アヤメちゃん

胡花宝 愛芽

文字の大きさ
29 / 39
第ニ章「アヤメちゃん、奮闘中」

第三話「家族の歴史を聞いてもらいましょう ③」

しおりを挟む
 離れから庭に出ると、「ちらほら」と細かい雪が降っていた。

 鉉造は銭湯へ行き、櫻子はアヤメと手をつないで本宅の屋敷へと続く敷石の道を歩いていた。 

「それでね、アヤメちゃん」 

 櫻子は、英嗣えいじ園子そのこの話を再開していた。

 空いている方の手の平を、櫻子は上に向ける。そこに薄墨色うすずみいろの雲から「はらり」、と一粒ひとつぶの雪が舞い降りて、はかなく消えてゆく。
 
「英嗣お祖父ちゃまの立ち上げた会社が軌道きどうに乗って、狭い一間ひとまから小さな貸家かしやにお引っ越しして家族三人、幸せに暮らしていたの。でも…園子お祖母ちゃまが病気になってしまって…」

 「はらりはらり」と雪の粒が手の平に触れては、溶けてゆく様子をでながら語り続ける櫻子の口調は、悲しげに変化してゆく。
 
「おはあさまが十歳の時に、亡くなってしまったの。おはあさまも英嗣お祖父ちゃまもとっても悲しんで、いっぱい泣いたのよ…」

 表情も哀愁あいしゅうに満ちている。
 アヤメは櫻子の顔に視線を合わせて頷きつつ時折ときおり、周囲に目をくばりながら、黙って話に耳を傾ける。 

「そんな時、亜里倉ありくら家の執事が英嗣お祖父ちゃまに会いに来てね、こう言ったの」

 自分の手の平を見つめ、瞳をうるませながら昔話を語っていた櫻子が、アヤメの顔を見る。
 
「『旦那様が選んだ女性と再婚すれば、旦那様も奥様も全て水に流して、亜里倉家に戻ることをお許しになるそうです。どうか、旦那様に従って下さい』」

 再び、櫻子が眉間に皺を寄せて声色を低く変え、執事ふうな言い方をする。

「あっ、この執事が言ってる『旦那様と奥様』っていうのは、英嗣お祖父ちゃまの『お父様とお母様』のことね」

 急に櫻子の表情と声が、に戻る。
 
「ハイ、理解シマシタ」

 アヤメが頷く。

「でもね、アヤメちゃん」

 櫻子の歩みが止まった。それに合わせて、アヤメも歩行ほこうを停止する。
 櫻子は「キッ」と、空を見上げる。

「『僕の妻は生涯しょうがい、園子だけだ。例え亜里倉家に戻ったとしても、きっと濱子も幸せにはなれない』」

 英嗣になりきったつもりで「ハキハキ」と、まるで舞台男優の台詞せりふのように凛々りりしくしゃべる櫻子。
 
「そう言って、英嗣お祖父ちゃまはその申し出を、きっぱりと断ったのよ!」

 櫻子はほこらしげな表情で、アヤメに瞳を合わせた。

「その後も何度か執事が説得にやって来たんだけど、英嗣お祖父ちゃまの気持ちは決してるがなかったわ。亡くなるまで二度と、亜里倉家の敷居しきいまたがなかったの。『娘が寂しい思いをしないように』って、お家も鉉さんのすぐ近くに引っ越したのよ」

 櫻子が胸を張って歩き出す。アヤメも歩を進める。
 
「その頃にはもう、英嗣お祖父ちゃまと鉉さんも本当の兄弟みたいに仲良くなっていてね、お互いのお家を毎日のように、行き来してたんですって。おはあさまも学校から帰ると、英嗣お祖父ちゃまのお仕事が終わるまで、鉉さんのお家で過ごしたの」


    *   *   *


 園子の入院中、英嗣は病院の近くに部屋を借り、仕事の合間も病室へ通い続けていた。仕事で帰宅が遅くなる日や数日間、出張しなければならない時は、鉉造夫婦がこころよく濱子を預かった。
 鉉造夫婦とは、濱子が産まれた時から頻繁ひんぱんに会っていたこともあり、濱子も二人にはなついていた。

 園子はよく、「濱子には勉学でも家事でも、なるべく多くを習得して、成人したら自由に生きていってほしい」と、紗冬に話していた。
 園子が亡くなった後、紗冬は園子の遺志いしぎ、濱子に料理や掃除など家事の手伝いをさせ、習い事もやらせていた。
 だがそれ以上に、紗冬は濱子をとても可愛がった。 
 鉉造と紗冬には子供ができなかったため、紗冬は濱子を我が子のように接していたのだ。

 園子が亡くなってから数年、英嗣と濱子は鉉造夫婦の助けを借りながら、父子おやこ二人で平穏に暮らしていた。
 ところが濱子が十四歳の時に英嗣も過労で倒れ、そのまま亡くなってしまった。
 両親を失った濱子を、鉉造と園子は「自分達で育てる」と迷いなく決めていた。

 だが英嗣は事業で一財産、築いていた。
 それをぎつけたのか、亜里倉家が「濱子を養子にしたい」としきりに要求してくるようになった。
 華族という家柄を考慮こうりょすれば、濱子が亜里倉家の養子になるのは悪い話では無いだろう。しかし英嗣から聞かされていた家庭環境は、寂しく孤独こどくなものだった。
 濱子が亜里倉家の養子になったとしても、英嗣の遺産を握られ、大した愛情も与えられず、政略結婚の道具にされるであろうことは予想できた。
 だから鉉造も紗冬も、その要求をがんとして拒否した。

 英嗣も万が一の時を見越していたのか、生前から遺言書を作成していた。
 英嗣の遺産は濱子に相続させるが、その一部は鉉造夫婦にゆずり、濱子を引き取ってもらうことを望む内容だ。 
 濱子本人も亜里倉家ではなく、鉉造と紗冬を選んだ。

 それから数仁と結婚するまで、濱子は椴部たんべ家の娘として下町で過ごした。
 遺産の一部を譲り受けたものの、鉉造も紗冬も贅沢ぜいたくは好まず、濱子の成長に必要なものも含めて、鉉造の収入のみで生活していたし、自分達のために一銭も使いはしなかった。
 その一部は結局、濱子の高額な学費にてられただけだった。
 
 その鉉造と紗冬の、濱子に対する無償むしょうの愛情や、金銭に対する堅実けんじつさが、「鉉造夫婦と同居したい」と、数仁に思わせるほどの絶大ぜつだいなる信頼感にも結び付いていた。 


    *   *   *


 庭園の道筋を通り抜けて、櫻子とアヤメは本宅の屋敷に近づいて来た。
 居間の出窓から、レースのカーテン越しに灯りがれている。隣に続く濱子の部屋も灯りが点いており、大きな窓のカーテンを開け放ち、数仁と濱子が寄り添い微笑みながら、櫻子に手を振っている。 

「あっ、アヤメちゃん。見て見て。お父様とおはあさまが手を振っているわ」

 屋敷の方を、櫻子が指差す。

ナニカ、御用ゴヨウデショウカ?アヤメガ、早足歩行ハヤアシホコウデ、確認カクニンシテ参リマショウカ?」
「ううん」

 櫻子は首を左右に振る。

「一緒に行きましょう、アヤメちゃん。こうゆう時はね、こうするのよ」
 
 アヤメと手を繋いだまま、「ニッコリ」と櫻子は笑い、もう片方の手を高く上げ、数仁と濱子に向かって大きく振り返した。




(続)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

N -Revolution

フロイライン
ライト文芸
プロレスラーを目指す桐生珀は、何度も入門試験をクリアできず、ひょんな事からニューハーフプロレスの団体への参加を持ちかけられるが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

処理中です...