鼠の王

九時良

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 シキちゃんは自分で起きられない。地下室で寝泊まりしているから自律神経が狂ったのかもしれない。自分の身支度が終わったらシキちゃんを起こす。服を出して、髪の毛を整えて、一緒に朝ご飯と歯磨きに向かう。夜間のトイレは危ないのでおまるを置いて、使った様子があれば捨てる。これが僕のモーニングルーティンだ。
 週に四回は体育の授業から始めることにした。職員向けに朝礼のラジオ体操があるのだけど、その後からランニングやキャッチボールを行うことにした。
 妖精みたいにおっさんが混じるけれど、おっさんにも運動は必用だし、シキちゃん一人よりは寂しくないだろう。
 というのをしばらく繰り返していたが、星合君が混ざると誰が思う?

「どうも。雪柳さん」

 白衣以外の姿を見るのは初めてだった。正しくは白衣を脱いでるだけだ。シャツとスラックス以外は持っていないのかも。
 正直、修さんがいないときは星合君から近寄ってくるとは思わなかった。こういう繊細な人はちょっとしたことで疎外感を感じる場合があるから、意外だと思っていることを悟らせないようにしないと。

「いらっしゃい。星合君も一緒やる?」
「あのね! たのしーよ! おにいさんもいっしょにやろうよ!」

 軍手をはめたシキちゃんは大事そうにテニスボールを抱えていた。可愛くてついつい頭を撫でてしまう。するとシキちゃんも手のひらに頭をぐりぐりと押しつけてくる。

「……ロリコンなんスか?」

 何をじっと見ているのかと思えば、星合君は眉を寄せてゲーッて顔をしていた。
 僕はシキちゃんに向けて片手を立てて、ちょっと待ってて、とアイコンタクト。言葉に出さなくてもシキちゃんは小首をかしげてその場に佇んだ。
 僕は星合君へとつかつか歩み寄る。並ぶと星合君の方が身長が高い。

「いいか、シキちゃんの前でそんな下品な言葉、二度と使うな。ぶち殺すぞ」

 シキちゃんへ聞こえないように小声を意識した。ドスの効いた低い声が出た。
 よろけるみたいに後ろへ一歩下がった星合君は、眼鏡の奥からツチノコでも見つけたような信じがたい目を向けてきた。

「雪柳さんもキレるんですね」
「歳の離れた妹がいるんだ。そのテの話題は反吐が出る」
「なるほど。無神経でした。以後、気をつけます」

 驚くほど素直に、星合君は頭を下げた。
 沸騰した頭の熱もスッと引いていく。もしかすると、思っているほど悪いやつじゃないのかもしれない。ストーカー気質だけど。

「シキちゃんには良い言葉を使ってあげて。あと仲良くしてあげてね」
「わかりました。子供は苦手ですが……」
「普通にしてればシキちゃんがあわせてくれるから大丈夫」
「あの……修さんとはどういう関係ですか」

 少し首を引っ込めて、星合君の視線が逸れた。  唐突になんだ。でも、きっとこれを聞きにきたんだろうな。コミュニケーションがうまい方じゃないんだな……。

「えっと。普通に先輩と後輩だよ」
「よく二人で会われているようですが……」

 修さんが大分宥めたのか敵意は収まっている。それでも納得しきれず、我慢もできなかったのか。それはそれでいい。僕はインスプリクターだ。修さんを追いかけ回した結果、勘づかれてはたまったものではない。

「うん? 仕事の話だよ? 部署異動もあったし、情報も共有しなきゃだし、色々あるんだって。なんなら植物プラントともそのあたりは密だよ」
「僕は副室長なのに、部署のことだけしか担当させてもらえないのですが……」
「そのうち任せて貰えるようになるよ。ここに来て一年ちょっとじゃないか」

 特に意味もなくひらひら手を振る。悩み相談を受けるには落ちつけない環境。早く終わらせたいというのが正直なところ。

「ねえねえねえ。はーやーくー!」

 シキちゃんは待ちきれないみたいで、足踏みしていた。妖精達がここぞとばかりに寄ってくる前に戻らなくては。

「お時間頂戴してすみませんね」

 星合君が先導してシキちゃんの元に駆けていく。これといった訳もないけれど、こいつ信用できるな、と直感した。

「おにいさん! ぱす!」

 思い切り後ろへ手を引いたシキちゃんは、よろよろしながら大きく振りかぶった。半円を描く柔らかい軌道。ふわっとしたボールを、星合君は胸元で包むようにキャッチした。

「じゃあ、雪柳さん」

 星合君が僕に目線を遣る。そして、肩口でボールを投げた。
 クッッッソ見当違いの方向に飛んでいったが!? こいつウンチだ!
 僕の斜め上を通り抜けようとしたボールを飛び跳ねて両手キャッチした。

「おにいちゃんすごーい!」
「運動神経いいですね」

 拍手された。シキちゃんと星合君だけじゃなくて、妖精達にも。
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