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僅かな痕跡②

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 三人はこちらの様子を伺いながら廊下を走っていく。正確には私の後ろにいる何かを見ながらホログラムの中の玄関に向かっているようだった。

「健くん! 私のことが見えないの!?」

 やはり、私の姿は見えないようで私は息を切らしながら三人を追い掛けた。肩越しに背後の様子を確認すると、焼けただれた肌と肉片が再生し始めた千鶴子の薄っすらとした映像が見えた。
 幻覚なのか、それともこの世界とあの絵画の世界がリンクしているのか。薄っすらとした、透明の壁越しに見える千鶴子がこちらに気付いて襲いかかってくるのではないかと思うと、悲鳴をあげそうになった。
 そのまま追い掛けて駐車場に抜けた瞬間、私は健くんの体をすり抜けていた。三人は丁度この駐車場に出る直前でたちどまった。
 おそらくあの屋敷の正面玄関の前であろう場所で必死に扉を開けようとしていた。

「もしかして、あの扉……玄関が開かなくて中から出られないの?」

 私は、今の健くんたちの状況がかなりまずい状況だと言うことに焦りを隠せなかった。
 と言っても、高名な霊能者でもない素人の私が、解決策など浮かぶはずも無かった。
 間宮先生がこちらに来るまで待つ暇はなく、呼びに行っている間にも、三人は千鶴子の霊に殺されてしまうかも知れない。

「どうすれば、どうすればいいの。楓おばあちゃんもあっち側にいるし……!」

 私は慌てて、念の為に持ってきた自分の鞄から早瀬さんのノートを取り出した。これに浄霊のやり方なんて書いているはずも無いけれど、私は無意識にページをめくった。
 今思えば早瀬さんが恋人を助ける為に、私に働きかけたのかも知れないのだが、とにかく私は藁にもすがる気持ちでページを捲った。
 すると、最初に見た時には記されていなかった浅野清史郎の肖像画に目を止めた。
 なんの紹介文もない、大学ノートに記された精密な油彩画の不気味さといったら無い。
 早瀬さんが浅野清史郎の肖像画を描いたのだろうかと思ったが、そんな事をする意味も目的もわからない。

「そんな……なにこれ、さっき見た時はこんなの描かれて無かったのに。どういうことなの?」

 私は驚愕し、背筋が寒くなったが指先で浅野清史郎の顔を無意識になぞった。
 その瞬間、私の横を淡く輝く人影がよぎって心臓が飛び出そうになった。白いシャツにキャンバスを持った後ろ姿が見えた。

「あ……たな、浅野……清史郎なの?」

 私が震える声でそう呼びかけると、青白い顔の青年が振り返らずに語りだした。

『――――全ては、僕のせいなんだ。僕が終わらせなくては』

 世界がぐるりと回転して私の頭の中に、情景が浮かび上がってくる。
 遠山家が火事で焼失して、茫然として立ち尽くす浅野清史郎。
 新聞には、一家が火事で全員死亡、逃げ遅れた使用人達も全員煙や火に飲まれて死亡してしまった事が書かれていた。記事には、遠山家の周辺で何人か行方不明になっている男性がいて、黒い噂が流れていたがその証拠も全て火に飲まれてしまい真相は闇の中という事になっていた。
 清史郎からは、罪悪感と後悔、懺悔の気持ちに溢れていて、私の心の中に直接流れ込んできた。

 その理由は私には分からないけれど、暫くしてこのあたりに遠山家の美貌の娘である千鶴子が化けて出るという噂が囁かれ始めた。
 中には、美人幽霊を見たいと言う、度胸だめしで探索した若者が気が狂ってしまったり、行方不明になったという嘘か本当かわからないような話までこのあたりでは囁かれていた。

『あの絵は、火事で焼失してしまったから、僕はもう一度描いたんだ。それで彼女に許して貰おうなんて思っていなかったけど、せめてもの慰霊として……』

 浅野清史郎は、再びあの屋敷と千鶴子の姿をキャンバスに描いた。今度は彼女の慰霊を目的としてその筆に魂を込めた。
 そして、火事で焼け崩れた屋敷の前に絵画を置いた。
 その日、関東大震災が起こり浅野清史郎と妻は祖母に預けた幼い娘を残して、二人とも帰らぬ人となった。
 廃墟に置かれた遠山千鶴子の美人画はやがて、別の人間の手に渡り、大人になった浅野清史郎の娘がそれを取り戻し、そして手放され、行く先々で男達を魅了し餌食にした。
 千鶴子と浅野清史郎の間に何があったのか私には分からないけれど、清史郎にそっくりな克明さんに執着する所を見ると、男女関係のもつれだと言うことは何となく予想はついた。

『本当は彼女の視線にも、彼女の魔性にも気付いていたんだ。僕が達郎の家庭教師をしながら、絵を教えていた時も、雇われてあの屋敷で肖像画を描いていた時も……千鶴子さんが、女学生の時に僕がきちんと向き合っていれば……間違いを正していれば……』

 浅野清史郎は、生気の無い顔でこちらを見ると続けた。
 もしかすると彼の魂はずっと彼女の強い思いに囚われて成仏できずにいたのだろうか、それとも慰霊の為の絵画に、彼女の魂が宿ってしまった事を憂いていたのだろうか。
 それとも彼女を完全に封じるために来たのか。
 私達がこの事件を追い掛けている事に気付いて、彼の魂が私達に引き寄せられたのか、正解はわからない。
 ただ生気の無い彼の瞳には決意が見えた。

『もう、これ以上は……』

 清史郎はそう呟くと、遠山邸の扉に手を掛けた。音もなく扉が開かれると目の前が真っ白な光に包まれて、私は思わず目を閉じた。
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