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第ニ章「アヤメちゃん、奮闘中」
第三話「家族の歴史を聞いてもらいましょう ③」
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離れから庭に出ると、「ちらほら」と細かい雪が降っていた。
鉉造は銭湯へ行き、櫻子はアヤメと手を繋いで本宅の屋敷へと続く敷石の道を歩いていた。
「それでね、アヤメちゃん」
櫻子は、英嗣と園子の話を再開していた。
空いている方の手の平を、櫻子は上に向ける。そこに薄墨色の雲から「はらり」、と一粒の雪が舞い降りて、儚く消えてゆく。
「英嗣お祖父ちゃまの立ち上げた会社が軌道に乗って、狭い一間から小さな貸家にお引っ越しして家族三人、幸せに暮らしていたの。でも…園子お祖母ちゃまが病気になってしまって…」
「はらりはらり」と雪の粒が手の平に触れては、溶けてゆく様子を愛でながら語り続ける櫻子の口調は、悲しげに変化してゆく。
「おはあさまが十歳の時に、亡くなってしまったの。おはあさまも英嗣お祖父ちゃまもとっても悲しんで、いっぱい泣いたのよ…」
表情も哀愁に満ちている。
アヤメは櫻子の顔に視線を合わせて頷きつつ時折、周囲に目を配りながら、黙って話に耳を傾ける。
「そんな時、亜里倉家の執事が英嗣お祖父ちゃまに会いに来てね、こう言ったの」
自分の手の平を見つめ、瞳を潤ませながら昔話を語っていた櫻子が、アヤメの顔を見る。
「『旦那様が選んだ女性と再婚すれば、旦那様も奥様も全て水に流して、亜里倉家に戻ることをお許しになるそうです。どうか、旦那様に従って下さい』」
再び、櫻子が眉間に皺を寄せて声色を低く変え、執事風な言い方をする。
「あっ、この執事が言ってる『旦那様と奥様』っていうのは、英嗣お祖父ちゃまの『お父様とお母様』のことね」
急に櫻子の表情と声が、素に戻る。
「ハイ、理解シマシタ」
アヤメが頷く。
「でもね、アヤメちゃん」
櫻子の歩みが止まった。それに合わせて、アヤメも歩行を停止する。
櫻子は「キッ」と、空を見上げる。
「『僕の妻は生涯、園子だけだ。例え亜里倉家に戻ったとしても、きっと濱子も幸せにはなれない』」
英嗣になりきったつもりで「ハキハキ」と、まるで舞台男優の台詞のように凛々しく喋る櫻子。
「そう言って、英嗣お祖父ちゃまはその申し出を、きっぱりと断ったのよ!」
櫻子は誇らしげな表情で、アヤメに瞳を合わせた。
「その後も何度か執事が説得にやって来たんだけど、英嗣お祖父ちゃまの気持ちは決して揺るがなかったわ。亡くなるまで二度と、亜里倉家の敷居は跨がなかったの。『娘が寂しい思いをしないように』って、お家も鉉さん家のすぐ近くに引っ越したのよ」
櫻子が胸を張って歩き出す。アヤメも歩を進める。
「その頃にはもう、英嗣お祖父ちゃまと鉉さんも本当の兄弟みたいに仲良くなっていてね、お互いのお家を毎日のように、行き来してたんですって。おはあさまも学校から帰ると、英嗣お祖父ちゃまのお仕事が終わるまで、鉉さんのお家で過ごしたの」
* * *
園子の入院中、英嗣は病院の近くに部屋を借り、仕事の合間も病室へ通い続けていた。仕事で帰宅が遅くなる日や数日間、出張しなければならない時は、鉉造夫婦が快く濱子を預かった。
鉉造夫婦とは、濱子が産まれた時から頻繁に会っていたこともあり、濱子も二人には懐いていた。
園子はよく、「濱子には勉学でも家事でも、なるべく多くを習得して、成人したら自由に生きていってほしい」と、紗冬に話していた。
園子が亡くなった後、紗冬は園子の遺志を継ぎ、濱子に料理や掃除など家事の手伝いをさせ、習い事もやらせていた。
だがそれ以上に、紗冬は濱子をとても可愛がった。
鉉造と紗冬には子供ができなかったため、紗冬は濱子を我が子のように接していたのだ。
園子が亡くなってから数年、英嗣と濱子は鉉造夫婦の助けを借りながら、父子二人で平穏に暮らしていた。
ところが濱子が十四歳の時に英嗣も過労で倒れ、そのまま亡くなってしまった。
両親を失った濱子を、鉉造と園子は「自分達で育てる」と迷いなく決めていた。
だが英嗣は事業で一財産、築いていた。
それを嗅ぎつけたのか、亜里倉家が「濱子を養子にしたい」と頻りに要求してくるようになった。
華族という家柄を考慮すれば、濱子が亜里倉家の養子になるのは悪い話では無いだろう。しかし英嗣から聞かされていた家庭環境は、寂しく孤独なものだった。
濱子が亜里倉家の養子になったとしても、英嗣の遺産を握られ、大した愛情も与えられず、政略結婚の道具にされるであろうことは予想できた。
だから鉉造も紗冬も、その要求を頑として拒否した。
英嗣も万が一の時を見越していたのか、生前から遺言書を作成していた。
英嗣の遺産は濱子に相続させるが、その一部は鉉造夫婦に譲り、濱子を引き取ってもらうことを望む内容だ。
濱子本人も亜里倉家ではなく、鉉造と紗冬を選んだ。
それから数仁と結婚するまで、濱子は椴部家の娘として下町で過ごした。
遺産の一部を譲り受けたものの、鉉造も紗冬も贅沢は好まず、濱子の成長に必要なものも含めて、鉉造の収入のみで生活していたし、自分達のために一銭も使いはしなかった。
その一部は結局、濱子の高額な学費に充てられただけだった。
その鉉造と紗冬の、濱子に対する無償の愛情や、金銭に対する堅実さが、「鉉造夫婦と同居したい」と、数仁に思わせるほどの絶大なる信頼感にも結び付いていた。
* * *
庭園の道筋を通り抜けて、櫻子とアヤメは本宅の屋敷に近づいて来た。
居間の出窓から、レースのカーテン越しに灯りが漏れている。隣に続く濱子の部屋も灯りが点いており、大きな窓のカーテンを開け放ち、数仁と濱子が寄り添い微笑みながら、櫻子に手を振っている。
「あっ、アヤメちゃん。見て見て。お父様とおはあさまが手を振っているわ」
屋敷の方を、櫻子が指差す。
「何カ、御用デショウカ?アヤメガ、早足歩行デ、確認シテ参リマショウカ?」
「ううん」
櫻子は首を左右に振る。
「一緒に行きましょう、アヤメちゃん。こうゆう時はね、こうするのよ」
アヤメと手を繋いだまま、「ニッコリ」と櫻子は笑い、もう片方の手を高く上げ、数仁と濱子に向かって大きく振り返した。
(続)
鉉造は銭湯へ行き、櫻子はアヤメと手を繋いで本宅の屋敷へと続く敷石の道を歩いていた。
「それでね、アヤメちゃん」
櫻子は、英嗣と園子の話を再開していた。
空いている方の手の平を、櫻子は上に向ける。そこに薄墨色の雲から「はらり」、と一粒の雪が舞い降りて、儚く消えてゆく。
「英嗣お祖父ちゃまの立ち上げた会社が軌道に乗って、狭い一間から小さな貸家にお引っ越しして家族三人、幸せに暮らしていたの。でも…園子お祖母ちゃまが病気になってしまって…」
「はらりはらり」と雪の粒が手の平に触れては、溶けてゆく様子を愛でながら語り続ける櫻子の口調は、悲しげに変化してゆく。
「おはあさまが十歳の時に、亡くなってしまったの。おはあさまも英嗣お祖父ちゃまもとっても悲しんで、いっぱい泣いたのよ…」
表情も哀愁に満ちている。
アヤメは櫻子の顔に視線を合わせて頷きつつ時折、周囲に目を配りながら、黙って話に耳を傾ける。
「そんな時、亜里倉家の執事が英嗣お祖父ちゃまに会いに来てね、こう言ったの」
自分の手の平を見つめ、瞳を潤ませながら昔話を語っていた櫻子が、アヤメの顔を見る。
「『旦那様が選んだ女性と再婚すれば、旦那様も奥様も全て水に流して、亜里倉家に戻ることをお許しになるそうです。どうか、旦那様に従って下さい』」
再び、櫻子が眉間に皺を寄せて声色を低く変え、執事風な言い方をする。
「あっ、この執事が言ってる『旦那様と奥様』っていうのは、英嗣お祖父ちゃまの『お父様とお母様』のことね」
急に櫻子の表情と声が、素に戻る。
「ハイ、理解シマシタ」
アヤメが頷く。
「でもね、アヤメちゃん」
櫻子の歩みが止まった。それに合わせて、アヤメも歩行を停止する。
櫻子は「キッ」と、空を見上げる。
「『僕の妻は生涯、園子だけだ。例え亜里倉家に戻ったとしても、きっと濱子も幸せにはなれない』」
英嗣になりきったつもりで「ハキハキ」と、まるで舞台男優の台詞のように凛々しく喋る櫻子。
「そう言って、英嗣お祖父ちゃまはその申し出を、きっぱりと断ったのよ!」
櫻子は誇らしげな表情で、アヤメに瞳を合わせた。
「その後も何度か執事が説得にやって来たんだけど、英嗣お祖父ちゃまの気持ちは決して揺るがなかったわ。亡くなるまで二度と、亜里倉家の敷居は跨がなかったの。『娘が寂しい思いをしないように』って、お家も鉉さん家のすぐ近くに引っ越したのよ」
櫻子が胸を張って歩き出す。アヤメも歩を進める。
「その頃にはもう、英嗣お祖父ちゃまと鉉さんも本当の兄弟みたいに仲良くなっていてね、お互いのお家を毎日のように、行き来してたんですって。おはあさまも学校から帰ると、英嗣お祖父ちゃまのお仕事が終わるまで、鉉さんのお家で過ごしたの」
* * *
園子の入院中、英嗣は病院の近くに部屋を借り、仕事の合間も病室へ通い続けていた。仕事で帰宅が遅くなる日や数日間、出張しなければならない時は、鉉造夫婦が快く濱子を預かった。
鉉造夫婦とは、濱子が産まれた時から頻繁に会っていたこともあり、濱子も二人には懐いていた。
園子はよく、「濱子には勉学でも家事でも、なるべく多くを習得して、成人したら自由に生きていってほしい」と、紗冬に話していた。
園子が亡くなった後、紗冬は園子の遺志を継ぎ、濱子に料理や掃除など家事の手伝いをさせ、習い事もやらせていた。
だがそれ以上に、紗冬は濱子をとても可愛がった。
鉉造と紗冬には子供ができなかったため、紗冬は濱子を我が子のように接していたのだ。
園子が亡くなってから数年、英嗣と濱子は鉉造夫婦の助けを借りながら、父子二人で平穏に暮らしていた。
ところが濱子が十四歳の時に英嗣も過労で倒れ、そのまま亡くなってしまった。
両親を失った濱子を、鉉造と園子は「自分達で育てる」と迷いなく決めていた。
だが英嗣は事業で一財産、築いていた。
それを嗅ぎつけたのか、亜里倉家が「濱子を養子にしたい」と頻りに要求してくるようになった。
華族という家柄を考慮すれば、濱子が亜里倉家の養子になるのは悪い話では無いだろう。しかし英嗣から聞かされていた家庭環境は、寂しく孤独なものだった。
濱子が亜里倉家の養子になったとしても、英嗣の遺産を握られ、大した愛情も与えられず、政略結婚の道具にされるであろうことは予想できた。
だから鉉造も紗冬も、その要求を頑として拒否した。
英嗣も万が一の時を見越していたのか、生前から遺言書を作成していた。
英嗣の遺産は濱子に相続させるが、その一部は鉉造夫婦に譲り、濱子を引き取ってもらうことを望む内容だ。
濱子本人も亜里倉家ではなく、鉉造と紗冬を選んだ。
それから数仁と結婚するまで、濱子は椴部家の娘として下町で過ごした。
遺産の一部を譲り受けたものの、鉉造も紗冬も贅沢は好まず、濱子の成長に必要なものも含めて、鉉造の収入のみで生活していたし、自分達のために一銭も使いはしなかった。
その一部は結局、濱子の高額な学費に充てられただけだった。
その鉉造と紗冬の、濱子に対する無償の愛情や、金銭に対する堅実さが、「鉉造夫婦と同居したい」と、数仁に思わせるほどの絶大なる信頼感にも結び付いていた。
* * *
庭園の道筋を通り抜けて、櫻子とアヤメは本宅の屋敷に近づいて来た。
居間の出窓から、レースのカーテン越しに灯りが漏れている。隣に続く濱子の部屋も灯りが点いており、大きな窓のカーテンを開け放ち、数仁と濱子が寄り添い微笑みながら、櫻子に手を振っている。
「あっ、アヤメちゃん。見て見て。お父様とおはあさまが手を振っているわ」
屋敷の方を、櫻子が指差す。
「何カ、御用デショウカ?アヤメガ、早足歩行デ、確認シテ参リマショウカ?」
「ううん」
櫻子は首を左右に振る。
「一緒に行きましょう、アヤメちゃん。こうゆう時はね、こうするのよ」
アヤメと手を繋いだまま、「ニッコリ」と櫻子は笑い、もう片方の手を高く上げ、数仁と濱子に向かって大きく振り返した。
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