アヤメちゃん

胡花宝 愛芽

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第一章「わが家にアヤメちゃんがやってきた!」

第八話「何て呼んでもらいましょう?」

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「お父様、お母様。私、アヤメちゃんには『櫻子姉様ねえさま』って呼んでもらいたいわ」

 櫻子が無邪気むじゃきに言った。

「櫻子姉様かい?」
「ええ。ついこの間、よし子さんのお家に遊びに行った時、歳の離れた妹さんとお会いしたのだけど、その子が『よし子姉様、よし子姉様』って、よし子さんの後をついて歩くのが、とっても可愛らしかったの。アヤメちゃんは私よりも背が低いし、お顔も幼くて可愛いもの。何だか妹ができたみたい。アヤメちゃんとは、姉妹みたいに仲良くなりたいわ」
「そう、それは楽しそうね。それならわたくしも、アヤメちゃんに『お母様』と呼んでもらおうかしら?」
「まあ、素敵!お父様は如何いかがかしら?」
「人形に『お父様』と呼ばれるのかい?何だか、飯事ままごとみたいで可笑おかしな感じだなあ」
「だってぇ私達が、アヤメちゃんに『お母様』や『櫻子姉様』って呼ばれるのに、お父様だけ『旦那様』じゃあ、つまらないわ。ねえ、お願い?お父様?」

 櫻子が手を合わせる。

「うぅ~ん…」
「あなた」

 濱子が数仁の手を握り、微笑む。

「…仕方ない、良いだろう」
「ありがとう、お父様!」

 櫻子が数仁に駆け寄り、抱きついた。

「その代わり、人形に『お父様、お母様』と呼ばせて構わないのは、この家の中だけだ。来客中や外出の時は、きちっと『旦那様、奥様』と呼ばせること。わかったね、櫻子?」
「ええ!解ったわ、お父様!」
「全く、我が家のレディ達にはかなわないなあ」
「うふふ。お父様もお母様も、大好き!」


  *   *   *


「い~い?アヤメちゃん。これから、私のことは『櫻子様』ではなくって、『櫻子姉様』と呼んでちょうだい」

 櫻子は、アヤメに向かい合って語りかける。

「ハイ、承知シマシタ」
「じゃあ、私が今から『アヤメちゃん』って呼ぶから、『櫻子姉様』ってお返事してね」
「ハイ」

 アヤメが「コクリ」と頷く。

「アヤメちゃん」
「ハイ。サクラ姉様ネエサマ
「きゃっ」

 櫻子が握った両手を顎に当て、両肩を「ピョン」と跳ねさせ嬉しい悲鳴を上げる。

「アヤメちゃん」

 櫻子がもう一度、呼びかける。

「ハイ。櫻、子姉様」
「んふふっ」
「おや?何だか、可笑おかしくないか?」

 数仁が疑問の声を上げる。

「なあに?お父様」
「『櫻』と『子』のあいだに、変なが空いてるぞ。『櫻子』と続けて言えないのかい?」
「ハイ、言ッテミマス。櫻、子姉様。ハッ、スミマセヌ」

 アヤメが両手の平を口に当てる。

「あら。『櫻子様』と呼んでくれていた時は、続けて言えてたわ。アヤメちゃん、『櫻子様』って言ってみて」
「ハイ。櫻子様サクラコサマ
「ね?ちゃんと続けて言えてるわ。アヤメちゃん、次は『櫻子姉様』って言ってみて」
「ハイ。櫻、子姉様。ハッ、スミマセヌ」

 アヤメが、また口に両手の平を当てる。

「ほら、が空いてるだろう?『櫻子様』は続けて言えるのに何故、『櫻子姉様』は言えないのだろうねえ?」 
「きっと所々ところどころ、どうしても言葉にが空いてしまうのですわ。からくり人形なんですもの。私達みたいに、流暢りゅうちょうには話せませんわ」
「そうよ、お父様。お話できるだけでも、すごいことよ」
「でも櫻子、名前の途中にがあるのは、気持ち悪くないのかい?やはり呼び名は、『櫻子様』の方が落ち着くんじゃないか?」
「ううん、平気よ!私はそんなの気にならないわ。さあ、お人形さん。次は『お父様』よ」

 櫻子は、どんどん進める。

「『旦那様』ではなく、『お父様』って呼んでみて」
「ハイ。御父様オトウサマ
「ほら。『お父様』は、ちゃんと言えてるわ」
「まあ、そうだねえ」

 数仁は、答えながら両腕を組む。

「じゃあ、最後は『お母様』。『奥様』ではなく、『お母様』って呼ぶのよ。さあ、言ってみて」
「ハイ。オハアサマ」
「ん?」

 数仁と濱子と櫻子が、一斉いっせいに聞き返す。
 
「ハッ、スミマセヌ」

 アヤメが口に両手の平を当てる。

「アヤメちゃん。もう一度、『』って言ってみて?」
「ハイ。。ハッ、スミマセヌ」

 アヤメが、また口に両手の平を当てた。

なんだ。『お母様』も言えないのかい?簡単な言葉だろうに」
「グスン。モウワケアリマセヌ」

 アヤメが数仁に、頭を下げる。

「あっ、アヤメちゃん。お父様っ。そんなに、アヤメちゃんを責めないでっ。可哀想かわいそうよ」
「いや、しかしだねえ。『おはあさま』は無いだろう?どうにも気がけてしまうよ」
「それなら…少し言葉の練習をしてみたら、どうかしら?」
「言葉の練習?」
 
 濱子の提案に、櫻子が聞き返す。

「そうよ、今から試してみましょう。ねぇ、アヤメちゃん」
「ハイ」
「今から私が言う言葉と、同じことを言ってみてちょうだい」
「承知シマシタ」

 人形は頷いた。



 濱子が口を大きく動かして、「ゆっくり」と「ハッキリ」と言葉を伝える。  



 アヤメも、同じように言葉を発する。






 















 アヤメの発した言葉に、「ガクン」と数仁が右肩を落とす。

「ハッ、スミマセヌ」
「おいおい」

「アヤメちゃん。もう一度、言ってみましょう」
「ハイ」



 濱子が再び、滑舌かつぜつ良く言葉を伝える。



 アヤメも、「ハッキリ」と同じ言葉を発する。




「良いわよ、アヤメちゃん。その調子」
 
 櫻子が応援おうえんする。


「オ、オ、

「はぁ~っ、駄目だめだなあ」

 数仁が溜め息をつく。

カサガサネ、スミマセヌ。グスン」

 アヤメは深々とお辞儀をした後、目蓋を閉じてうつむいた。

「アヤメちゃん…」

 櫻子は、アヤメの頭を優しくでる。

「どうしてかしら?『おか』は、ちゃんと言えるのに…」

 濱子が右頬に手を当て、小首を傾げる。

「どこかに不具合でも、あるんじゃないのかい?」
「でも…小林さんのご説明では、試験は十分じゅうぶんに行ったそうですけれど…」
「う~む。倪門がいもんは今、米国にいて暫くは日本に戻らないしなあ…。よし!小林さんと黒川君に、明日にでも来てもらおう」
「でも、あなた。年末ですし…、小林さん達もお忙しいんじゃありません?」
「でも言葉もろくに話せないんじゃ、『完成品』とは言えないだろう?正月になって、人形が故障して面倒でも起こしたら、それこそ研究所も休みで誰とも連絡がつかないからねえ。明日、運転手を研究所へ迎えに行かせるさ」
「アヤメちゃん。おじさま方が来て下されば、きっと『お母様』も普通に言えるようになるわ」
「ハイ。製造責任者ノ、小林様ニ、悪イ部品ガ無イカ、確認シテ頂キマス」


 この日、滉月家の数仁、濱子、櫻子の三人は家族団欒だんらんときを過ごした。
 出張で年に半分は海外にいる数仁と、いつも広い屋敷やしきあるじの帰りを待っている濱子と櫻子の、貴重な一日である。




(続)
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