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拾弐、運命の再会―其の伍―
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高熱を出した若菜を、晴明は抱きかかえて部屋に連れ帰ると由衛は慌てて愛する主を抱きかかえて、布団に寝かし付けた。由衛の呼び掛けにも若菜は反応する事は無く、荒い呼吸を繰り返して苦悶の表情を浮かべている。
義弟の看病疲れの疲労にしては、あまりにも容態が悪い。
由衛は、流行病にかかったのかと背筋が寒くなり、晴明を藁をも掴む思いで見つめた。
『晴明様……っ、姫は……流行病にかかったんですか。えらい熱が高いし、苦しそうや。医者に見せへんと、このままやったら姫が……死んでしまいそうや』
「――――流行病では無い。これは、おそらく道満の呪詛の類かも知れぬ」
「何だと……それは本当なのか!?」
突然声がして、由衛と晴明がそちらを見た。騒ぎに目を覚ました朔が、目を見開き若菜の元へと座り込むと彼女の額に大きな掌を当てた。
晴明はその様子を見守った。
唇を噛み締め、朔は自分の着物をぎゅっと握りしめる。やはり自分が思った通り、光明は執念深く若菜を諦める事は無かった。だが、自分達が離反した事に気付くにはあまりにも早すぎるのでは無いか。
となると、自分達を監視していたか、琥太郎から事情を聞いた事になる。
「そうだ。恐らくこの珊瑚の勾玉にあらかじめ呪詛を仕掛けておいて、離反の意思をもって勾玉を手放した時、発動するようにしたのであろうな」
そう言うと、晴明は自分の掌に乗せた珊瑚の勾玉を見つめると口元に人差し指と中指を寄せ、祝詞を唱え急急如意令と唱えた瞬間、粉々に飛び散り、若菜は大きく呼吸をして、徐々に荒い息が静かな寝息へと変わる。朔は汗ばんだ若菜の額に額を当てると、徐々に熱が下がり始めて安堵したように吐息を漏らした。
『晴明様、い、今ので……道満の呪詛が解けたのですか!?』
「呪詛は取り除いたので、容態は安定するであろうが、あの男の生霊はこれよりも手強い」
「あの男は……執念深いんだ。若菜が生きてると知ったら、地の果てまででも探すだろう。そして、忠誠を捨てて離反したと解れば、躊躇無く殺す」
朔は苦々しくそう言うと、ゆっくりと立ち上がって若菜の部屋から出ようとした。その様子を目で追いながら、晴明は言った。
「朔。愚かな事を考えてはおらぬか? 私が動くまで待て」
「……あんたには助けられたな。姉さんの命も助けてくれた。礼を言う」
晴明の問いには答えず、朔は肩越しに礼を言うと自分の部屋へと戻っていった。朔の背中を見つめる晴明に、ともかく愛する主と恋仲にある義弟の朔が気に食わない由衛は、悪態をつくように言った。
『ったく、ほんっとに生意気なガキやなぁ。はぁ……でもこれで呪詛を取り除けたさかい、一安心ですね』
「――――鉄砲な所もあるが、骨のある若人よ。若菜を愛する気持ちには、私と変わらぬ位強い。……由衛、これを見るが良い」
『なんやこれ? さっきまで姫に、こんな痕は無かったのに……まるで首を締められてるみたいや。あの腐れ陰陽師!』
晴明は、そう言うと若菜の首元を隠していた稲穂の髪をゆっくりと退けると、まるで首を締められたかのような痕が浮き上がっていた。
寝苦しそうにする若菜の唇に、晴明はゆっくりと唇を重ねると、舌先を絡めて銀糸を飲ませる。若菜は、それをまるで薬を飲むかのように、こくんと喉を鳴らして飲み干した。
「ん……んん……」
「若菜の体には、道満の邪気が溜まっている。交わる度に、無垢な清浄の霊気をあの男が吸収し、代わりに穢れた霊気が若菜に蓄積される。木花之佐久夜毘売の加護があれば、元に戻るが、蓄積された状態で生霊を飛ばされると、魂は道満に引っ張られてはね返せず、女神の救いの手も届かぬのだ。
今、私の精気を少し注いだが……これも気休めに過ぎない。若菜の命も七日持てば良い方だ」
『ならば! どうすれば宜しいのですか、晴明様……姫をどうかお救い下さい!』
二人の会話の声が大きくなると、うっすらと蜜色の瞳が開かれ若菜が目を覚ました。心配そうに晴明は若菜の頬を指先で撫で、由衛は若菜の手を握ると、切なく表情を歪めて自分の口元に手の甲を当てる。
『姫、大丈夫ですか!』
「由衛……晴明さま……?」
まだ自分の置かれた状況を把握していない若菜は、不思議そうに由衛と晴明を見ていた。
若菜を救う方法は唯一。彼女の体の膣内に溜まった穢れを浄化する事、そして清浄の精気を注ぎこむ事である。
若菜と夜伽の儀式をしなければ、若菜の命の灯火は消える。彼女の気持ちを考えると心苦しいが、命を救う為、何より……、若菜を抱ける喜びを感じているのは事実である。
愛らしく首を傾げる少女を見ると、やはり何処か詩乃の面影が過ぎって、愛しさが募る。
愛するの義妹であり、最愛の女性を儀式とはいえ、再びこの手で抱けたら、半妖神と言う時代に取り残された自分の立場を忘れ、彼女に対する想いに、歯止めが効かなくなるだろう――――。
だが今は、そうなっても構わないと思っていた。
一方、朔は怪我をしている腕を、新しい布に取り替えるとこの屋敷を出る準備をしていた。光明が何より欲しているのは、あの奇妙な、呪煌々と言われている宝珠だ。
あれをあの男に渡す為に、陰陽寮に帰る。光明の元へと戻り、義姉は襲われた時の傷が原因で命を落とした事にすれば、彼女へ生霊を飛ばす事も無くなる筈だ。離反を疑われ拷問をかけられるかも知れないが、若菜の命を救うためならば何でもする。
朔にとって、彼女のいない世界など何の意味も無い、生き地獄にしかすぎない。それに、やすやすと光明に好きなようにさせるつもりは無かった。
光明が殺したであろう、紀子。
そして恐らく琥太郎の企みが失敗に終わった事で、その行ないが光明の耳に入れば、彼が無事でいられるとは思えなかった。光明は裏切り者には容赦はしない。
琥太郎の身に何かあれば、幕府も奉行所を今度こそ動かさない訳にはいかないだろう。
自分は自分のやり方で決着を着ける。
空が白み始めたの見ると、朔はそのまま廊下を歩き、門を目指した。
『朔、あんた、若菜に黙っていくなんてちょいと薄情じゃないのないのかい?』
「――――紅雀か。必ず、姉さんの元に帰る。俺は土御門光明と決着をつけなくてはならん」
『全く、男の意地ってのは厄介だねェ。あの色男、安倍晴明に任せておけば良いじゃないのさ。あんたが側にいてやらなくて、どうするんだよぅ』
背後から気怠そうな蛇神の美女が、腕を組みながら朔に話しかけた。その表情は女心のわからない朔に呆れつつ、何処か姉のような眼差しで自分を見ていた。もうすでに騒ぎを聞きつけたのか、紅雀は昔から地獄耳だ。
目が覚めて若菜の顔を見たら、決心は揺らいでしまうに違いない。彼女が自分が居なくなれば、泣くのは目に見えているからだ。
朔は、溜息を付きながら振り返ると苦笑しつつ笑った。
「安倍晴明の事は、気に入らないが……、あの男の事は信頼しても良いと思ってるぞ。だから、こうして任せているんだ」
もし、自分の命が果てるような事があり若菜の元に戻れなかったら――――。
その時は、自分の代わりに若菜を護れるのは、晴明しかいないと、これまでの事を思えば本能的にそう信じられる。素直にそれを告げられない己の天邪鬼さを笑いながら、朔は続けた。
「勘違いするなよ、晴明に若菜を渡す気は無い……たとえ前世が恋仲だったとしてもな」
『私にはさっぱりわからないねェ、漢ってのはさ。惚れた女に直ぐにいい格好するんだから』
「お前は、ここに残っていて構わん。俺が死ぬまで、ゆっくり吉良と過ごせるだろう」
呆れる紅雀の言葉を無視して、朔は吉良と共に過ごすように提案すると、艶やかな蛇神の美女は笑った。確かに吉良とは恋仲で、珍しく、所帯を持ってやってもいいかと思えるいい男ではあるが、それでも弟のように思っている主を見捨てるはずが無い。
『残念だけど朔、あんたは私の主だからねェ。地獄まで一緒だよ。あの人だって同じように若菜の側を離れないさ……それが式神ってもんなのよ。それに、生きて帰えるつもりなんでしょ』
紅雀の答えに、朔はふと笑った。長い付き合いの紅雀は、何もかもお見通しのようだった。二人は頷くと静かに結界から出ると晴明の屋敷を後にした。
✤✤✤
若菜は、やっと体を起こせるようになると由衛から水を受け取り一口飲んだ。冷たい水が喉を潤すと、少し体の疲労感が取れたような気がする。看病疲れから、倒れてしまったのだろうか、体調が悪くなって気を失うような事は初めてだ。あれから、空が白むまで由衛と晴明が看病をしてくれたようだ。
「心配かけてごめんなさい、由衛、晴明さま。私……少し疲れが溜まっていたみたい。迷惑かけちゃいましたね」
『姫……心配致しました。本当にお可哀想で……大丈夫ですよ、姫。必ずあの男の呪いを解いて見せますよ』
由衛は若菜を強く抱きしめた。驚いたように琥珀色の目を見開き、由衛の背中をポンポンと叩いてあげる。一体どう言う事なのだろうと、あの男の呪いとは何の事なのかと、晴明に問いかけようとした時、バタバタとこちらに向かって走ってくる足音が響いた。
『おい! 若菜、大丈夫なのか。式神に嬢ちゃんが倒れたってェ話を聞いて飛んで来ちまったぜ。全く。……ん? ここにあの二人は来てねぇのか。朔の部屋にいねぇし、荷物もない』
「――――え?」
若菜は、とてつもなく嫌な予感がして由衛をゆるゆると押し退けるとフラフラとした足取りで、朔の部屋へと向かい、ペタンと座り込んだ。部屋は片付けられていて人の気配は無く荷物も無い。心臓がバクバクと、痛いほど早く鳴り始めた。
自分の頬に涙が流れ落ちるのを感じた。
「朔ちゃん、どこ……? どこにいるの……!」
「――――朔は、この屋敷を出たようだ。愚かな事をせぬようにと忠告をしたが、お主に生霊を飛ばす道満を止める為に向ったのだろう」
無人の部屋で泣き崩れる若菜の背後から声がして、美しい神木のような晴明を見上げた。思慮深い視線は静かだ。
若菜は、泣きながら彼を見上げて彼にすがりつく様に言った。
「どうして、朔ちゃんをもっと強く止めてくれなかったんですか! 朔ちゃんを助けなくちゃ、殺されるちゃう……!」
「若菜、落ち着くのだ。道満がお主に生霊を飛ばしたのは、朔を取り返したいが為だろう。――――道満ほど強い陰陽師ならばお主ら二人くらい同時に生霊飛ばしたり、呪詛をかけて、死に追いやる事など簡単な事だ」
「……光明様は、朔ちゃんを殺したりしない……のですか?」
不意に晴明に抱きあげられて頬を染めた。若菜の答えに頷くと、心配そうにする背後の二人を振り向いた。
「これより、若菜を蝕む邪気を祓う儀式をする。お主らはここで待つが良い。若菜、その身の穢れを落としてから朔を救出する」
いまだ気怠い体の若菜は、どういった儀式が行われるか分からないまま頷いた。もう、光明の呪縛から、姉弟ともども解き放たれたいと強く願っていたからだ。
義弟の看病疲れの疲労にしては、あまりにも容態が悪い。
由衛は、流行病にかかったのかと背筋が寒くなり、晴明を藁をも掴む思いで見つめた。
『晴明様……っ、姫は……流行病にかかったんですか。えらい熱が高いし、苦しそうや。医者に見せへんと、このままやったら姫が……死んでしまいそうや』
「――――流行病では無い。これは、おそらく道満の呪詛の類かも知れぬ」
「何だと……それは本当なのか!?」
突然声がして、由衛と晴明がそちらを見た。騒ぎに目を覚ました朔が、目を見開き若菜の元へと座り込むと彼女の額に大きな掌を当てた。
晴明はその様子を見守った。
唇を噛み締め、朔は自分の着物をぎゅっと握りしめる。やはり自分が思った通り、光明は執念深く若菜を諦める事は無かった。だが、自分達が離反した事に気付くにはあまりにも早すぎるのでは無いか。
となると、自分達を監視していたか、琥太郎から事情を聞いた事になる。
「そうだ。恐らくこの珊瑚の勾玉にあらかじめ呪詛を仕掛けておいて、離反の意思をもって勾玉を手放した時、発動するようにしたのであろうな」
そう言うと、晴明は自分の掌に乗せた珊瑚の勾玉を見つめると口元に人差し指と中指を寄せ、祝詞を唱え急急如意令と唱えた瞬間、粉々に飛び散り、若菜は大きく呼吸をして、徐々に荒い息が静かな寝息へと変わる。朔は汗ばんだ若菜の額に額を当てると、徐々に熱が下がり始めて安堵したように吐息を漏らした。
『晴明様、い、今ので……道満の呪詛が解けたのですか!?』
「呪詛は取り除いたので、容態は安定するであろうが、あの男の生霊はこれよりも手強い」
「あの男は……執念深いんだ。若菜が生きてると知ったら、地の果てまででも探すだろう。そして、忠誠を捨てて離反したと解れば、躊躇無く殺す」
朔は苦々しくそう言うと、ゆっくりと立ち上がって若菜の部屋から出ようとした。その様子を目で追いながら、晴明は言った。
「朔。愚かな事を考えてはおらぬか? 私が動くまで待て」
「……あんたには助けられたな。姉さんの命も助けてくれた。礼を言う」
晴明の問いには答えず、朔は肩越しに礼を言うと自分の部屋へと戻っていった。朔の背中を見つめる晴明に、ともかく愛する主と恋仲にある義弟の朔が気に食わない由衛は、悪態をつくように言った。
『ったく、ほんっとに生意気なガキやなぁ。はぁ……でもこれで呪詛を取り除けたさかい、一安心ですね』
「――――鉄砲な所もあるが、骨のある若人よ。若菜を愛する気持ちには、私と変わらぬ位強い。……由衛、これを見るが良い」
『なんやこれ? さっきまで姫に、こんな痕は無かったのに……まるで首を締められてるみたいや。あの腐れ陰陽師!』
晴明は、そう言うと若菜の首元を隠していた稲穂の髪をゆっくりと退けると、まるで首を締められたかのような痕が浮き上がっていた。
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『ならば! どうすれば宜しいのですか、晴明様……姫をどうかお救い下さい!』
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『姫、大丈夫ですか!』
「由衛……晴明さま……?」
まだ自分の置かれた状況を把握していない若菜は、不思議そうに由衛と晴明を見ていた。
若菜を救う方法は唯一。彼女の体の膣内に溜まった穢れを浄化する事、そして清浄の精気を注ぎこむ事である。
若菜と夜伽の儀式をしなければ、若菜の命の灯火は消える。彼女の気持ちを考えると心苦しいが、命を救う為、何より……、若菜を抱ける喜びを感じているのは事実である。
愛らしく首を傾げる少女を見ると、やはり何処か詩乃の面影が過ぎって、愛しさが募る。
愛するの義妹であり、最愛の女性を儀式とはいえ、再びこの手で抱けたら、半妖神と言う時代に取り残された自分の立場を忘れ、彼女に対する想いに、歯止めが効かなくなるだろう――――。
だが今は、そうなっても構わないと思っていた。
一方、朔は怪我をしている腕を、新しい布に取り替えるとこの屋敷を出る準備をしていた。光明が何より欲しているのは、あの奇妙な、呪煌々と言われている宝珠だ。
あれをあの男に渡す為に、陰陽寮に帰る。光明の元へと戻り、義姉は襲われた時の傷が原因で命を落とした事にすれば、彼女へ生霊を飛ばす事も無くなる筈だ。離反を疑われ拷問をかけられるかも知れないが、若菜の命を救うためならば何でもする。
朔にとって、彼女のいない世界など何の意味も無い、生き地獄にしかすぎない。それに、やすやすと光明に好きなようにさせるつもりは無かった。
光明が殺したであろう、紀子。
そして恐らく琥太郎の企みが失敗に終わった事で、その行ないが光明の耳に入れば、彼が無事でいられるとは思えなかった。光明は裏切り者には容赦はしない。
琥太郎の身に何かあれば、幕府も奉行所を今度こそ動かさない訳にはいかないだろう。
自分は自分のやり方で決着を着ける。
空が白み始めたの見ると、朔はそのまま廊下を歩き、門を目指した。
『朔、あんた、若菜に黙っていくなんてちょいと薄情じゃないのないのかい?』
「――――紅雀か。必ず、姉さんの元に帰る。俺は土御門光明と決着をつけなくてはならん」
『全く、男の意地ってのは厄介だねェ。あの色男、安倍晴明に任せておけば良いじゃないのさ。あんたが側にいてやらなくて、どうするんだよぅ』
背後から気怠そうな蛇神の美女が、腕を組みながら朔に話しかけた。その表情は女心のわからない朔に呆れつつ、何処か姉のような眼差しで自分を見ていた。もうすでに騒ぎを聞きつけたのか、紅雀は昔から地獄耳だ。
目が覚めて若菜の顔を見たら、決心は揺らいでしまうに違いない。彼女が自分が居なくなれば、泣くのは目に見えているからだ。
朔は、溜息を付きながら振り返ると苦笑しつつ笑った。
「安倍晴明の事は、気に入らないが……、あの男の事は信頼しても良いと思ってるぞ。だから、こうして任せているんだ」
もし、自分の命が果てるような事があり若菜の元に戻れなかったら――――。
その時は、自分の代わりに若菜を護れるのは、晴明しかいないと、これまでの事を思えば本能的にそう信じられる。素直にそれを告げられない己の天邪鬼さを笑いながら、朔は続けた。
「勘違いするなよ、晴明に若菜を渡す気は無い……たとえ前世が恋仲だったとしてもな」
『私にはさっぱりわからないねェ、漢ってのはさ。惚れた女に直ぐにいい格好するんだから』
「お前は、ここに残っていて構わん。俺が死ぬまで、ゆっくり吉良と過ごせるだろう」
呆れる紅雀の言葉を無視して、朔は吉良と共に過ごすように提案すると、艶やかな蛇神の美女は笑った。確かに吉良とは恋仲で、珍しく、所帯を持ってやってもいいかと思えるいい男ではあるが、それでも弟のように思っている主を見捨てるはずが無い。
『残念だけど朔、あんたは私の主だからねェ。地獄まで一緒だよ。あの人だって同じように若菜の側を離れないさ……それが式神ってもんなのよ。それに、生きて帰えるつもりなんでしょ』
紅雀の答えに、朔はふと笑った。長い付き合いの紅雀は、何もかもお見通しのようだった。二人は頷くと静かに結界から出ると晴明の屋敷を後にした。
✤✤✤
若菜は、やっと体を起こせるようになると由衛から水を受け取り一口飲んだ。冷たい水が喉を潤すと、少し体の疲労感が取れたような気がする。看病疲れから、倒れてしまったのだろうか、体調が悪くなって気を失うような事は初めてだ。あれから、空が白むまで由衛と晴明が看病をしてくれたようだ。
「心配かけてごめんなさい、由衛、晴明さま。私……少し疲れが溜まっていたみたい。迷惑かけちゃいましたね」
『姫……心配致しました。本当にお可哀想で……大丈夫ですよ、姫。必ずあの男の呪いを解いて見せますよ』
由衛は若菜を強く抱きしめた。驚いたように琥珀色の目を見開き、由衛の背中をポンポンと叩いてあげる。一体どう言う事なのだろうと、あの男の呪いとは何の事なのかと、晴明に問いかけようとした時、バタバタとこちらに向かって走ってくる足音が響いた。
『おい! 若菜、大丈夫なのか。式神に嬢ちゃんが倒れたってェ話を聞いて飛んで来ちまったぜ。全く。……ん? ここにあの二人は来てねぇのか。朔の部屋にいねぇし、荷物もない』
「――――え?」
若菜は、とてつもなく嫌な予感がして由衛をゆるゆると押し退けるとフラフラとした足取りで、朔の部屋へと向かい、ペタンと座り込んだ。部屋は片付けられていて人の気配は無く荷物も無い。心臓がバクバクと、痛いほど早く鳴り始めた。
自分の頬に涙が流れ落ちるのを感じた。
「朔ちゃん、どこ……? どこにいるの……!」
「――――朔は、この屋敷を出たようだ。愚かな事をせぬようにと忠告をしたが、お主に生霊を飛ばす道満を止める為に向ったのだろう」
無人の部屋で泣き崩れる若菜の背後から声がして、美しい神木のような晴明を見上げた。思慮深い視線は静かだ。
若菜は、泣きながら彼を見上げて彼にすがりつく様に言った。
「どうして、朔ちゃんをもっと強く止めてくれなかったんですか! 朔ちゃんを助けなくちゃ、殺されるちゃう……!」
「若菜、落ち着くのだ。道満がお主に生霊を飛ばしたのは、朔を取り返したいが為だろう。――――道満ほど強い陰陽師ならばお主ら二人くらい同時に生霊飛ばしたり、呪詛をかけて、死に追いやる事など簡単な事だ」
「……光明様は、朔ちゃんを殺したりしない……のですか?」
不意に晴明に抱きあげられて頬を染めた。若菜の答えに頷くと、心配そうにする背後の二人を振り向いた。
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