アヤメちゃん

胡花宝 愛芽

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第ニ章「アヤメちゃん、奮闘中」

第ニ話「家族の歴史を聞いてもらいましょう ②」

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「素敵でしょ?素敵でしょ?きゃっ」

 アヤメに膝立ひざだちで抱きついたまま、櫻子が体をらす。
 前から抱かれているアヤメの身体も、その反動で「ユサユサ」と前後左右に揺れている。だが一緒に倒れて櫻子を怪我けがなどさせないようおのれしんは保ちつつ、半分は櫻子のちからにその身をまかせながら「パチッパチッ」と、アヤメは瞬きだけを繰り返す。    

 やっと、アヤメから手を離した櫻子は腰を下ろした。

「んふっ。その頃には二人共、学校を卒業して働いていたんだけどね、そこも辞めて誰にも見つからないような遠い場所に、小さなお部屋を借りたの。その場所で新しい仕事も見つけて、二人でつつましく暮らしていたのよ」

 櫻子は湯呑みを両手に持ち、緑茶を一口飲んだ。

「はぁ…。英嗣えいじお祖父ちゃまには、『忠徳ただのりさん』っていう弟がいてね…」

 一息ついた櫻子は湯呑みを置いて、再び語り始める。

「『亜里倉ありくら家の家督かとくは、弟がげば良い。そのためにも自分は二度と、亜里倉家とは関わりを持っちゃいけない』って、ずっと家族と会わなかったの。二人共…家族や親戚、お友達にも誰にも居場所を知らせなかったのよ。でもね…」

 アヤメに目を合わせていた櫻子が、鉉造に視線を移す。

「鉉さんだけはすぐに、二人の居場所を探しだしたの。だけど反対したり連れ戻すこともしないで、園子そのこお祖母ちゃまに仕送りしてあげてたのよ。ねっ、鉉さん?」
「お前は…。ここで、その話をするのは何度目だ?」

 鉉造があきれたように言う。

「学校の友達が初めて遊びに来るたんびに、おんなじ話をしおって…」

 鉉造の前の炉縁ろぶちには、完成した紙撚こよりが山のように積まれていた。

「だってぇ、本の中のお伽噺とぎばなしじゃないわ。本当にあった大恋愛のお話よ?しかも、その人物が私のお祖父ちゃまとお祖母ちゃまだなんて…」

 櫻子は両手の平を合わせて右頬に当て、首を傾ける。

「はあ~っ、駆け落ちなんてロマンチックだわ~」

 目蓋を閉じて一人、感慨かんがいふける櫻子。

「ふん。現実は、浪漫ろまんくそぇぞ」

 鉉造は煙草盆たばこぼんの引き出しを「きしり」と開けると、片手で紙撚の山をつかみ取り、「ゴッソリ」と中に仕舞った。

「そんなこと無いわ。英嗣お祖父ちゃまと園子お祖母ちゃまは身分の差を乗り越えて、二人の愛をつらぬいたのよ。駆け落ちした後だって…生活は貧しかったけど、ずうっと仲良しだったんだから。こういうのを、『海誓山盟かいせいさんめい』って言うのよ。もしもその場にいたら、私だって二人を応援して協力するわ」
「はあぁ~っ、櫻子」

 鉉造が溜め息をく。

「お前は一体、どこからそんな小難こむずかしい言葉を覚えてきた?…生意気、言いおって」

 鉉造が呆れ顔で炉縁から身を乗り出し、人差し指で櫻子のおでこを突っついた。
 櫻子は、おでこをさすって口を尖らせる。

「英嗣様ト、園子様ノ、貴重キチョウ大恋愛ダイレンアイノ、御話オハナシ、アヤメニ御聞オキカセ頂キ、光栄コウエイナノデス」
 
 アヤメが櫻子に会釈する。

「何だ。お前は恋愛が、どういうもんか解るのか?」

 鉉造が腕組みし、「しげしげ」と興味深げにアヤメを見る。

「ハイ。アヤメガ拝読ハイドクシマシタ、書物ショモツニハ、ヨウニ、記載キサイサレテオリマシタ。『恋愛トハ、特定トクテイノ、御相手オアイテヲ、シタウ事デ、ル』」
「ほぉー、なるほどのぉー」

 鉉造が目を細め、一本調子いっぽんぢょうしで答える。

「んもう。鉉さんったら、茶々ちゃちゃ入れないでっ。まだ続きがあるんだからあ。アヤメちゃんには、きちんと我が家の歴史を聞いてもらいたいの」
「それなら櫻子。続きは、あっちでやってくれんかのう?」

 鉉造が「クイッ」と、櫻子の住む本宅ほんたくの方向にあごを動かす。

わしは、ちょっくら銭湯に行ってくらあ」

 言いながら、鉉造は立ち上がる。

「銭湯って…、今日は夕方から雪が降るって聞いたわ。お外は寒いんだから、内風呂うちぶろに入れば良いのにぃ」

 櫻子は腰を上げて、膝立ちになる。櫻子と鉉造を交互に見てから、アヤメは炉縁に両手をついて立ち上がった。
 鉉造は土間に降りて棚から木桶きおけを取ると、その中に手拭いや石鹸を入れてゆく。
 
「あんまり長湯しないで、お夕飯までには戻ってきてね」

 櫻子も立ち上がって、土間側の畳のきわまで歩いて行く。

「お風呂の後に、お友達と囲碁いごなんてしちゃいやぁよ。明日は新年会だし、お父様も来週には海外出張なんだもの。今夜は、皆でそろって食べたいんだからあ」
 
 櫻子は鉉造に話しかけながら、「ピョンピョン」とねる。
 アヤメも櫻子の隣に立つ。アヤメは飛び跳ねることは出来ないのだが、櫻子の真似をしようと両手を下に「ピン」と伸ばし、その場で「ピョコピョコ」とかかとの上げ下ろしをして、まるでペンギンのような格好になっている。

「解っとる」

 鉉造は左腕に木桶を抱えて、櫻子のそばに行く。
 そして大きな右手を広げて、「ガッ」と櫻子の頭を真上から掴むと「グルグル」と回す。櫻子の頭から手を離すと続けて、アヤメの頭も同じように「グルグル」と回した。

 
    *   *   *


 鉉造の住居は、以前の持ち主が客室として使用していた離れを、鉉造と紗冬の夫婦が気兼きがねなく生活出来るようにと、数仁が改築したものだ。
 滉月家の屋敷には家族用の浴室があり、鉉造の住居にもえられている。
 だが鉉造は、ほとんど銭湯を利用している。理由は湯船が広くて体が伸ばせるし、鉉造と同年代の職人達が集まるからだ。
 紗冬が亡くなってからは、銭湯で入浴した後に気の合う職人宅に寄って、酒をわしながら囲碁や将棋を夜更けまで楽しむことも少なくない。
 だがそれも数仁が海外出張から帰り、屋敷から会社に出勤する時期だけのことだ。

 「超」がつくほどの愛妻家である数仁は、海外出張で家を空けている間の濱子のことを、非常に心配している。勿論もちろん、櫻子のことも同様だ。 
 結婚前も他の男性が濱子に言い寄ってきたり、夜道などで危険な目にわないように、外出時には椴部たんべ家の門前かどさきに数仁の専用車を送迎そうげいさせ、女性の警護けいごまで同乗させていたほどだ。
 濱子と結婚して新居となる、この屋敷に越してからも、近所に豪邸ごうていが多く建ち並んで警察署も近在きんざいしているのを利用し、数仁が代表となって町ぐるみで夜間の警官の見回りを強化してもらっている。
 可能ならば敷地内や屋敷の中も防犯に備え、腕の立つ男性をやとい警護させたいところではあるのだが、その男性自体が信頼にる人物かという懸念けねんさえ感じてしまうのが、数仁だ。
 そのため、滉月家の使用人は運転手以外全員、女性を雇用こようしている。使用人を雇用する際も、身元みもと入念にゅうねんに調査して決める。大抵は学校を卒業したばかりの若くて体力があり、純朴じゅんぼくな性格の子が選ばれる。
 そして滉月家の女性使用人は皆、濱子と櫻子及び滉月家の財産を守るべく、薙刀なぎなた修得しゅうとく必須ひっすとされているのだ。

 だが、それだけでは数仁も安心するには物足りなかった。 
 そこで「鉉造と紗冬に同居してもらおう」と、数仁は考えた。
 鉉造は子供の頃から喧嘩けんかが強く、学校でもガキ大将のような存在で、学生時代は柔道や剣道など一通ひととおりの武道も経験した有段者でもあった。
 警護とはいえ、他人の男が滉月家を「ウロウロ」とするよりは、濱子の身内に守ってもらうのが一番の安心だという結論にいたったのだ。
 
 新居は鉉造夫婦が住む家の隣町にあり、濱子の結婚後も行き来が可能な場所であったので、「わざわざ同居する必要が無い」と当初、鉉造夫婦は同居をこばんでいた。それは数仁の実家である滉月家に対する気遣きづかいでもあった。
 濱子も「わざわざ慣れ親しんだ下町から離れさせて、父と母の生活をくずしたくない」という思いもあり、同居を強く勧めることはしなかった。
 それに滉月家の門扉もんぴ、敷地内の建物にある全ての戸口とぐちや窓には、最新の厳重なかぎが取り付けてあり、数仁が居る間や留守中に関わらず毎晩、使用人が手分けして戸締とじまりを徹底てっていしている。
 ずっと下町で育ってきた濱子も、それで十分じゅうぶんだと思っていた。

 だから櫻子が産まれてからも、鉉造夫婦は同居しなかった。
 鉉造も仕事をしていたので数仁が出張の間だけ、離れの住居に滞在たいざいするようにしていた。
 
 しかし櫻子が八歳になると、濱子が病にせるようになってしまった。
 濱子の看病や子育ての手伝いをしたいという紗冬の思いと、心配性の度合いが増してきた数仁のたっての願いで、鉉造夫婦も長年住んでいた下町から、滉月家の離れへと移り住むことになったのである。
 
 鉉造は離れから植木の仕事に通い、紗冬は屋敷に通って濱子と櫻子のそばで過ごしていた。
 だが一昨年の夏に突然、紗冬が倒れてしまった。その後、ほぼ寝たきりの状態になってしまった紗冬の世話をすべく、鉉造も半分は隠居暮いんきょぐらしという名目めいもくで、顧客こきゃくの大半を弟子達に引き継がせた。

 紗冬はそれから、半年ほど経って亡くなった。
 現在、鉉造は長年の付き合いがある顧客の所へ植木仕事に行く以外は、滉月家の庭を自由に手入れしたり、屋敷内の力仕事や敷地内の見回りなどをして毎日を過ごしている。




(続)
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