魔物の王と少女

あぶらみん

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星霜

誰が為に

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爆音が轟く城内、玉座の間で一人の男が佇んでいた。
爆発の衝撃で空を覆っていた分厚い曇が晴れ、
天窓から差し込む月の光によって男の姿が映し出される。

研ぎ澄まされた剣を感じさせる鋭い眼、爛々と燃える真紅の瞳、
その間から伸びる高く均整のとれた鼻、固く結ばれた口からは意思の強さを感じられる。
抜き身の刀剣を思わせる、触れると切れてしまうほど鋭く引き締まった顔立ちをしていた。

男は玉座の上で芸術的なまでにすらりと伸びた足を交差させ、
ひじ掛けに頬杖をつき真っ直ぐに正面を見据えている。

黒曜石を削り作られた漆黒の玉座と相まって、男の長い銀髪がよく映えた。
城の主、魔王アルクトゥルスだった。

先ほど爆音が聞こえてより数分、短い間隔で2つの轟音が響き渡り、振動で銀髪が揺れる。
音が消え静寂に包まれた中で靴が床を打つ音だけが響いている。
足音は扉の前でぴたりと止まり、少しの間を置いてから入口の大扉がギギギと乾いた音をたてて開いた。

「来たか」

落ち着いた声音で男はそう呟いた。
 視線の先に魔王城の最奥まで踏み入ってきた四つの人影が映る。
男は四つの影のひとつひとつから凄まじい魔力の奔流を感じとっていた。
魔王を討伐するには万人の兵士より一騎当千の猛者が相応しいという古来よりの話の通り、

眼前の人間たちはひとりひとりが人としての常軌を逸した武勇の持ち主であることが伺えた。
 それでも男は尊大な姿勢を崩すことなく、余裕すら感じさせる面持ちで侵入者を歓迎した。

「待ちかねたぞ、人間共」
 
微塵の動揺もみられない堂に入ったその態度はむしろ気品を感じるほどだ。
その様子に、侵入者たちは何か罠でもあるのではないかと警戒を強めたが、
魔王の余裕はもっと単純なところからきていた。

王に最も必要なものは余裕と威厳であると男は考えていた。
そしていかなる事態においてもそのような振る舞いをとれるだけの実力が男にはあった。

男が魔王と呼ばれるようになってから千余年、
魔王城内に人間が攻め入ることは何度かあったがその度に男は侵入者たちを返り討ちにしてきた。

緊急事態と思われる現状も、
男———魔王の精神を揺るがすに足る事態ではなかった。

城内に侵入を許したというその一点だけならば。
魔王は四人の侵入者を正面に捉えながら気配察知の魔法を使った。

魔王を中心として円状に不可視の波動が放たれ城内の様子を探る。
結果、感知したのはこの玉座の間にいる5人のみ。

途中途中に配置していた側近たちは全て討取られたと考えるほかなかった。
魔王は目を伏せ、そして束の間、瞑目した。
わずかな動揺を悟られぬよう敵を見つめて邪悪な笑みを浮かべた。

「ずいぶんと派手に暴れてくれたようだな。代償は払ってもらうぞ」
 
その瞬間、魔王の身体から覇気がほとばしり玉座の間全体に滝のごとき重圧が降り注いだ。
並大抵の者ならばこれだけでも絶命するであろう、凄まじい威勢だった。

「くっ……」

あまりの重圧に3人の侵入者が声を漏らした。
3人を庇うように、先頭の少女が前に出て一歩、また一歩と足をすすめた。
この吹き荒ぶ覇気の嵐の中にあり、まるでそ庭園を散歩しているような足取りだった。
 
「やはり、強いな……」

自分の覇気を受けてなお表情を崩さぬ少女を見て、諦観めいた本音が口を衝いた。
彼我の戦力差を見せつけ戦意を削ぐつもりであったが、
この少女相手には無意味だと悟り意図的に発していた覇気を抑えた。

これまでの侵入者にも強者や英雄と呼ばれる者たちはいた。
しかしこの眼前に立つ少女は、それら英雄と評される者たちの中にあってもさらに別格の存在だった。

少女は穏やかな足取りで、しかし神妙な面持ちで少しずつ玉座に歩をすすめている。
魔王は玉座の上から改めて彼女瞳に映した。

その憂いを帯びた美しい相貌に魔王でさえ一瞬目を奪われてしまう。
澄み渡る大空を映したような大きな瞳、すらりと伸びた鼻、舞い散る花弁のように薄く儚げな唇、
その全てが完璧な均整をとって並んでいた。

身につけた白いコートは一点の汚れもなく、彼女の心根をそのまま映しているかのようで、
燃えるような赤髪がよく映えた。

至高の芸術というものが存在するならばまさにこの少女のことだろう。
彼女の美はそれほど圧倒的であった。

しかし、その甘い相貌や穏やかな立ち振る舞いとは対照的に、
少女の身体の奥底からは底知れない莫大な魔力を感じる。

その規格外の力を持った少女が玉座の前で歩みを止めた。
一足で切り込まれる距離にありながらそれでも悠然と、魔王は少女に語りかけた。


「余の居城の最奥にまで乗り込んでくるとは流石だな」
強がりなどではなく、本心からの言葉だった。

「しかし余の記憶にある限り、停戦を申し入れる旨の書状が届いたばかりだったはずだがな。
やはり余の首が欲しくなったか?」
意地悪い笑みを浮かべ問いかける。

目の前に佇む少女———世界で雷名を轟かす歴代最強と謳われた勇者は、
その美貌に隠し切れない苦悶の色を浮かべていた。

どうやら此度の襲撃は彼らの本意ではないらしい。魔王は察した。
勇者も所詮は駒に過ぎないということか。

「まあ、良い」
魔王は鷹揚に言う。
「いまさら停戦などと、余も考えておらぬ。我らは殺しすぎた。
むろん貴様らも。もはやどちらかが滅びるまで、その歩みは止められぬ」

そう言って魔王は不遜に笑った。小刻みに震える肩に合わせて黒いコートが揺れる。
その自嘲的な声には諦めが含まれているように勇者は感じた。
乾いた声が空しく響き渡り、静寂の中に溶けて消えていった。

沈黙の帳が下りる中、三人の人間が魔法の詠唱をはじめる。
勇者はその青い瞳に魔王を映し、一言だけ言葉を発した。
それは感情の波に揺れる、今にも消え入りそうな、それでいて誠実な声だった。

「すまない」

懺悔の言葉を告げるがはやいか、一足飛びに魔王との距離を詰めた。

左手に持った聖剣を抜き、音を置きざりにした斬撃を見舞う。

左脇から右肩に抜ける一閃。白い閃光が迫る。

鋼と鋼のぶつかり合う甲高い音が鳴り響き火花が散った。
魔王は必殺の一撃を鞘に納めた魔剣で受け止め、揺れる銀髪の奥で薄く笑みを浮かべる。

「ハァっ!」

腕に魔力を流し込み、力任せに勇者を弾き飛ばした。
玉座からゆらりと立ち上がと、両の脚に魔力を注ぎ、魔力によって強化された両脚で地面を蹴った。

雷のような速さで、受け身を取る勇者に肉薄する。

勇者を間合いにとらえ、腰に下げた魔剣を抜き放ち——

「加減は効かぬぞ」

抜剣と突進の勢いそのままに鋭く横に薙いだ。

黒い殺意の塊が空気を切り裂き勇者に迫る。

黒く輝く魔剣が首筋を捉える寸前、勇者はとっさに上体を屈め剣の下をかいくぐる。

切っ先が頭部ぎりぎりの空を切り、炎髪が数本、ハラリと宙を舞う。

空を切った斬撃の余波が獲物を求め城の壁を切り裂き、さらに彼方の山を斬り飛ばした。

魔王は空振った勢いを殺さず左足を軸足に一回転。
遠心力で威力を高めた大鎌のような回し蹴りを勇者に見舞った。
顔面へ向けて放たれた蹴りを受け止めようと、咄嗟に右腕を割り込ませる。
防御など関係ない、そう言わんばかりに魔王は脚を一気に振りぬいた。

「——っ!!」

流しきれない衝撃に勇者は弾き飛ばされ壁に激突する。

「リュミエール!!」

三人の誰かが思わず彼女の名を叫んだ。
この好機を逃すまいと魔王はさらに追撃をかけるため勇者に迫る。

「——むっ!?」

そこへ鋭い斬撃が割って入る。地面をバターのように切り裂きながら斬撃が迫る。
視界にとらえるより早く、危機を察知した身体が電撃的な速度で反応し身をかわす。

魔王の動きに合わせるように軌道を変えて追いすがる斬撃が衣服を掠める。
一張羅が、と少々の気落ちをするもそればかりに意識をさくわけにもいかなかった。
後方へ跳び距離を取った魔王の頭上に大地が落ちた。

空から飛来する星屑のごとき巨大な岩塊。
辺り一面を灰燼に帰すほどの暴威の塊を、魔王は左手を掲げ掌中に捉え、
ぐっと拳を握り、焼き菓子を砕くような容易さでそれを潰した。
崩れた岩塊が破片となって魔王の周りへと降り注ぎ、地面をえぐった。

「大丈夫か、リュミエール」

斬撃を見舞ってきた騎士風の青年が少女の安否を確かめる。
声に応えるように崩れ落ちた瓦礫をはねのけ、土煙の中から勇者が姿を現す。
頬が少し切れている他に目立った外傷はなかった。

「ありがとう、助かったよ」

勇者の無事を確認し仲間は胸をなでおろした。

「相変わらず頑丈なやつだ」

称賛と呆れが混じった声で魔王が言う。

「供の者たちもなかなかやるな」

余裕の表情を崩さずいるが、内心で焦りがあった。
先ほどの立ち合いから察するに勇者とはほぼ互角。
供のものは勇者より劣りはするが、それは今代の勇者が規格外の存在だからだ。

それぞれが歴代の勇者に比肩する実力を備えていた。
ゆらりと剣を構えながら、相対する4人の人間を眺める。

ひとりは聖剣、ひとりは大剣、ふたりは杖を携えている。勇者、剣聖、大魔導、聖女。
それぞれが英雄と称される傑物を前にして、魔王も素直に納得する。

確かにこれなら魔王も討てよう。これほどの英傑がよくも一つの時代に揃ったものだ。
彼らを眺め、どうしたものかと思索を巡らすのも束の間。

「ちっ———」

途端に魔王の身体を悪寒が襲い、遅れて魔力と生命力が抜けていく。
吸魂の魔法か。

魔王は原因である老魔導士に狙いをうつし、懐に飛び込み斬撃をくりだした。

年を感じさせない身のこなしで一太刀かわす老爺に肉薄し、二太刀目で老爺を捉えた。
肩口に魔剣がめり込み、断ち切られた左腕がくるくると宙を舞った。

さらに斬り飛ばした左腕に向かって魔法を放ち跡形もなく消滅させる。
一瞬、老爺は苦痛に顔をしかめながらも跳躍し、そのまま浮遊魔法で宙に浮かべた箒の上に足を置いた。

「さすがは魔王といったところか」

腕を一本失ったとは思えない冷静な、魔導士然とした威厳ある佇まいで老爺は言いながら傷口の止血をする。
白い光が老爺を包み、切断された傷口がこぽこぽと音をたて活性化し、
傷口の肉が盛り上がっていく。
回復というよりもはや再生の領域であった。
しかし、消失した腕を治すにはさすがに時間がかかるようで、
老爺の腕が一瞬で再生するということはなかった。

「回復などさせるものか」

回復魔法を施す聖女を次なる標的に定め魔王が駆ける。やらせはしないと剣聖の青年が魔王の行く手を塞ぎ、魔剣と大剣がぶつかり火花が散った。

「残念だが、貴様とゆっくり遊んでやる暇はない」

鍔迫り合いの状態から瞬間的に魔力を解放し、力業で青年を押しつぶす。
青年が押し負けまいと重心を前へと移動させ力を拮抗させたところで、
魔王はわずかに後方へと身を引いた。突如として抵抗を失った青年はほんの一瞬、前方へと体勢が崩れる。

その隙をつき魔王は剣を絡めて手首の動きで青年の持つ剣を下方にいなし、返す刀で斬り上げた。
青年が身につける重厚な鎧ごと、魔剣が左腕を切断し勢いそのまま胴を切り裂いた。
片腕を失ってなお、反撃に転じようとする青年の横面に蹴撃を放ち蹴り飛ばした。

障害を排除した魔王は再び聖女に向かい地を蹴った。
剣聖と切り結んでからこの間わずか数秒。

身体能力が高いとは決して言えない聖女には、人外の動きをとる魔王に対応することはできなかった。

殺意を込めた一撃が死神のごとく聖女の命を刈り取ろうとしたとき、
横合いからの衝撃で魔王は吹き飛ばされた。

「やらせない」

勇者が言う。
魔王は宙で身をひねり受け身を取り声の主のいる方向へと視線を向ける。

「不意打ちとしては完璧なタイミングだったぞ」

獲物を狩る時こそ最も隙が生まれる瞬間であることを魔王も、そして勇者も理解していた。

再び、双方が敵を正面に捉え相対する。
一筋の血が勇者の頬を伝い、両者の視線が中空で激突する。
流れる血が地面に落ちるのをきっかけに、双方は地を駆け剣を振りかぶった。

魔剣と聖剣が激突し、空間を揺らす。
一合、二合と剣を打ち合ううちに、両者を中心に、
まさに嵐とでもいうような剣戟の結界が形成されていた。
内側に踏み込んだものは何人たりとも細切れに寸断される、二人を除いて。

空間を縦横無尽に駆け巡りながら剣閃が走る。
剣を合わせるたびにその衝撃で大地が裂かれ、魔王城が揺れる。

お互いに無数の裂傷を受けてはいるが紙一重のところで直撃は避け、致命傷には至ってはいなかった。
戦闘開始から数刻、互角と思われた斬りあいは徐々に趨勢を決しはじめる。
常に余裕の表情を絶やさなかった魔王の表情が険しいものに変わる。

聖剣が徐々に魔王を捉え始め、深い傷を刻んでいく。
魔王はその原因についてあたりをつけていた。

老魔導士にかけられた吸魂魔法がいまだ持続していることと、
悪魔にとって特効を持つ聖剣の影響だ。

しかし、どうやら想像以上に吸魂魔法と聖剣の影響が大きいようだと魔王は悟る。
一瞬の逡巡、長期戦になるのは分が悪いと判断し、わずかな隙を見つけ後方に飛びずさり距離を取った。

「幾分楽しい時間だったが、少し戦法をかえさせてもらうぞ」

瞬時に間合いを詰め迫ってくる勇者の追撃をいなし、魔王は魔力を練り上げる。
同時としか思えない刹那の間隔で、上下左右から神速の剣撃が魔王を襲う。
襲い来る刃をかわし続けながら魔王は詠唱をはじめる。

「集え雷霊108精」

魔王の体内で莫大な魔力が渦をつくり形を成していく。

「其を総べるは奈落の王」

凄まじい魔力の胎動。魔力が炎のように吹き上がり、それに合わせて銀髪が大きく揺れる。

魔王の後方に半径1メートルほどの魔法陣が浮かび上がった
「天空奔りて我が敵を討て」

詠唱を終えると同時に手をふりかざし、練り上げた魔力を解放する。

絡みつく雷蛇の群れブリッツシュランゲン!」

まさに雷鳴が轟く音を発し、魔方陣より108本の稲妻が放たれた。
蛇のように空間を奔り勇者を食らわんとする。

「——っ!!」

雷速で奔る蛇が数匹、勇者に食らいつきその端正な顔を歪める。
雷撃を受けたことで一瞬の間、身体の動きが制限される。

これ以上は直撃を受けてはまずいと、
横へ上へと残像を残さんばかりの速さで宙を蹴り四方八方押し寄せる雷蛇を回避する。

そんな勇者を嘲笑うかのように、後方へ抜けた稲妻が直線的な旋回を繰り返し再び迫る。

「無駄だ。標的に仕留めるまで追い続ける」

どう防ぐ?と挑発めいた口調で魔王が言う。

「やりようはある」

挑発にこたえるように薄く笑い、聖剣を両手で握り正眼に構える。
周囲から襲い来る雷蛇を自身の魔力によって補足する。
ふっ———と短く息を吐き、目前に迫る雷蛇を聖剣で薙ぎ払った。

一度だけに止まらず、次々に襲いくる脅威を人外の動きで撃ち落としていく。
そのことごとくを聖剣で斬り伏せた後、魔王の方を向きくすりと笑った。

「ぐっ……。やるではないか」

少し悔しさが滲んだ声で称賛の言葉を送った。
致命傷とは言わずとも少しの傷は負わせられると考えていたが、まさか無傷で対処されるとは予想外であった。

光の雨リヒト・レーゲン!」

お返しと言わんばかりに勇者が無詠唱で光魔法を放つ。
この魔法は上空に展開した魔方陣より光属性の魔法弾を雨のごとく打ち出す魔法であったが、
勇者のそれはもはや雨などというレベルを越えていた。
勇者の莫大な魔力から放たれるその魔法は、
打ち出される光弾の量が桁外れな故にもはや光の柱が落ちてきたと錯覚するほどだった。

直撃すれば魔王とてただでは済まない。魔王は頭上に魔法障壁を展開し光弾を弾く。
散らされた光弾の数々が大地を抉り焼いた。
灼熱を浴びた大地はガラス化しており、魔王の立つ場所だけが孤島のように残された。

意識は勇者に定めたまま、視界の端に映る三人の状況を確認する。
剣聖と魔導士にはかなりの深手を負わせた甲斐あり、
回復するのにはまだ時間がかかるとみえた。

しかし、そう長くもかからないだろう。
決着を急がねばこちらが不利になるばかり。

わかってはいたが、魔王は勇者としばし言葉を交わすことを選んだ。
交わさずにはいられなかった。

「なぜそうまでして人間のために戦う?」

魔王は眼前で剣を構える少女に問いかけた。
魔王は魔族のため、勇者たちは人類のためにその剣を振るっていた。
立場は違えども彼女たちとはどこか通ずるものがあると感じていた。

「私たちは……」

魔王の問いに勇者が答える。
大空を映した彼女の瞳には、強い意思が宿っていた。

「私は戦う。守りたい世界があるから」

その言葉通り、勇者が聖剣を手に斬りこんでくる。

「そうか……馬鹿なやつだ」

そう呟いた魔王の顔は、少し嬉しそうにも、少し寂しそうにも見えた。
聖剣と魔剣から発せられる白と黒の光が交錯する。

二人を中心とした放射線状に衝撃が広がり、辺り一帯を突風が抜けた。

剣の衝突とは思えぬほどの轟音が虚空に響いて消えていった。

激しい力の衝突により魔王城は原型をとどめきれなくなっていた。
地鳴りのような音が遠くで響いている。至る所で崩落が始まっていた。

玉座の間の天井は戦闘の余波で吹き飛び、燦然と輝く星空が見える。
天から降り注ぐ月の光が二人を照らしていた。

崩れる瓦礫が地に落ちるのと同時に両者は駆け出し、
両者が交錯する瞬間、勇者の剣がついに魔王を捉えた。

白き光を放つ聖剣が左肩の肉をえぐり骨を断ち、胴体を斜めに大きく切り裂いた。
多量の血飛沫が床を濡らす。

「がっ……!」

血反吐を吐きながらも渾身の力を腕に込め魔剣を横に薙ぐ。
勇者は咄嗟に魔剣と身体の間に聖剣を割り込ませ防御をとるが、
耐え切れなかった衝撃で身体が浮いた。その隙をつき魔王の放つ魔法が直撃し、
のコートを赤く染めた。

勇者は魔法で派手に飛ばされながらもかろうじて受け身を取るが着地と同時に大きくせき込み血を吐いた。
チャンスとばかりに魔王はすかさず上空へと飛び上がり詠唱を始める。

「極大魔法で微塵に打ち砕く!」

それを見た勇者も最大魔法で迎え撃つ。
ふたりの後方に半径20メートルほどもある巨大な魔方陣が幾重にも展開されていく。

「黒より暗き暗黒よ 其を総べるは奈落の王 契約に従い我に集え 
招来せよ 無窮の漆黒 業魔の冥剣 天呑み地裂く深淵の魔神 
天壌一切灰燼となし生あるものに安息を与えよ」

暗黒を纏うように闇が魔王の身体に絡みついていく。


「天より高き星光よ 其を総べるは聖約の王 契約に従い我に集え 
招来せよ 浄化の光降魔の白剣 世界創生の星神 
天地開闢の光となりて森羅万象一切に許しを与えよ」

夜空に瞬くあらゆる光が勇者の元に吸い寄せられる。星の光のように輝く魔力が勇者からほとばしる。

詠唱の速度は互角。
同時に詠唱が完了した。
両者ともに手を振りかざし大いなる破壊を顕現させるため術の名を叫んだ。


終世の黒ニグレード・モルス・ヴェルトラム!」

創世の白ヴァイス・ディアスティーマ・クレアシオン!」

夜の底が抜けた。そう錯覚せんばかりの死の波動が上空から世界を黒く塗りつぶしていく。

死の浸食を食い止めるように、星の爆発を思わせる光が真っ向からぶつかり合う。

魔法の威力は拮抗している。

魔の極致が敵を食らわんとせめぎあい、余波で魔王城が崩壊していく。

せめぎあいが続く中、徐々に魔王の放った魔法が勇者の光魔法を押し込んでいく。
少しずつ、だが確実に闇が勇者に迫る。
勝機とみた魔王が鋭く気合の声をあげ、己の魔法にさらなる魔力を流し込んだ。

「はあっ!」

威力を増した闇の魔法が一気に光を飲み込んでいく。
あっけなく闇は大地ごと勇者を飲み込んだ。

勝った、と魔王が勝利を確信したその瞬間。
闇の中に一筋の光が奔った。
勇者が魔法を切り裂き突き進んでくる。

「なにっ!?」

防御を。

勇者の攻撃をとめることは不可能だが、
一瞬でも攻撃の勢いを殺ぐことができれば回避は可能。

一瞬でそう判断し魔法陣を展開する魔王の身体を、
横殴りの斬撃が切り裂き爆撃が直撃した。

ちらと横目に剣聖と大魔導の姿を捉えたその刹那。
闇を切り裂き、光につつまれた勇者が姿をあらわした。

まるで時間が止まったかのように、やけにゆっくりと景色が流れた。
勇者に檄を飛ばす剣聖に大魔導、祈りを込める聖女を順に眺める。
最後に自分を討たんと突き進む勇者の顔をまじまじと見つめ、

美貌に隠れた幼い顔つきに思わず苦笑が漏れた。
そして、まばゆい光を放つ聖剣が魔王の胸を貫いた。

大地へ横たわる魔王の元へ勇者が降り、仲間も駆け付け魔王を囲む。

周囲の風景は当初とは見る影もなく変わり果て、
その全てがまさに死闘であったことを物語っていた。
そびえたつ魔王城は跡形もないほど崩れ落ち、
周囲の地面はいたるところが陥没し地割れが起きていた。

水が蒸発し川が干上がり、遠方の山々はえぐれている。
闇夜を照らす月と星だけが、唯一変わることなく空に浮かんでいた。
その闇の中を光る粒子が舞う。さらさらと砂が散るように魔王の身体は崩壊をはじめていた。
勇者一行を見回し、血を滴らせながら魔王が口を開く

「ふ……はは……。血の味など……久しぶり、だ……」
長生きはしてみるものだな、と軽口をたたいて笑みを浮かべた。

「貴様たちの……勝ち……だ……。見事、だっ……た……」

魔王が己の敗北を認め勇者たちを称えて、その紅い瞳に勇者を映す。
勇者はその美貌に憂鬱の影を落とし、今にも泣きだしそうな顔で魔王を見つめていた。

その時、勇者も年相応のひとりの少女なのだと魔王は改めて感じた。
誰一人として使命を果たした喜びに浸るものはいなかった。

「素直に誇れば……よい、ものを……。馬鹿な奴ら……だ」

あえて傲慢に笑い、勇者たちに言う。
ふははは、と高笑いのひとつも飛ばすつもりだったがうまく笑うことはできなかった。

ひとしきり笑い終え、妙に眠いな、と魔王は思った。
瞼が重く目を開けていられない。意識が混濁しだんだんと何も考えられないようになっていく。
既に痛みも感じなかった。
その一方で大きな孤独感だけははっきりと感じ取ることができた。

「ああ……。これが、死か」

魔王は悟った。己が他者に与えて続けてきたもの。
自分が振りまいてきたもの。それがついに自分にも訪れることを。
それを待っていたような気もした。

魔王の意識が暗闇に支配されていく最中、勇者が語りかけてきた。
既に身体の感覚は既に麻痺しているというのに、何故かはっきりと聞き取ることができた。

「ありがとう。そして、できれば私を許さないでほしい」
勇者の真っ直ぐな声が耳に届いた。
魔王として最後に皮肉のひとつでも言ってやるもりでいたが、
勇者の姿を見てその気もすっかり失せてしまった。
代わりに別の言葉が口をついて出た。

「大きく、なったな……」
ライバルの成長を祝福する戦友のようでも、子供の成長を喜ぶ父親のようでもあった。
魔王の顔は憑き物が落ちたようにすっきりとしていた。

「……リュミエール。強く生きろよ」

最後に短く、しかしはっきりとそう言って、にかっと笑った。
魔王の身体が粒子になって風にさらわれて散っていく。

やっと名前を呼べた。今度はうまく笑えただろうか。
そんなことを思いながら魔王の意識は暗闇に溶けていった。


きらきらと星のように空を舞う魔王の残滓。
それを見つめる勇者は、いつの間にか少女の顔になっていた。

少女はぼんやりと空を見上げる。

「アーク……」

雪が溶けて消えるような少女の呟き。
神聖さが消えて幼さの残る雪のように白いその頬に、一筋の光が伝った。

理由は少女にもわからない。

でも。

──寂しい。

少女はそう感じた。
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