十八歳・ふたりの限りなく透明な季節

香月よう子

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助けた仔猫のエピソード

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 その日も私は守屋君と一緒に放課後、賑やかにお喋りを楽しみながら帰宅していた。
 いや、喋っているのは主に私で守屋君は時々、相槌を打ってくれるだけだけど、それでも以前に比べるとずっとよく喋ってくれる。
 そんな何気ないことにそこはかとない幸せを感じている私。
 こんなに幸せでいいのかしら……。
 なんて思いながら、二人で肩を並べて帰っている時のことだったのだ。

 いつもの児童公園の側を通ったその時。

「守屋君、待って」
「どうかしたのか?」
「しっ……!」
 私は、守屋君の声を遮った。
 近くから、何か小さなか細い声がする。
 私は、きょろきょろと辺りを見回した。
 みゃあ…みゃあ~……と、それは哀しそうな鳴き声が聞こえてくる。

「あれか」
 守屋君がぼそりと呟き、視線を遣ったその先には、
「あれ……!」
 公園に植えられている木の上に仔猫が登ったまま、降りられずに鳴いている姿があった。
 私は思わずその木の下に駆け寄った。
「お前。降りておいで」
 そう言いながら、両手を頭の上の木の枝に差し伸べた。
 けれど、私の身長ではとても届かない。
「神崎、よせよ。お前にどうしようもないだろ」
「だって! 放っておけないわ」
 ありったけつま先立ちになりながら尚、手を差し伸べるけど、やっぱり届きそうにない。
 仔猫は枝にしがみついたまま、それは心細そうにみゅうみゅう鳴くだけだった。

「しょうがねえな」
 ちっと舌打ちし、守屋君は枝の上へと両手を伸ばした。
 179㎝の長身の彼でも手が届くか届かないの距離。
「守屋君、もうちょっと……!」
 今にも枝から落ちてしまいそうな仔猫の様子にハラハラしながら、私はその場で固唾を飲んで守屋君と仔猫を見守っていた。
 すると、守屋君の右手がようやく仔猫に届いた。

 その瞬間。

「わっ……!!」
 ギリギリのところで守屋君はバランスを崩した!
「守屋君!!」
 守屋君の体が大きく傾き、仔猫が木の枝から落ちてきたのだ!!
「猫ちゃん……!」
 しかし、地面に派手に尻餅をついた守屋君のお腹の上に、仔猫は無事に抱かれていた。
「セーフ」
 守屋君がふーっと大きく息をつきながら、呟いた。
「凄い! ありがとう! 守屋君!!」
 仔猫はビックリしたように守屋君のお腹の上で動けずにいる。でも、大人しく彼の手に抱かれていた。

 二人で暫しじっと見つめていると、
「みゃあ~」
 ようやく仔猫が小さな声で鳴いた。
 それは愛らしい鳴き声だった。
 その声に恐る恐る茶色い頭を撫でると、また「にゃあ~」とひと鳴きする。
 その様子に緊張していた場が緩んだ。

「この子、すごく小さいね」
「ああ。それに痩せてる」
 この綺麗な三毛の仔猫は、生後何ヶ月?
 動物のことに疎い私にはよくわからないけれど、まだかなり小さいような気がする。
「なんでこんな木の上にいたのかしら」
「さあな。公園に来るガキどもが悪戯で面白がって木の上にあげたのかもな」
「そんな酷い!」
「俺に言うなよ」
 そんな会話を交わしている間にも、仔猫は「みゅう~」とか細い声で鳴く。

「お前、お腹空いているの?」
 私のその言葉に、その子はまた「みゅう~」とひとなき鳴いた。
「ちょっと待ってて」
「おいおい、神崎……」
 私は、スクバからお弁当箱を取り出した。
 たまたま食べ残していた一口分のご飯と卵焼き一切れをその子の口元へやると、
「みゃあみゃあ~」
 それは嬉しそうにハグハグと食べ始め、あっという間に食べきった。
「守屋君はお弁当の残りないの?」
「俺が弁当残すかよ。食い盛りだぜ」
「そんなに細身なのに?」
「それとこれとは別だろ」
 そんな会話を交わしている私達を、仔猫はそれは愛らしい瞳で見つめている。

「あ! あれ……」
 私はその時、初めて気がついた。
 木の下の裏側に段ボール箱が置いてあり、その中には薄い毛布も敷いてあった。
「ここにきっと捨てられたのね……」
「ああ。道理で野良の割には妙に人に懐いてると思ったよ」
 彼が言った通り、野良猫の割に毛並みの色艶もそこまで悪くなく、何より人間に警戒心がない。
 きっと、ここに捨てられるまで誰かに飼われていたのだろう。 

「どうしよう? 守屋君……」
「どうしようもないさ」
「うちは動物飼えないわ。ママが猫アレルギーだもの。守屋君のとこは?」
「俺ん家も無理。誰が面倒見るっつー話だよ。俺は責任持てないぜ」
 彼の言葉は冷たいようで、でも最初から責任を持てないことをうやむやにするよりはよほど誠実な気がした。
「この段ボール箱に置いていくしかないわよね……」
「ああ。それしかねえな」
 私は後ろ髪を引かれる思いで、仔猫をそっと段ボールの箱に置き、体を毛布で包んであげた。
「ごめんね……」
 思わず泣きそうになりながら、そう一言呟いた私にその子はまた「にゃあ~」とひとなき鳴いた。


 ***


「守屋君! 早く」
「そんな急いだって仕方ないだろ」

 次の日の放課後。
 私はもどかしい思いで児童公園へと足早に急いでいた。
 朝、早起きして公園に寄ったとき、あの仔猫はまだ段ボール箱の中で大人しく眠っていた。
 私が持参した焼きたての卵焼きと柔らかめに炊いてラップに包んできたご飯をやると、やはり美味しそうにあっという間に平らげた。
 私はお昼に残したお弁当のウインナを持って、守屋君を急き立てるように児童公園の木の下に来た。

「いた!」
 私は思わず叫んでいた。
「にゃあ~」
 あの仔猫はやはり段ボール箱の中の毛布にくるまったまま、まるで私達が来るのを待っていたかのように、やはり愛らしいつぶらな瞳と可愛い声で私達を迎えてくれた。
「ほら、これ」
 お弁当箱の中から赤い皮付きウインナを手のひらに乗せてあげると、爪でひっかくこともなく行儀良くハグハグと食べ始めた。
 私は嬉しくてその様子を微笑んで見守っていた。

 その時。
「神崎」
「何?」
「お前……、どうする気だよ。この猫」
 守屋君が呟いた。
「どうせ飼えないんだろ?」
「それは……」
 私は言葉に詰まった。
 昨夜、ママによほど直談判しようかと思った。
 でも、ママは動物が嫌いで飼わないわけじゃない。
 気管支が悪くて、動物の毛にアレルギーがあるママに無理を言うわけにはいかない。それで、私は諦めたのだった。

「でも……」
「でも、じゃないだろ。ずっとこんなこと続けられないし、続かないだろ」
 守屋君が諭すように言う。
 その言葉に胸が詰まった。
「また、明日来るからね」
 私はそう言いながら立ち上がった。
「おい、神崎」
 待てよ、と言いながら、守屋君が足早にその場を去る私の後を追う。涙は見られたくなかった。


 ***


 そのまた翌日の放課後。
 やはり、私は守屋君と二人であの公園を訪れていた。

 しかし。
 段ボール箱の中に、仔猫は居なかった。
 朝、寄ったときにあげた小皿に入れていったミルクにひたしたシリアルはミルクごと完全になくなっていた。
「出ておいで。みゅう!」
 私は、一人で勝手につけていた仔猫の名前を呼びながらその辺りをくまなく探した。
 しかし、みゅうの姿はどこにも見当たらなかった。
 もう、どこにも……。

「神崎」
 守屋君がさりげなく私の肩を引き寄せた。
「誰かいい人が拾っていったさ」
 守屋君は静かにそう呟いた。
 そう思う、信じるほかなかった。
 私は思わず彼の胸に顔を伏せた。
 たった三日間だったけど、世話した仔猫。
 誰かいい人に拾われていますように……。

 そう思いながら、思わずぽろぽろと切ない涙を流す夕暮れ迫る秋の日の放課後のことだった。
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