セカンド・ラブ ~春風が運んできた恋心

香月よう子

文字の大きさ
2 / 3

告げない初恋は……

しおりを挟む
思えばそれは、「初恋」という恋の経験値の無さから来る臆病な心以外、何物でもなかった。
 そう、それは「初恋」。
 淡く、甘酸っぱい感情。
 ずっと。
 その想いは続くと思っていた。
 私は先輩だけを想い続けると。
 そう。
 例え想いは告げずとも。
 この想いは続いていく。
 想いは告げない。
 この胸に秘める。
 私の生ある限り、ずっと……。
 そう、信じていた。
 幼かったあの日々。


「そう、その感じでそっと茶筅を持って」
 静かな礼法室内。
 私のすぐ右隣の場所に朝賀先輩が座っている。
 息が届きそうな程、近い……。
 私はその近さに眩みそうになりながら、そのよく通る低いハスキーボイスを聴いている。
 朝賀先輩。
 ルックスだけじゃなくて、声も抜群にいい。
 耳元で囁く先輩の声にぞくぞくする。
 そんなことにも恍惚としている自分。
「そこで、柄杓をこう持ちかえて」
 その時。
 朝賀先輩の右手が私の右手に重なった。
 ビクリと体が大きく震え、私は心臓が止まるかと思った。男の人の手なんて恭平以外、触れたことのない私には、それは充分刺激的な出来事だった。
 でも。
 そんなことおくびにも出さない。
 先輩にこの想いを悟られてはいけない。
 それは、心の奥底にそっと秘めた想いだった。


 けれど春夏秋冬。時は巡り。
 二度目の春──────               
 その春一番の東南東の風が吹く頃。
 どうして。
 告白しようなんて思ってしまったのだろう……。
 それが全ての過ちだった。


 頬を撫でる風が冷たい、春未だ浅い卒業式の夕暮れ。北校舎のまだ芽吹かない大きな桜の樹の下で、私は朝賀先輩と対峙している。
「朝賀先輩。……好きです。ずっと、好きでした」
 そうはっきりと告げた私の目を、先輩はじっと見つめている。でも、その優しいまなじりは、私の瞳を通り越して何を見ているのか。
 私はその沈黙にただ震えた。
「ありがとう」
 ややあって、先輩はいつものように柔らかく微笑み、いつものように静かな口調で低く呟いた。それはバスバリトンの低いハスキーボイス。その類稀なルックスよりも何よりも、私の一番好きな先輩の声……。
 でも、その声が紡ぎ出す次の言葉は残酷だった。
「君の気持ちはとても嬉しいよ。だけど。僕は卒業して東京に行く。佐々木ささきさん。茶道部の活動、頑張って」
 先輩は、柔らかな茶色い前髪を節太く長い指で払い、私を穏やかに見つめながら、
「春から入ってくる後輩たちの指導を頼むよ」
 と、やはり静かに呟いた。
「じゃあ、僕は行くよ」
「先輩……」

 行かないで。
 行かないで。
 心は叫ぶ。
 行かないで下さい……。
 ずっと私の瞳を見つめていて。
 お願いですから……先輩……!

 私のその悲痛な心の叫びは、果たして先輩には届かなかった。
「元気で」
 そう言い残して、先輩は私の前からフェイドアウトしていく。それは出逢いの時と同じように、やはりスローモーションの緩やかな動きだった。
 私の前を通り過ぎていく長い影。その影を私は、ずっと、ずっと見送っていた。
 その蕾さえまだつかない大きな桜の樹の下で。
 いつまでも。
 いつまでも。


「杏! 杏!」
 黄昏時もとうに過ぎ、その夜も更けてきて。
 桜の樹の下にうずくまっている私の背後から足早に近づいてくる。その声を、私は無視して尚、虚ろに宙を見つめている。
「おい、探したんだぜ」
 恭平は、私の右肩を掴んだ。
「帰ってこない、LINEも繋がらないてお袋さん、心配してるぞ」
 スマホはとっくにオフっていた。家に帰る気にはなれなかった。私は、二度と戻らない先輩の幻だけを独り夕闇の中、探し続けていた。
「お前……」
 泣いてるのか……という恭平の声は遠く、私の耳には、先輩の最後の声だけがリフレインしている。
「杏」
 恭平は、私をその広い胸にそっと引き寄せた。
「う……」
 私の口から嗚咽が漏れる。それまで堪えていた全ての感情が溢れ出す。
「杏……泣くな」
 そう言う恭平の口調は優しい。ただ私を抱き締め、髪を梳いてくれる。
 私は恭平の胸に縋りつき、涙を零した。
「先輩……先輩……」
 そう言葉にしながら泣きじゃくるだけの私を、どういう気持ちで恭平は抱き締めているのか。私には思い遣るゆとりが全くなかった。

 幼馴染のやさしい関係。
 その距離感に甘えてた。
 春は未だ浅く、東南東の風は肌に冷たくて。
 黄昏の後の夕闇の色はやけに目に染みて。
 こんなに辛い想いをするのなら、もう誰も好きにならない。
 もう恋なんてしない。
 この胸の痛みはきっと……。
 私は。でも、私は……。
 私を胸に抱いたまま髪に優しく手を当ててくれている恭平が、小さく溜め息をついたのも知らないで……。

「初恋」は成就しなかった。
 私の想いは、泡と消えた。
 私から遠ざかっていった長い、長い影。その影をずっと、ずっと見送っていた。私には振り向いてくれなかった人。私だけが空回りしていた私の初恋。
 もう恋なんてしない……。
 そう思い詰めた未だ浅い春の日は……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【書籍化】番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました

降魔 鬼灯
恋愛
 コミカライズ化決定しました。 ユリアンナは王太子ルードヴィッヒの婚約者。  幼い頃は仲良しの2人だったのに、最近では全く会話がない。  月一度の砂時計で時間を計られた義務の様なお茶会もルードヴィッヒはこちらを睨みつけるだけで、なんの会話もない。    お茶会が終わったあとに義務的に届く手紙や花束。義務的に届くドレスやアクセサリー。    しまいには「ずっと番と一緒にいたい」なんて言葉も聞いてしまって。 よし分かった、もう無理、婚約破棄しよう! 誤解から婚約破棄を申し出て自制していた番を怒らせ、執着溺愛のブーメランを食らうユリアンナの運命は? 全十話。一日2回更新 完結済  コミカライズ化に伴いタイトルを『憂鬱なお茶会〜殿下、お茶会を止めて番探しをされては?え?義務?彼女は自分が殿下の番であることを知らない。溺愛まであと半年〜』から『番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました』に変更しています。

カラフル

凛子
恋愛
いつも笑顔の同期のあいつ。

嘘をつく唇に優しいキスを

松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。 桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。 だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。 麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。 そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。

私と彼の恋愛攻防戦

真麻一花
恋愛
大好きな彼に告白し続けて一ヶ月。 「好きです」「だが断る」相変わらず彼は素っ気ない。 でもめげない。嫌われてはいないと思っていたから。 だから鬱陶しいと邪険にされても気にせずアタックし続けた。 彼がほんとに私の事が嫌いだったと知るまでは……。嫌われていないなんて言うのは私の思い込みでしかなかった。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

愛のバランス

凛子
恋愛
愛情は注ぎっぱなしだと無くなっちゃうんだよ。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

処理中です...