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03「私の精霊」
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いつもと同じ朝がやってきました。カーテンを開け眺める空は、私の気持ちとは違い青く澄んでおります。
私とアルフォンス様との出会いは、まだ幼き頃でした。子供同士の、たわいのない約束です。
しかし年月を重ねるにつれ、私にとってそれは真実の約束となりました。
そして婚約を申し込まれた時に、アルフォンス様にとってもそれが真実だったと分かり涙があふれました。
私は幸せだと思っていました。ただしそれは昨日までの話です。
思い出の全てが辛く感じます。
「やあ、ごきげんよう」
「お久しぶりですね。アスモデウスさん」
誰もいないはずの自室で突然後ろから声をかけられました。古くからの友人がやって来たのです。
それは森に住むリスを、少し大きくしたような姿でした。空中に立ち上がるように浮かび、つぶらな瞳で私を見つめます。
「今までどこで何をやっていたのですか?」
「いろいろさ。これでも精霊は忙しいんだ」
背後精霊。この世界に存在する不思議な力。魔力を司る霊体と呼ばれております。
主に子供の前に現れると伝承されています。私が成長するにつれ、現れる回数は減りました。
今も森をさまよい、子供たちに挨拶して回っているそうです。
幼き頃、私の魔力を導いてくれた以来の付き合いです。
私たちは近況など、世間話をしました。よい気晴らしになります。
「さて、君の心の乱れが僕にまで伝わって来たよ。何があったんだい?」
「実は――」
私は相談相手に全てを話して聞かせました。精霊さんはいつものようにリスの無表情で聞いてくれます。
「だからあのボンボンは止めておけって、僕は言ったよねっ!」
いきなりお説教が始まります。
「そんなこと言いましたっけ?」
私は首を捻りました。まったく記憶にございませんので。
「十五年も前にさっ!」
「すっかり忘れていました……」
「本当に、もうっ!」
アスモデウスさんは頬を膨らましてプリプリと怒りますが、私がまだ四歳のころの話ですね。それは普通に忘れるでしょう。
それにしても四歳でアルフォンス様との恋話を相談していたなんて、私ってあのころから今の不幸を背負い込んでいたのですね。
涙ではなくため息が出そうです。
◆
「今日はどうするのだ?」
重苦しい朝食の席で、兄上は私を気にかけるふうに問い掛けます。心配そうな表情でした。
「登庁いたしますわ。仕事もありますので」
私は大学院生でありますが、夏期休暇中の今は多くの生徒がボランティア活動に従事しております。私は友人たちと政務の雑務などを手伝っておりました。
「休んではどうかな?」
「そうもいきません。友人――同僚たちも待っておりますので」
「……そうか」
父も母も複雑な表情です。三人共に婚約破棄の話題には触れません。
病気療養として政務庁舎と距離を置く方法もありましょうが、私はいつもと同じように生活しようと思っておりました。同じ建物の中にアルフォンス様いるだけで、まだ縁がつながっていると思えます。
支度をしてバシュラール家の馬車に乗り込みました。兄がわざわざ見送ってくれます。昨夜より表情は穏やかになり、私も少し気持ちが楽になりました。
「俺の今日の予定は王都壁外の見回りだよ」
「私は、午後は託児院の慰問です。警備は万全でお願いしますね。団長様っ!」
「ははは、当然だ。託児院に何かあれば、大活躍を見せてやるか」
「南東ですから、あそこは安全ですよ」
「うむ」
「それでは行って参ります」
少し無理をして軽口を言ってみましたが、兄も同じように返してくれます。ありがたいです。
政務庁舎の職員門から廊下を歩き、学生たちに用意された個室に向かいます。職員たちに会釈をしつつ雰囲気を確かめます。まだ婚約破棄の話は知られていないようでホッといたしましたが、時間の問題でしょう。
「おはよう。マリエル」
「おはよう。ディアーヌ。今日も書類がいっぱいよ」
「うん」
事務机の上には関係各所から政務庁舎に届けられた報告書等が山積みです。これを各庁に仕分けするのが私たちの仕事の一つです。
バラチエ・マリエルは学者の父を持つ男爵家の令嬢です。
「おっはよー、ディアーヌ。これで今日の分は最後ね」
「おはよう。リュシー」
大きな書類カバンを抱えたもう一人がやって来ました。バラチエ・マリエル嬢。商会を成功させている男爵家の令嬢です。
二人共に爵位を越えてお付き合いしている学友、親友の二人です。私たちはこの他にも、アルフォンス殿下のスケジュール管理なども担当しておりました。
量は多いのですが、宛先は決まっておりますし慣れれば簡単な仕分け作業でもあります。ただ時折出所不明な怪文書もどきが紛れ込んでおり、これは確実に外して秘書室に届けるのが重要でしょうか。
「おかしいわねえ……。王太子殿下関係の連絡事項が一つもないわ」
「!」
マリエルが重要な問題に気が付きました。昨日の今日で王室はもう動いてきたのです。やっぱりアルフォンス殿下は本気でした……。
「夏休み中だし公務もお休みでしょう」
私は狼狽を隠し、ごく当たり前の言い訳をしてみます。もうすぐバレてしまうのに無駄とはわかってはいても、少しでも事実から逃れたいのです。
「でも、警備もあるし伝達が何もないなんてどうなの?」
「さあ? 王室関係は宮内庁も処理しているし、こんな日もあるでしょう」
「そうねえ……」
リュシーの指摘にマリエルも納得したようです。私は今ここで全てを告白すべきがどうか悩みました。二人は親友です。
でも明日になればアルフォンス様は心変わりするかもしれない。
いえ。今日、やはり婚約破棄は間違いだったと思い直すかもしれない。そうなれば殿下に恥をかかすことになってしまう。そう思い口をつぐみました。
ただ昨日までの自分を守る為に。
私とアルフォンス様との出会いは、まだ幼き頃でした。子供同士の、たわいのない約束です。
しかし年月を重ねるにつれ、私にとってそれは真実の約束となりました。
そして婚約を申し込まれた時に、アルフォンス様にとってもそれが真実だったと分かり涙があふれました。
私は幸せだと思っていました。ただしそれは昨日までの話です。
思い出の全てが辛く感じます。
「やあ、ごきげんよう」
「お久しぶりですね。アスモデウスさん」
誰もいないはずの自室で突然後ろから声をかけられました。古くからの友人がやって来たのです。
それは森に住むリスを、少し大きくしたような姿でした。空中に立ち上がるように浮かび、つぶらな瞳で私を見つめます。
「今までどこで何をやっていたのですか?」
「いろいろさ。これでも精霊は忙しいんだ」
背後精霊。この世界に存在する不思議な力。魔力を司る霊体と呼ばれております。
主に子供の前に現れると伝承されています。私が成長するにつれ、現れる回数は減りました。
今も森をさまよい、子供たちに挨拶して回っているそうです。
幼き頃、私の魔力を導いてくれた以来の付き合いです。
私たちは近況など、世間話をしました。よい気晴らしになります。
「さて、君の心の乱れが僕にまで伝わって来たよ。何があったんだい?」
「実は――」
私は相談相手に全てを話して聞かせました。精霊さんはいつものようにリスの無表情で聞いてくれます。
「だからあのボンボンは止めておけって、僕は言ったよねっ!」
いきなりお説教が始まります。
「そんなこと言いましたっけ?」
私は首を捻りました。まったく記憶にございませんので。
「十五年も前にさっ!」
「すっかり忘れていました……」
「本当に、もうっ!」
アスモデウスさんは頬を膨らましてプリプリと怒りますが、私がまだ四歳のころの話ですね。それは普通に忘れるでしょう。
それにしても四歳でアルフォンス様との恋話を相談していたなんて、私ってあのころから今の不幸を背負い込んでいたのですね。
涙ではなくため息が出そうです。
◆
「今日はどうするのだ?」
重苦しい朝食の席で、兄上は私を気にかけるふうに問い掛けます。心配そうな表情でした。
「登庁いたしますわ。仕事もありますので」
私は大学院生でありますが、夏期休暇中の今は多くの生徒がボランティア活動に従事しております。私は友人たちと政務の雑務などを手伝っておりました。
「休んではどうかな?」
「そうもいきません。友人――同僚たちも待っておりますので」
「……そうか」
父も母も複雑な表情です。三人共に婚約破棄の話題には触れません。
病気療養として政務庁舎と距離を置く方法もありましょうが、私はいつもと同じように生活しようと思っておりました。同じ建物の中にアルフォンス様いるだけで、まだ縁がつながっていると思えます。
支度をしてバシュラール家の馬車に乗り込みました。兄がわざわざ見送ってくれます。昨夜より表情は穏やかになり、私も少し気持ちが楽になりました。
「俺の今日の予定は王都壁外の見回りだよ」
「私は、午後は託児院の慰問です。警備は万全でお願いしますね。団長様っ!」
「ははは、当然だ。託児院に何かあれば、大活躍を見せてやるか」
「南東ですから、あそこは安全ですよ」
「うむ」
「それでは行って参ります」
少し無理をして軽口を言ってみましたが、兄も同じように返してくれます。ありがたいです。
政務庁舎の職員門から廊下を歩き、学生たちに用意された個室に向かいます。職員たちに会釈をしつつ雰囲気を確かめます。まだ婚約破棄の話は知られていないようでホッといたしましたが、時間の問題でしょう。
「おはよう。マリエル」
「おはよう。ディアーヌ。今日も書類がいっぱいよ」
「うん」
事務机の上には関係各所から政務庁舎に届けられた報告書等が山積みです。これを各庁に仕分けするのが私たちの仕事の一つです。
バラチエ・マリエルは学者の父を持つ男爵家の令嬢です。
「おっはよー、ディアーヌ。これで今日の分は最後ね」
「おはよう。リュシー」
大きな書類カバンを抱えたもう一人がやって来ました。バラチエ・マリエル嬢。商会を成功させている男爵家の令嬢です。
二人共に爵位を越えてお付き合いしている学友、親友の二人です。私たちはこの他にも、アルフォンス殿下のスケジュール管理なども担当しておりました。
量は多いのですが、宛先は決まっておりますし慣れれば簡単な仕分け作業でもあります。ただ時折出所不明な怪文書もどきが紛れ込んでおり、これは確実に外して秘書室に届けるのが重要でしょうか。
「おかしいわねえ……。王太子殿下関係の連絡事項が一つもないわ」
「!」
マリエルが重要な問題に気が付きました。昨日の今日で王室はもう動いてきたのです。やっぱりアルフォンス殿下は本気でした……。
「夏休み中だし公務もお休みでしょう」
私は狼狽を隠し、ごく当たり前の言い訳をしてみます。もうすぐバレてしまうのに無駄とはわかってはいても、少しでも事実から逃れたいのです。
「でも、警備もあるし伝達が何もないなんてどうなの?」
「さあ? 王室関係は宮内庁も処理しているし、こんな日もあるでしょう」
「そうねえ……」
リュシーの指摘にマリエルも納得したようです。私は今ここで全てを告白すべきがどうか悩みました。二人は親友です。
でも明日になればアルフォンス様は心変わりするかもしれない。
いえ。今日、やはり婚約破棄は間違いだったと思い直すかもしれない。そうなれば殿下に恥をかかすことになってしまう。そう思い口をつぐみました。
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