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オリーヴィアの涙①
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アルノーは、気分が悪くなった私の吐瀉物をハンカチで受け止め、汚れた手を水で洗い流していました。
私は冷えた体を震わせ、別棟に行く間アルノーに抱き上げられながら申し訳ない気持ちで一杯になっていたのです。
私とギルベルト様は新婚初夜、うまく営みをすることが出来ず、あの日からギルベルト様は別棟の書斎に篭もられたり、お城に帰られない日が増えました。
お義母様はギルベルト様のプライドを傷付けたのだろう、妻として謝罪しなさいとおっしゃいます。
お義父様は、敬虔なエルザ信徒で初心なのだろう、男を知らぬのなら仕方あるまいと慰めて下さいますが……その瞳がどうしても恐ろしく感じるのです。
私は、ギルベルト様が寝室に帰らない事に安堵していましたが、同時にリーデンブルク家の妻としての役目を果たせない事に申し訳無さを感じていました。
――――いずれは覚悟を決めなければならないわ。
――――たとえ、アルノーを愛していても。
そう思いながら、リーデンブルク家に来て唯一の私の楽しみである就寝前の読書をし、いつものように冷たい寝室のベッドに横になりました。
けれど、今日は珍しくギルベルト様が夫婦の寝室に来られ、明らかにお酒を飲んでいるご様子でいつもより上機嫌のようでした。
何を話したのか、もう覚えていません。
ギルベルト様に強引にベッドの上で組み敷かれた私は驚いて抵抗をしました。それに腹を立てたギルベルト様に乱暴に寝間着を破かれ、私は恐怖のあまり悲鳴を上げてしまったのです。
端正な顔立ちのギルベルト様の表情は欲望に満ちていて、貪欲な獣のようで、いま思い出しただけでも体の震えが止まりません。
「オリーヴィアお嬢様。大丈夫ですか?」
アルノーは私をベッドに座らせ、上着を羽織らせると跪きコップに入った水を用意してくれました。
私はそれで口をすすぐとアルノーに手渡し心配そうに見つめる彼の手を、心が落ち着くまで握りしめたのです。
「ごめんなさい、アルノー。怖くて……無理だったの」
「私に謝る必要はありません。お嬢様……旦那様に手を上げられたのですか?」
「………いいえ」
強い力で抑え込まれ、赤くなった手首をアルノーが静かに撫でてくれると、ようやく力が抜け安心する事ができました。
悲鳴をあげた瞬間、私の口を抑え込んだ時のギルベルト様を思い出し、また涙があふれてくると、アルノーは私を慰めるように抱きしめてくれました。
アルノーの言葉には、ふだんは決して私に見せる事の無い怒りの感情が込められていて、こんな時なのにとても嬉しく感じました。
この城にいる限り逃れられず、乱暴で恐ろしい夫にこの身を穢され子を宿さねばならないなら――――。
「アルノー。私の一生のお願いを叶えて欲しいの」
「一生のお願い……ですか?」
「ギルベルト様と初夜を迎える前に、アルノーが私の純潔を奪って」
驚いたように体を引き離し、私を見つめたアルノーの瞳は今まで見た事が無いほど、心が乱れ、動揺しているように思えました。
たとえ獣人と人が思い合う事を許されなくとも、例え彼が私を憎んでいたとしても、私は卑怯にもこの立場を利用してアルノーと愛し合いたいと願っているのです。
「お嬢様……純潔を獣人に捧げるなんて……」
「私はもう、聞き分けの良い子供じゃないの。お嬢様の願いを叶えるのが執事の役目でしょう? 私を助けて、アルノー」
きっと、彼は私のことを何も知らないままの子供だと思っていることでしょう。
私はアルノーに近付きたくて、教育係の目を盗んでは彼らを記した書物を読み漁り彼らの文化や文字を学びました。
シュタウフェンベルク家の中で誰よりも獣人に詳しくなり、黒豹であるアルノーの存在がどれほど珍しいのかを理解していました。
――――ギルベルト様との結婚式の前日。
シュタウフェンベルク城の中庭で鳩の獣人とアルノーが密談をしている様子を目撃しました。他の人ならば気が付かないであろう、アルノーの表情の変化に私はいい知れぬ不安を覚えたのです。
そしてリーデンブルク家で、どうにか使用人達や彼の目を盗み獣人の言葉で書かれた日記を発見しました。
そして私は、お父様やリーデンブルク辺境伯が『プロメテウス』でどれほど残酷な仕打ちを獣人に行ったかを知ったのです。
私は、シュタウフェンベルク家の卑しい血を引く娘。
どれほど絶望しどれほど自分の存在を憎んだかわかりません。
けれど、私はアルノーを愛していました。
そんな資格など私にはないと感じながら。
たとえ、彼の復讐に私が利用されても構わないと思うほどアルノーを愛していました。
「…………」
光の加減によって変わるアルノーの美しい黒豹の瞳が、今までになく揺れ動いていましたが徐々に熱を帯びていくと、唇を重ねます。
今までの濃厚で控えめな口付けとは異なり、情熱的な口付けで、むさぼるように舌が絡まると私は体が熱くなるのを感じて震えました。
私とアルノーの禁じられた遊びの先が、どのようなものなのか私には想像もつかないけれど、アルノーを受け入れる心の準備ならば、もうとうの昔に出来ているのです。
舌先が絡まると頭がぼうっとして、何も考えられないくらい気持ちが良く、このまま彼の腕の中で蕩けてしまいたいほどです。
アルノーが角度を変える度に鳴り響く濡れた口付けの音は、ふしだらでしょうか。
深い口付けを交わすとなぜか私の目尻から涙がこぼれ落ち、アルノーの指先がそれを優しく拭ってくれました。
「んんっ………はぁ……っ……ん、アルノー……」
「もう、後戻りは出来ませんよ……お嬢様」
私は静かに頷いて彼にすべてを委ねるように視線を向けました。
アルノーはボタンに手をかけシャツを脱ぐと、しなやかで美しい均整の取れた肉体が現れました。初めて見る彼の肉体は体中に酷く傷を負っていて私は目を見開きました。
お父様の折檻の傷跡でしょうか?
これも彼が生きてきた人生の一部かと思うと、悲しくなり私は指で傷を慰めるようなぞりました。
「………醜いでしょう。気味の悪い獣人の傷跡など触れる必要はありません」
「貴方は綺麗だわ、アルノー」
「綺麗なのは、貴方のほうですよ……お嬢様」
自嘲気味に笑うアルノーに私は素直に愛しさを伝えました。
破れた寝間着をアルノーに脱がされると、月の燭台の光の中で私は彼と同じように裸体になりました。
もう何度もアルノーに見られているはずなのに、とても恥ずかしく私の頬は火照るように熱いのです。
私の体と心の傷をいたわるように、アルノーは私の指に長い指先を絡めて、そのまま私をシーツの海に横たえさせると、首筋にじんわりと噛みつくように口付けをしました。
「あっ………んっ」
「……なるべく、お嬢様に痛みを感じさせないようにいたします。それから口付けの痕は残らないように致しますね」
「……アルノーの痕なら構わないわ」
不貞の証は純潔の他に目に見えるものなのでしょうか。
女神エルザの前で、ギルベルト様と誓った約束を破る私には天罰が下るかも知れません。
私の我儘にアルノーはいつものように苦笑する事は無く、鎖骨と胸の間に深く吸い付くように口付けをすると、再び首筋まで戻って耳の付け根から、ゆっくりと下るように舌を這わていきます。
一瞬、私は呼吸が激しく乱れて腰が浮いてしまうような心地よさを感じました。
「んっ、あっ……はぁ、今のはなに?」
「――――私の痕を付けたのです、オリーヴィアお嬢様」
金と緑が混じったアルノーの情熱的な瞳の奥に私の知らない彼を見たような気がしました。
けれど、ギルベルト様に感じたような恐ろしいものではなく私が幼い頃から感じていた、高い鉄の扉の向こう側にいる本当のアルノーを垣間見たような気がして、私の鼓動は早くなりました。
私は冷えた体を震わせ、別棟に行く間アルノーに抱き上げられながら申し訳ない気持ちで一杯になっていたのです。
私とギルベルト様は新婚初夜、うまく営みをすることが出来ず、あの日からギルベルト様は別棟の書斎に篭もられたり、お城に帰られない日が増えました。
お義母様はギルベルト様のプライドを傷付けたのだろう、妻として謝罪しなさいとおっしゃいます。
お義父様は、敬虔なエルザ信徒で初心なのだろう、男を知らぬのなら仕方あるまいと慰めて下さいますが……その瞳がどうしても恐ろしく感じるのです。
私は、ギルベルト様が寝室に帰らない事に安堵していましたが、同時にリーデンブルク家の妻としての役目を果たせない事に申し訳無さを感じていました。
――――いずれは覚悟を決めなければならないわ。
――――たとえ、アルノーを愛していても。
そう思いながら、リーデンブルク家に来て唯一の私の楽しみである就寝前の読書をし、いつものように冷たい寝室のベッドに横になりました。
けれど、今日は珍しくギルベルト様が夫婦の寝室に来られ、明らかにお酒を飲んでいるご様子でいつもより上機嫌のようでした。
何を話したのか、もう覚えていません。
ギルベルト様に強引にベッドの上で組み敷かれた私は驚いて抵抗をしました。それに腹を立てたギルベルト様に乱暴に寝間着を破かれ、私は恐怖のあまり悲鳴を上げてしまったのです。
端正な顔立ちのギルベルト様の表情は欲望に満ちていて、貪欲な獣のようで、いま思い出しただけでも体の震えが止まりません。
「オリーヴィアお嬢様。大丈夫ですか?」
アルノーは私をベッドに座らせ、上着を羽織らせると跪きコップに入った水を用意してくれました。
私はそれで口をすすぐとアルノーに手渡し心配そうに見つめる彼の手を、心が落ち着くまで握りしめたのです。
「ごめんなさい、アルノー。怖くて……無理だったの」
「私に謝る必要はありません。お嬢様……旦那様に手を上げられたのですか?」
「………いいえ」
強い力で抑え込まれ、赤くなった手首をアルノーが静かに撫でてくれると、ようやく力が抜け安心する事ができました。
悲鳴をあげた瞬間、私の口を抑え込んだ時のギルベルト様を思い出し、また涙があふれてくると、アルノーは私を慰めるように抱きしめてくれました。
アルノーの言葉には、ふだんは決して私に見せる事の無い怒りの感情が込められていて、こんな時なのにとても嬉しく感じました。
この城にいる限り逃れられず、乱暴で恐ろしい夫にこの身を穢され子を宿さねばならないなら――――。
「アルノー。私の一生のお願いを叶えて欲しいの」
「一生のお願い……ですか?」
「ギルベルト様と初夜を迎える前に、アルノーが私の純潔を奪って」
驚いたように体を引き離し、私を見つめたアルノーの瞳は今まで見た事が無いほど、心が乱れ、動揺しているように思えました。
たとえ獣人と人が思い合う事を許されなくとも、例え彼が私を憎んでいたとしても、私は卑怯にもこの立場を利用してアルノーと愛し合いたいと願っているのです。
「お嬢様……純潔を獣人に捧げるなんて……」
「私はもう、聞き分けの良い子供じゃないの。お嬢様の願いを叶えるのが執事の役目でしょう? 私を助けて、アルノー」
きっと、彼は私のことを何も知らないままの子供だと思っていることでしょう。
私はアルノーに近付きたくて、教育係の目を盗んでは彼らを記した書物を読み漁り彼らの文化や文字を学びました。
シュタウフェンベルク家の中で誰よりも獣人に詳しくなり、黒豹であるアルノーの存在がどれほど珍しいのかを理解していました。
――――ギルベルト様との結婚式の前日。
シュタウフェンベルク城の中庭で鳩の獣人とアルノーが密談をしている様子を目撃しました。他の人ならば気が付かないであろう、アルノーの表情の変化に私はいい知れぬ不安を覚えたのです。
そしてリーデンブルク家で、どうにか使用人達や彼の目を盗み獣人の言葉で書かれた日記を発見しました。
そして私は、お父様やリーデンブルク辺境伯が『プロメテウス』でどれほど残酷な仕打ちを獣人に行ったかを知ったのです。
私は、シュタウフェンベルク家の卑しい血を引く娘。
どれほど絶望しどれほど自分の存在を憎んだかわかりません。
けれど、私はアルノーを愛していました。
そんな資格など私にはないと感じながら。
たとえ、彼の復讐に私が利用されても構わないと思うほどアルノーを愛していました。
「…………」
光の加減によって変わるアルノーの美しい黒豹の瞳が、今までになく揺れ動いていましたが徐々に熱を帯びていくと、唇を重ねます。
今までの濃厚で控えめな口付けとは異なり、情熱的な口付けで、むさぼるように舌が絡まると私は体が熱くなるのを感じて震えました。
私とアルノーの禁じられた遊びの先が、どのようなものなのか私には想像もつかないけれど、アルノーを受け入れる心の準備ならば、もうとうの昔に出来ているのです。
舌先が絡まると頭がぼうっとして、何も考えられないくらい気持ちが良く、このまま彼の腕の中で蕩けてしまいたいほどです。
アルノーが角度を変える度に鳴り響く濡れた口付けの音は、ふしだらでしょうか。
深い口付けを交わすとなぜか私の目尻から涙がこぼれ落ち、アルノーの指先がそれを優しく拭ってくれました。
「んんっ………はぁ……っ……ん、アルノー……」
「もう、後戻りは出来ませんよ……お嬢様」
私は静かに頷いて彼にすべてを委ねるように視線を向けました。
アルノーはボタンに手をかけシャツを脱ぐと、しなやかで美しい均整の取れた肉体が現れました。初めて見る彼の肉体は体中に酷く傷を負っていて私は目を見開きました。
お父様の折檻の傷跡でしょうか?
これも彼が生きてきた人生の一部かと思うと、悲しくなり私は指で傷を慰めるようなぞりました。
「………醜いでしょう。気味の悪い獣人の傷跡など触れる必要はありません」
「貴方は綺麗だわ、アルノー」
「綺麗なのは、貴方のほうですよ……お嬢様」
自嘲気味に笑うアルノーに私は素直に愛しさを伝えました。
破れた寝間着をアルノーに脱がされると、月の燭台の光の中で私は彼と同じように裸体になりました。
もう何度もアルノーに見られているはずなのに、とても恥ずかしく私の頬は火照るように熱いのです。
私の体と心の傷をいたわるように、アルノーは私の指に長い指先を絡めて、そのまま私をシーツの海に横たえさせると、首筋にじんわりと噛みつくように口付けをしました。
「あっ………んっ」
「……なるべく、お嬢様に痛みを感じさせないようにいたします。それから口付けの痕は残らないように致しますね」
「……アルノーの痕なら構わないわ」
不貞の証は純潔の他に目に見えるものなのでしょうか。
女神エルザの前で、ギルベルト様と誓った約束を破る私には天罰が下るかも知れません。
私の我儘にアルノーはいつものように苦笑する事は無く、鎖骨と胸の間に深く吸い付くように口付けをすると、再び首筋まで戻って耳の付け根から、ゆっくりと下るように舌を這わていきます。
一瞬、私は呼吸が激しく乱れて腰が浮いてしまうような心地よさを感じました。
「んっ、あっ……はぁ、今のはなに?」
「――――私の痕を付けたのです、オリーヴィアお嬢様」
金と緑が混じったアルノーの情熱的な瞳の奥に私の知らない彼を見たような気がしました。
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