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第1章「0(ゼロ)」
十話「知夏③」
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ユキは足をバタバタさせながら、お腹を抱えて爆笑していた。ユキの座っている椅子が、ガタガタと揺れる。
知夏が、ユキに対して膨らませていた思いを打ち明けたのだ。
そうしたら目の前のユキは顔をクシャクシャにして笑い、目からは涙が出ている。
こんなにユキが笑っているのを、知夏は初めて見た。
「なんだよぉ。お前、ずーっと俺のこと女だと思ってたのかぁ?」
笑い過ぎて苦しそうなユキが息を整え、徐々に落ち着いていく。
「まぁ…確かにしょっちゅう、そう見られるけどな。でもお前、此処に来てもう…一ヶ月だろぉ?てっきり俺が男だって、ちゃんと知ってんのかなって…クク…女って思ってんのに、そんなモン見りゃ、ビックリするよな…ククク…」
「やっぱり、ちがうの?」
「あ~の~なぁ~俺はぁ、男なの。だからぁ、知夏が見たモンもぉ、俺が男だからぁついてんの。得体が知れないデキモンとかじゃねぇし…ククク…」
「……」
「…どした?」
「じゃあ、どうしてお外に行くとき、女の子みたいになるの?ほかの〈おにいさん〉は、男の子のままだよ?女の子になりたいの?知夏、そーゆー人、知ってる。テレビで見たもん」
ユキ以外の男の子は、女の子用の衣装を着せられる頻度は少ない。メイクも肌を整える程度だ。
「あー、俺は違うね。ほら、下の『面会室』に来るオッサン達いるだろ?」
「…うん」
「そいつらがぁ、そーゆーの着て欲しいんだってさ。アホだろ?」
「…イヤじゃないの?」
「すっげえヤだ。化粧も面倒くせぇし。俺、服もカッコいいのが好きだし。でも此処じゃ、そいつらが選んだモンしか着れないからな」
「知夏も、いっぱいプレゼントもらったよ。お金もちのオジサンたちからの『きふ』なんでしょ?」
「…ああ」
「…知夏のパパが『かりたお金』も、ここのエライ人が『かたがわり』してくれたから、これから知夏もオジサンたちに『おかえし』しなきゃいけないんだって、いわれたよ。みんな『おしごと』で『おかえし』してるんだよって。ユキおねえさ…あ、…ユキおにいさんも、そうなの?」
「…まぁな」
「どんなことするの?」
「………」
ユキが下を向いた。ユキの眉間には皺が寄っていく。
「…それは…まだ…聞かない方が、良いと思うんだ…」
「…イヤなこと?」
「………」
知夏はいけないことを聞いてしまったんじゃないかと、心配になった。
「…ユキおねえさ…あ、……ごめんなさい…」
俯いていたユキが、スッと顔を上げる。
「なんで知夏が謝るんだよ?なんにも悪いことしてないだろ?」
「だって…いっぱい…きいちゃったし、〈おにいさん〉なのに〈おねえさん〉って、いっちゃうし…。おこったのかなって…」
「ばぁか。そんなことで怒るわけないだろ」
ユキは両手を伸ばした。
ユキの右手が知夏の左手に、ユキの左手は知夏の右手に触れる。白く細長い指が、知夏の小さな手を包む。
「…ゴメン…。俺も、上手く言えないんだ…。正直…俺達には、楽しいことじゃないから……」
ユキの右手と左手は、知夏の左手と右手を優しく握った。
「…なぁ、知夏。さっきは俺、男だって言ったけど〈お兄さん〉とか〈お姉さん〉とか、あんま気にすんなよ。これからはさ、俺のこと〈ユキちゃん〉って呼べよ。な?」
「…いいの?」
「だって皆そう呼んでるだろ?昴も〈ユキちゃん〉って呼んでるぞ。その方が知夏も俺も、お互い色んなこと話しやすいと思うんだ。俺も知夏と、もっと仲良くなりたいし」
「…うん」
「ほら、〈ユキちゃん〉って呼んでみろよ」
「…ユキちゃん」
「もう一回」
「ユキちゃん」
「な?〈ユキお兄さん〉とか〈ユキお姉さん〉って言うより、よっぽど簡単だろ?」
「うん!」
「…だからさ、これから知夏が俺達みたいに外に出たら、色々…困ることもあると思うんだ。外では皆バラバラだから、俺も…知夏のそばにはいてやれない。それで…知夏は女の子だし…女の人に相談したいって思うことがあっても…此処には、大人の女の人はいないだろ?」
「…うん」
「此処に掃除しに来るババァ達もいるけど、女だからって相談しても多分…あんま頼りにはならないと思うんだ…。だから…知夏が今まで俺のこと女だって思ってたんだったら、別にそのままでも良いからさ…。もし、外で嫌なことがあっても此処に帰ってきたら…絶対、知夏一人で我慢しないで、何があったか俺に教えて欲しいんだ。俺も…閉じ込められてるから…、知夏が此処から出たくなっても、逃がしてやったりとかはできないけど…」
ユキの握っている手に、力が籠る。
「でも!どっか知夏の体に痛い所があるなら、ちゃんと手当てしてやりたいし、知夏が悲しい時は一緒にいてやりたいんだ。皆も、そうやって助け合って生活してる。だから俺じゃなくても、柚子とか他の奴に相談して済むことなら、それで良いんだ。だけど…此処の誰にも言えないってことが出てきても、俺だけにはちゃんと言ってくれよ。男の俺に言いにくかったら、その時は、知夏のために女の格好して化粧もしてやるから。…な?」
「…うん」
「なんか…俺、一人でベラベラ喋っちまったけど…平気か?俺の言ってること…なんとなくでも、解ったか?」
「……うん」
「…ホントかぁ?」
「う~んと…、どっかイタイときは…ユキちゃんに、いう…」
「うん」
「おソトでしたことを…ユキちゃんに…、おしえる。あと…、男の子のユキちゃんに…いえなかったら…、女の子の…ユキちゃんに…なって…もらう?」
「ん~…、そぅだな。まぁ…合ってるよ。それ…約束してくれるか?」
「…うん!」
「そっか…よし!じゃあ…指切りな?」
ユキが左手を上げ、小指を立てて指切りの形を作った。知夏も右手を上げて、同じようにしてみる。
「…あれぇ?」
「俺、左利きなんだ。知夏は右利きだろ?」
「うん」
「普通は右手と右手で指切りするか、左手と左手だろ?」
「あ、…そっか」
「でも右手と左手でも、指切りしようと思えばできるぜ」
ユキが椅子から立ち上がった。そして、上に立てている左手の小指をひっくり返し、知夏の立てている小指に重ねる。
知夏の右手は肘が下がっていて普通の指切りの形だが、ユキの左肘は不自然に上げられた形になっている。
「ほら、な?」
「…へんなのー」
「イイじゃん。普通の指切りじゃつまんないだろ?いいかぁ歌ってる間、指離すなよぉ。いくぞー。ゆ~びき~りげ~んまん、う~そつ~いた~らは~りせ~んぼん、の~ます!」
ユキが無理やりながら知夏の小指をガッチリ掴んで、ブンブンと腕を振り歌っている。
知夏は楽しくなってきて、クスクスと笑う。
「ゆ~び切ったっっ!」
ユキが、パッと小指を離した。
知夏は声をあげて笑った。
それは知夏が、この場所に連れて来られてから初めての楽しい笑い声だった。
「いいかぁ?これで、ちゃ~んと約束したからなぁ~、約束破るなよぉ~?」
「うん!」
知夏はこの日以来、自分からユキに話しかけられるようになり、ユキとの会話も増えた。
今まで知夏には、こんな風に自分と真剣に向き合って話してくれる人がいなかった。
両親は共働きで、祖父母も他界していた。
知夏が小学校に上がってからは夕食も用意された物を自分で暖めて、一人で食べることが多くなっていた。
クラスで仲良くなった子達も習い事をしていたので放課後、一緒に遊べる日も少なかった。
母親に「自分も習い事がしたい」とお願いしたが、金銭的に難しいと言われ諦めていた。動物が好きで飼いたかったけれど、住んでいたアパートがペット禁止だったし、母親も動物アレルギーだったので我慢するしかなかった。
だから学校が終わると知夏はずっと、一人で過ごしていた。
「せめて、自分に兄弟がいれば」と、知夏は優しいお兄さんやお姉さんが一緒に遊んでくれることを夢見ていたし、可愛い弟や妹ができるように願っていた。
ーーでも、それは知夏の家族では叶わなかった。
けれど今は、ユキが兄と妹のように接してくれている。
「足し算や引き算位はできた方が良い」と言って、時間がある時は勉強も教えてくれる。
知夏は、ユキを少しずつ信頼するようになっていった。
だが、『お仕事』のことも気にならないわけではなかった。
此処に連れて来られたばかりの知夏は、年上のお兄さんやお姉さんばかりで苛められたりしないか不安だった。
実際、年上の子供達から酷い扱いを受けることはなく、寧ろ優しく接してくれたので安心したのだが、それよりも『お仕事』に行く前のお兄さんやお姉さん達の表情や態度が気になった。
知夏は綺麗な服を着て、家族と外出するなんて小学校の入学式だけだった。その服はリサイクルショップで買った物だったが、それでも知夏は嬉しかった。
入学式の後、お洒落した両親と小学校の校門前で写真を撮り、帰りに珍しく高そうなレストランに入って、三人一緒に夕食を食べたのが知夏の今も楽しい思い出だ。
だから御粧ししてお出かけするなら、何か外で楽しいことがあるんじゃないかと思うのに、お兄さんもお姉さんも皆、元気がなくなる。
外から四階に戻って来るのは、知夏がリビングルームのベッドで眠っている深夜からお昼の間で、殆どの子供は三階の個室で休んでいるようだった。
個室のドアの前を通ると時折、中から泣き声が聞こえてきて心配になったが、知夏は自分からドアを開けて声をかけたりすることが出来なかった。
それはまだ『お仕事』を知らない自分が、立ち入ってしまってはいけない事のように思えてーー。
ーーーそして、此処に連れて来られてから二ヶ月後の初めての『お仕事』の日、知夏は身を以て、その理由を知った。
初めての『お仕事』を終えた知夏は、会員の泊まる客室に長居することなく、『倉庫』の四階に戻って来た。
三階の個室に運ばれ、ベッドに寝かされた知夏はそのまま動くことが出来なかった。
身体が、重たい。
僅か眠り、ハッと目が覚め、また僅かに眠っては、ハッと目を覚ます。
ただ、それだけを繰り返していた。
このベッドに寝かされた時は、まだ空は夜だった。半分開いている遮光カーテンの間から朝の光が漏れ、真っ暗だった視界は今はもう家具の形がハッキリと見えている。
その時、ドアの外からドタドタと足音が聞こえてきた。
「知夏!」
名前を呼ぶ声と同時に、ドアが開いた。
知夏が目を遣ると、そこにはユキが立っていた。
四階の玄関から知夏のいる三階の個室まで走って来たのか、ハアハアと息を切らしている。
その姿は昨夜、ユキが『お仕事』で着て行った女の子用のドレスのままで、メイクも残っていた。
「…知夏」
ユキがベッドの傍らに膝をついて、知夏の右手を握った。そしてもう片方の手を、おでこに当てると頭を撫でた。
「……おしっこ」
「…うん。連れてってやる」
ユキは知夏を抱きかかえて、三階のトイレに連れて行った。
「此処に居るから」
知夏は頷いた。
トイレを済ませると、ドアの外で待っていたユキが再び知夏を抱きかかえ、個室のベッドに戻って座らせた。
「ちょっと待ってろ」
ユキが個室を出て行き、暫くしてからペットボトルのジュースとサンドイッチの入った器を持って戻って来た。そして、少しずつ知夏にジュースを飲ませた。
「お腹…空いてるだろ?…食うか?」
知夏は、首を左右に振った。
「…だっこ」
「うん、わかった…。おいで」
知夏を抱きかかえたユキは壁際にある、背もたれの高い一人掛けソファに座った。
ユキが知夏の背中を擦ったり、ポン…ポン…と優しく叩く。
二人に静かな時間が流れた。
「うー…」
知夏のくぐもった声が聞こえた。
「うー…、うー…。…ひーん……」
くぐもった声が徐々に、激しい嗚咽へと変わっていく。
知夏は、ユキの胸元に顔を押しつけている。ユキの着ている薄紫色のドレスの一部分が濡れて、色濃くなり広がっていく。
一度零れ出た涙は、容易くは止まらなかった。
涙を流している間、ユキは知夏を抱きしめ、頭や背中を優しく撫で続けた。
この日、ユキは一日中ずっと知夏と一緒に過ごした。
食事を手伝い、一緒にお風呂に入って体を流してやり、知夏が好きな童話の本を読み聞かせ、眠る時は腕枕をして知夏に寄りそった。
ユキの『お仕事』以外の数日間、ユキは知夏のそばに居続けた。
そうして知夏は少しずつ少しずつ、知夏自身を、取り戻していったーーー。
(続)
知夏が、ユキに対して膨らませていた思いを打ち明けたのだ。
そうしたら目の前のユキは顔をクシャクシャにして笑い、目からは涙が出ている。
こんなにユキが笑っているのを、知夏は初めて見た。
「なんだよぉ。お前、ずーっと俺のこと女だと思ってたのかぁ?」
笑い過ぎて苦しそうなユキが息を整え、徐々に落ち着いていく。
「まぁ…確かにしょっちゅう、そう見られるけどな。でもお前、此処に来てもう…一ヶ月だろぉ?てっきり俺が男だって、ちゃんと知ってんのかなって…クク…女って思ってんのに、そんなモン見りゃ、ビックリするよな…ククク…」
「やっぱり、ちがうの?」
「あ~の~なぁ~俺はぁ、男なの。だからぁ、知夏が見たモンもぉ、俺が男だからぁついてんの。得体が知れないデキモンとかじゃねぇし…ククク…」
「……」
「…どした?」
「じゃあ、どうしてお外に行くとき、女の子みたいになるの?ほかの〈おにいさん〉は、男の子のままだよ?女の子になりたいの?知夏、そーゆー人、知ってる。テレビで見たもん」
ユキ以外の男の子は、女の子用の衣装を着せられる頻度は少ない。メイクも肌を整える程度だ。
「あー、俺は違うね。ほら、下の『面会室』に来るオッサン達いるだろ?」
「…うん」
「そいつらがぁ、そーゆーの着て欲しいんだってさ。アホだろ?」
「…イヤじゃないの?」
「すっげえヤだ。化粧も面倒くせぇし。俺、服もカッコいいのが好きだし。でも此処じゃ、そいつらが選んだモンしか着れないからな」
「知夏も、いっぱいプレゼントもらったよ。お金もちのオジサンたちからの『きふ』なんでしょ?」
「…ああ」
「…知夏のパパが『かりたお金』も、ここのエライ人が『かたがわり』してくれたから、これから知夏もオジサンたちに『おかえし』しなきゃいけないんだって、いわれたよ。みんな『おしごと』で『おかえし』してるんだよって。ユキおねえさ…あ、…ユキおにいさんも、そうなの?」
「…まぁな」
「どんなことするの?」
「………」
ユキが下を向いた。ユキの眉間には皺が寄っていく。
「…それは…まだ…聞かない方が、良いと思うんだ…」
「…イヤなこと?」
「………」
知夏はいけないことを聞いてしまったんじゃないかと、心配になった。
「…ユキおねえさ…あ、……ごめんなさい…」
俯いていたユキが、スッと顔を上げる。
「なんで知夏が謝るんだよ?なんにも悪いことしてないだろ?」
「だって…いっぱい…きいちゃったし、〈おにいさん〉なのに〈おねえさん〉って、いっちゃうし…。おこったのかなって…」
「ばぁか。そんなことで怒るわけないだろ」
ユキは両手を伸ばした。
ユキの右手が知夏の左手に、ユキの左手は知夏の右手に触れる。白く細長い指が、知夏の小さな手を包む。
「…ゴメン…。俺も、上手く言えないんだ…。正直…俺達には、楽しいことじゃないから……」
ユキの右手と左手は、知夏の左手と右手を優しく握った。
「…なぁ、知夏。さっきは俺、男だって言ったけど〈お兄さん〉とか〈お姉さん〉とか、あんま気にすんなよ。これからはさ、俺のこと〈ユキちゃん〉って呼べよ。な?」
「…いいの?」
「だって皆そう呼んでるだろ?昴も〈ユキちゃん〉って呼んでるぞ。その方が知夏も俺も、お互い色んなこと話しやすいと思うんだ。俺も知夏と、もっと仲良くなりたいし」
「…うん」
「ほら、〈ユキちゃん〉って呼んでみろよ」
「…ユキちゃん」
「もう一回」
「ユキちゃん」
「な?〈ユキお兄さん〉とか〈ユキお姉さん〉って言うより、よっぽど簡単だろ?」
「うん!」
「…だからさ、これから知夏が俺達みたいに外に出たら、色々…困ることもあると思うんだ。外では皆バラバラだから、俺も…知夏のそばにはいてやれない。それで…知夏は女の子だし…女の人に相談したいって思うことがあっても…此処には、大人の女の人はいないだろ?」
「…うん」
「此処に掃除しに来るババァ達もいるけど、女だからって相談しても多分…あんま頼りにはならないと思うんだ…。だから…知夏が今まで俺のこと女だって思ってたんだったら、別にそのままでも良いからさ…。もし、外で嫌なことがあっても此処に帰ってきたら…絶対、知夏一人で我慢しないで、何があったか俺に教えて欲しいんだ。俺も…閉じ込められてるから…、知夏が此処から出たくなっても、逃がしてやったりとかはできないけど…」
ユキの握っている手に、力が籠る。
「でも!どっか知夏の体に痛い所があるなら、ちゃんと手当てしてやりたいし、知夏が悲しい時は一緒にいてやりたいんだ。皆も、そうやって助け合って生活してる。だから俺じゃなくても、柚子とか他の奴に相談して済むことなら、それで良いんだ。だけど…此処の誰にも言えないってことが出てきても、俺だけにはちゃんと言ってくれよ。男の俺に言いにくかったら、その時は、知夏のために女の格好して化粧もしてやるから。…な?」
「…うん」
「なんか…俺、一人でベラベラ喋っちまったけど…平気か?俺の言ってること…なんとなくでも、解ったか?」
「……うん」
「…ホントかぁ?」
「う~んと…、どっかイタイときは…ユキちゃんに、いう…」
「うん」
「おソトでしたことを…ユキちゃんに…、おしえる。あと…、男の子のユキちゃんに…いえなかったら…、女の子の…ユキちゃんに…なって…もらう?」
「ん~…、そぅだな。まぁ…合ってるよ。それ…約束してくれるか?」
「…うん!」
「そっか…よし!じゃあ…指切りな?」
ユキが左手を上げ、小指を立てて指切りの形を作った。知夏も右手を上げて、同じようにしてみる。
「…あれぇ?」
「俺、左利きなんだ。知夏は右利きだろ?」
「うん」
「普通は右手と右手で指切りするか、左手と左手だろ?」
「あ、…そっか」
「でも右手と左手でも、指切りしようと思えばできるぜ」
ユキが椅子から立ち上がった。そして、上に立てている左手の小指をひっくり返し、知夏の立てている小指に重ねる。
知夏の右手は肘が下がっていて普通の指切りの形だが、ユキの左肘は不自然に上げられた形になっている。
「ほら、な?」
「…へんなのー」
「イイじゃん。普通の指切りじゃつまんないだろ?いいかぁ歌ってる間、指離すなよぉ。いくぞー。ゆ~びき~りげ~んまん、う~そつ~いた~らは~りせ~んぼん、の~ます!」
ユキが無理やりながら知夏の小指をガッチリ掴んで、ブンブンと腕を振り歌っている。
知夏は楽しくなってきて、クスクスと笑う。
「ゆ~び切ったっっ!」
ユキが、パッと小指を離した。
知夏は声をあげて笑った。
それは知夏が、この場所に連れて来られてから初めての楽しい笑い声だった。
「いいかぁ?これで、ちゃ~んと約束したからなぁ~、約束破るなよぉ~?」
「うん!」
知夏はこの日以来、自分からユキに話しかけられるようになり、ユキとの会話も増えた。
今まで知夏には、こんな風に自分と真剣に向き合って話してくれる人がいなかった。
両親は共働きで、祖父母も他界していた。
知夏が小学校に上がってからは夕食も用意された物を自分で暖めて、一人で食べることが多くなっていた。
クラスで仲良くなった子達も習い事をしていたので放課後、一緒に遊べる日も少なかった。
母親に「自分も習い事がしたい」とお願いしたが、金銭的に難しいと言われ諦めていた。動物が好きで飼いたかったけれど、住んでいたアパートがペット禁止だったし、母親も動物アレルギーだったので我慢するしかなかった。
だから学校が終わると知夏はずっと、一人で過ごしていた。
「せめて、自分に兄弟がいれば」と、知夏は優しいお兄さんやお姉さんが一緒に遊んでくれることを夢見ていたし、可愛い弟や妹ができるように願っていた。
ーーでも、それは知夏の家族では叶わなかった。
けれど今は、ユキが兄と妹のように接してくれている。
「足し算や引き算位はできた方が良い」と言って、時間がある時は勉強も教えてくれる。
知夏は、ユキを少しずつ信頼するようになっていった。
だが、『お仕事』のことも気にならないわけではなかった。
此処に連れて来られたばかりの知夏は、年上のお兄さんやお姉さんばかりで苛められたりしないか不安だった。
実際、年上の子供達から酷い扱いを受けることはなく、寧ろ優しく接してくれたので安心したのだが、それよりも『お仕事』に行く前のお兄さんやお姉さん達の表情や態度が気になった。
知夏は綺麗な服を着て、家族と外出するなんて小学校の入学式だけだった。その服はリサイクルショップで買った物だったが、それでも知夏は嬉しかった。
入学式の後、お洒落した両親と小学校の校門前で写真を撮り、帰りに珍しく高そうなレストランに入って、三人一緒に夕食を食べたのが知夏の今も楽しい思い出だ。
だから御粧ししてお出かけするなら、何か外で楽しいことがあるんじゃないかと思うのに、お兄さんもお姉さんも皆、元気がなくなる。
外から四階に戻って来るのは、知夏がリビングルームのベッドで眠っている深夜からお昼の間で、殆どの子供は三階の個室で休んでいるようだった。
個室のドアの前を通ると時折、中から泣き声が聞こえてきて心配になったが、知夏は自分からドアを開けて声をかけたりすることが出来なかった。
それはまだ『お仕事』を知らない自分が、立ち入ってしまってはいけない事のように思えてーー。
ーーーそして、此処に連れて来られてから二ヶ月後の初めての『お仕事』の日、知夏は身を以て、その理由を知った。
初めての『お仕事』を終えた知夏は、会員の泊まる客室に長居することなく、『倉庫』の四階に戻って来た。
三階の個室に運ばれ、ベッドに寝かされた知夏はそのまま動くことが出来なかった。
身体が、重たい。
僅か眠り、ハッと目が覚め、また僅かに眠っては、ハッと目を覚ます。
ただ、それだけを繰り返していた。
このベッドに寝かされた時は、まだ空は夜だった。半分開いている遮光カーテンの間から朝の光が漏れ、真っ暗だった視界は今はもう家具の形がハッキリと見えている。
その時、ドアの外からドタドタと足音が聞こえてきた。
「知夏!」
名前を呼ぶ声と同時に、ドアが開いた。
知夏が目を遣ると、そこにはユキが立っていた。
四階の玄関から知夏のいる三階の個室まで走って来たのか、ハアハアと息を切らしている。
その姿は昨夜、ユキが『お仕事』で着て行った女の子用のドレスのままで、メイクも残っていた。
「…知夏」
ユキがベッドの傍らに膝をついて、知夏の右手を握った。そしてもう片方の手を、おでこに当てると頭を撫でた。
「……おしっこ」
「…うん。連れてってやる」
ユキは知夏を抱きかかえて、三階のトイレに連れて行った。
「此処に居るから」
知夏は頷いた。
トイレを済ませると、ドアの外で待っていたユキが再び知夏を抱きかかえ、個室のベッドに戻って座らせた。
「ちょっと待ってろ」
ユキが個室を出て行き、暫くしてからペットボトルのジュースとサンドイッチの入った器を持って戻って来た。そして、少しずつ知夏にジュースを飲ませた。
「お腹…空いてるだろ?…食うか?」
知夏は、首を左右に振った。
「…だっこ」
「うん、わかった…。おいで」
知夏を抱きかかえたユキは壁際にある、背もたれの高い一人掛けソファに座った。
ユキが知夏の背中を擦ったり、ポン…ポン…と優しく叩く。
二人に静かな時間が流れた。
「うー…」
知夏のくぐもった声が聞こえた。
「うー…、うー…。…ひーん……」
くぐもった声が徐々に、激しい嗚咽へと変わっていく。
知夏は、ユキの胸元に顔を押しつけている。ユキの着ている薄紫色のドレスの一部分が濡れて、色濃くなり広がっていく。
一度零れ出た涙は、容易くは止まらなかった。
涙を流している間、ユキは知夏を抱きしめ、頭や背中を優しく撫で続けた。
この日、ユキは一日中ずっと知夏と一緒に過ごした。
食事を手伝い、一緒にお風呂に入って体を流してやり、知夏が好きな童話の本を読み聞かせ、眠る時は腕枕をして知夏に寄りそった。
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そうして知夏は少しずつ少しずつ、知夏自身を、取り戻していったーーー。
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