場所なんかどこにもねえ。
 まずい、凱が気付いた。万事休す。
 「―くそったれ台湾の半半か」
 それまで一心に目を通してた手紙から顔をあげ、眉をしかめる凱。
 思ったより温和な反応に拍子抜けする。
 いつもの凱ならこの時点で俺に殴りかかってるところだ。警戒しながらあとじさった俺を見下ろし、手にした手紙をひらひらさせながら凱がうそぶく。
 「お前には来たのかよ、手紙」
 …………嫌な奴。
 「……見りゃわかるだろ」
 俺は手ぶらだ。手紙がきてないのは一目瞭然。
 「そりゃそうだよなあ。台湾のクソ野郎どもは義理を重んじる中国人と違って薄情者ばっかだ、てめえの知り合いの台湾人が手紙なんて大層なもんくれるわけがねえ。だいたい池袋育ちのエセ台湾人に字の読み書きなんて高等教育が行き届いてるわきゃねえ、だろ?」
 得意満面の凱が手紙で顔を仰ぎながら呵呵大笑する。
 ムキになったら負けだ、顔に本音をだしたら負けだ。
 反感を堪え、ぐっと拳を握り締める。そんな俺を見てますます調子に乗ったか、分厚い唇をふてぶてしくねじり、陰険な目で続ける。
 「ああ、悪いこと言っちまったなあ。字の読み書きは関係ねえか、肝心のお前にダチや女がいないだけか。だから手紙がもらえねーのか、そりゃすまなかったなあ気付かなくてよ」
 ねちっこい嫌味にこめかみの血管が切れそうになる。
 何か言い返してやろうと口を開きかけた俺をさえぎり、狂った節回しで凱が唄う。
 「娑婆でもココでも独りぼっち、誰にも待たれていねえ台湾の半半。不憫すぎて泣けてくるぜ」
 だれにも待たれてない、だと?
 「―はっ。たかが手紙一枚で威張るなよ」
 口をついてでたのが本音か虚勢か、自分でもわからない。
 ただその瞬間凱の顔色が豹変したのは事実だ。憤怒の形相に変じた凱が凄みのある低音で「なんだと?」と繰り返すのを眺めて冷笑する。
 「たかが手紙一枚で有頂天になって恥ずかしくねーのかお前、大の男がよ。レイジを見ろ、あいつんところに来た手紙を。全部で二十枚はあったぜ。お前は何枚だ、たかが一枚だろう。それで東棟の王様と対等になったつもりかよ、笑わせる」
 怒りに紅潮した凱の顔からすっと血の気が引き、浅く上下していた大胸筋が平らに寝る。次の瞬間、凱の顔に浮かんだのは……
 甘美な優越感に酔いしれた傲慢な表情。
 「それで……お前は『何枚』来たんだ?」
 「―っ、」
 ぐいと両手首を掴まれ、叩きつけるような勢いで壁にぶつけられる。おもわず苦鳴が漏れた。
 手首の骨が軋むほどに握り締めた凱が無遠慮な手で俺のシャツをまくり、胸板をまさぐり、腰を揉む。
 快感よりは苦痛を与えてくる容赦ない愛撫。
 シャツから引き抜かれた手がズボンの後ろにまわり、しごくように太腿を撫で擦る。ズボンの上から舐めるような手つきでケツをさわっていた手が両のポケットにもぐりこんで裏返してゆく。
 「馬鹿っ、なに考えてんだよ廊下のど真ん中だぞ!?」
 このままじゃ貞操の危機だ、最悪ヤられるにしてもこんな廊下のど真ん中はお断りだ。気が済んだらしい凱が、自分の手で裏返したポケットと皺くちゃの囚人服とをジロジロ見比べて砕顔する。
 「一枚もねえな」
 「………………」
 悪いかよ。
 顔が歪むのはおさえられなかった。
 ドンと突き飛ばされ、背中が壁にあたる。
 はだけたシャツを直しへそまでめくれていた裾をおろす。顔をあげられない俺の目の前、呵呵大笑しながら凱が去ってゆく。
 「きたねえきたねえ、台湾人なんか触っちまった。俺にも淫乱菌が伝染っちまう、房に帰ったらよーっく手え洗っとかなきゃな」
 馬鹿でかい笑い声が遠ざかり、やがて消える。
 しばらくそうして廊下のど真ん中に突っ立っていたが、人がくる前に立ち去ろうと踵を返す。
 『一枚もねえな』
 だからなんだ、わざわざ人の体を裏っ返してまで確かめることか?
 ケツまでさわられて不愉快だ、ポケットの中までさぐられて腹が立つ。卑猥に這っていた手の感触を消そうとシャツを掴んで腹を擦りかけ、ふと立ち止まる。
 足もとに一枚の紙片が落ちている。
 「?」
 なんだろう、さっきまではなかったはずだ。
 怪訝に思い、中腰の姿勢で拾い上げる。
 なにげなく紙片を裏返してみる。
 写真だ。
 写真に写ってるのは口角に飯粒をつけた汚い女の子だ。
 飯の最中に撮られたらしく、レンゲを鷲掴んで椀に顔をつっこんだ獣のような姿。この顔どこかで―……
 はっとして廊下を振り返る。
 たしかにさっきまでこの写真はなかった、凱が立ち去ってはじめてこの写真の存在に気付いたのだ。ということは―……
 「凱の失物(スーウー)か……」
 凱の落し物。よりにもよって厄介なもんを拾っちまった、自分の運の悪さを呪いたい。

                               

 「拾わなきゃいいじゃん」
 「あん?」
 それからしばらく後。
 房に帰ってきたレイジにはなから期待せずに相談してみたらさらりとそんなことを言われた。
 「凱がかってに落として忘れてったんだろう、お前が拾ってやる義理なんてねーよ。放っときゃいいじゃん」
 両手を上に向けたレイジの言い分に「なるほど」とつい納得しかけるが、現に俺の手の中には写真がある。
 おそらくは手紙に同封されていたものだろう、俺を壁際におしつけて好き放題体をまさぐってたときに落としたらしく行為の最中も後も本人に気付いた様子はなかった。
 ……拾ってやる義理ねえな、本当に。
 「それか破くとか」
 写真を破くまねをしてみせたレイジに先刻の鍵屋崎が重なる。
 リョウのお袋の手紙を引き裂いてばらまいた鍵屋崎の冷酷な背中。
 「さっきのこと思い出してんのか」
 どうやら俺は考えてることがすぐに顔にでるらしい、今度も速攻で見抜かれた。だらしなく頬杖ついたレイジが向かいのベッドに腰掛けた姿勢でにやにやと顔を眺めてくる。
 相変わらず胸糞悪い笑顔だ、美形だからなおさら。ベッドの上で行儀悪く胡座をかき、レイジのにやにや笑いを受けて立つ。
 「笑い事じゃねえだろ」
 「俺にとっちゃ笑い事でリョウは泣き言」
 「うまいこと言ったつもりか」
 「座布団くれ」
 座布団のかわりに枕を投げつけてやる。
 余裕でキャッチされた、腹立たしい。
 顔の前で枕を受け止めたレイジが軽薄に笑う。
 「まあ、マジな話オアイコじゃねえの?イーブンイーブンてやつ。鍵屋崎も鍵屋崎だけどリョウも相当ひでえこと言ってたし喧嘩両成敗ってことでさ、ほら、喧嘩のあとこそ真の友情なり愛なりが芽生えるってゆーじゃん」
 「お前は許せるのか、自分宛の手紙を目の前でびりびり破くようなやつのこと」 
 お気楽な私見を述べたレイジを睨めば、人さし指の上で器用に手紙を旋回させながらこんな答えが返ってくる。
 「俺宛の手紙を飛行機にして飛ばした奴の台詞とはおもえねーな」 
 「リョウにきた手紙とお前にきた手紙じゃ重さが違うだろ」
 どうだ、言い返せるもんなら言い返してみろと開き直ってレイジを睨みつける。根負けしたか、人さし指の上で手紙を回すのを止めたレイジが降参のため息をつく。
 「おっしゃるとおりで」
 リョウにきた手紙は気安く他人に譲れるようなもんじゃない、なにがあっても絶対に譲れない類のものだ。鍵屋崎はそれを本人の目の前で破いたのだ、びりびりと。恨まれても仕方ない。
 「リョウのことはおいといて肝心なのはその写真だ」
 ベッドから腰を上げてこっちにやってきたレイジに写真を手渡す。
 「凱に届いた写真だってのはわかったけど写ってんのはだれ?女?」
 「見りゃわかる」
 興味津々、写真を覗きこんだレイジの眉間に皺が刻まれる。
 無理もない、写真の女の子は凱そっくりだったのだから。
 「………そういや聞いたことある、凱にガキがいるって」
 「凱いくつだよ」
 「ハタチかそこら」
 写真の女の子はどう見ても五歳より上には見えない。
 「種まいたのが5年前として15歳のときの子か?」
 「ありえなくはねーな」
 凱が15歳で親父になった可能性はなきにしもあらず。
 俺の周りの連中は総じて初体験が早かった、早くて十一か遅くて十六でとっとと童貞捨ててた。避妊を面倒くさがった奴が当然の報いとして十代の父親になるよーな不測の事態も頻発してた。
 おおかた凱もそのクチだろうが、こうして刑務所に入ってからもちゃんと写真が届くということはガキともガキの母親ともよろしくやってるという証拠だろう。娑婆にでれば案外子煩悩でいい親父だったり……
 それはないな。絶対。
 ちょいちょいと角度を変え、しげしげと写真を眺めていたレイジがやがて心の底から同情の念を述べる。
 「かわいそうに。凱似だ」
 「言うなよ」
 「で?どうすんだよ」
 レイジの手から奪い取った写真を複雑な心境で見下ろす。
 俺は凱が嫌いだ、心の底から大嫌いだ。
 あいつには何度も襲われてヤられかけた、イエローワークの仕事場で凱とその取り巻き連中に追っかけられて生き埋めにされかけたのは記憶に新しい。さっきだって壁におしつけられて無遠慮に体をさわられた、これからさきだってあいつが絡んでこないという保証はない。
 でも、それとこれとは別だ。
 「凱に返す」
 写真をポケットにおしこんで立ち上がった俺を「いいのか?」とレイジが仰ぐ。
 「写真の女の子に罪はねえだろ」
 自然、口調が言い訳がましくなる。
 「それに………」
 「それに?」
 やさしく先を促され、ついぽろっと本音をこぼしてしまう。
 「凱のためじゃねえ。あいつなんかどうなってもいい、はっきり言って俺の貞操のために一日もはやく死んでほしい。でも、この写真を送ってきた人間にとってはあんな腐った奴でも大事な父親で男だろ。どんなに反吐がでそうな最低野郎でも娑婆で帰りを待ってる奴がいるんだ、俺の独断で破り捨てれるわけー……なんだよおい」
 「お前いい奴だなあ」
 「は?」
 なんで俺がいい奴なんだよ、気色悪い。
 おもいきり顔をしかめた俺にかまわず、突然レイジが抱きついてくる。後ろから抱きつかれてたたらを踏んだ俺の頭をわしゃわしゃとかきまわし、頬に頬をつけるようにしてレイジが笑う。くすぐったそうな、そのくせ幸せそうな笑顔。手紙を抱えて戻ってきたときより遥かに嬉しそうなのはなんでだ?
 「なんで俺がいい奴だとお前が嬉しいんだよ」
 わけわかんねえとあきれた俺を覗きこんでレイジが不思議そうに首を傾げる。
 「わっかんねえなあ」
 「?」
 「俺が外にでたら絶対手紙書くのに、お前の周りの連中見る目ねーな」
 余計なお世話だ。本当に。
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