僕の獅子舞日記ー番外編ーとある健人の一年

池爾波師

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第十話 切実

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「健人。どうして笑うの」

声の主は、叶絵だった。

机を挟んで、向かい側にいる森くんの右隣で、真剣な顔で俺を見ている。

真っ黒なその目は、視界がゆらゆらとしてきた俺を固定するかのように捕らえた。

「なにが?」

「つらいのに、どうして笑うの?」

どうして、と言われても。

場の空気としか答えられない。

でも俺は不意に聞かれたことに驚いて、すぐに返事が出来なかった。

叶絵は何も答えない俺から目線を逸らして、酒飲みおじさん衆の群れの方に顔を向けた。

「皆さんも、健人が過去のことで苦しんでいるのに、どうしてからかって笑うの?」

「いや、俺らは酒でも飲みながら笑い話にした方が、まだ本人も楽になっかなって思って」

「別に悪意あってからかっとるわけではいよ」

原さんと尾端さんは赤みを含んだままの困った顔で返答した。

「健人は、冷たくなんかない」

叶絵はそう言って、唇を噛んで下を向いた。

少し震えていた。

「わかっとっちゃ。ごめん。本当にそう思っとるわけでないから」

「そうやちゃ。俺らは健人を愛しとるがゆえに言っとるわけであって」

「なんだそれ」

俺は思わず苦笑いして彼らに言った。

その返事に対して、周りから少しだけ安堵のような笑いが聞こえた。

しかしそれもつかの間、叶絵はいきなり立ち上がった。

「だったら、好きなら、愛してるなら、本人がやさしさで無理して笑うのを許容しないで!」

叶絵は叫んでから、寺の玄関の方に向かって行った。

「あ!叶絵ちゃん、笛!」

森くんは彼女の笛を持って唖然とその方向を見ていた。

俺はその二本の笛を森くんから奪って、廊下に出た。

「健人!追いかけろ!」

「だから追いかけてんだろうが!」

ぐるんと振りかえって、その声の主であった良司さんに言い放った。

すると良司さんは、俺に向けてグットポーズをし、ついでにウィンクまでしてみせた。

はったおすぞボケが。

俺はスニーカーのかかとを踏んづけたままで外に出た。

彼女は、寺の右脇をすぐに曲がった一本道を歩いていた。

「叶絵」

振り返った彼女の顔は、明らかに怒っていた。

辺りは暗いけれど、俺らが立っている場所のすぐ傍に街灯があり、唇を固く結び、眉間に皺が寄っている彼女の顔が照らし出された。

「あのさ、ああいうのは酒飲み場の冗談みたいなもんでさ。皆本気じゃねえから」

「本気じゃない冗談なら、お酒が入ってるなら、なにを言っても許されるの?」

怒りで滲んだ声が、暗闇の中で放たれた。

「別に俺怒ってねえし」

「つらくもない?音羽さんの話題を出されたときの健人、ひどく辛そうだった」

「それはまあ」

「どうして嫌なことを言われても、許して笑うの?」

「だって俺が悪いんだし」

「本当に?本当に健人だけが悪いの?健人が悪い、全部健人のせいだって直接音羽さんに言われたの?」

「そんなことはねえけど」

「音羽さんが勝手に待っていて、音羽さんが勝手に自分で健人を選ばなかっただけでしょ?そこに健人が悪いも何もないじゃない」

「色々と事情があったんだよ」

「健人。いやなことはいやだって顔、態度、すべてに出さなきゃだめ。一回それを許したら、永遠にそれを出汁にしてからかい続ける人が出てくる。わたしたちには、それを嫌だという権利がある。あたしは、健人が自分を押し殺して笑う顔を見たくない」

「俺がいいって言ってんだからいいだろ」

「よくない。健人は自分のことを、そういうことをされて、言われて、当たり前の人間だって思わないで。お願いだから」

叶絵の顔は逼迫していた。

彼女の言う、嫌な思いをしているのは俺のはずなのに、一番苦しそうなのは明らかに叶絵のほうだった。

「・・・笛、もらう」

「ああ」

彼女は歩み寄ってきて、俺の左手から二本の笛を抜き取った。

それから何を言わずに、踵を返して、そのまま帰路を歩いて行った。

本来なら、彼女を家まで送っていくつもりだったのに、俺は何故かその場から動けなかった。

『健人は、冷たくなんかない』

そう言って俯いた叶絵の泣きそうな顔を、頭の中で反芻していた。
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