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第2章「籠の中の子供達」
二十三話「ランチ③」
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「うん?どうしたんだい?」
もう一度、伊勢谷が琉詩の左耳に囁く。
「………」
琉詩は「ギュッ」と両眼を瞑って、固まっている。
「あの、伊勢谷さ…」
「いつもの」
早瀬の呼び掛けを、伊勢谷が遮る。
「明るい琉詩君らしくないなあ…」
言い終えると伊勢谷は、「ギョロギョロ」と上目遣いに瞳を動かし、琉詩越しのルーシーと、テーブルの向かい側に立つ早瀬を交互に見る。
「……」
「……」
穏やかな口調とは裏腹に、その視線は鋭く威圧的で、これ以上は早瀬もルーシーも口を挟めない。
「ぼく…やだ…」
無意識に追いやろうとしていた一夜の記憶。
木己島の顔が、体が、声が、感触が、息遣いが、瞬時に琉詩の頭の中で場面となって現れ、次々と点滅する。
「いやだ……ジ、ジミー…」
「ギュッ」と瞑った両瞼の隙間から、幾筋もの涙が流れ落ちてゆく。
うっすら笑みを浮かべた伊勢谷は、琉詩の泣き顔を直視する。
「いっくん…」
琉詩は両瞼を開く。そして訴えるような瞳で、伊勢谷の顔を見た。
「あ、あのね…。ジ、ジミー…うぅ、ジミーが…」
声を出せない母親の代わりに、普段から誰にでも物怖じせず言葉を伝え、自分の気持ちも話していた琉詩。けれど、あの出来事を、どうやって伝えれば良いのか、まだ幼い琉詩には先の言葉が出てこない。
だが何も言わなくても、此処に居る大人達も子供達も、琉詩が流す涙の理由を知っている。
「大丈夫。木己島様の予約された日はまだ、ずっと先だよ」
変わらぬ穏やかな口調で、伊勢谷は囁く。
「……え?」
「それに…明日、お相手する会員様とは、ベッドで寝る必要は無いから。今までの面会と、さほど変わらないよ」
伊勢谷は頭を上げ、屈んでいた背中も起こして真っ直ぐ立った。
「ただね…」
琉詩の両肩から、伊勢谷の両手が離される。と瞬間、琉詩の体は「スーッ」と後退し、「グルッ」と視界が左方向へ半回転した。椅子の足には音防止の滑り材が装着されており、琉詩が座ったままでも、伊勢谷の力であれば難無く動かせる。
気付くと、琉詩は椅子ごとテーブルに背を向け、伊勢谷と向かい合わせになっていた。
瞬間的な移動に琉詩の涙は止まり、「キョトン」とした表情になる。
「琉詩君」
いつものように伊勢谷は腰を下ろして片膝を突き、琉詩と目線を合わせる。琉詩は幅広の椅子に座っている。その両側の肘掛けを「グッ」と、伊勢谷の大きな両手が掴む。すると琉詩は、椅子と伊勢谷の中に囲われている状態になった。
「これはね、琉詩君の『お仕事』なんだ」
「…お、しご…と?」
「そう」
頷く伊勢谷。
「とっても、とーーーっても…」
力を込めて言い、琉詩を見据える。
「大事な、『お仕事』だよ」
それから漸く、此処へ連れて来られた本当の理由が、琉詩に説明された。
此処が、施設とは違うこと。自分は、親戚の叔父さんに売られたこと。その買取り額は丸ごと自分自身の借金となり、全額返済するために『お仕事』しなければいけないこと。此処に居るお兄ちゃんやお姉ちゃんが外出するのは、『お仕事』するためだということ。
そして、『お仕事』を拒否することは決して、許されないこと。全てを聞かされた。
「…どうして?」
琉詩は潤んだ瞳で、伊勢谷の乾いた瞳を見つめる。
「ぼく…タカシおじさんと〈あった〉のも、ママが…て…〈てんごく〉いっちゃってから…、はじめてだよ?ちょっとしか、いっしょにいなかったのに…。どうして?どうして、ぼくがうられて、〈しゃっきん〉かえさなきゃいけないの?そんなの、ヘンだ…。ヘンだよっ」
「そうだね。納得いかないよね?」
「うんっ」
伊勢谷の問いかけに、琉詩は大きく頷く。
「でもね、琉詩」
伊勢谷は、琉詩を呼び捨てる。
「納得いかなくても、これはね、もう…どうしようも無いことなんだ。琉詩の叔父さんがいっぱい、お金が欲しくて勝手に決めてしまったんだから…。此処に居るお兄ちゃんやお姉ちゃん達だって、そうだよ」
琉詩からは目を逸らさず、右手の平を上に向け、伊勢谷はテーブルに座っている子供達を順繰りと差し示した。
「誰も自分の意思で借金した子なんて、一人もいないよ。だって…まだ、子供だからね。全部、大人が決めたことだ。例えば…」
伊勢谷は視線を、琉詩から周りの子供達に向ける。
「お父さんやお母さんが残した借金」
柚子や一馬を見る。
「親戚の叔父さんや叔母さんの借金」
次は、ほの香や菜々美を見る。
「全く、縁も所縁も無い大人に売られた子達だって、いるしね」
伊勢谷は他の該当する子供達を一人一人、見回してゆく。
だが誰も、伊勢谷と目を合わせようとはしない。ただ「ジッ」と、耐える子供達。
「ああ…ほら、ドールもそうだ…」
リビングルームの方へ、伊勢谷は首を動かす。
三階の個室で寝ていた少女が丁度、リビングの扉から入って来ていた。
琉詩も横を向いて、並んだベッドの間を歩く少女を見る。
「ドールはね、ずっと施設に居たんだ。だけど…そこの所長さんがギャンブル好きで、あちこちからお金を借りて、闇金にまで手を出した挙げ句、返済に困ってしまってね…。それでドールは、所長さんに売られてしまったのさ…」
少女は解放されたダイニングルームに目を遣ることも無く、自分のベッドに腰掛けた。
「ルーシーもそうだよ」
伊勢谷が、名を呼ぶと同時にルーシーを指差す。
リビングルームから顔を戻し、琉詩は左後ろを向いて、ルーシーを見る。
「ルーシーはね…恋人に騙されて、借金の保証人になってしまったんだ。その後、恋人は金を持って行方知れず。可哀想に…ルーシーに残ったのは、多額の借金だけさ…。その借金を返すために、此処で皆のヘアメイクをして働いてるんだ」
ルーシーはテーブルに両腕を組んで、恥ずかしそうに俯いている。
「早瀬君もそうだよ」
今度は早瀬を指差した。
琉詩は体を捻って、テーブルの向こうで佇む早瀬を見る。
「早瀬君のお母さんは病気で、長いこと入院していてね…。高い治療費や入院費を、此処の社長が立て替えて下さったんだ。その代わりに此処で、皆の世話をする」
伊勢谷は肘掛けから両手を離して、立ち上がった。
「そのお陰で、早瀬君は住む家にも生活にも困らない。弟も学校に通わせてあげられる」
早瀬は自分のことを説明されている間、気まずそうな表情で琉詩から顔を背けている。
「みーんな、そうだよ。此処に居る、みーんな、借金を返すために『お仕事』してるんだ」
伊勢谷は琉詩を見下ろしながら、話し続ける。
「でも心配しなくて良い。真面目に『お仕事』すれば、確実に借金は減っていく。きちんと皆に毎月、明細も渡しているからね。ズルはしない」
「………」
琉詩は何も言えないまま、伊勢谷を見上げている。
「だから、琉詩も頑張ろうな」
そう言って、伊勢谷は太い下がり眉を更に下げて、上から穏やかに笑いかけた。
(続)
もう一度、伊勢谷が琉詩の左耳に囁く。
「………」
琉詩は「ギュッ」と両眼を瞑って、固まっている。
「あの、伊勢谷さ…」
「いつもの」
早瀬の呼び掛けを、伊勢谷が遮る。
「明るい琉詩君らしくないなあ…」
言い終えると伊勢谷は、「ギョロギョロ」と上目遣いに瞳を動かし、琉詩越しのルーシーと、テーブルの向かい側に立つ早瀬を交互に見る。
「……」
「……」
穏やかな口調とは裏腹に、その視線は鋭く威圧的で、これ以上は早瀬もルーシーも口を挟めない。
「ぼく…やだ…」
無意識に追いやろうとしていた一夜の記憶。
木己島の顔が、体が、声が、感触が、息遣いが、瞬時に琉詩の頭の中で場面となって現れ、次々と点滅する。
「いやだ……ジ、ジミー…」
「ギュッ」と瞑った両瞼の隙間から、幾筋もの涙が流れ落ちてゆく。
うっすら笑みを浮かべた伊勢谷は、琉詩の泣き顔を直視する。
「いっくん…」
琉詩は両瞼を開く。そして訴えるような瞳で、伊勢谷の顔を見た。
「あ、あのね…。ジ、ジミー…うぅ、ジミーが…」
声を出せない母親の代わりに、普段から誰にでも物怖じせず言葉を伝え、自分の気持ちも話していた琉詩。けれど、あの出来事を、どうやって伝えれば良いのか、まだ幼い琉詩には先の言葉が出てこない。
だが何も言わなくても、此処に居る大人達も子供達も、琉詩が流す涙の理由を知っている。
「大丈夫。木己島様の予約された日はまだ、ずっと先だよ」
変わらぬ穏やかな口調で、伊勢谷は囁く。
「……え?」
「それに…明日、お相手する会員様とは、ベッドで寝る必要は無いから。今までの面会と、さほど変わらないよ」
伊勢谷は頭を上げ、屈んでいた背中も起こして真っ直ぐ立った。
「ただね…」
琉詩の両肩から、伊勢谷の両手が離される。と瞬間、琉詩の体は「スーッ」と後退し、「グルッ」と視界が左方向へ半回転した。椅子の足には音防止の滑り材が装着されており、琉詩が座ったままでも、伊勢谷の力であれば難無く動かせる。
気付くと、琉詩は椅子ごとテーブルに背を向け、伊勢谷と向かい合わせになっていた。
瞬間的な移動に琉詩の涙は止まり、「キョトン」とした表情になる。
「琉詩君」
いつものように伊勢谷は腰を下ろして片膝を突き、琉詩と目線を合わせる。琉詩は幅広の椅子に座っている。その両側の肘掛けを「グッ」と、伊勢谷の大きな両手が掴む。すると琉詩は、椅子と伊勢谷の中に囲われている状態になった。
「これはね、琉詩君の『お仕事』なんだ」
「…お、しご…と?」
「そう」
頷く伊勢谷。
「とっても、とーーーっても…」
力を込めて言い、琉詩を見据える。
「大事な、『お仕事』だよ」
それから漸く、此処へ連れて来られた本当の理由が、琉詩に説明された。
此処が、施設とは違うこと。自分は、親戚の叔父さんに売られたこと。その買取り額は丸ごと自分自身の借金となり、全額返済するために『お仕事』しなければいけないこと。此処に居るお兄ちゃんやお姉ちゃんが外出するのは、『お仕事』するためだということ。
そして、『お仕事』を拒否することは決して、許されないこと。全てを聞かされた。
「…どうして?」
琉詩は潤んだ瞳で、伊勢谷の乾いた瞳を見つめる。
「ぼく…タカシおじさんと〈あった〉のも、ママが…て…〈てんごく〉いっちゃってから…、はじめてだよ?ちょっとしか、いっしょにいなかったのに…。どうして?どうして、ぼくがうられて、〈しゃっきん〉かえさなきゃいけないの?そんなの、ヘンだ…。ヘンだよっ」
「そうだね。納得いかないよね?」
「うんっ」
伊勢谷の問いかけに、琉詩は大きく頷く。
「でもね、琉詩」
伊勢谷は、琉詩を呼び捨てる。
「納得いかなくても、これはね、もう…どうしようも無いことなんだ。琉詩の叔父さんがいっぱい、お金が欲しくて勝手に決めてしまったんだから…。此処に居るお兄ちゃんやお姉ちゃん達だって、そうだよ」
琉詩からは目を逸らさず、右手の平を上に向け、伊勢谷はテーブルに座っている子供達を順繰りと差し示した。
「誰も自分の意思で借金した子なんて、一人もいないよ。だって…まだ、子供だからね。全部、大人が決めたことだ。例えば…」
伊勢谷は視線を、琉詩から周りの子供達に向ける。
「お父さんやお母さんが残した借金」
柚子や一馬を見る。
「親戚の叔父さんや叔母さんの借金」
次は、ほの香や菜々美を見る。
「全く、縁も所縁も無い大人に売られた子達だって、いるしね」
伊勢谷は他の該当する子供達を一人一人、見回してゆく。
だが誰も、伊勢谷と目を合わせようとはしない。ただ「ジッ」と、耐える子供達。
「ああ…ほら、ドールもそうだ…」
リビングルームの方へ、伊勢谷は首を動かす。
三階の個室で寝ていた少女が丁度、リビングの扉から入って来ていた。
琉詩も横を向いて、並んだベッドの間を歩く少女を見る。
「ドールはね、ずっと施設に居たんだ。だけど…そこの所長さんがギャンブル好きで、あちこちからお金を借りて、闇金にまで手を出した挙げ句、返済に困ってしまってね…。それでドールは、所長さんに売られてしまったのさ…」
少女は解放されたダイニングルームに目を遣ることも無く、自分のベッドに腰掛けた。
「ルーシーもそうだよ」
伊勢谷が、名を呼ぶと同時にルーシーを指差す。
リビングルームから顔を戻し、琉詩は左後ろを向いて、ルーシーを見る。
「ルーシーはね…恋人に騙されて、借金の保証人になってしまったんだ。その後、恋人は金を持って行方知れず。可哀想に…ルーシーに残ったのは、多額の借金だけさ…。その借金を返すために、此処で皆のヘアメイクをして働いてるんだ」
ルーシーはテーブルに両腕を組んで、恥ずかしそうに俯いている。
「早瀬君もそうだよ」
今度は早瀬を指差した。
琉詩は体を捻って、テーブルの向こうで佇む早瀬を見る。
「早瀬君のお母さんは病気で、長いこと入院していてね…。高い治療費や入院費を、此処の社長が立て替えて下さったんだ。その代わりに此処で、皆の世話をする」
伊勢谷は肘掛けから両手を離して、立ち上がった。
「そのお陰で、早瀬君は住む家にも生活にも困らない。弟も学校に通わせてあげられる」
早瀬は自分のことを説明されている間、気まずそうな表情で琉詩から顔を背けている。
「みーんな、そうだよ。此処に居る、みーんな、借金を返すために『お仕事』してるんだ」
伊勢谷は琉詩を見下ろしながら、話し続ける。
「でも心配しなくて良い。真面目に『お仕事』すれば、確実に借金は減っていく。きちんと皆に毎月、明細も渡しているからね。ズルはしない」
「………」
琉詩は何も言えないまま、伊勢谷を見上げている。
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