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第一章「わが家にアヤメちゃんがやってきた!」
第二十二話「交換しますか?しませんか?①」
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正月三が日を明けて、新年四日目ーーー。
滉月家の屋敷では、故郷で骨休めした使用人達が午前中に次々と戻り、午後には通常業務をこなしていた。
一方、貿易会社社長である数仁は新年の仕事始めに、社員総出の安全祈願祭を執り行った。
海外への出張が多い仕事柄、船旅の安全を願っての、毎年欠かせない行事である。
そちらの時間が終了すると、新年会へと移行され、夜まで長引かせず早めに解散する。
その後、数仁は一件のパーティーに参加したが、夜の九時過ぎには帰宅した。
「何だって?アヤメが充電を忘れた!?」
数仁が驚きの声を上げ、途端に不快の表情を見せる。
「ええ」
濱子が頷く。
居間の暖炉近くに設置された三人掛けソファに数仁と濱子、その左右斜向かいの一人掛けソファにそれぞれ、鉉造と蕗が座っている。
櫻子は、二階の自室で就寝している。
アヤメも櫻子の部屋だ。ここ数日は毎晩、櫻子がベッドの中で眠りにつくまで見守り、それから深夜の見回りをする。
数仁は新年会とパーティーで酒を呑んではいるものの、昨夜に比べたら顔も然程赤くもなく、酔っている様子も無い。
帰宅後に入浴し、今はシルクのパジャマにガウンを羽織り、足を組んで座っている。
女性使用人の「タツゑ」が、温かい紅茶を淹れた椀皿を、数仁から順に配ってゆく。
数仁は眉間に皺を寄せたまま、椀皿と一緒に置かれた広口瓶から、蜂蜜を絡めた金柑を掬って、紅茶に沈める。
普段はコーヒーもブラックを好む数仁だが、今月はパーティーに参加して歌を披露したり、大勢の人間と会話する予定が多いため、喉のケアを怠らない。
ティースプーンで掻き混ぜてから、胸元までソーサーを持ち上げる。そこからカップのハンドルを摘まみ、一口飲んだ。
「それなのに今日、小林君達にアヤメを引き取ってもらわなかったのかい?」
年末に話し合った通り、倪門研究所の冬休みが明けて早速、所員の小林と黒川がアヤメの点検をするため、昼間に滉月家を訪問していた。
「今日の点検でも、異常は見つかりませんでしたから。勿論、小林さんと黒川さんには時間をかけて、小さな見落としも無いよう隅々まで確認して頂きましたわ」
「しかし…実際には、充電を忘れて動けなくなっているじゃないか。その話は二人にちゃんと伝えたのかい?」
数仁は苛立ちを抑えるように、カイゼル髭の片側だけを摘まんで整えている。
「ええ。小林さんも黒川さんも、とても驚いていらっしゃいましたわ。正しく発音出来ない言葉を充電を忘れるほどまで毎晩、ひたすらに練習していたんですから。研究所で試験した時は決められた動作を、ある程度実行させてみて、出来る仕事と出来ない仕事を判断していたそうなの。その後は、出来る仕事だけを伸ばす方に重点を置いて、訓練させていたんですって。ですから、『発音出来ない言葉を、こんなに諦めずに練習するとは思わなかった』って、仰っていましたわ」
「ああ…、そうかい…。…ん?いやいやいや、問題はそこじゃないだろう。いいかい、濱子。あの人形は、深夜の見回り中に動けなくなったんだぞ?それがどれだけ家族を危険に晒すことか、賢い君なら解らないわけじゃないだろう?」
「勿論ですわ、あなた。確かに…アヤメちゃんは決して、してはならない失敗をしました。もしもあの時、『何者かが浸入していたら…』と想像すると、私も『ゾッ』としますわ」
「ああ、その通りだ。だから出来損ないは、さっさと返品して別の人形と取り替えた方が良い。僕も倪門の研究所には、かなりの額を投資してるんだ。遠慮する必要は無い」
「いえ、あなた。遠慮では無くて櫻子が…、アヤメちゃん自体をとても気に入っていて、研究所に返すことを嫌がっていますの」
「櫻子が?はっはぁ~ん…。だから昨夜、櫻子の様子がおかしかったんだな?」
「ええ。もし、アヤメちゃんを研究所に返してしまったら、別のお人形を交換して頂いたとしても、櫻子が悲しむことに変わりは無いと思いますの」
「そんなもの…、あれだよ。櫻子に何か用事でも言い付けて、居ない時に別のと取り替えてしまえば良いじゃないか。どうせ『弐号』も『参号』も同じ顔なんだ。黙っていれば、判りゃしないよ」
「あら、あなた…。それはいけませんわ。その場凌ぎでそんなことをして、もし後で櫻子が知ってしまったら、きっと酷く傷付きます。下手をしたら、私達と櫻子の信頼関係にも罅が入ってしまいますわ」
「罅って…、そんな大袈裟な…。ほら濱子、こうすれば良い。櫻子が戻るまでに、別の人形に『アヤメ』と名付けて、僕達全員の名前も記録させて…。まあ多少、前の人形と会話の辻褄が合わなくても、皆で適当に誤魔化せば、そのうち慣れるさ。蕗さんもタツゑも滉月家で長年、勤めてるんだ。口は堅いだろう、なあ二人共?」
数仁がソファに座る蕗と、その横でお盆を脇に抱え、直立して控えているタツゑを、交互に見る。
蕗とタツゑは、微苦笑を数仁に向けて、小さく頷いた。
「私は反対ですわ。『黙って済む』と仰るのでしたら…、アヤメちゃんが充電を忘れたことを、数仁さん。あなたに黙っていることだって、出来ましたのよ。でも私は、あなたに隠しごとなんて絶対にしたくないですし…、大切に想っている数仁さんを適当に誤魔化して、信頼を裏切るようなことも決して、したくありませんもの。万が一…、それが『数仁さんの命に関わる』という場合でしたら、また話は別ですけれど…」
「濱子…」
厳しかった数仁の表情が、一気に緩む。
「それは僕だって同じさぁ。僕はねぇ、留守中に君達に害が及んだらと思うと、気が気じゃないんだよぉ」
濱子が自分の太股に重ねている両手の甲を、数仁が右手を伸ばして上から優しく握る。
「半年前も…泥棒が敷地内に浸入して、窓を抉じ開けようとしたんだろう?それを丁度、庭にいた鉉さんが見つけて怒鳴ったのを、驚いた泥棒が飛びかかって格闘したもんだから、鉉さんも腰を痛めてしまったんじゃないかぁ」
「ええ、そうでしたわね。あの時は怒鳴り声を聞き付けた、タツゑちゃんも駆け付けてくれて、泥棒を捕まえることが出来て…」
「いいえ、奥様。私が庭に駆け付けた時には、すでに鉉さんが取り押さえていらっしゃいました。ただ…泥棒が、隠し持っていた刃物を取り出そうとしていたので、私はその手を打っただけです」
タツゑが凜とした佇まいで、冷静に説明する。
タツゑは幼少期から薙刀の道場に通っており、男性相手にも劣らぬ腕前だ。それを数仁に買われて、滉月家に住み込みで働いている。
現在まで夜間の見回りは、蕗以外の若い女性使用人達が交代制で行っていた。タツゑは、その中でも週の大半を担当している。
今も数仁達は寝巻き姿だが、アヤメと共に今夜も見回りをするため、タツゑだけは長い髪を頭頂部で一つに結び、白い胴着に紺色の袴姿だ。
「まあ、怖い。それは初耳よ?もう…二人共、そんな物で怪我なんてしなくて、本当に良かったわ」
「はい。仰る通りです、奥様」
濱子も蕗も心配そうな表情で、鉉造とタツゑを交互に見る。
「ああ、全くだ。幸い、大事には至らなかったからぁ、良かったようなものの…出張中に手紙で知った時には、すぐにでも飛んで帰りたかったんだぞぉ!」
数仁は濱子の肩を抱き寄せ、おでこや頬に「チュッ、チュッ」と接吻する。
鉉造は娘夫婦から目を逸らし、口を半開きにして白けた表情で、「ポリポリ」と人差し指で頬を掻く。
蕗とタツゑも顔を見合わせ、苦笑いしている。
「あなた」
濱子が優しく諭すように声をかけ、数仁の胸に手を当て互いの体を少し離す。
「数仁さんが私達のために、いつも尽力して下さっていることは重々承知していますし、心から感謝していますわ。アヤメちゃんも私達を守るために、倪門さんにお願いして造って頂いたのでしょう?」
「いやまあ、それは…僕が必要としている物と、アイツのやりたい研究が合致したから、実現した訳なんだが…」
「ええ。でも、アヤメちゃんが来てくれたおかげで、タツゑちゃんにも年末年始にお休みを取らせてあげることが出来ましたわ」
お盆や年末年始の連休中は、どこの家も帰省や旅行で留守が多くなる。数仁の友人や知人、滉月家の近所でも何軒か富裕層の屋敷が狙われて、盗難の被害に遭っている。
濱子が病に罹ってから滉月家は家族旅行を控えているが、運転手や使用人達が休暇で居なくなると、屋敷も静かになる。
とは言え実際、数仁が屋敷で過ごす時は発声や歌を練習していたり、レコードを掛けて音楽が流れていたりするので、日中はそれほどでも無いのだが。
それでも夜間や就寝中に留守と勘違いされ、屋敷に浸入されるのを防ぐため、去年まで連休中は蕗だけでなく、タツゑにも休みをずらす形で滉月家に残ってもらっていた。
しかし昨年、タツゑのために濱子が計らった縁組みが纏まり、滉月家に奉公してから初めて年末年始の休暇を与えてもらい、結婚相手と共に双方の実家に挨拶してきたのだった。
「タツゑちゃんも…この春には嫁いで、滉月家から居なくなってしまうんですから…。これまで数仁さんの留守中も、しっかりと夜間の見回りをして真面目に働いてくれたけれど、『もし浸入者と遭遇して、タツゑちゃんが私達を守るために犠牲になってしまったら…』。そんな…余計なことを考えてしまって、ずっと心配でしたもの…。今まで無事でいてくれて…私も安心して、旦那様にお嫁入りさせてあげられますわ」
「奥様…」
タツゑが濱子の言葉を聞いて、涙を浮かべる。
「小林さんから伺ったお話では、アヤメちゃんは頑丈な素材で造っているから、浸入者が斬りつけてきても刃物の方が刃毀れしてしまうそうですし、固い棒や鈍器などで繰り返し衝撃を受けたとしても充分、耐えられるそうですわ」
「ああ。あの人形を製造するに当たって、企画段階から僕も参加したのさぁ。『家族を確実に守れるように、どんな攻撃にも耐えうる人形を造ってくれ』と、倪門や小林君達には何度も念押ししたからねぇ」
数仁が自慢気に語る。
「まあ、そうでしたの…。ありがとう、あなた。やっぱり、数仁さんは頼もしい男性ですわ」
濱子は数仁の右手を握って、微笑みかける。
「いやあ…。僕は、この家の主なんだ。それくらい、当然のことさあ」
数仁は照れ臭さを隠すように、大袈裟に空いている左手を高く振って、力説した。
「数仁さんが色々と考えて下さったんですもの。アヤメちゃんが居てくれれば、これからは私達家族だけでなく、滉月家で働いてくれている皆の危険も回避出来ますわね」
「うん…。だが…どれだけ頑丈に造ったとしても、肝心の充電を忘れてしまっては本末転倒だ。やはり返品した方が良くないか?それに、別の人形に交換するなら早く決めてしまわないと…、他にも研究所に投資してる人間がいるからねぇ。次の予約者に『弐号』や『参号』が渡ってしまうよ?」
「数仁さんの心配も、よく解りますわ。けれど…アヤメちゃんも、何が原因で充電を忘れてしまったのか自分で把握して、きちんと反省もしています。それならば…まだ、改善の余地があると思いますの。アヤメちゃんが我が家に来てから…ひい、ふう、み…」
濱子が指折り、数える。
「十日?ちゃんと働き始めたのは…今日で、十一日目ですわね。やっぱりお人形ですから、蕗さんやタツゑちゃんみたいに、器用に全ての家事はこなせませんけれど…。それでもこの短期間で、アヤメちゃんは我が家の遣り方を沢山、覚えましたわ。ねぇ、蕗さん?」
「はい、奥様。初めの…何日かは多少、ぎこちないところも御座いましたが、きちんと教えれば簡単な作業でしたら、すぐに覚えてくれました。今では…料理を運んで並べる作業も任せられますし…、一緒に後片付けも出来るので、早く済ませられますねえ」
ソファに浅く腰掛け、数仁と濱子の会話を柔和な表情で聞いていた蕗が、長閑やかな口調で答える。
「それに、えぇ~と…あれは大晦日でしたかねえ?食器棚の上に置いた箱を取ろうと、踏み台に乗った時に…うっかり、足を滑らせてしまったんですけど…」
「えっ!?」
濱子とタツゑが声を上げ、一同が気遣うような表情で蕗を見る。
「アヤメちゃんが、後ろから私を抱えてくれまして…」
蕗が胸に手を当て、「ハァ~ッ」と大きく溜め息を吐いてから話を続ける。
「おかげで…落ちて、頭や腰を打たずに済みました」
「まあ、蕗さん!それも初耳よ?もう…蕗さんも真面目に働いてくれるのは有難いけれど…、無理だけはしないでちょうだいね?」
濱子が前のめりになって、蕗に語りかける。
「そうだよ、蕗さん。蕗さんの旨い和食が食べられなくなったら、僕も困るからねぇ」
「はい、ありがとうございます。旦那様、奥様。これからは気を付けますので、そんなにご心配なさらないで下さい。ハァ…。それにしても…、アヤメちゃんは体が小さい割りにずいぶんと、力持ちなんですねえ。私の体も、軽々と持ち上げてしまうんですから」
「そうですね」
タツゑが相槌を打つ。
「それに動きも速いです。私も今日、仕事始めの肩慣らしに薙刀の相手をしてもらったのですが、アヤメちゃんは私の攻撃をこう…『サササッ』と足早に躱しますし、片手で撥ね除けたり受け止めたりもするんです。だから私もつい、本気になってしまって…久し振りに沢山、汗を掻いてしまいました」
タツゑは身振り手振りで、アヤメの動きを説明する。
「あら、そうなの。凄いのねぇ…。お父さんはどうかしら?」
濱子が鉉造に尋ねる。
「…そうだな。アヤメは儂が庭仕事をしているのが気になるのか、庭にある植物の名前や世話の仕方を調べては時々、儂に確認しに来おったわい」
「あ、そうだわ。アヤメちゃんが『植物の知識量を増やしたい』なんて言うものだから、『書庫にある本の一部だったら、自由に読んで良い』と許可したのよ」
「そうか。まあ…そういう風に造られた人形だから仕方無ぇが、手が空いてる時にやって来ては『手伝わせてほしい』と、しつっこくてなぁ。いくら断っても帰らねぇで、儂が手入れしているところを『ジィッ』と見てやがる。アヤメも庭の植物は粗方覚えちまったし、力もあるようだしな。少しぐれぇなら、手伝わせてやっても良いかもしれねぇな」
「ほら、数仁さん。充電さえ怠らなければ、問題無いようですわ。他のお人形だって、充電しなければ動かないのは同じことでしょう?アヤメちゃんは自分で学習する能力も備わっているようですし、同じ失敗を繰り返す可能性も低いのではないかしら?」
「う~ん…」
数仁が腕を組み、カイゼル髭の両側を右手の親指と人差し指で交互に摘まみ、整えながら逡巡している。
「おい。いい加減、入って来ねぇか」
今まで普通の声量で話していた鉉造が、目線は自分の足元を見据えたまま、嗄れた声を張り気味にして呼びかけた。
(続)
滉月家の屋敷では、故郷で骨休めした使用人達が午前中に次々と戻り、午後には通常業務をこなしていた。
一方、貿易会社社長である数仁は新年の仕事始めに、社員総出の安全祈願祭を執り行った。
海外への出張が多い仕事柄、船旅の安全を願っての、毎年欠かせない行事である。
そちらの時間が終了すると、新年会へと移行され、夜まで長引かせず早めに解散する。
その後、数仁は一件のパーティーに参加したが、夜の九時過ぎには帰宅した。
「何だって?アヤメが充電を忘れた!?」
数仁が驚きの声を上げ、途端に不快の表情を見せる。
「ええ」
濱子が頷く。
居間の暖炉近くに設置された三人掛けソファに数仁と濱子、その左右斜向かいの一人掛けソファにそれぞれ、鉉造と蕗が座っている。
櫻子は、二階の自室で就寝している。
アヤメも櫻子の部屋だ。ここ数日は毎晩、櫻子がベッドの中で眠りにつくまで見守り、それから深夜の見回りをする。
数仁は新年会とパーティーで酒を呑んではいるものの、昨夜に比べたら顔も然程赤くもなく、酔っている様子も無い。
帰宅後に入浴し、今はシルクのパジャマにガウンを羽織り、足を組んで座っている。
女性使用人の「タツゑ」が、温かい紅茶を淹れた椀皿を、数仁から順に配ってゆく。
数仁は眉間に皺を寄せたまま、椀皿と一緒に置かれた広口瓶から、蜂蜜を絡めた金柑を掬って、紅茶に沈める。
普段はコーヒーもブラックを好む数仁だが、今月はパーティーに参加して歌を披露したり、大勢の人間と会話する予定が多いため、喉のケアを怠らない。
ティースプーンで掻き混ぜてから、胸元までソーサーを持ち上げる。そこからカップのハンドルを摘まみ、一口飲んだ。
「それなのに今日、小林君達にアヤメを引き取ってもらわなかったのかい?」
年末に話し合った通り、倪門研究所の冬休みが明けて早速、所員の小林と黒川がアヤメの点検をするため、昼間に滉月家を訪問していた。
「今日の点検でも、異常は見つかりませんでしたから。勿論、小林さんと黒川さんには時間をかけて、小さな見落としも無いよう隅々まで確認して頂きましたわ」
「しかし…実際には、充電を忘れて動けなくなっているじゃないか。その話は二人にちゃんと伝えたのかい?」
数仁は苛立ちを抑えるように、カイゼル髭の片側だけを摘まんで整えている。
「ええ。小林さんも黒川さんも、とても驚いていらっしゃいましたわ。正しく発音出来ない言葉を充電を忘れるほどまで毎晩、ひたすらに練習していたんですから。研究所で試験した時は決められた動作を、ある程度実行させてみて、出来る仕事と出来ない仕事を判断していたそうなの。その後は、出来る仕事だけを伸ばす方に重点を置いて、訓練させていたんですって。ですから、『発音出来ない言葉を、こんなに諦めずに練習するとは思わなかった』って、仰っていましたわ」
「ああ…、そうかい…。…ん?いやいやいや、問題はそこじゃないだろう。いいかい、濱子。あの人形は、深夜の見回り中に動けなくなったんだぞ?それがどれだけ家族を危険に晒すことか、賢い君なら解らないわけじゃないだろう?」
「勿論ですわ、あなた。確かに…アヤメちゃんは決して、してはならない失敗をしました。もしもあの時、『何者かが浸入していたら…』と想像すると、私も『ゾッ』としますわ」
「ああ、その通りだ。だから出来損ないは、さっさと返品して別の人形と取り替えた方が良い。僕も倪門の研究所には、かなりの額を投資してるんだ。遠慮する必要は無い」
「いえ、あなた。遠慮では無くて櫻子が…、アヤメちゃん自体をとても気に入っていて、研究所に返すことを嫌がっていますの」
「櫻子が?はっはぁ~ん…。だから昨夜、櫻子の様子がおかしかったんだな?」
「ええ。もし、アヤメちゃんを研究所に返してしまったら、別のお人形を交換して頂いたとしても、櫻子が悲しむことに変わりは無いと思いますの」
「そんなもの…、あれだよ。櫻子に何か用事でも言い付けて、居ない時に別のと取り替えてしまえば良いじゃないか。どうせ『弐号』も『参号』も同じ顔なんだ。黙っていれば、判りゃしないよ」
「あら、あなた…。それはいけませんわ。その場凌ぎでそんなことをして、もし後で櫻子が知ってしまったら、きっと酷く傷付きます。下手をしたら、私達と櫻子の信頼関係にも罅が入ってしまいますわ」
「罅って…、そんな大袈裟な…。ほら濱子、こうすれば良い。櫻子が戻るまでに、別の人形に『アヤメ』と名付けて、僕達全員の名前も記録させて…。まあ多少、前の人形と会話の辻褄が合わなくても、皆で適当に誤魔化せば、そのうち慣れるさ。蕗さんもタツゑも滉月家で長年、勤めてるんだ。口は堅いだろう、なあ二人共?」
数仁がソファに座る蕗と、その横でお盆を脇に抱え、直立して控えているタツゑを、交互に見る。
蕗とタツゑは、微苦笑を数仁に向けて、小さく頷いた。
「私は反対ですわ。『黙って済む』と仰るのでしたら…、アヤメちゃんが充電を忘れたことを、数仁さん。あなたに黙っていることだって、出来ましたのよ。でも私は、あなたに隠しごとなんて絶対にしたくないですし…、大切に想っている数仁さんを適当に誤魔化して、信頼を裏切るようなことも決して、したくありませんもの。万が一…、それが『数仁さんの命に関わる』という場合でしたら、また話は別ですけれど…」
「濱子…」
厳しかった数仁の表情が、一気に緩む。
「それは僕だって同じさぁ。僕はねぇ、留守中に君達に害が及んだらと思うと、気が気じゃないんだよぉ」
濱子が自分の太股に重ねている両手の甲を、数仁が右手を伸ばして上から優しく握る。
「半年前も…泥棒が敷地内に浸入して、窓を抉じ開けようとしたんだろう?それを丁度、庭にいた鉉さんが見つけて怒鳴ったのを、驚いた泥棒が飛びかかって格闘したもんだから、鉉さんも腰を痛めてしまったんじゃないかぁ」
「ええ、そうでしたわね。あの時は怒鳴り声を聞き付けた、タツゑちゃんも駆け付けてくれて、泥棒を捕まえることが出来て…」
「いいえ、奥様。私が庭に駆け付けた時には、すでに鉉さんが取り押さえていらっしゃいました。ただ…泥棒が、隠し持っていた刃物を取り出そうとしていたので、私はその手を打っただけです」
タツゑが凜とした佇まいで、冷静に説明する。
タツゑは幼少期から薙刀の道場に通っており、男性相手にも劣らぬ腕前だ。それを数仁に買われて、滉月家に住み込みで働いている。
現在まで夜間の見回りは、蕗以外の若い女性使用人達が交代制で行っていた。タツゑは、その中でも週の大半を担当している。
今も数仁達は寝巻き姿だが、アヤメと共に今夜も見回りをするため、タツゑだけは長い髪を頭頂部で一つに結び、白い胴着に紺色の袴姿だ。
「まあ、怖い。それは初耳よ?もう…二人共、そんな物で怪我なんてしなくて、本当に良かったわ」
「はい。仰る通りです、奥様」
濱子も蕗も心配そうな表情で、鉉造とタツゑを交互に見る。
「ああ、全くだ。幸い、大事には至らなかったからぁ、良かったようなものの…出張中に手紙で知った時には、すぐにでも飛んで帰りたかったんだぞぉ!」
数仁は濱子の肩を抱き寄せ、おでこや頬に「チュッ、チュッ」と接吻する。
鉉造は娘夫婦から目を逸らし、口を半開きにして白けた表情で、「ポリポリ」と人差し指で頬を掻く。
蕗とタツゑも顔を見合わせ、苦笑いしている。
「あなた」
濱子が優しく諭すように声をかけ、数仁の胸に手を当て互いの体を少し離す。
「数仁さんが私達のために、いつも尽力して下さっていることは重々承知していますし、心から感謝していますわ。アヤメちゃんも私達を守るために、倪門さんにお願いして造って頂いたのでしょう?」
「いやまあ、それは…僕が必要としている物と、アイツのやりたい研究が合致したから、実現した訳なんだが…」
「ええ。でも、アヤメちゃんが来てくれたおかげで、タツゑちゃんにも年末年始にお休みを取らせてあげることが出来ましたわ」
お盆や年末年始の連休中は、どこの家も帰省や旅行で留守が多くなる。数仁の友人や知人、滉月家の近所でも何軒か富裕層の屋敷が狙われて、盗難の被害に遭っている。
濱子が病に罹ってから滉月家は家族旅行を控えているが、運転手や使用人達が休暇で居なくなると、屋敷も静かになる。
とは言え実際、数仁が屋敷で過ごす時は発声や歌を練習していたり、レコードを掛けて音楽が流れていたりするので、日中はそれほどでも無いのだが。
それでも夜間や就寝中に留守と勘違いされ、屋敷に浸入されるのを防ぐため、去年まで連休中は蕗だけでなく、タツゑにも休みをずらす形で滉月家に残ってもらっていた。
しかし昨年、タツゑのために濱子が計らった縁組みが纏まり、滉月家に奉公してから初めて年末年始の休暇を与えてもらい、結婚相手と共に双方の実家に挨拶してきたのだった。
「タツゑちゃんも…この春には嫁いで、滉月家から居なくなってしまうんですから…。これまで数仁さんの留守中も、しっかりと夜間の見回りをして真面目に働いてくれたけれど、『もし浸入者と遭遇して、タツゑちゃんが私達を守るために犠牲になってしまったら…』。そんな…余計なことを考えてしまって、ずっと心配でしたもの…。今まで無事でいてくれて…私も安心して、旦那様にお嫁入りさせてあげられますわ」
「奥様…」
タツゑが濱子の言葉を聞いて、涙を浮かべる。
「小林さんから伺ったお話では、アヤメちゃんは頑丈な素材で造っているから、浸入者が斬りつけてきても刃物の方が刃毀れしてしまうそうですし、固い棒や鈍器などで繰り返し衝撃を受けたとしても充分、耐えられるそうですわ」
「ああ。あの人形を製造するに当たって、企画段階から僕も参加したのさぁ。『家族を確実に守れるように、どんな攻撃にも耐えうる人形を造ってくれ』と、倪門や小林君達には何度も念押ししたからねぇ」
数仁が自慢気に語る。
「まあ、そうでしたの…。ありがとう、あなた。やっぱり、数仁さんは頼もしい男性ですわ」
濱子は数仁の右手を握って、微笑みかける。
「いやあ…。僕は、この家の主なんだ。それくらい、当然のことさあ」
数仁は照れ臭さを隠すように、大袈裟に空いている左手を高く振って、力説した。
「数仁さんが色々と考えて下さったんですもの。アヤメちゃんが居てくれれば、これからは私達家族だけでなく、滉月家で働いてくれている皆の危険も回避出来ますわね」
「うん…。だが…どれだけ頑丈に造ったとしても、肝心の充電を忘れてしまっては本末転倒だ。やはり返品した方が良くないか?それに、別の人形に交換するなら早く決めてしまわないと…、他にも研究所に投資してる人間がいるからねぇ。次の予約者に『弐号』や『参号』が渡ってしまうよ?」
「数仁さんの心配も、よく解りますわ。けれど…アヤメちゃんも、何が原因で充電を忘れてしまったのか自分で把握して、きちんと反省もしています。それならば…まだ、改善の余地があると思いますの。アヤメちゃんが我が家に来てから…ひい、ふう、み…」
濱子が指折り、数える。
「十日?ちゃんと働き始めたのは…今日で、十一日目ですわね。やっぱりお人形ですから、蕗さんやタツゑちゃんみたいに、器用に全ての家事はこなせませんけれど…。それでもこの短期間で、アヤメちゃんは我が家の遣り方を沢山、覚えましたわ。ねぇ、蕗さん?」
「はい、奥様。初めの…何日かは多少、ぎこちないところも御座いましたが、きちんと教えれば簡単な作業でしたら、すぐに覚えてくれました。今では…料理を運んで並べる作業も任せられますし…、一緒に後片付けも出来るので、早く済ませられますねえ」
ソファに浅く腰掛け、数仁と濱子の会話を柔和な表情で聞いていた蕗が、長閑やかな口調で答える。
「それに、えぇ~と…あれは大晦日でしたかねえ?食器棚の上に置いた箱を取ろうと、踏み台に乗った時に…うっかり、足を滑らせてしまったんですけど…」
「えっ!?」
濱子とタツゑが声を上げ、一同が気遣うような表情で蕗を見る。
「アヤメちゃんが、後ろから私を抱えてくれまして…」
蕗が胸に手を当て、「ハァ~ッ」と大きく溜め息を吐いてから話を続ける。
「おかげで…落ちて、頭や腰を打たずに済みました」
「まあ、蕗さん!それも初耳よ?もう…蕗さんも真面目に働いてくれるのは有難いけれど…、無理だけはしないでちょうだいね?」
濱子が前のめりになって、蕗に語りかける。
「そうだよ、蕗さん。蕗さんの旨い和食が食べられなくなったら、僕も困るからねぇ」
「はい、ありがとうございます。旦那様、奥様。これからは気を付けますので、そんなにご心配なさらないで下さい。ハァ…。それにしても…、アヤメちゃんは体が小さい割りにずいぶんと、力持ちなんですねえ。私の体も、軽々と持ち上げてしまうんですから」
「そうですね」
タツゑが相槌を打つ。
「それに動きも速いです。私も今日、仕事始めの肩慣らしに薙刀の相手をしてもらったのですが、アヤメちゃんは私の攻撃をこう…『サササッ』と足早に躱しますし、片手で撥ね除けたり受け止めたりもするんです。だから私もつい、本気になってしまって…久し振りに沢山、汗を掻いてしまいました」
タツゑは身振り手振りで、アヤメの動きを説明する。
「あら、そうなの。凄いのねぇ…。お父さんはどうかしら?」
濱子が鉉造に尋ねる。
「…そうだな。アヤメは儂が庭仕事をしているのが気になるのか、庭にある植物の名前や世話の仕方を調べては時々、儂に確認しに来おったわい」
「あ、そうだわ。アヤメちゃんが『植物の知識量を増やしたい』なんて言うものだから、『書庫にある本の一部だったら、自由に読んで良い』と許可したのよ」
「そうか。まあ…そういう風に造られた人形だから仕方無ぇが、手が空いてる時にやって来ては『手伝わせてほしい』と、しつっこくてなぁ。いくら断っても帰らねぇで、儂が手入れしているところを『ジィッ』と見てやがる。アヤメも庭の植物は粗方覚えちまったし、力もあるようだしな。少しぐれぇなら、手伝わせてやっても良いかもしれねぇな」
「ほら、数仁さん。充電さえ怠らなければ、問題無いようですわ。他のお人形だって、充電しなければ動かないのは同じことでしょう?アヤメちゃんは自分で学習する能力も備わっているようですし、同じ失敗を繰り返す可能性も低いのではないかしら?」
「う~ん…」
数仁が腕を組み、カイゼル髭の両側を右手の親指と人差し指で交互に摘まみ、整えながら逡巡している。
「おい。いい加減、入って来ねぇか」
今まで普通の声量で話していた鉉造が、目線は自分の足元を見据えたまま、嗄れた声を張り気味にして呼びかけた。
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それはそれはものすごく‥‥‥
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でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
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